第三話 キュレレ その二

作者:鏡 裕之



 お姉ちゃんといっしょに空を飛ぶのは楽しかった。お姉ちゃんはかっこいい。お姉ちゃんはオッパイが大きくて、とってもきれいだ。キュレレも、大きくなったらお姉ちゃんみたいになりたいと思う。
 キュレレたちは、ディフェレンテ一行が旅館に入るのを見届けた。
 また旅館だ。
 もう出てこない?
 本を読んでもらえない?
 エルフが旅館に入って出てこなくなっただけに、また失望しそうになる。
 だが、姉はあまり心配していない様子だった。
「きっと二階だな」
 と姉は当たりをつけた。
 二階にいるの?
 キュレレは姉を見た。
 姉が悪戯(いたずら)っぽい笑顔を向けていた。
「キュレレ、人間たちを脅かしてやろうか?」
「脅かす?」
 姉はうなずいた。
「今日は精霊の日だからな。何をしたって、人間は攻撃してこないぞ。攻撃したら、精霊の呪いが掛かるからな」
 と姉が得意気に説明する。
 そういえば、パパからそんな日があるということを聞いたような気がする。本当に平気なのかな。
 姉が急降下して、旅館の屋根にたどり着いた。キュレレも、あとにつづいた。こんなに人間の近くに来て大丈夫なのだろうか? お姉ちゃんがいるから、平気かな?
 窓の向こうには、人間がいた。父と同じくらいの年齢の男の人間たちである。
 騎士ではない。
 少し安心する。
 姉は窓に張りついた。キュレレは驚いた。お姉ちゃん、何をするつもりだろう?
「キュレレもやってみな」
 姉が窓に顔を押しつける。
 お姉ちゃん、変な顔。
 大丈夫なのかな。
「早く」
 姉に言われて、キュレレは窓に顔を押しつけてみた。人間が振り向いた。
「ぎゃ~っ!」
 悲鳴が上がった。人間たちが腰を抜かしてお尻から転んだ。
 凄い転び方!
 キュレレはびっくりしたけど、逃げてから笑った。(ヴァルキュリア)も、けたけた笑っている。
「見たか、あの顔……! ひっひっひっ、人間おもしれえ。ほんと、怖がりだなあ……ひっひっひっ」
 とまだ笑いが収まらない。お姉ちゃんは、微妙なところで性格が悪い。
 ディフェレンテと眼鏡(めがね)人間はどこかな、とキュレレは思った。人間を脅かすのは面白かったけど、早く本を読んでほしい。
「本」
 とキュレレは姉の(すそ)を引っ張った。
「今、ヒロトのところに行って頼んでやるから」
 姉は旅館を回り込んで、別の窓に張りついた。キュレレも後ろから(のぞ)いてみた。
 碧眼(へきがん)のかわいい金髪のお姉ちゃんがいる。そのそばに、あのディフェレンテがいた。眼鏡人間はいない。
 ディフェレンテがキュレレの方を向いた。
(見つかった!)
 キュレレは咄嗟(とっさ)に姉の後ろに隠れた。
 こっちに来る。
 どうしよう。
 窓が開いた。ディフェレンテが窓を開けたのだ。
「来てやったぞ」
 と姉が言った。
「来てくれたの?」
 とディフェレンテが尋ねる。それから、
「髪飾り、変えた?」
 と姉の髪に目をやった。
「た、たまたま」
 と姉が赤面しながら、髪飾りを撫でる。
 嘘だ。
 たまたまのはずがない。キュレレが天幕を訪れた時、お姉ちゃんは思い切りめかしこんでいた。きっとこのディフェレンテに見せようと思って、とびきりいい髪飾りを着けてきたに違いない。証拠に、姉は身体をクネクネさせている。
「似合うね」
 とディフェレンテが言い、
「そ、そうかな……」
 とさらに姉が赤面した。
「前と……どっちがいい……?」
「こっちの方が好き」
 姉がさらに身体をクネクネさせる。
(お姉ちゃん、このディフェレンテ、好きなんだ)
 とキュレレは気づいた。
 嫌いな相手にめかしこむわけがない。それに、こんなにクネクネして、うれしそうに表情を弾ませている。
 この人、本を読むのかな、とキュレレは思った。
 自分のために読んでくれる?
 悪いことはしないみたい。お姉ちゃんは好きみたいだし、きっと悪さはしない。でも、自分よりお姉ちゃんの方に興味があるみたい。お姉ちゃんも、このディフェレンテといっぱい話をしたいみたい。
「後ろにいるのは、誰?」
 とディフェレンテが気づいた。
「妹のキュレレだよ」
 キュレレは思い切って顔を出してみた。
 近くで見ると、賢そうな顔のディフェレンテだった。
 お姉ちゃんが惚れそうな人?
 わからない。
 ディフェレンテが自分の本に気づいた。本を取られそうな気がして、キュレレは姉の後ろに引っ込んだ。
「かわいいね」
 とディフェレンテが言った。
「まだちっちゃいんだ。いつも天幕にこもってて、外に出てこないんだ。やっと出たと思ったら、こんなに遠出(とおで)して――」
 と姉が言う。
 本。
 早く読んでほしい。
 お姉ちゃん、本。
 だが、姉はディフェレンテに抱きついて血を吸いはじめた。お姉ちゃんは、ディフェレンテといちゃいちゃしたいみたいである。このままだと、いつまで経っても本は読んでもらえないかもしれない。
 あの眼鏡人間、どこに行ったんだろうとキュレレは思った。
 同じ二階?
 キュレレは思い切って、ディフェレンテの部屋から離れた。隣の部屋を窓から覗いてみる。
 骸骨(がいこつ)族がベッドに座ったところだった。
 骸骨族は、ヴァンパイア族に悪さをしない。それに、ヴァンパイア族は彼らから血を吸えない。
 お姉ちゃんのところに戻る?
 キュレレはもう少し勇気を出してみた。さらに隣の部屋を覗いてみた。
 窓が開いていた。
 そしてその窓の向こうで、眼鏡人間が本を読んでいた。
(いた!)
 キュレレは表情を弾ませた。
 眼鏡人間、本を読んでる。
 ディフェレンテは本を読んでいなかったけど、眼鏡人間は本を読んでいる。おまけに、誰もいない。
 頼んだら、読んでくれるかな。
 頼む?
 でも、怖い。
 怖いけど、この機会しかないかもしれない。お姉ちゃんは、きっとあのディフェレンテとまだいちゃいちゃしていて、助けてくれない。お姉ちゃんを待っていると、永遠に本を読んでもらえないかもしれない。
 キュレレは二度目の大冒険を果たした。
 単独で部屋に忍び込んだのである。大きく開いた窓から入って、床にふわりと舞い降りた。
 音はしなかった。眼鏡人間は気づかない。
 読んでくれるかな。
 襲わないかな。
 キュレレはしばらく、眼鏡人間を観察していた。眼鏡人間はずっと本を読んでいる。部屋に、(ページ)をめくる音だけが聞こえる。眼鏡人間が自分に気づく気配はない。
 キュレレは、ついに接近を開始した。
 一歩近づいて立ち止まる。
 眼鏡人間は本を読んでいる。
 さらに一歩近づいて立ち止まる。
 眼鏡人間は本を読んでいる。
 もし相一郎の世界の人間がキュレレを目撃したとしたら、「だるまさんがころんだ」をやっているように見えただろう。
 キュレレは真後ろまでやってきた。
 やはり、眼鏡人間は気づかない。
(そんなに面白いのかな? 何を読んでるのかな?)
 肩口から覗いてみた。
 やはり本である。それも、文字ばっかり。キュレレは文字が読めないので、なんて書いてあるのかわからない。
 キュレレは自分が持ってきた本を開いてみた。
 ――読めない。
(本)
 読んでほしい、とキュレレは思った。でも、どうやって声を掛ければいいのかわからない。
 どうしよう。
 しばらくキュレレは突っ立っていた。気づいてくれるのを待ってみたが、やはり眼鏡人間は気づかない。
 キュレレはついに偉大なる第一歩を踏み出した。自分から、ツンツンと肩をつついてみたのである。
「ヒロトなら、隣の隣の部屋だ」
 と眼鏡人間は答えた。
 誰かと勘違いしている?
 本。
 キュレレはさらに肩をつついた。
「ここにはおらんぞ」
 キュレレはもう少し横に動いてみた。眼鏡人間が初めて顔を向けた。
 どきっとした。
 緊張の一瞬である。
「わぁっ、ヴァンパイア族!」
 と眼鏡人間が叫び、キュレレもびっくりして机の下に潜り込んだ。逃げ込んでから、本を忘れたことに気づいた。眼鏡人間のすぐそばにある。
 本。
 パパがくれた、大切な本。
 置いてきちゃった。
 一番の宝物なのに。
 眼鏡人間は鞄の中を探っていたが、やがて、キュレレの本に気づいた。
 あ。
 本に気づいた。
 眼鏡人間が本に近づいた。本を手に取る。
 わたしの本!
 壊さないで!
 本を破かないで!
 涙が出そうになる。
 眼鏡人間に本を取られちゃう。返して……!
「本……」
 涙声で言った。
「これ、おまえのか?」
 尋ねられて、キュレレはうなずいた。
「返すよ」
 眼鏡人間は本を置いた。だが、遠い。取るためには、机の下からかなり出ていかなければならない。
 机の下から出てきたら、斧を投げる? ぶつ?
 キュレレは眼鏡人間を見た。
 手には何も持っていない。
「ほら」
 眼鏡人間がさらに本をキュレレの方に置いた。自分が出ていっても平気そうだ。キュレレはようやく本をつかんで、胸に抱き締めた。
 よかった。
 本、取られなかった。
 悪い人間じゃなくてよかった。
「おまえ、どこから来たんだ? 迷子か?」
 質問されて、キュレレは首を横に振った。眼鏡人間は、キュレレのことを知らないらしい。お姉ちゃんのことも知らないのだろうか。
「誰かといっしょに来たのか?」
 キュレレはうなずいた。
 お姉ちゃんはまだあのディフェレンテのところにいるだろうか?
 どうしよう。
 キュレレは眼鏡人間を見た。
 眼鏡人間が大きな声を上げた時には、キュレレはびっくりしてしまったけれど、眼鏡人間はちゃんと本を返してくれた。怖い人間ではないみたいだ。
 本、読んでくれるのかな、とキュレレは思った。
 お願いしてみようか?
「本」
 とキュレレは本を突き出した。眼鏡人間は不思議そうな顔を見せた。
「本」
 もう一度キュレレは言ってみた。
 本を読んで。
 わたし、読めないの。お姉ちゃんもパパも読んでくれないの。
「おれにくれるっていうのか?」
 キュレレは首を横に振った。
「本」
 とまたくり返した。
 読んでと頼めばいいのかもしれないが、内気なキュレレはそこまで言えない。
 眼鏡人間が手を伸ばした。
 読んでくれる?
 キュレレは本を差し出した。眼鏡人間が本を受け取る。
 読んでくれるかな?
 少しドキドキしてきた。読んでくれなかったら、どうしよう?
音読(おんどく)しろって言ってるのか?」
 わかってくれた!
 キュレレは目を輝かせてうなずいた。
 眼鏡人間は本を読み聞かせてくれるだろうか? 「またあとで」と、パパやお姉ちゃんみたいに言うだろうか。
 眼鏡人間が本を開いた。
 読む?
 読まない?
 心の中で、花びらを一枚一枚ちぎって占いをしてみる。
「昔々、あるところに三匹の子豚が住んでいました」
 読んでくれた!!
 キュレレは大喜びで手を叩いた。パパもお姉ちゃんも、忙しいからあとでねと言って読んでくれなかったのに、眼鏡人間は読んでくれた! 眼鏡人間はいい人だ!
 キュレレは期待の目で眼鏡人間を見た。
 続きは?
 もう読むの、おしまい?
「子豚たちは仲良く過ごしておりましたが、ある日、一匹目の子豚が家をつくろうと言い出しました。二匹目の子豚もそうしようと従い、三匹目の子豚も早速材料を探しに出かけました」
 また読んでくれた~っ!
 キュレレはまた顔を輝かせて拍手した。うれしくて、じっとしていられない。
 早く。
 早く早く。
 次も読んで♪
「長男は、『おれは(わら)で家をつくるぜ~っ! それが一番簡単だぜ~っ!』と、藁で家をつくることにしました。次男は、『おれは枝でつくることにしよう。物事は枝葉末節が大事だしな。あまり持ち運びにも困らないし、細かいことをするのが好きなおれには、枝が向いているよ』と言いました」
 キュレレはさらに手を叩いた。
 眼鏡人間は役者だった。長男の声も、次男の声も、みんな違う声で演じてくれている。パパもお姉ちゃんも、朗読の時には役に応じてお芝居を変えてくれるが、眼鏡人間ほど声を変えてくれるわけではない。
 この眼鏡のお兄さん、とても本を読むのが上手。パパよりもお姉ちゃんよりも上手!
 もっとそばで聞きたい。
 キュレレは机の下から出た。
 眼鏡人間はベッドに座り直した。キュレレは眼鏡人間のそばに近づいた。確か、挿絵では子豚は三匹いたはずだ。
 どんな声なのかな。
 違う声で読むのかな?
 眼鏡人間がちらりとキュレレを見て、朗読を再開した。
「三男は、最初はわらで家をつくろうとしましたが、長男が藁を全部使ってしまっていて、家をつくれませんでした。ならば枝でつくろうとしましたが、枝は次男が全部使ってしまっていました。残っているのは、重い煉瓦(れんが)だけでした。『末っ子の自分が一番重い煉瓦を運ばなきゃいけないなんて、人生理不尽だ、呪ってやる』と三男の子豚は思いましたが、言うと長男と次男にぼこぼこにされるので、おとなしく煉瓦で家をつくりました」
 キュレレはまた手を叩いた。
 上手い~~っ!
 眼鏡のお兄さん、本読むの、上手い~~っ!
 期待通り、三男の声も違う声だった。長男には長男らしさが、次男には次男らしさが、三男には三男らしさが出ていて、聞いていると吸い込まれそうになる。
「長男は昼のうちに藁の家をつくって、さっさと家に入って寝ました。次男は夕方までに枝の家をつくって、その夜はぐっすりと寝ました。三男は夜までかかってやっと全部の煉瓦を運んで、そのまま寝ました。翌朝、三人は同時に目を覚ましました。長男と次男は家から出てきて、三男を見て笑いました。『おまえ、仕事遅いな。何やってたんだ?』と長男が言いました。『仕事できねえやつ。おまえは昔からのろまなんだよ』と次男は笑いました。三男は疲れていたので答えませんでした。長男と次男は二人そろって野原に遊びに行き、三男は黙々と煉瓦の家を組み立てました。小さな煙突のあるお家です。夕方になってようやく家ができあがると、長男と次男が戻ってきました。『へえ。よくできたもんだ』と次男は驚きました。『一人でよくやったもんだ』と長男は三男を誉めました。その日は三人、それぞれの家に潜って寝ました」
 キュレレはワクワクしてきた。相変わらず、三人の声が演じ分けられている。キュレレは文字は読めないが、挿絵は何度も目にしている。確か、この後、狼が出てくるはずだ。
 どうなっちゃうのかな。
 どんな声かな。
「その夜、狼が三軒の家に気づきました。狼は三軒の家に近づくと、家の大きさと家の周りの足跡から、『こいつはきっと豚に違いねえ。それも、きっと美味(うま)そうな子豚だぞ』と思いました。『少なくとも、おれさまの天敵の吸血鬼じゃねえ。吸血鬼はこんな家には住まないし、こんな足跡をしてねえからな』と言いました。狼は結構腹ぺこです。『しかし、子豚じゃ、一匹食ったんじゃ、おれさまの腹は満足しないぞ。三匹食わないとな。だが、どいつから食ってやろうか』」
 来た!
 狼、来た!
 やっぱり声変わった! 悪党の声!
 もっとそばで聞きたい。
 もうワクワクしてたまらず、キュレレは眼鏡人間のすぐ隣に座った。確か、挿絵では狼は家を吹っ飛ばすはずだ。
「『よし、どの家から襲うか、花で決めてみよう』と狼は黄色いタンポポを一輪摘んでみました。それから、花びらを一枚ずつちぎりはじめました。『好き……嫌い……好き……嫌い……』。狼は気づきました。『ぬわっ! おれは何をやってるんだ! おれの大好きなあのかわい子ちゃんがおれのことを好きかどうか、占ってる場合じゃねえ!』」
 キュレレは大笑いした。あまりにおかしくて、ベッドに腹這いになって、両脚をばたばたさせて笑いころげた。
 挿絵には、花びらの場面はなかった。まさか、こんなお話になっていたとは!
 花びら占い!
 あの狼が、花びら占い!
「『よし。まずは一番ぶっ壊すのが簡単そうな家から取りかかってやろう』。そう決めると、狼はタンポポを頭に差して、藁の家の扉を叩きました。『ああ、もしもし、元気してるかい? おまえのおばあちゃんだよ。おまえが新しい家をつくったというから見に来たんだよ。中に入れておくれ』。おばあちゃんのふりをして優しく声を掛けると、つっけんどんな声が返ってきました。『誰だよ、おまえ。うちのばあちゃん、もう死んでんだけど』」
 キュレレはまた笑いころげた。
 この狼、馬鹿すぎぃ!
「『くそ、少し勘違いしてしまったぜ』と狼は(せき)払いをし、『旅の途中で今たどり着いたんだ。ちと、家に入れてくれないかね? 凍えそうなんだ』と声を掛けました。『さっきばばあの真似したやつだろ。声が同じだぞ。誰が入れるか、糞野郎』」
 キュレレはまた笑い声を上げた。
 声が同じぃ!
 狼,馬鹿ぁ!
「『てめえ、何があっても入れないつもりだな?』と狼は怒りました。『入れるか、馬鹿。空気読め』と長男は言い返しました」
 キュレレはまた笑いころげた。
 空気読め~~っ!
 読め読め~っ!
「狼は怒りました。『なら、こんな家、吹き飛ばしてやる。一、二、三、ふ~~~~~~~っ!!』。藁の家は簡単に吹っ飛び、狼はぺろりと子豚を食ってしまいました」
 キュレレは目をくりくりさせた。
 ついに一人目は食べられてしまった。空気読めって言っちゃったから? 二人目は? 二人目も食べられちゃうの?
「『なかなか美味い子豚だったぜ』と狼は舌で口許を舐めまわしました。が――まだお腹はぺったんこです。『やっぱりまだ空腹が収まらねえ。諺にも、二つ欲しくて迷ったら、二つとも手に入れてしまえって言うからな。二匹目を食ってやるぞ』。そう決めると、狼は次男の枝の家の前に立ちました。『外は寒くて凍えそうだ。お願いだ、泊めてくれないかね』。哀れな声でそう頼むと、鼾が返ってきました。次男は爆睡しています。『おい、こら起きろ! 寒くて死にそうだっつってんだろ!』と怒鳴ると、次男が寝ぼけた声で返事しました。『今何時? おれの朝飯まだ?』」
 キュレレは笑い声を上げた。次男は完全に寝ぼけている。眼鏡のお兄さんの声も、凄く眠そうである。
「『狼だってつってんだよ! 食うぞ、ごるぁ!』」
 ごるぁ!
 キュレレはまた笑った。
 ごるぁ! ごるぁ! ごるぁ!
「狼が怒鳴り声を上げると、『やべえ! 狼来たよ! おれ、まだ朝飯食ってないよ! 兄ちゃんはどうしたんだ? 弟は?』と次男は騒いでいます。『扉を開けろ! おれが食ってやるぞ!』と狼が叫ぶと、『言われて開ける豚がいるか! そんな豚は、ただの豚だ!』と返してきました。その通りだなと思いましたが、お腹が空いていたので、『三つ数えるだけ待ってやる。おれに家を壊されるか、黙って出てくるか。選べ』と迫りました。『選択肢、厳しすぎぃ! おれ、ただ眠ってただけなのに、神様何やってんだよ!? 狼に雷を落としてくれよ~』と次男は呻いています」
 またキュレレはベッドの上でばたばたと脚を暴れさせた。
 選択肢厳しすぎぃ!
「『三、二、一、時間切れ! ぶっ飛ばすぞ、ひゅ~~~っ!!』。枝の家は倒壊し、狼はまんまと二匹目の子豚を平らげてしまいました。少しお腹はふくれましたが、まだ食べ足りません」
 キュレレは息を呑んで、耳を傾けていた。
 ついに二人目が食べられてしまった。残るは一匹である。
「『よし、三匹目を食うぜ』。そう決めると、狼は煉瓦の家をノックしました。『もしもし狼ですよ~。あなたを食べに来ました。飢えた狼に、豚の慈悲を』」
 キュレレはまた笑い声を響かせた。
 慈悲だって!
 慈悲! 慈悲ぃ!
 眼鏡のお兄さんが演じる狼の声が、本当に朗らかでいい人っぽくて、聞いていて笑いが止まらない。こんなに笑うのは、久しぶりである。もう、お話を聞くのが楽しくて楽しくて仕方がない。
「『あなた、ぼくのお兄さんを二人とも、食べましたね』と三男は尋ねました。『食ってやったぜ。仲良くおれの腹の中でおねんねだ。兄弟三人仲良く、おれの腹の中でおねんねしな』と狼は答えました。『じゃあ、まずあなたがおねんねしてください。そしたら、ぼくはこの家を出て、歩いてあなたの口の中に入って、自分からおねんねします』と三男は答えました。なかなか感心な豚だぜと思って、狼は寝転がりました。目を閉じると、二人を食べたせいか、一気に眠ってしまいました。目が覚めると、翌朝になっていました。『あの豚はおれの腹に入ったろうか?』と狼は思いました。『おい、豚。おまえ、おれの腹に入ったか?』。お腹の中からは返事がありません。狼は煉瓦の家をノックしてみました。『おれは狐だが、何かあったのかい? 隣の家が二軒とも倒壊しているんだが』。そう尋ねると、『それはぼくの兄の家です。昨夜、狼が来て食べていったんです』と三男は答えました。『てめえ、嘘つきやがったな! おれの腹に入ってねえじゃねえか!』と狼は声を荒らげました。『当たり前です! 黙って食われる狼なんて、狼じゃありません!』と三男は叫びました。『馬鹿野郎、食われるのは狼じゃねえ、豚だ! おめえ、牙持ってんのか!』と狼は怒鳴り返しました。『ぼくは今、心に牙を持っているんです!』と豚が叫び返しました。狼も負けてはいられません。『うめえこと言ってんじゃねえ! どんなに心に牙を持とうが、豚は豚だ!』」
 キュレレはまた脚をばたばたさせて笑い声を上げた。
 狼じゃありません!
 豚は豚だ!
 ワクワクは絶頂寸前である。三男は食べられてしまうのだろうか? それとも、心の牙で狼に噛みつくのだろうか?
「『もう頭に来たぞ。こんな家、吹っ飛ばしてやる。昨夜もこうすればよかったんだ』と狼は一気に息を吸い込みました。『見るがいい、おれさまの力を! 三、二、一! どっひゅ~~~っ!』。もの凄い暴風に、家の後ろにあったブナの木が倒れました。でも、家はびくともしません。『あれ? おれ、疲れちゃったのかな。朝は調子が出ねえのかな。どっひゅ~~っ!』。またブナの木が二本倒れましたが、家はそのままです。『くそ、おれさまの力はこんなものじゃないはずだ。木よ、森よ! おれに力を貸してくれ! ぶひゅひゅひゅひゅ~~~っ!』。さらにブナの木が三本倒れましたが、家はどこ吹く風とばかりに建っています。『くっそ~。頭に来たぞ。外からがだめなら、内側に侵入しろってんだ』と、狼は煙突に頭を突っ込みました。途中まで進んだところで、身体が動かなくなりました。昨夜二匹食べてしまったために、微妙にお腹がふくらんでいて途中で煙突につっかえて動かなくなってしまったのです。『ぐぇっ! く、くそ、何を詰まってんだ! 動け、おれ! 糞もおれも、詰まらなくていい!』」
 キュレレはまた笑い声を響かせた。
 糞もおれも、詰まらなくていい!
 糞も!
「狼はもがいてみますが、どうにもなりません。三男は狼が途中で詰まったのを見ると、敵討ちをするのは今だとばかりに家を出ました。藁と枝を集めて火を(おこ)して、火の点いた枝と藁を家の中に放り込みました。『ぐわっ! 何しやがる、豚ぁっ! 煙たいじゃないか!』と狼が騒ぎます。さらに豚は狼の尻尾に火を点けました。『うわっ、この豚、極悪人か! おれさまの大事な尻尾に火を点けやがって、あちぃ、あぢあぢ、あぢぃ~っ!』。お尻を振った拍子に狼の身体は煙突から抜け出しましたが、尻尾に火は点いたままです。狼は慌てて森の中へ逃げ込んでしまいました。以来、狼は三匹の豚を見つけても、全員食べることはせず、三匹目は逃すようになったとのことです。おしまい」
 キュレレは心の底から手を叩いた。何度も何度も両手を合わせて、盛大に拍手を送った。
 面白かった。
 本当に面白かった。
 今までパパにもお姉ちゃんも本を読んでもらったが、眼鏡のお兄ちゃんのお芝居は、最高だった。キュレレの朗読体験の中でも、ダントツであった。お姉ちゃんに読んでもらっても面白かったに違いないが、お兄ちゃんの『三匹の子豚』は本当に楽しかった。
 寝ぼけた次男の豚の声。
 騙そうとして失敗する狼の声。
 朗らかな調子で、慈悲をとお願いする狼の声。
 思い出しても、またおかしくなってしまう。本当に楽しかった。今まで本を読んでもらった中で、一番の楽しさだった。
 がんばって天幕を出て、はるばるネカまで飛んで来た甲斐があったとキュレレは思った。こんな素敵な眼鏡のお兄ちゃんに会えたのだ。もっともっと、お兄ちゃんに本を読んでほしい。
「本!」
 とキュレレは目を輝かせてリクエストした。
「え? まだ読むのか?」
 キュレレはうなずいた。
 お話一つだけで満足なんて、絶対できない。まだまだお話を聞きたい。お兄ちゃんの朗読を聞きたい。
「じゃあ……蟻とキリギリスをいくか」
 キュレレはまた手を叩いた。
 自分は、とっても優しいお兄さんに会ってしまったかもしれない。

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