第三話 キュレレ その四

作者:鏡 裕之



 一カ月ほどしたある日、キュレレがお城に着くと、使用人たちが「今日は朗読は無理ですよ」と告げた。
 どうして?
 部屋に案内されると、相一郎がベッドに寝ていた。昨夜から熱を出してしまったらしい。
「キュレレか……?」
 と相一郎が目を覚ました。
「本」
 言うと、
「今読んでやるから」
 と本に手を伸ばした。
「眼鏡、どこだったかな」
 と起き上がる。そのまま、ふらっと倒れた。キュレレは声を上げて相一郎に抱きついた。すぐに使用人の女がやってきた。
「本なんか読める状態ではありません! ヒロト様からも厳しく言われております。今日は一日、ちゃんとご療養されるようにと」
 使用人は(ひたい)()(ぬぐ)いを替えて、部屋を出ていった。
「ごめんな……」
 と相一郎が弱々しい声で言った。キュレレは首を横に振った。
「熱い?」
 聞いてみた。
 相一郎は答えなかった。
 キュレレはずっとそばに座っていた。今日は本は読んでもらえない。それは確かである。立とうとするだけで、相一郎はふらふらしていた。ずっとお城にいても仕方がない。
 でも、帰りたくなかった。
 一時間が経った。
 相一郎は眠っている。
 キュレレは手拭いに手を伸ばした。手拭いは乾いていた。すぐそばに、水の入った桶が置いてあった。
 キュレレは手拭いを浸して、絞った。それから、相一郎の額に置いた。相一郎は寝たままである。
 昼頃、姉とヒロトが様子を見に来た。
「キュレレ、今日は帰っていいぞ。城の人たちが面倒を見てくれるから」
 そう姉は言ったが、キュレレは首を横に振った。
 毎日自分が相一郎に本を読んでってお願いしたからかな、とキュレレは思った。相一郎と知り合ってからというもの、毎日休みなく相一郎に本を読んでもらっている。朝でも、昼でも、夕方でも、そして、夜でも、相一郎は本を読んでくれる。
 え~っ!
 今から?
 と驚くことはあるが、「本!」とおねだりすると、相一郎は必ず読んでくれる。
 キュレレは、エルフからもらった本を開いて、挿絵を眺めた。本はいっぱいある。相一郎に読んでもらうので、半分以上は相一郎の部屋に置いてある。あと半分は自分の天幕である。
 いっぱい挿絵を見て、一時間経つとキュレレは手拭いを替えた。それからまた挿絵を眺めて、手拭いを替える。
 相一郎が目を覚ましていた。
「本……読んでやろうか……?」
 と相一郎が声を掛ける。
 キュレレは首を横に振った。
 きっと、また倒れちゃう。
「ごめんな」
 キュレレは首を横に振った。
「本?」
 と尋ねた。
 本を読みすぎたから、熱出しちゃったの? 熱出したの、キュレレのせい?
 相一郎が微笑んだ。
「キュレレのせいじゃないよ」
 相一郎はまた目を閉じた。すぐ寝息が聞こえてきた。
 相一郎、かわいそうとキュレレは思った。
 どうやったら治るのかな。
 パパなら知ってるかな。
 キュレレは部屋の外に出た。空に舞い上がった。高速でソルムの空を移動する。
 たちまち、ザザに到着した。
「パパ!」
 父親の姿を見つけて舞い降りた。
「どうした、今日はやけに早いな」
 と父親が笑顔になる。
「相一郎、熱出した」
 とキュレレは告げた。
「熱か? それは大変だな」
「薬」
 とキュレレはおねだりした。
「薬かぁ……。ディフェレンテは我々ヴァンパイア族とは違うからなあ。我々なら、酒を飲んで寝れば一発だがなあ……」
 お酒……。
 キュレレは姉の天幕に入った。確か、お姉ちゃんのところに強いお酒があったはずだ。
 小瓶に入っていた。
 キュレレはそれをひとつ取って、また大空に舞い上がった。半時間もしないうちに、ソルム城に着いた。
「相一郎」
 部屋に入った。
 相一郎は寝ていた。手拭いを手に取った。
 乾いていた。
 桶に浸して、また絞って相一郎の額に乗せる。
「相一郎」
 ともう一度呼んでみた。
 相一郎が瞼を開いた。
「よくなったら、お兄ちゃん、いっぱい読んでやるから……」
「薬」
 とキュレレは小瓶を差し出した。
「薬?」
「熱」
 熱によく効く薬という意味である。
「飲めって言ってるのか?」
 キュレレはうなずいた。小瓶を開ける。
「苦い?」
 と相一郎が尋ねる。
「美味しい」
 相一郎が飲んだ。
「か~~~~っ!」
 声を上げた。
「これ、お酒……! 喉に、か~~~~~~っ!」
 相一郎が叫ぶ。
 あ。
 お酒飲んだら、相一郎、吐くんだったっけ?
 吐く?
 逃げた方がいい?
「これ、酒、きつい……キュレレ……」
 相一郎はヒイヒイ言っている。
 逆効果だったかな?
 相一郎死んじゃう?
 心配になった。
 お姉ちゃん、呼んだ方がいいかな?
「熱ぅ……身体が熱くなってきた……熱……」
 と相一郎が(うめ)く。
 もっと熱が出ちゃったかも。
 ふっと相一郎が目を閉じた。
 キュレレは(あせ)った。
 相一郎死んだ?
 寝息が聞こえた。
 死んでいなかった。相一郎は眠っていた。
 よかった。
 相一郎、死ななかった。
 キュレレはそばの椅子に腰掛けて、本をめくった。

 夜までキュレレは部屋にいた。姉が帰るというので、いっしょにソルム城を出た。ヒロトが見送りに来てくれて、
「相一郎を看病してくれてありがとう」
 と微笑(ほほえ)んでくれた。
 この人も、優しいのかも。
 キュレレは思った。

   7

 翌日、キュレレがソルム城を訪れると、相一郎はまだベッドに寝ていた。でも、目を開けて、麦のお粥を食べていた。
 昨夜のうちにたっぷり汗を掻いて、かなりよくなったそうだ。キュレレはその日も、一人で本を見て過ごした。
 本は、挿絵だけは全部見ている。
 見ているうちに眠くなってきた。(まぶた)が重くなっている。
 相一郎は眠っている。

 気がつくと、相一郎の声が聞こえていた。
「昔々、あるところに三匹の子豚が住んでいました。ある日、一匹目の子豚が家をつくろうと言い出しました。二匹目の子豚もそうしようと従い、三匹目の子豚もつくることになりました。長男は、『どうせつくるんなら三人でいっしょにつくって三人で住めるようにしようよ』と提案しましたが、次男は、『おれ夜更かしするから一人で住む』と言い張り、三男も、『兄ちゃんたちに飯取られるのいやだから、一人で住む』と主張して、三人ばらばらに出かけました」
 あれ?
 どこかで聞いた話。でも、ちょっと違う感じ――。
「長男は、(わら)で家を建てました。次男は枝で家を建てました。三男は煉瓦(れんが)で家を建てて、煙突をつけました」
 三匹の子豚!
 相一郎が読んでくれている!
 治ったんだ!
 キュレレは慌てて跳ね起きた。
「相一郎!」
 飛びついた。
「キュレレ、本が読めないよ」
 と相一郎が笑う。キュレレはすぐにベッドに潜り込んで、腹這(はらば)いになった。これで準備万端である。
 相一郎が朗読を再開する。
「三人はそれぞれの家を訪問し合ったあと、夜になってそれぞれの家に戻り、寝ました。明かりが消えると、狼がやってきました。狼は三軒の家に近づくと、家の大きさと家の周りの足跡から、『これはきっと豚に違いないわん。それも、きっと美味そうな子豚よ』と思いました。狼は、実はお(ねえ)でした」
 キュレレは笑いころげた。
 お姐!
 お姐の狼!
「『少なくとも、わたしの天敵の吸血鬼じゃないわん。吸血鬼はこんな家には住まないし、こんな足跡をしてないもの』と狼は言いました。狼は結構腹ぺこです。お姐でもお腹は空くのです。『でも、まずい子豚じゃ、いやね。わたし、美食家なのよ。どうやったら美味しい子豚ってわかるかしら』」
 美食家!
 もう楽しくなってきた。でも――。
 いきなり本を読んでも平気なのかな?
 心配になって聞いてみた。
「熱、平気?」
「平気よん」
 と相一郎がお姐の声で答える。おかしくてけたけたと笑う。
「狼はいいことを思いつきました。美味しいものは、外が硬いものが多い。しっかりしている家に住んでいる豚が、きっと一番美味しいに違いない。狼は、まず藁の家の前に立ちました。『こんなやわな家に住む豚が美味しいとは思えないわ』。つづいて、枝の家の前に立ちました。『こんな燃えやすい材料で家をつくるなんて、馬鹿じゃないの? 馬鹿な豚は、きっと美味しくないわん』。最後に、煉瓦の家の前に立ちました。『これが一番よさそうだわん。でも、どうやって入ろうかしら』。そこで狼は、藁と枝を思い出しました。藁の家から藁を、枝の家から枝を取ると、火を熾して煙突に放り込みました。藁にも火を点けて、煙突に放り込みます。また枝にも火を点けて投げ込みます。すると、煉瓦のお家の玄関が開きました。三男が怒って出てきたのです。『誰だ! おれの家に藁を投げ込んでるやつは! 一番目の兄ちゃんか! 二番目の兄ちゃんか!』。狼は答えました。『三番目の狼よん』。そう言うと、ぺろりと三男を食べてしまいました。そして、意気揚々と引き上げていきました」
 キュレレは驚いてしまった。前に読んでもらった三匹の子豚の話は、三匹目が丈夫な家で狼を撃退するお話だったのに、もう三匹目がやられてしまった。
「翌朝になって、二人の兄は末っ子の家に遊びに来ました。でも、不思議なことに扉が開いていました。家の前には、狼の足跡がついていました。次男は、『ああ、弟は狼に食われてしまったんだ』と泣きました。長男は、『だから三人でいっしょに家を建てようと言ったのに』とため息をつきました。それから残った二人は、もう一度二人で家を建て直して、以来、仲良く暮らしたということです」
 キュレレは手をぱちぱち叩いた。それから、相一郎に尋ねた。
「本当に熱、平気?」
「狼が熱を食ってちゃった」
 その返事に、キュレレは笑った。
 よかった。
 相一郎、熱治った♪
 うれしくてキュレレは相一郎に抱きついた。
「おい、お兄ちゃんの熱が移っちゃうぞ」
「お酒飲むから平気♪」
 とキュレレは答えた。今度は相一郎が笑い声を上げた。キュレレも笑った。
 その日、初めてキュレレはお泊まりをした。姉が『キュレレ、帰るよ』と声を掛けてきたのだが、帰りたくなかった。キュレレは『まだお話を聞くぅ』と言い張った。
「じゃあ、泊まってくか?」
 と相一郎が言ってくれたのだ。姉もヒロトの部屋に泊まることになって、キュレレのお泊まりが決定した。
 蝋燭(ろうそく)の下で本を読んでもらって、いっしょのベッドに潜った。パパ以外の人と同じベッドで眠るのは初めてだった。
「今夜、狼が来るかもしれないぞ」
 と相一郎が笑った。
「噛みつく」
 とキュレレは答えた。相一郎はまた笑った。それからキュレレは目を閉じた。しばらくして目を開いた。
 相一郎がすぐ隣にいる。
 いつも、寝るのはザザの天幕だったから、不思議な気分だ。いつも目が覚めたら一人で、
顔を洗って、そしてお姉ちゃんとソルム城に出かけていた。
 でも。
 明日は違う。起きたら、相一郎がいるのだ。
 朝起きたら、すぐ相一郎に本を読んでもらおうと思った。ボコンボコンの話がいい。赤頭巾が狼をボコンボコンする話。
「ボコンボコン」
 とキュレレは言った。
「読んでほしいのか?」
「明日」
 とキュレレは答えた。
「じゃ、明日な」
 と相一郎が目を閉じた。キュレレは天井を見上げてぱちぱちした。幸せな気分がいっぱいで、眠るのがもったいない気がした。
 でも、朝目が覚めて眠いのはいやだ。
 ボコンボコンのあとは、どんなお話が待っているのだろう。お城で朝を迎える気分は、どんな感じなのだろう。
 ワクワクしながら、キュレレは目を閉じた。

作品応援ボタン(1日1回)応援コメントを書く