第一話 ヒロト以前 その四

作者:鏡 裕之

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 二人のディフェレンテが召喚されてソルム城に連れ込まれた頃、ミミアはちょうどソルムの町に着いたところだった。
 人間の住む町を歩くのは、肩身が狭い。すれ違う者たちが、じろじろと自分を見る。まるで奇異なものを見るかのような視線を向ける。
 正直、包帯は汚れている。毎日小川で洗って別のものに取り替えているが、それでも経年使用をつづけているとくすんでくる。
 新しい包帯を巻いてくればよかったと、ミミアは思った。包帯の中で、顔が真っ赤になる。
 ミミアはうつむきながら、町の通りを歩いた。だんだんと中心部が近づいてくる。
 仕立屋(したてや)が目に入った。思わず顔を上げて、中を(のぞ)き込んでしまった。
 ひらひらの(ひだ)の多いスカートが、これみよがしに掛けられていた。肩のふくらんだ上着もある。
 いいなあと思う。
 あんな服、いつか着てみたい。ミイラ族には高すぎて、とても買えないけれど……。
 仕立屋の主人が、ミミアに気づいた。
 何を見てんだ。
 あっち行け。
 そういう顔をする。
 ミミアはうつむいて店の前を離れた。
 パンの香りが漂ってきた。いい匂いだ。食べたくなるけれど、そんなお金は持っていない。
 パン屋の回りには、いつもいるミイラ族の男たちはいなかった。ミイラ族の男たちは、荷物の運搬をするか、粉()きをするか、どちらかである。今日は運搬に出かけているらしい。
「わっ、芋虫」
 子供の声に、ミミアは顔を向けた。男の子が母親のそばで声を上げていた。
 胸のどこかで、何かが刺さる音がした。
 芋虫じゃないのに。
 母親はたしなめずに、ただミミアを見ている。
「ミイラ族が何をしに来たんだろうね」
 母親の声が聞こえた。
 ミミアはうつむいたまま、道を歩いた。ようやく(たる)を描いた看板が目に入って、ミミアは酒屋に飛び込んだ。
 酒屋の主人がじろりと冷たい目を向けた。
「あの小さい壺を一つ」
 とミミアは指差した。
「金は?」
 ミミアはお金を出した。酒屋の主人はお金を勘定して、壺を手渡した。ミミアは受け取って、お店を出た。
 外は曇っていた。
(雨、降るのかな)
 と、ミミアは思った。雨はいやだ。包帯が濡れて凄く重くなってしまう。雨が降る前に帰らなきゃ。
 ミミアは急ぎ足で歩きはじめた。
 ソルムの町を抜けて、一本道をひたすらミイラ族の洞窟へ向かって歩く。ゆるやかにつづく丘陵と灰色の空が彼方で接している。
 灰色の雲は低く垂れ込めていて、今にも雨が降り出しそうである。
(お願い、もって)
 ミミアはさらに急ぎ足で歩いた。馬ならもっと早く着くのだろうが、馬はお金持ちしか乗れない。ソルムの町でも、馬に乗るのは城主様と家令、そして守備兵だけである。
 丘陵を降りると、平べったい土地がつづいていた。細い道に、点々と木が生えている。大きな木は一本しかない。
 でも、次の丘を抜ければ、モーラ村である。モーラ村を抜ければ、少しで森に到達する。
(もう少しだ)
 思ったところで、いきなり頬を、ぽつっと雨滴(うてき)が叩いた。
(え?)
 さらに二滴、三滴と頬に当たる。
(降り出しちゃった!)
 慌てて小走りに駆ける。
 雨は一気に襲いかかってきた。まるで強風のように、雨の固まりが襲いかかってくる。土地は平坦だが、雨宿りできる場所はない。
 いや。
 一つだけ、あった。大きな木が、一本だけ生えている。あそこなら、雨宿りできる。
 ずぶ濡れのまま、ミミアは大木の下に飛び込んだ。飛び込んでから、自分が場違いな場所に入ってしまったことに気づいた。
 木の反対側に、騎士が馬を止めていたのだ。
 その手前には、見慣れない白いシャツを着た若い男が二人、立っていた。
 一人は眼鏡を掛けていた。
 もう一人は利発そうな顔だちで、硬めの前髪が額にかかっていた。
「ひぃぃっ! ミイラ!」
 眼鏡の男が、利発そうな少年の背後に隠れた。
 また、心の奥がズキッと痛んだ。
 きっと、この人間は自分を見るのが初めてだったに違いない。ソルムに初めて来た人間?
 かもしれない。
 騎士があからさまに嫌悪の表情を浮かべていた。
「あっちへ行け」
 騎士の言葉に、ミミアはぺこりと頭を下げて背を向けた。
 雨宿りしようとしたけど、騎士がいるのでは仕方がない。濡れて帰るしかない。帰ったら、新しい包帯に着替えよう。
 ミミアは雨空を見上げた。
 たぶん、歩きだしたらすぐに全身はびちょびちょになってしまうだろう。でも、仕方がない。
 唇を結んでミミアは駆けだそうとした。
 その時だった。
「行かなくていいよ。雨宿りしていきなよ」
 予想外の言葉に、ミミアは立ち止まった。
 行かなくていい?
 雨宿りしていきなよ。
 そう人間は言ったのか?
 ミミアは顔を向けた。
 眼鏡の少年の隣に立っていた、利発そうな少年だ。
「おいで」
 少年はミミアの手をつかんだ。一瞬、びくっと手がふるえた。
「おい」
 騎士が不快な表情を向ける。
「騎士なんだから、騎士道精神を発揮してよ♪」
 少年はウインクしてみせた。
「騎士道精神は化け物には行わぬ」
「緊急時には、ライオンだって他の動物といっしょに洞窟に避難したりするんだよ。おれの砦の着任祝いに許してあげてよ」
 少年が屈託(くったく)のない笑みを浮かべる。騎士はぶつぶつ言いながら背中を向けた。少年の言葉に、騎士が折れたのである。
「大丈夫だよ。いっしょに雨宿りしよう」
 少年はミミアを引っ張った。木の下に入ったところで、さらに雨足が強まった。飛び出していたら、ずぶ濡れである。
 ミミアは少年に顔を向けた。
 信じられなかった。
 ミイラ族の自分に、こんなに優しくしてくれる人間がいるなんて。こんなこと、初めてだ。あまりに突然のことで、心臓がドキドキしている。
 この人、何をしている人なんだろう。
 騎士の方が立場が上みたいだけど、新しくお城に来た人?
 少年と目が合った。少年は微笑んでみせた。ミミアは慌てて頭を下げた。
「あの……ありがとうございます……」
「この近くに住んでるの?」
 少年は、屈託のない調子で話しかけてきた。
「ずっと向こうの洞窟……」
 つい、口調がたどたどしくなってしまう。
 城主の息子さんなのかな? と思った。でも、城主に子供がいるなんて話は聞いたことがない。じゃあ、誰なんだろう……?
「おれたち、ディフェレンテなんだ。モーラの砦に行くところなんだ」
「ディフェレンテ?」
 ミミアは聞き返した。
 ディフェレンテのことなら、自分も聞いたことがある。大昔にこの世界に来て、壊れかけた国を立て直した、とても偉い人。でも、最近は尊敬されなくなっている、異世界からの助っ人――。
「異世界から来たばかりなんだ。だから、色々教えてほしいんだ。ヴァンパイア族のこと、何か知ってる?」
 ミミアは黙った。
 この人も、誤解しているのだろうか。自分たちミイラ族が、ヴァンパイア族とグルだと誤解しているのだろうか。
「ヴァンパイア族って、夜しか出てこないの?」
「ミイラ族がやったんじゃありません」
 小さな声でミミアは答えた。
「襲ったのはヴァンパイア族でしょ?」
「ミイラ族とは関係ありません」
 ミミアは抵抗した。
 この人も、誤解しているんだ。ミイラ族もヴァンパイア族の仲間と思っているんだ。
「もしかして、ヴァンパイア族のことで悪い噂を立てられてる?」
 少年の言葉に、ミミアは少し驚いた。
 悪い噂……?
 この人、わたしたちが悪いって思ってないの?
 尋ねたいが、すぐそばには騎士がいる。あまりしゃべれない。
「立ててるのは人間?」
 ミミアは答えなかった。
 少年の指摘した通りだった。悪い噂を立てているのは人間である。でも、そばには騎士がいる。人間が立てていると答えれば、騎士は怒りだすかもしれない。
「今日は何かのお遣い?」
 少年は話題を変えてきた。ミミアはうなずいた。
「お酒?」
 ミミアは縦に首を振った。
「祝い事でもあったの?」
「結婚式……」
 と答えると、
「ここって、よく雨が降るの?」
 少年は質問してきた。ミミアは首を横に振った。
「最近、雨が降らないから」
「じゃあ、おれたちツイてるかも」
 ミミアは不思議そうに少年を見た。
 ツイてるって、どうしてだろう? こんな大雨に降られちゃったのに。ツイてる?
「滅多にないことが起きたってことは、いいことが起きる前兆だよ。新婚さんにおめでとうって伝えて」
 ミミアは驚いて少年を見た。
 滅多にないことが起きたってことは、いいことが起きる前兆だよ。
 少年の言葉が、強く胸を揺さぶった。そんなふうに考えたことはなかった。おまけに、ディフェレンテなのに自分たちミイラ族の結婚の祝いを口にしてくれるなんて。
 ミミアは大きく縦に首を振った。
 本当は、うんとかはいとか、ありがとうと答えたかった。でも、感動が強くて言葉に出せなかったのだ。
「その包帯、似合うね」
 さらに少年は、びっくりすることを口にしてきた。似合うなんて言われたのは初めてである。顔が熱くなって、ミミアはうつむいた。
「人間が着けても似合うかな?」
 ミミアは不思議そうに少年を見た。
 ミイラ族の包帯は、みんな不気味だって言っている。この人、まさか、着けるつもりなの? ディフェレンテって、そういう人たちなの?
「人間が着けちゃだめなものなの?」
 ミミアは首を横に振った。
「でも、ミイラ族じゃないと、うまく巻けないから……」
 答えながら、言葉尻が小さくなった。
 包帯、着けてみる?
 聞いてみようかと思ったが、絶対断られると思った。ごめん、本気にしないで。からかっただけだから。
 そう言われるかもと思ったら、声が小さくなってしまったのだ。
 雨の音が弱まっていた。雨粒がどんどん小さくなり、幕のように視界を覆っていた雨が、どんどん小降りの雨へと変わり、やがて、雨滴もほとんど落ちてこなくなった。雨が上がったのだ。
「行くぞ」
 騎士が馬に飛び乗った。
 あ。
 行っちゃう。
 せっかく楽しいお話ができたのに、もうお別れの時間になっちゃう。もう、この親切な人間とは――人間じゃなかった、ディフェレンテだ――とは会えなくなってしまう。
「行くぞ」
 眼鏡の少年が歩きだした。
 ミミアは胸が切なくなった。二度と会えないのかと思うと、胸がきゅっと締めつけられる。
「またね。今度、包帯巻いてね」
 少年は手を振って歩いていった。ミミアは大木の下で、少年を見送った。見送りながら、名前を聞かなかったことに気づいた。
 少年が振り返った。
 また、胸がきゅんと締めつけられた。少年は微笑んで手を振り、丘陵を越えていった。きっとモーラの砦に向かったのだ。
 ミミアは、両手でぎゅっと(さか)(びん)を胸に押しつけた。
 また会いたいと思った。
 騎士は自分を毛嫌いして遠ざけようとしたのに、騎士を説得して、自分が雨宿りできるようにしてくれたのだ。
 ミミアは少年の姿が完全に見えなくなると、ようやく道を歩きだした。雨のせいですっかりぬかるんでいて歩きづらかったが、気分は幸せだった。
 初めて人間から、親切をもらったのだ。優しさをもらった。まだ若いディフェレンテだったけれども、とてもいい人だった。
(また会いたい……)
 歩きながら、ミミアはそう思った。

【第一話 完  第二話に続く】

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