第一話 ヒロト以前

作者:鏡 裕之

   1

 夜の林の中に、まるで巨大な蝦蟇(がま)が口を開いたかのように、やや横長の洞窟が覗いていた。大地が(うめ)き声を上げて呻いた時に開いた口が、そのまま洞穴になったような形をしている。
 大地に開いた亀裂の中は、暗かった。閉塞と絶望を塗り込めたような鈍く黒い花崗岩が、天井を覆っている。
 洞窟を入ってすぐのところには、白い包帯にくるまれた遺体が三十体ほど並んでいた。遺体の頭から爪先まで、薄汚れた包帯がびっちりと覆っている。一方には巨漢の遺体が固まり、一方にはやや小柄な遺体が固まっている。小柄な方の遺体は、胸元が豊かに突き出している。
 ふいに、小柄な遺体が一つ動いた。
 むくりと起き上がる。
 死体ではなく、ミイラ族であった。人間の住む村や町から離れて洞窟周辺で暮らしている、不気味な異種族たちである。全身を包む白い包帯は、ミイラ族の衣装である。包帯を巻いていると怪我もせず健康的なのだが、人間にはミイラに見えてしまう。それで、ミイラ族という蔑称をつけられてしまったのだ。
 起き上がった小柄なミイラは、細い腰をしていた。対照的に、胸は猛烈に高く隆起している。他の小柄なミイラも胸元が隆起しているが、その比ではない。
 ミイラ族の少女だった。
 名を、ミミアという。
 ミミアは暗がりの中、身体を起こして仲間たちを見た。男は男たちで、女は女たちで固まって寝ている。起きているのは自分一人である。どういう理由だか、夜中に目を覚ましてしまったのだ。なんとか寝ようと試みたのだが、睡魔は訪れてくれない。
 ミミアはゆっくりと起き上がった。仲間を踏みつけないように注意しながら、洞窟の外に出てみた。
 空は星々で輝いていた。夜空は星の宝石箱である――尤も、自分たちミイラ族の女が宝石を手にすることなんて、永遠にないだろうが。ステキな衣装だって、永遠に身に着けられないに違いない。
 町には、時々お遣いで出かける。町の人の視線が冷たくてそれがつらいけれど、時々ステキな服を着ている人に出会って目を奪われる。
 肩がふんわりふくらんでいて、スカートにいっぱい(ひだ)がついていて、大きく広がっていた。あんなかわいらしい服、一度でいいから着てみたいなあと思う。でも、人間の服は、ミイラ族には高すぎて買えない。
(次に出るのは一週間後かなあ)
 と、ミミアは思った。
 仲間うちで結婚式が開かれることになっている。きっと、お酒を買ってこいと言われるに違いない。
 突然、夜空を黒い影が二つ横切った。
 コウモリ?
 違う。
 コウモリじゃない。もっと大きい。きっとあれは――。
 ヴァンパイア族。
 二匹のヴァンパイア族は、夜空を突っ切って二手に分かれた。一匹はモーラ村の方へ飛んでいった。もう一匹は町の方へ――ソルムの方へ向かっていった。
(また、人間が血を吸われちゃうのかな)
 とミミアは思った。
 そして、また、ミイラ族が疑われる。
 なぜ、連中はヴァンパイア族に血を吸われないんだ? きっと、ミイラ族は、吸血鬼どもとグルなんだ。

   2

 無骨な石の尖塔が六本、暗黒の夜空に向かって突き出している。城壁は古い岩造りのものである。
 城壁の中には中庭があって、一方は厩舎(きゅうしゃ)に、一方は城館に面していた。不思議なことに、中庭に面した城館は、すべて引き戸が閉められていた。
 風や寒さを凌ぐためではない。ヴァンパイア族の侵入を防ぐためのものである。
 ふいに引き戸が開いて、二人の兵士が顕れた。
 一人は人間だった。
 一人は骸骨(がいこつ)だった。真っ白い頭蓋骨が剥き出しになっている。いや、頭蓋骨だけではない。肩の骨も胸の骨も、腰の骨も、すべて剥き出しになっている。
 異種族の一つ、骸骨族だった。ソルム城では、守備兵に人間だけでなく骸骨族も加わっているのだ。
「しばらくは、吸血鬼の連中もおとなしいな」
 と人間の兵士が言った。
「餌が足りてるんだろう」
「狼の血を吸うなんて、信じられん。人間なんか吸わずに――」
 と人間の男が言った時だった。
 ばさっという大きな翼の音が、夜闇を貫いていた。二人の守備兵は中庭を振り返った。黒い大きな翼を広げて、化け物が舞い降りてくるところだった。
 身体はごつい。
 雄のヴァンパイア族だ。
「よう、人間ども」
 と雄のヴァンパイア族はからかい気味に声を掛けた。人間の兵士が弓矢を構え、骸骨族の兵士が剣を抜いた。
 途端にヴァンパイア族は矢を射た。弓矢が引き戸に突き刺さる。
「いけねえなあ。おれを殺すと、報復が待ってるぜ。ソルムの空は真っ黒に染まって、城の者たちはおれたちに食われて皆殺しだ」
 人差し指を前に突き出して、左右に振ってみせる。人間の兵士も、骸骨族の兵士も動かない。
「あんまりおれたちを怒らせるなよ。おまえたちは生かされてるんだ」
 言い残すと、雄の吸血鬼は強く翼をはばたかせて宙に舞い上がった。あっと言う間に十メートル以上上昇すると、くるりと一回転して夜空へ飛んでいった。

   3

 同じ頃――夜空を一匹の吸血鬼が飛んでいた。深い紺色の空を、無数の星々が埋め尽くしている。まるで、夜空の宝石である。
 悠々と星々の下を飛行しているのは、女の吸血鬼だった。髪は上質の赤ワインのように紅い。まるで熟した果実を思わせる豊満な乳房が、大胆なハイレグ衣装にかろうじて納まっている。
 女の吸血鬼である。
 雌のヴァンパイア族は、名前をヴァルキュリアといった。ヴァルキュリアは、仲間と別れてモーラ村へ飛んでいるところだった。
 五十年前に比べれば、獲物の狼は少なくなった。人間どもが森を切り開いて畑にしたからだ。動物がいなくなり、それを獲物としている狼も少なくなる。狼は、ヴァンパイア族の主食である。狼を襲って、彼らの血を吸うのだ。
 飢えれば、代用品で済ませるしかなくなる。
 代用品――すなわち、人間である。
 人間の血はぴんきりだ。美味いやつと不味いやつがいる。吸われた人間は、運が良ければ生きる。悪ければ死ぬ。ヴァンパイア族が人間に恐れられている理由である。
(さすがに夜道を歩く馬鹿はいないか)
 空から、ヴァルキュリアは痩せた大地を見やった。月夜の中では、丘は黒いマウンドに見える。いくつもの黒い丘が大きな波のようにつながっている。まるで不動の暗黒の波だ。その中を、細い一本道が走っている。
 その道を――妙なものが動いていた。
 人間だ。
 月光の中、男は急ぎ足で丘陵を上っていた。モーラ村の者だろう。きっと、飲んでいて遅くなったに違いない。
(いい獲物がいた♪)
 ヴァルキュリアはにんまりと笑みを浮かべた。今日は食事にありつけそうだ。
 男は、なだらかな丘の頂上に差しかかっていた。
 月光が、下り斜面を照らしていた。畑の中を縫う形で、数メートル間隔で木が点在している。木と木をつないでいくと、道になる。
(さ~て、どうやって襲ってやるかな?)
 ヴァルキュリアは急降下して、男の横を十メートル離れて突っ切った。そのまま弧を描いて前を横切る。
 素早く武器を確認した。
 ゼロ。
 兵士ではない。ただの農民だ。
 男が左右を見た。
(気づかれたか?)
 ならば、襲うのみだ。
 男がさらに急ぎはじめた。駆け足ではないが、前より早足である。
(逃げたって無駄だよ)
 ヴァルキュリアは急接近した。男の背中が迫り、髪のつむじが目に入った。ヴァルキュリアは真後ろから、男に襲いかかった。
 一瞬だった。
 男は呆気なく前のめりに倒された。素早く腕をひねって抵抗できなくする。
「久しぶりの獲物だねえ」
 ヴァルキュリアは首筋に近づいた。
 かぶりついた。
 男がぴくっとふるえた。声なき悲鳴を上げ、痙攣(けいれん)する。口腔に新鮮な血が溢れてきた。
 味はまあまあだ。
 ヴァルキュリアは喉を鳴らして、血を吸った。妹のキュレレがいれば、キュレレにも吸わせてやりたいところだが、キュレレは天幕に引きこもっている。
 男がかすれた声を洩らし、動かなくなった。
「おやおや。吸われたショックで死んじまったかい。もったいないねえ。生きてれば、また襲ってやったものを」
 ヴァルキュリアはゆっくりと立ち上がり、星空に羽ばたいた。

【次回更新 7月10日(金)】

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