第二話 ヴァルキュリア

作者:鏡 裕之

   1

 夜空は、まるで星の砂場だった。深く暗い紺色の幕に光る砂粒を無数にぶちまけたように、いくつもの星々が天空に瞬いている。無数の石英(せきえい)が夜空できらきらと光燦を見せつけてウインクしているようだ。
 天幕から抜け出したヴァルキュリアは、地平線の彼方から頭上まで、そしてさらに反対側の山の端まで広がる夜空を見上げた。幾億万の光に見守られているような気分になって、ヴァルキュリアは息を吸い込んだ。
 今日もまた、空がきれいだ。こんな夜空を飛んだら、どれだけ気持ちいいだろう。妹を誘ってやろうか……?
 ヴァルキュリアは、天幕の一つを覗き込んだ。
 垂れ目のおちびちゃんが(はら)()いになって、大事そうに本を抱えて大きな目をパチパチさせていた。真っ暗闇の中で、大きな垂れ目がよく目立つ。それが、パチパチと何度も(まばた)きをする。
 妹のキュレレだった。
 ヴァルキュリアは活動的だが、妹は超がつくほど引きこもりである。昼も夜も、天幕に引きこもったまま出てこない。一日中、本を開いてにこにこしている。読めないくせに、本を眺めているだけで幸せらしい。
「本」
 とキュレレは小さくヴァルキュリアに言った。朗読してほしいらしい。
「空が今日もきれいだよ。キュレレ、見てごらん」
 キュレレは首を横に振った。
「本」
 また小さくくり返す。
(とりで)に新しい人間が来るみたいだよ。お姉ちゃんといっしょに狩りに行くかい? きっと美味しい血が飲めるよ」
「本」
 キュレレは同じ返事をくり返した。
「あとでね。たっぷり人間の血を吸ったら、読んでやるよ」
 キュレレの視線が落ち、その上を失望と寂寥(せきりょう)の幕が覆っていった。今日はお姉ちゃんに読んでもらえるかも……と期待していたのかもしれない。
 妹は、人の顔を見ると、本とおねだりする。暇な時には応じてやるが、たいていは忙しい。
 ヴァルキュリアは妹の頭を撫でた。キュレレの視線は悲しそうに落ちたままだった。ヴァルキュリアは、天幕に妹を残して歩きだした。ほどなくして、年上の男の吸血鬼が近づいてきた。
「お嬢様、また行くんで?」
 と声を掛ける。
「砦に増員するってのは、わたしたちをぶっ倒すぞって合図だろ? こういうのは、最初にガツ~ンとやっとかなきゃ()められるんだよ」
「あいつら、何もできませんぜ。弓矢だって当てられないし、へぼ野郎ばっかりでさ」
「へぼでも、つけあがらせるとろくでもないことをするんだよ」
 応えて、ヴァルキュリアは夜空に舞い上がった。キラキラと宝石箱のような空へ向かって近づく。
 ヴァルキュリアは、モーラの砦に進路を取った。

   2

 蝦蟇(がま)の口のように開いた洞窟の穴から、森の木々と紺色の夜空が覗いていた。今夜は一段と星がきれいである。
 あの人といっしょに見られたら、どんなにきれいだろう、とミミアは思った。みんなといっしょに寝床に入ったものの、眠れない。目を閉じても、思い浮かぶのは昼間に会った若いディフェレンテのことである。
 ミイラ族は、人並みに扱ってもらえない。薄汚く汚れた、包帯の蓑虫が来た。気持ち悪い。来るな。あっちへ行け。いつもそういう顔をされる。
 雨宿りで出会った騎士もそうだった。だが、あのディフェレンテは、ミミアの手を握り、木の下に引き入れてくれたのである。いっしょに雨宿りをしようと。初めて人並みに扱ってもらえたのだ。
 今でも、若いディフェレンテの手の感触は握っている。決してもの凄く大きいわけではないけれど、強く、優しかった。
 もっと話したかった。どこから来たの? お名前は? 色々聞きたいことはあった。でも、ろくに聞けずに別れてしまった。
 もうあの人には会えないのだろうか?
 会いたいと思う。
 どうやったら会える?
 モーラ村に行けば会える?
 確か、モーラ砦に行くと話していた。もう砦に到着して任務に就いているだろうか?
(砦に行ったら、会えるかな……?)
 とミミアは思った。
 もう眠っている?
 わからない。
 眠っているかも。でも、夜警の任務に就かされていたら、起きているかもしれない。
(行ってみようか……?)
 思った途端、躊躇(ためら)いが発案を打ち消した。
 どうせ眠っている。
 会いに行ったって、会えないに決まっている。雨宿りの時は優しかったかもしれないけど、あれはたまたまで、自分が会いに行ったら、迷惑そうな顔をするに決まっている。なんでミイラ族が来るんだよって顔で自分を見るに決まってる。
(やっぱりやめよう……)
 目を閉じたが、
(もし起きていたら……)
 その気持ちに、ミミアは目を開いた。
 馬鹿なことを考えているなと思う。会えるかもしれないだなんて。ミイラ族の娘に会いたいなんて思う人間がいるわけないのに。ディフェレンテだって、きっと同じだ。
 でも……。
 やっぱり、会いたい。
 起きているかどうかだけ、確かめに行ってみようか。夜警を務めていないみないだったら、帰ればいい。もし務めていたら――。
 ミミアは起き上がった。
 仲間を踏まないようにそっと洞穴を抜ける。すぐに歩きだそうとして、何か持っていかなきゃと閃いた。
 そうだ。包帯だ。包帯を巻いてほしいって言ってたんだ。
 冗談?
 ただのからかい?
 わからない。でも、もし 包帯がなかったら、がっかりするかも……。
 包帯を手にしてから、お酒にも気づいた。きっと、喉が渇いているに違いない。まだお酒は残っていたはずだ。
 陶器のコップにお酒を注ぐと、ミミアは洞窟を出発した。歩きだしてすぐに、おまえは何を馬鹿なことをやっているんだと理性の声がする。本気にするな。少し優しくされただけで、のぼせるな。おまえはからかわれただけだ。
 それでも――。
 姿を見られればいい。それだけでもいい。
 ミミアは森を抜けて、モーラへ向かう一本道に出た。

   3

 夜の道は無人だった。空は星々で明るくても、野原は暗く、黒い。月光の当たる部分と、当たらない影の部分とが交互につづいて、不気味な雰囲気を滲ませている。悪の存在が暗い影の部分に潜んでいるような錯覚に囚われる。
 強盗に襲われるかもしれない?
 ミミアは自分の不安に首を横に振った。ヴァンパイア族が出没するおかげで、強盗もこの辺りには顔を出さない。不安なのは、むしろ若いディフェレンテに会えるかどうかの方だ。
 マウンドを一つ上った。その向こうにさらに緩やかな丘陵があって、岩を積み重ねた防壁が横に突っ切っている。その先に、粗末な小屋がある。
 モーラ砦である。
(ディフェレンテの人、いるかな)
 ミミアは目を凝らした。
 防壁の上に二つ、影が並んでいるのが目に入った。人の形をしている。
(あの人だ!)
 ミミアは表情を輝かせた。
 よかった。
 あの人がいた。思い切って出てきてよかった。
 でも……。
 ミミアは歩速を緩めた。
 あの人、一人じゃない。隣の眼鏡の人は、自分の姿に「ミイラ……!」と叫んだ人だ。姿を見ただけで引き返そうか。
 止まりかけたところで、あの人が手を振った。自分に気づいてくれたのだ。
(こっちに来いって、言ってくれてる……!)
 歓喜に、自然に足が速まった。
 早く、あの人にお酒を届けてあげたい。お酒をこぼさないようにしなきゃ。
 あの人が砦を跨いで、自分から駆けてきてくれた。途中でつまずき、前にひっくり返った。
 ミミアは慌てて駆け寄った。
「大丈夫……?」
 若いディフェレンテは顔を上げて、微笑んだ。
「この近くに住んでるの?」
 ディフェレンテに質問された。
「少し……」
 と答えて、ミミアは顔が熱くなった。
 本当は少しではない。結構長い距離を歩いてきたのだ。
「狼、いなかった?」
 ミミアは首を横に振った。
「ずっと向こうの森の方。林には出てこない。昔はこの近くも森だったけど、人間が畑にしちゃったから」
 とミミアは説明した。
 ディフェレンテだから、きっとこの辺りのことは知らないに違いない。確か、来たばかりだと話していた。
 ミミアは、そっとディフェレンテの顔を窺った。
 ディフェレンテは、溌剌とした表情を浮かべていた。目も大きく開いている。自分を迷惑がっている感じはない。むしろ、喜んでくれているみたいだ。うれしさが込み上げると同時に、胸がきゅんとなる。
 何を話そう。何を話しかけよう。
 そうだ。
 ミミアは大切なことを思い出した。
 包帯とお酒。
 お酒が先かな……。飲んでくれるかな……?
「これ……」
 ミミアはおずおずと陶器のコップを差し出した。
「お酒……」
 小さな声で言う。飲んでくれるか不安なので、声も小さくなる。
「いいの?」
 ディフェレンテの問いに、ミミアはうなずいた。
 飲むかな……?
 ディフェレンテはゆっくりとコップを口に当てた。ごくっと喉が鳴る。
(飲んでくれた)
 また歓喜が広がる。一挙一動に、胸がドキドキしてしまう。
 若いディフェレンテは、眼鏡の人の方をふり返った。
「お酒もらった!」
「何!?」
 と眼鏡の人が聞き返す。
「おまえも飲む?」
「飲むか!」
 と眼鏡の人が答える。ディフェレンテはもう一口飲むと、
「ちょっと待ってて」
 と防壁へ歩いていった。眼鏡の人が、コップを受け取って一気に呷った。ぷはぁと声を上げる。
(全部飲んじゃった……)
 ミミアは残念な気持ちになった。眼鏡の人ではなく、あの人に全部飲んでほしかったのだ。
 若いディフェレンテは戻ってくると、
「ありがとう」
 とコップを返した。人間からは聞かない言葉である。また歓喜が込み上げ、顔が熱くなった。
 赤くなっちゃったかな。ディフェレンテに、赤くなったの、バレちゃったかな。恥ずかしくて、もじもじしてしまう。
「名前は?」
 とディフェレンテが尋ねてきた。
「ミミア……」
「おれ、ヒロト」
 歓喜が頭の中で鳴った。思いがけず、名前を知ることができたのだ。
「ヒロト……様?」
「様はなくていいよ。おれ、今思い切り下っぱだから」
 ミミアは微笑んだ。
 下っぱなんて、絶対嘘だとミミアは思った。ディフェレンテは偉い人のはずだ。騎士の人よりは下なのかもしれないけど、きっと、ちゃんとした人に違いない。
 本当に思い切って来てよかったとミミアは思った。ちゃんと会えたし、お酒も手渡せたし、名前も知ることができた。
 ヒロト様、か……とミミアは思った。
 ヒロト様、ヒロト様。
 ステキな名前。
 一人でにやけていると、ヒロトが自分の手許を見ていた。自分が握っている包帯に、視線が集中している。
「もしかして、それ、包帯?」
 ミミアは少し間をおいて、うなずいた。胸がドキドキした。ヒロトには、別れ際に「あとで包帯を巻いてね」と言われたのだ。真に受けて持ってきてしまったけど、別に持ってこなくてよかったのに……って言われたら、どうしよう。
「本当に巻く……?」
 ミミアは恐る恐る確かめてみた。
「全身に巻くのは……さすがに無理か」
 ヒロトは微笑んだ。
 やっぱり冗談?
「顔だけとか平気?」
 とヒロトは尋ねてきた。
「巻いても……平気?」
 恐る恐る確かめると、
「美人になれるかも」
 ヒロトは微笑んだ。
 本当に巻いてもいいの? 本当に?
 ミミアはヒロトの後頭部に包帯を回した。ヒロトは別にいやがっていない。むしろ、楽しみにしている感じである。
(本当に平気なんだ……!)
 ミミアはドキドキしながら、ヒロトの顔に包帯を巻きはじめた。人に包帯を巻く技術は、ミイラ族しか持っていない。人間が巻いても、巻き方が違うのですぐわかってしまう。
 ヒロトに包帯を巻きながら、
(こんなにヒロト様が近くに……)
 とミミアはドキドキしていた。がんばって首を伸ばせば、キスできそうな距離に、ヒロトの顔がある。
 ミミアは夢のような気分と高揚にドキドキしながら、ヒロトの顔に包帯を巻きつけた。優しいヒロトの顔が、少しずつ包帯で覆われていく。自分とは全然違う種族の人だけれど、同じ種族の人のように思えてくる。
 自分と同じミイラ族の人だったらなあ……とミミアは思った。そしたら、恋をして、夫婦になるのに。
 ようやく包帯を巻き終えると、ミミアはヒロトから少し離れた。出来ばえを確かめる。
 うん。きれいに巻けた。
「終わり?」
 ヒロトの確認にミミアはうなずいた。
「美人になった?」
 ヒロトの冗談に、自分も微笑んでしまう。とっても明るい人だなあと思う。
「外す時はどうやって外すの?」
 ミミアはヒロトの手をつかんで(とう)頂部(ちょうぶ)の切れ端に導いた。
「ここを引っ張れば――」
「ありがとう」
 ミミアは目を細めた。
 また、ありがとうって言ってくれた。うれしくて、また心臓がドキドキする。顔、赤くなってないかな。変な顔をしてないかな。
「みんなには内緒で出てきたの?」
 ヒロトに聞かれて、ミミアはうなずいた。
「よくおれが見張りをしているってわかったね」
「いなかったら、帰ろうと思って……」
 また顔が熱くなる。
 今、わたし、絶対顔、赤い。
 ヒロトが近づいた。
 また、胸がどきっと鳴る。が――同時に聞こえてきた妙な音が、幸せな高揚をさえぎっていた。
 何かが飛んでくる音――。
 ミミアは水平線の方を振り返った。
 何かが飛んでいる。
 コウモリ?
 コウモリはこんな音はしない。夜中にこんな羽音を立てて飛んでくるのは――。

【次回更新 11月13日(金)】

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