ガブリエル・アンド・ファーレンハイトその4

作者:白乃 友

突沸(とつふつ)だった。
すぐに後悔した。
 
丸子(まるこ)が去った後、私は部屋の壁に持たれながら、朦朧(もうろう)とした頭で考えていた。
 ドアの下に、彼女の持ちこんだリップやパンプス、ジュエリーウォッチ、リボンの形をした変なバッグなんかが散乱していて、それらから立ち上る濃厚な女らしい残り香が、私を責め立てた。

 一つ一つ、私は、自分が感情的になった理由を、紐解(ひもと)いていく。
 拒絶(きょぜつ)反応(はんのう)だ、と思った。
 私はこれまで、丸子を受け入れながら二人で生活してきた。
 そんな暮らしぶりが余りにも自然だったから、私は自分の心の底と現実の矛盾(むじゅん)が、断層(だんそう)となって生じさせていた歪みに、気が付くことが出来なかったのだ。

 私と彼女の関係は、結局、ただのネズミ講の「親」と「子」であっただけであるにも(かか)わらず、私はそこからずっと、目を(そむ)け続けていた。
 丸子の持つ得体の知れなさ……路上ライブで、通りすがりの誰もが認めざるを得なかったような神秘に、丸子と一緒に暮していれば、いつしか自分も近寄れる気がしていたのだ。丸子が私との生活をひたすら無邪気に消費するものだから、誤解していたのだ。
 そのことを、ライブの最後、丸子に羨望を向ける少女を見た時に、気付かされてしまったのだ。

 あの場には、純粋さがあった。
 ただひたむきに人を()きつける丸子の魅力(みりょく)と、それに対し瞳を輝かせる少女。
 アイドルモノのドラマを思い浮かべる際に誰しもが想像するオープニングのような、付け入る(すき)のない清らかさ、これから物語が始まるのだという興奮(こうふん)があった。
 だからこそ、そのシチュエーションの土台が、ただのペテン、私が丸子に(すす)めたネズミ講であるという事実に耐えられなかったのだ。

 ひと思いに、突きつけられてしまった。
 私という存在が、丸子の神秘を(おびや)かす存在でしかなかったのだということを。
 何も知らない、(けが)れ無き丸子と少女を(だま)し、彼女達が笑顔を浮かべて一緒に歩いて行こうとしている先に、詐欺(さぎ)という袋小路を用意し、その上で素知らぬ顔をしなければならないという絶望が、私を発狂させたのだった。

 子に対する、冷徹(れいてつ)
 何気なく接しているつもりでありながら、私はなんて残酷な態度を丸子に対して取り続けていたのだろうかと、思った。
 己を責める気持ちが、私を破壊してしまった。

 結果、私は、中学生時代の同級生達とは全く違った形で、彼女を拒絶するに至った。
 日常的に、少しずつ嫌悪感として表現されていた同級生達の悪意とは真逆に、一気に噴出(ふんしゅつ)し、吹き荒れたその風は、丸子を私の部屋から追い出してしまった。

 動悸(どうき)が再び高まった。
 私は丸子を追いかけなくてはならないのではと、思い始めていた。
 せめて、カラオケセットに工夫を凝らす貴女を、いつもベッドの上から常識人のように見詰めていた人間がこんな下らない女だったのだということだけは、告白しなければならないと思った。

 許しを()うなんて、恥知(はじし)らずなことはするまい。
 ただ、全てを話した上で断罪されたかった。
 気が付くと、神宮(じんぐう)(ばし)に向けて走っていた。
 丸子がもう一度、あのカラオケセットやギターを置いて来たままの橋の上に戻っているのではないかと、一縷(いちる)の望みをかけたのだ。

 かくして、思った通りだった。
 ギターケースやカラオケセットを身体(からだ)に寄せ、行く当ての無い顔をして地面に体育座りしている丸子がそこにいた。

 後、三歩。
 それだけ()け寄ったら、大声で丸子の名を叫ぼうと思っていた。
(ひざまず)き、丸子の細いウェストに顔を埋め、泣いて(あやま)るつもりだった。

 出来なかった。

 (ひざ)を抱えた丸子に、近寄って、話しかける影があった。
 きっちりとしたスーツを着た、私よりずっと年上の、三十歳くらいの女性だった。
 腰を曲げ、丸子に向かって両手で、名刺を差し出していた。
 一目で、スカウトだと分かった。

 名刺を受け取った丸子は、女性の話を聞きながら、二、三度、周囲を見渡した。
 その様子が随分(ずいぶん)不安げに見え、私は建物の陰に思わず身を隠した。
 かくして私は、私の女神を逃すことになってしまった。



 あの時、丸子の元に駆け寄り、スカウトを追い払わなかったこと。
 私はその事を後悔(こうかい)していなかった。
 あれから二年。
 丸子を家から追い出した後、私はすぐにアパートを引き払い、実家に帰った。
 私が独り立ちした時のように、私の帰還(きかん)に関しても、両親は大した反応を見せず、(むか)え入れてくれた。

 以来、バイト生活を続けている。
 もしバイトもせず、高校にすらいっていない娘が部屋でずっとごろごろしていたら、流石(さすが)に私の親も口を出してくるだろうか、などと実験してみたい気持ちもあったが、私は大人しく、我が家の総収入に比べれば端金(はしたがね)も良いところの金額を、家に入れ続けている。

 グレる気力すらも残っておらず、順調に凡人(ぼんじん)のレールに乗りつつあった。
 あのスカウトが、私の様な悪徳女だったらどうしようかと最初の内は思っていたが、その心配が取り去られるのに時間はかからなかった。

 というのも。
 ゴールデンタイム。
 私は。そろそろ時間だと、自分の部屋のテレビをつける。
 そこに、奈々倉(ななくら)丸子(まるこ)がいた。
 彼女が、セットの奥にある扉から登場すると、大きな歓声が上がる。
 私は画面を見詰めながら、こんな光景ももう、すっかり見慣れてしまったなと、感慨(かんがい)にふけっていた。

 私が実家に戻って、新しいバイトを見つけたのとほとんど同じタイミングで、丸子は読者モデルとして、めきめきと名を上げ始め、そしてそれから一年もしないうちに、おバカタレントとして活躍するようになった。

 実はコネでもあったんじゃないかなどと、業界人の父と母を持つ私が思わず疑ってしまったのは、悪いジョークだ。
 きっと人気タレントまでの道のりには、私のような不純な女には(えん)の無い、ドラマのような悲喜こもごもがあったに違いない。
 テレビに映る丸子を見ていると、私はいつもそんなことを考え、自らの大きな胸の内に、矮小(わいしょう)な痛みを覚えるのだった。
 しかしそれでも、私は丸子の出ている番組を出来る限りチェックすることを止めなかった。
 (わず)かな痛痒(つうよう)を抱くことはあっても、それと引き換えに、自分を(ほこ)りに思うことも出来たからだ。

 私はもう、ゆっくりと(こご)えていくしかないのだろうと思う。
 ありふれた存在であるという自覚と、ありふれた存在として他者から扱われるということに、埋没(まいぼつ)していくのだ。

 私の両親は、私の両親であるが故に私の達観を受け入れるだろうが、きっと世の中には、まだ十代に過ぎない私のこの考えに対し「ただの思い込みだ、まだ若いんだから(いく)らでも挑戦できるのに」という意見を持つ人もいるだろうと思う。
 だがもし、私が面と向かってそんなことを言われたら、私は心の中でそっと、こう言い返すだろう。

 貴方はまだ、あなたにとっての『奈々倉丸子』に出会ってないからそんなことが言えるのだと。

 『奈々倉丸子』に青春を捧げたことがないから。
 その果てにある喪失感を一度でも味わったことがないから、私の気持ちが分からないのだ、と。

 良心とは、美しい物の背に生えた羽根を(むし)ることに、罪の意識を覚えることだ。
 神宮橋の上で、丸子が少女を勧誘しようとするのを、この手で止めたこと。
 テレビで活躍する丸子を見る度に、それだけは誇らずにはいられなかった。
 丸子は、私に騙されていただけだ。
 何の罪も犯していない。
 丸子は、美しいまま、芸能界に送り出された。
 だから、それでいいのだ。
 それだけが、私の青春が存在した証なのだから……。

 だが、(さび)しさを感じないかといったら、それもまた(うそ)になってしまうのだった。
 私は今日も、部屋で(ひざ)を丸めて、丸子を見守っている。
 一人きりで。

 丸子は私と暮らしていた頃よく、着ていた服を脱ぎ散らかしたままにしていた。
 体温を含んだ服が、冷たいフローリングの上でゆっくりと熱を吸い取られ、ほんの少し、それでも目に見える程はっきりと、いつの間にか(しぼ)んでしまうように。
 丸子が出て行った後の私の世界は、どこか空虚なものになっていった。
 どうすることも出来ない私を、内に閉じ込めたままで。
 テレビの中から、(はな)やかな笑い声が聞こえてくる。
 その中で、丸子がマイクを持って(しゃべ)っている。

「……え?」

 私の口から、声が()れた。
 私にとって、丸子の出演している番組は、丸子を見るためだけのもので、だから内容はあまり関係なかった。
 だから、急なことで驚いたのだ。
 セットの奥から運ばれてきた台座の上にある品を、丸子が紹介していた。
 その品が、何と。

「ケンカ別れになっちゃったんだけど、すごく仲が良かった娘との思い出の品だよ」

 あの、神宮橋に置き去りにした、カラオケセットとギターだったのだ。番組表を呼び出し、番組の内容を確認する。
 いろんな業界のスペシャリスト達が、一般の人間に募集をかけ、一クール通して自分の技術を教える、といった内容だった。
 番組タイトル欄の横にある「初」「生」の文字から、第一回記念の生放送であることが分かった。今日は番組レギュラーとなるスペシャリスト達のお披露目(ひろめ)回であり、一般からの番組の参加者は、各スペシャリスト達の紹介が終わった後、一人ずつ募集をかけていく、ということも。

 丸子は今、自分が読者モデルのトップに立つ前、修行時代に使用した品として、カラオケセットとギターを紹介しているのだった。
「ななまる、ギター弾けたん?」と、芸人の誰かが問いかける。丸子は一度、「うん!」と、力強く答えた後、「覚えてない」と言い直した。客席から大きな笑いが起こった。丸子は、本格的に芸能界デビューした後も本名で通したままだったが、「ななまる」というのは、そんな彼女にいつの間にか付けられていた愛称だった。また別の芸人が、「ならその友達やった娘からの貰いもんなん?」。私は、生唾(なまつば)を飲んだ。

「…………忘れちゃった。よく覚えてないかも」

 丸子は答えた。「じゃあなんやねんそのギター!」。誰かの声が(ひび)いていた。
 私は、腰を抜かしつつ涙を浮かべ、ほっと一息つくという、これまでの人生で味わったことの無い事態に(おちい)っていた。

 まず、忘れられていて安心した私がいた。
 中学の同級生のことを、卒業して数カ月で忘れてしまった丸子である。
 だから、芸能人になってからは刺激の連続であったろう丸子が、あれから二年もたった今、私のことを覚えてないのも、あたり前といえば当たり前の話なのだ。
 私は、自分の中に起こった(さび)しさを、芸人と一緒になって丸子に突っ込むことにより、無視した。
 そうだ、そもそも何で、あのカラオケセットやギターを丸子は持ってきたのだろう。
 モデルの修行時代の品として紹介されても、私以外の視聴者には意味が分からないと思うのだけれど。

「ゥチゎ今、一年遅れで高校にも行ってるけど……あの娘がいなかったら、高校に行こうとゎ思えなかったと思うから」

 私のことを(ほとん)ど覚えていないに違いないのに。
 丸子は目を閉じ、記憶の砂粒を数える。

「ゥチと同い年なんだけど、もうずっと働いててね、大きな夢の為に仕事をしてるの。ゥチが何かやる時にゎ、いつも後ろから黙って見てて、ゥチが何かやりたがると、いつもついて来て、色んな事を教えてくれる。時々、怒られるんだけど、それゎあの娘が、人のことを放っておけないから。何もかもを不安に思う必要ゎないんだよってゥチに教えてくれる―――」

 丸子が、目を開ける。

「お姉ちゃんみたいな人」

 笑われるかもしれないけれど。
 私はこの時、画面の向こうの丸子と、目が合ったような気がしたのだった。

「だから今日ゎこの場を借りて、その娘との夢を(かな)えたい。これからゥチが先生になるために必要だと思うから」

 そう言うと、丸子はカンペのフリップを持ったADの所にペンを借りにいった。芸人の誰かが、「自由か!」と叫んでいる。私は、当たり前だ、と思った。
 丸子は、ペンのキャップを抜きながら、カラオケセットの前に(かが)みこんだ。
 そこにはまだ、「& Fahrenheit」のサインがあった。
 そして。
 二年越しの空白に、丸子は書きこんだ。
 サインは完成した。

『maRuko & Fahrenheit』

 結局、芸名では無かった。
 そして、丸子の行動の意図……番組的に言えばオチを読めないでいる共演者達が何か言う前に。
 丸子は私のギターのネックを、両手で握りしめた。
さすがにギャルの細腕、振りかぶられる動作は、何とも緩慢(かんまん)だった。
 しかしその場にいた誰もが、居合(いあい)()きを目の当たりにしたように、止める(ひま)がなかったのだ。

 ギターのボディが思い切り、カラオケセットに打ちつけられた。
 破砕音(はさいおん)が響き、カラオケセットはおろか、振り降ろされたギターのボディにも(ひび)が入り、ネックが折れ、六本の(げん)の千切れる音が耳障りな残響となった。

 すぐさま、画面が「しばらくお待ちください」の静止画へと切り替わった。
 私は、気が付くと泣いていた。
 すぐに我に返ると、震える手でスマートフォンを手に取り、ネットニュースを閲覧(えつらん)する。
 すでに、炎上していた。

 奈々倉丸子がついに狂っただの、好き勝手に書かれている画面をスライドしていく。
 その指先に、涙が落ちる。
 熱に浮かされた一滴は私に、丸子と再会した、あの日のことを思い出させた。
 洗練されたギャルファッションに、まず目を奪われた時のことを。
 その時から、丸子は私の女神だった。
 でも、あんなにもお洒落(しゃれ)だった彼女が、前髪しかないなんて馬鹿みたいなヘアスタイルを選ぶはずないのだ。

 また彼女に会えたらいいと思った。
 どうしても会いたかった。
 何が何でも、もう一度丸子の前に立ちたいという欲望が、燃え上がった。
 そして、こんな馬鹿な騒ぎを起こしたことについて問い詰める。
 その後、一緒に暮らしていた頃、私が丸子に感じていた全てを、改めて告白したい。

 中学生。
 カラオケボックス。
 あの時の彼女が、何の曲をオーダーしたかはまだ思い出せないが、それでも一つだけ、今なら確信を持って言えることがあった。
 確かにあの曲は、情熱的なナンバーだったと思う。
 バイトして()めた金で、またギターを買ってみようと決意した。
 最後の曲が、鳴りやまないうちに。
                                    ガブリエル・アンド・ファーレンハイト(終)

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