第3話 幼き狩人の誇り(上)

作者:EDA

その日もアイ=ファは、一人で薪割りの仕事に没頭していた。
 父親は狩りの仕事で森に入り、母親は家の中で草籠を編んでいる。ファの家には家族が三人きりしかいなかったので、誰もが毎日懸命に働かなければならなかったのだった。

 しかし、アイ=ファにそれを不満に思う気持ちはなかった。もっと家族の多い家でも、森辺の民はたいてい朝から晩まで働きづめであるはずなのだ。森辺の集落において遊んで暮らしているのは、堕落しきった族長筋のスン家ぐらいであるというもっぱらの評判であった。

 それにアイ=ファは、薪割りの仕事を好んでいた。母親を手伝って草籠を編んだり、毛皮をなめしたり、干し肉や食事をこしらえたりするよりも、よほど楽しいと思っている。十歳になるまでは鉈を扱うことも禁じられていたので、この仕事そのものが新鮮であったし、また、自分の幼い身体がじょじょに力強く成長していくように感じられるのが心地好くもあったのだった。

 アイ=ファの身体は、まだまだ小さくて細い。十歳の女衆であるのだから、それが当然だ。しかし、半年ほど前にこの仕事を任されるようになってから、ぐんぐんと力がついてきたことがわかる。今ではもう、母親よりも短い時間で一日分の薪を割れるようになっていた。

(だけど、母さんは身体が弱いからな。母さんに勝っても自慢にはならない)

 そんな風に考えながら、アイ=ファは一心に薪を割り続けた。
 腕の力だけではなく全身を使い、なおかつ鉈の重さを十全に利用する。父親の教えの通りに、アイ=ファはその日も薪の山を次々と処分していった。

 薪割りが終わったら、それをひと山ずつ蔓草で縛って、家に運んでいく。
 戸板を開けると、母親はまだ香草を摘むときに使う草籠を編んでいた。

「ああ、アイ。もう薪割りを終えてしまったの? ずいぶん早かったわね」

 広間の真ん中に座した母親が、編みかけの草籠を手に微笑みかけてくる。
 アイ=ファと同じく金褐色の髪と青色の瞳をした、美しい姿である。伴侶を娶った女衆はあまり髪を長くしないものであるが、母親はその髪を胸の下ぐらいまでのばしていた。

「割った薪は、物置にね。疲れたでしょうから、少し休みなさい」

「別に疲れてはいない。母さんの仕事を手伝う」

「こちらももうこれで終わりなの。かまどの仕事を始めるまでは、休んでいて大丈夫よ」

「そうか。それじゃあ、外にいる」

 アイ=ファは父親を敬愛するあまり、喋り方が男の子のようになってしまっていた。
 母親は、そんなアイ=ファの姿を見やりながら微笑んでいる。

 すべての薪を物置に片付けてから、アイ=ファは再び家の裏に回った。
 家の周りには、たくさんの木が生えている。その内のひとつに飛びつくと、アイ=ファはまた女衆らしからぬ身軽さでその天辺にまで登っていった。

 天辺の枝に足をかけて、梢の隙間から顔を出す。
 その木はそれなりの高さであったので、辺りの光景が一望できた。
 とはいえ、周囲も深い森だ。一面、森の緑である。

 かろうじて、黄色い土の剥き出しになった道が南北にのびているのがうかがえる。森辺の集落の端から端までを繋ぐ、唯一の道である。
 森辺の家は、すべてこの道沿いに建てられていた。この道を端から端まで歩ききるには、半日もかかるという話であった。

 東の方向に目をやると、モルガの山の威容が見える。
 数々の伝承に包まれた、聖域とされる山である。山麓の森に住まうことが許された森辺の民でも、その山中に足を踏み入れることは強い禁忌とされていた。

 西の方向には、森しか見えない。
 そちらは丈の高い樹木がたくさん生えていたので、ほとんど見通しがきかないのだ。
 しかし、その森を越えた向こう側には、ジェノスの町というものが隠されているはずであった。

 森辺の集落というのは、そのジェノスの町とモルガの山を隔てる格好で、南北に細長く切り開かれているのである。
 モルガの山麓にはギバという恐ろしい獣が棲息しており、ときおり町に下りては田畑を荒らす。その被害を最小限に留めるために、狩人としてギバを狩る――それが、森辺の民であるのだった。

(私も十歳になったのだから、そろそろ町にも連れていってもらえるのだろうか)

 高い木の上にたたずんだまま、アイ=ファはぼんやりとそのようなことを考えた。
 森辺の民は狩人の一族であるが、ギバの毛皮や角や牙を売るために、しょっちゅう町まで下りている。それで得られた銅貨をつかって、生活に必要な食料や衣服や刀や薬などを買い求めているのである。

 モルガの森にはたくさんの果実が生っていたが、それを収穫することもまた強い禁忌とされていた。森の恵みを荒らせばギバが飢えて、いっそう町の田畑を脅かすことになるからだ。よって、森辺の民は何があっても森の恵みに手をつけてはならじと、数十年前にジェノスの領主と盟約を交わしていたのだった。

(町に行って戻るには、かなり歩かなくてはならないという話だったからな。身体の弱い母さんよりは、私のほうが役に立てることもあるだろう)

 母親の調子が悪いときは、父親がわざわざ早起きをして町にまで下りていた。町で買う食料も数日分となるとけっこうな量になるので、身体の弱い人間には過酷な仕事になってしまうのだ。町そのものには大して興味もなかったが、父親と二人で遠くに出かけることを想像すると、アイ=ファの幼い心は弾んだ。

(町の人間は森辺の民を毛嫌いしているという話だったが、父さんと一緒ならば危険はあるまい。次の機会には、手伝いをしたいとこちらから申し出てみよう)

 そんな風に結論づけて、アイ=ファは梢から頭を引っ込めた。
 ただし、そのまま地面に下りることはなく、もっと頑丈そうな枝を探して、そちらに伝っていく。

 その先端まで進んでいくと、ちょうどいい場所に隣の木が立っていた。
 アイ=ファは軽く枝をしならせるや、その反動を利用して、隣の木へと飛び移る。

 そちらの枝も、問題なくアイ=ファの体重を支えてくれた。
 今度はその枝を伝い、図太い幹を回り込んで、逆側の枝の先に進んでいく。
 そうしてアイ=ファは、次々に木から木へと飛び移っていった。
 これは『木渡り』という、狩人の修練である。
 森でギバに遭遇し、危険を感じた際などは、こうして木の上を移動して難を逃れるのだ、という話であった。

 森辺の民は、十歳になると男女で装束が分けられる。そうして「幼子」から「男衆」に成長を遂げた男児は、日々の遊びの中で狩人としての力を磨いていくものであるのだった。

 しかしアイ=ファは、女衆である。
 本来であれば、草編みやかまど番や毛皮のなめしなどを一人でもこなせるように仕事を習い覚えるのが、女衆の常であった。
 もちろん、そちらの仕事も母親から学んでいる。ただ、こうして時間が空いたときは、アイ=ファも狩人としての修練に励んでいるのだった。

 アイ=ファは将来、狩人になりたいと願っているのである。
 ただし、森辺において女衆の狩人などというものは、一人として存在しなかった。
 それでもアイ=ファは、狩人になりたいと望んでいる。家で男衆の帰りを待つのではなく、生命をかけてギバ狩りの仕事を果たしたいと、そのように考えてしまっているのだ。

 アイ=ファがそんな思いを打ち明けたとき、父親は愉快そうに笑っていたが、母親は「とんでもない!」と慌てふためいていた。
 近在に住む氏族の子供たちも、だいたいは呆れるか、馬鹿にしたように笑うばかりであった。一番仲のよい幼馴染でさえ、「そんなのは駄目だよ」と眉を曇らせていた。

 だからアイ=ファはもう誰ともその話はせずに、黙々と修練に励んでいた。
 男衆が見習いの狩人として森の奥に入ることが許されるのは、十三歳になってからだ。だからそれまでは身体を鍛えて、自分に狩人としての資格があるかどうか、父親に見定めてもらうつもりであった。

(父さんだけは、一言もやめろとは言わなかった。私が狩人として恥ずかしくない力を身につけることができれば、きっと狩人になることを許してくれるはずだ)

 そんな思いをよすがに、アイ=ファは修練に明け暮れていた。
 力比べにつきあってくれる相手はいないので、ひたすら『木渡り』を繰り返し、時にはぶんぶんと棒を振り回す。刀を使ってどのようにギバを仕留めるのか、そんなこともわからないまま、アイ=ファは毎日へとへとになるまで自分なりの修練を積んでいた。

(……そろそろ日が暮れるな)

 そうしてその日も存分に身体を動かしてから、アイ=ファは家に戻ることにした。
 母親に心配をかけたくないので、手ぬぐいで汗を拭き、呼吸を整えてから、家に向かう。
 母親は、ちょうど食料庫から肉と野菜を運んでいるところであった。

「ようやく戻ってきたわね。かまど番の仕事を果たしましょう」

 アイ=ファはうなずき、広間の奥にあるかまどのほうに歩を進めた。
 水瓶の水を鉄鍋に移して、ラナの葉でかまどに火を灯す。
 母親がアリアの実を切る準備を始めたので、アイ=ファは肉を受け持つことにした。

 父親が狩ったギバの、足の肉である。
 腐らないようにピコの葉という香草に漬けていたので、いくぶん水気が抜けてしぼんでしまっている。それでも、もとは父親の足よりも太い立派なギバの後ろ足であった。

 ギバの肉は、たいてい後ろ足しか口にはしない。胴体の肉は臭みが強いし、ピコの葉に漬けても半月ぐらいしかもたないからだ。
 それで、この図太い後ろ足を食している間に、また新しいギバが狩れるのだから、胴体まで食べる必要が生じない。捕獲したギバは毛皮を剥いだ後、後ろ足だけもいで、それ以外は森に戻す。そうすると、翌朝にはもう腐肉喰らいのムントによって綺麗に食べ尽くされるのだという話であった。

「そろそろアリアやポイタンを買ってこなくてはいけないわね。今度の買い出しでは、アイも町に行ってみる?」

 小さく刻んだアリアを鉄鍋の中に投じながら、母親がそのように問うてきた。
 鉄鍋の上にギバの足を掲げて、ざくざくと肉を削っていたアイ=ファは、「うむ」とうなずいてみせる。

「私でも力になれるなら、買い出しの仕事も手伝いたい」

「もちろんアイだったら、わたしよりもたくさんの荷物を運ぶこともできるでしょう。……でもきっと、アイは家長と一緒に行きたいのでしょうね」

「そんなことは……」と言いかけて、アイ=ファは口をつぐむことになった。
 森辺において、虚言を吐くことは罪なのである。

「……どちらかといえば父さんと行きたいけれど、でもそれは、父さんのほうが普段口をきく機会が少ないからだ」

「わかっているわ。アイは家長のことが大好きだものね」

 母親は、目を細めてたおやかに微笑んでいた。
 もちろん立派な狩人である父親のことは大好きであったが、アイ=ファはそれに負けないぐらい、この優しくて穏やかな母親のことが大好きであった。
 自分が男衆であったなら、きっとこういう女衆を伴侶に迎えたいと思うのだろうな、とも考えている。また、そんな母親を間近に見てきたために、アイ=ファは自分が性別を間違えて生まれてきたのだと思えてならなかったのだった。

「だけどね、アイ、あなたは女衆であるのよ。男衆が森に入っている間、家を守るのが女衆の仕事なの」

「……それはわかっている」

「あなたは狩人になりたがっていたけれど、それでは女衆として子を生すこともできなくなってしまうわ。ファの家人としての血筋を守るためにも、あなたは女衆として伴侶を娶らなくてはならないのよ」

「だけど……ファの家には三人の家人しかいないのだから、余所の氏族が婿をよこすとは思えない。それで私が余所の氏族に嫁入りしてしまったら、けっきょくファの氏はなくなることになる」

「そうだとしても、家長の強き血を残すことはできるわ。家長はあれだけの力を持つ狩人であるのだから、ここで血を絶やすわけにはいかないでしょう?」

 アイ=ファは勢いよく言葉を返しそうになったが、母親の悲しげな表情に気づくと、そうすることもできなくなった。
 その代わりに、おもいきり唇をとがらせてみせる。

「……私はまだ十歳なのだから、嫁入りのことなどとうてい考えられない。伴侶を娶ることが許される十五歳になるまで、考えさせてほしい」

「そうね。あなたは身体も大きいし、とても大人びているから、わたしもつい話を急いでしまったわ」

 そう言って、母親ははかなげに口もとをほころばせた。

「さあ、ギバの肉はもういいのじゃない? ポイタンも入れて、ふたを閉めましょう」

「うむ」と、アイ=ファはギバの足と小刀を引っ込めた。
 そのとき、玄関の戸板がバタンッと派手な音色をたてた。
 母親は気弱げに身をすくめて、アイ=ファはその手の小刀を握りなおす。

「何者だ! ここはファの家だぞ!」

「アイ……ここを開けてくれ……」

 それは、父親の声だった。
 アイ=ファは刀とギバの足を放り捨てて、玄関まで走り寄る。
 父親のこんな弱々しい声を耳にするのは、アイ=ファにとっても初めてのことであった。

「父さん!」と叫んで、戸板を引き開ける。
 父親は、戸板のすぐそばにうずくまっていた。
 その右足がどっぷりと血にまみれていることに気づいて、アイ=ファは立ちすくむ。

「すまん……しくじった……ギバの牙で、足を貫かれてしまってな……」

 アイ=ファの顔を見上げながら、父親はかすかに微笑んだ。
 しかしその精悍なる面は苦悶の脂汗に濡れており、浅黒い肌からはすっかり血の気が引いてしまっていた。

 ◆◆◆次回更新は10月20日(金)予定です◆◆◆

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