ミュノス領の歩き方

作者:中田かなた

【『嘘つき少年の異世界謀略ゲーム ~異世界で領主に成り上がった少女を連れ戻します~』新シリーズ開始記念特別短編1本目!!】
ミュノス領の歩き方

 佐藤霞。
 彼女が『霧の大陸』で初めて意識を覚醒させたとき、彼女は水の上に浮かんでいた。全身裸ではあるが、未だ羞恥は感じていない。というのも、彼女が浮かんでいる『生命の泉』が妙に温かかったのだ。風呂に入ってうたた寝でもしていたような気分だった。
 だが、少しすれば状況の把握が始まる。
 確か、自分はゲームの世界に入ったはずだ。そして、『生命の泉』という場所に出現することになっていたはずだ。佐藤は体勢を立て直し、泉の底に足をつけた。周囲には女性が数人いて、突然現れた佐藤の様子を見守っていた。
 その中の一人が、報告のために離れていく。

「あ、あの……」
「マフグイオラエ」

 女性の一人が、泉から上がって来た佐藤に指輪を渡す。
 佐藤がそれを手に取ると、女性は再度話しかけて来た。

「私の言葉が分かりますか?」
「……はい」
「異邦人の方ですね。こちらへどうぞ」

 佐藤は言われた通りについていく。
 タオルで身体を拭き、浴衣のような衣服を身に着ける。
 そして、客間へと通された。

「初めまして。こちらの旅館で仲居をさせていただいている、ベラと申します。本日は、当旅館へようこそいらっしゃいました」
「あ、あの。私は客じゃないんです。お金ないんです。ノーマネー。分かります?」
「ええ、分かっていますとも。異邦人の方ですよね?」
「異邦人……。そういう呼ばれ方をしているんですね」
「はい。『生命の泉』を通って突如現れた人間。我々とは違う知識を持った方々。そんな方たちのことを、我々は異邦人とお呼びしています。ここ最近、新しい方はいらっしゃらなかったので諦めかけていたのですが、本当にありがたいことです」
「あの、私、お金持ってませんよ」
「構いません。それよりも、貴女たち異邦人には異邦の知識があります。その知識を、我々の温泉をより良い場所にするために使わせていただきたいのです」
「それは構いませんが、とりあえず一度帰らせてもらえませんか? いえ、もう日本に戻らなければならないのです。話については、また別の機会があるでしょうから、その時にでも」
「そんなことをおっしゃらずに、ささ、一杯だけでも」

 女将は佐藤にお猪口を握らせると、酒を注ぎ始めた。
 佐藤は困惑しながらも考える。ここまでされて、まったく口をつけないというのも失礼な話だろう。既にお猪口には酒が注がれてしまっている。幸い、自分は極端に酒に弱いわけでもない。一杯だけ飲んで、二杯目以降は遠慮させてもらうことにしよう。
 その決意と共に、彼女は一杯目を飲み干した。
 その時点で、佐藤の敗北は既に決まっていた。

 ミュノス領は温泉のほかにこれといった特徴のない領地だ。だが、この『霧の大陸』において温泉が出る場所はミュノス領の他には存在しない。ゆえに、ミュノス領主はこの唯一無二の武器を最大限に利用することにした。他領地や中央から、多数の重役やそのお付きの人々に訪問してもらえるよう、領地全体でお客を迎える体制を作り上げていた。
 作り上げられたのは、究極の『おもてなし』である。
 そして、社会人になりたての佐藤は、そのおもてなしに当然のように絡めとられた。今まで食べたことのないような刺身に、辛口の酒。
 彼女は大いに食べ、大いに飲み、大いに語った。
 日本における温泉文化。それに付随するサービスの数々。
 その大半は、彼女自身が経験したものではなく、漫画のテルマエ・ロマエで読んだものをそのまま引用しただけであった。だが、佐藤は数少ない『適性あり』の人間だ。日本の話をここまで詳細に出来るものは、これまで現れていなかった。彼女の話は旅館中、更には領地中に広まっていった。彼女は眠っている間に、ミュノス領における人気者へとなっていた。


 翌朝、佐藤は目覚めると同時に青ざめた。
 どうしてこんなところでくつろいでしまったのか。
 佐藤は起き上がると、『生命の泉』に向かうことにした。そこでひとまずログアウトしなければならない。あちらでは五代たちが目を覚まさない自分のことを心配しているはずなのだ。
 佐藤は部屋のドアを開ける。
 そこには、とてつもなく美味しそうな朝食を持った女中が立っていた。

「おはようございます、佐藤様。お食事をお待ちしました」

 こうして、帰還は延期され――。

「朝からの温泉は格別ですよ!」

 更に延期され――。

「異世界の温泉卵に興味はありませんか?」

 延期され――。


 佐藤が自分の使命を思い出したのは、昼になってからのことだった。『適性あり』の人間でなければ、この時点で自分が日本から来たことなど奇麗さっぱり忘れ去ってしまっていたことだろう。
 自分はここに仕事で来ているのだ。色々な人の命運を背負っているのだ。何よりも、自分への評価がかかっているのだ。何としても、日本に戻らなければならない。
 だが、ミュノス領のおもてなしは着実に佐藤をからめとってくるのだ。それを何とかしない限り、日本に戻ることは不可能だろう。それを踏まえたうえで、『生命の泉』までたどり着く方法を考える。そして考え出したのは――。

「よし、楽しもう」

 諦めたわけではない。佐藤には、娯楽に対して効率を求める習性があった。テーマパークに行けば、全てのアトラクションに乗ることに情熱を傾けるタイプの人間。それが佐藤霞なのだ。ゆえに、一度制覇してしまえばそれ以上の娯楽はバランスを崩すものであり、蛇足でしかない。
 佐藤は短時間で、ミュノスを回ることにした。
 温泉に入っては上がり、効能をチェック。
 食事も名物とされるものを中心に一通り味見をした。
 そして、町の隅から隅まで走って回り、わずか半日で彼女はミュノス領を制覇した気分になっていた。そして、その勢いのまま最後の温泉とばかりに、『生命の泉』へと飛び込んだ。


 佐藤が目を覚ますと、カプセルが自動的に開きだした。
 それに気づいた専門家たちが、彼女の周りに集まる。その専門家たちに混ざって、五代も心配そうに佐藤のことを見ていた。

「向こうで何があったんだい? 五分で戻ってくるはずなのに、全然意識が戻らなかったんだぞ」
「何というか……。いいお湯でした」
「は?」

 五代は眉間にしわを寄せた。

「まさか、記憶の混濁があるのかい?」
「いえ、そんなことはありません。正常です。ところで、私はどれくらい意識を失っていたのですか?」
「大体、二十四時間だね」
「にじゅ……!?」

 佐藤はつい声を上げた。だが、そんな驚きも五代の次の言葉で、絶望へと変わった。

「さて、疲れてはいるだろうが、ここからが君の本当の仕事だ。向こうでの様子を教えてもらいたい」

 さて、どうごまかしたものか。


 結論から言えば、無理だった。
 次々と質問をしてくる五代に対し、嘘をつく余裕すらなかった。少しでも矛盾があれば確実にそこをついてくる。そんな威圧感が今の五代にはあった。
 佐藤は小出しにしながらも、『霧の大陸』での出来事を話し始めた。話が進むたびに、五代が呆れた表情をしていたが、最後まで話し終えると五代は佐藤に対し、友好的な笑顔を向けた。そして、五代は言う。

「素晴らしい」
「はい?」
「君は二十四時間もあちらの世界で記憶を維持できたことになる。睡眠まで向こうでとったということであれば、もはや安全性は確認されたも同然だ」
「そうなりますかね?」
「そうだとも。君は素晴らしい」

 五代の言葉に、佐藤は照れていた。
 だが、続く言葉を聞いた瞬間、赤く火照り始めた顔色が青くなるのだった。

「君の様な素晴らしい人材が総務省に入ってくれて、とても嬉しいよ。というわけで、明日から半永久的に現地で活動してもらうことにたった今決定した」

 こうして、佐藤霞は『霧の大陸』で帰還支援活動を行うこととなった。この後、彼女はイプセン領に出張した際にナツメ・イプセンに出会い、ナツメを帰還者候補第一号とすることになる。
 それが、彼女の災難の始まりだとは、この時誰も知らなかった。

【次回は11月30日更新予定です】

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