第二話 ヴァルキュリア その二

作者:鏡 裕之

   4

 ヴァルキュリアは、夜空をモーラ砦へ向かっていた。新しい人間が配備されるとしたら、あの砦しかない。
(きっと配備されるやつは若いやつに違いない。若いやつの方が、絶対血は美味いぞ)
 空を飛びながら、ヴァルキュリアは唇を舐めた。
 ヴァルキュリアの氏族は、ソルム近郊を縄張りにしている。元々、ソルム近郊は森だった。つまり、自分たちの土地である。自分たちの土地に来た者は、自分たちの獲物である。
ヴァルキュリアは、夜闇の中で赤い目を光らせた。ヴァンパイア族は、夜でも昼と同じように見ることができる。
砦が近づいてきた。なけなしの防壁が横一直線に並んでいる。その手前に三人の男女が見えた。
 防壁の前に、変な眼鏡の男が一人。
 防壁から離れて、男女が二人。そのうち一人はミイラ族だ。
(なぜこんなところにミイラ族が?)
 残る一人は、少年だった。少し驚いた顔をしている。
(きっとこいつ、美味い血をしてるぞ♪)
 ヴァルキュリアは一直線に少年に向かった。少年がヴァルキュリアに向き直る。だが、少年には何もさせずに、ヴァルキュリアは少年を押し倒し、首に噛みついた。
 が――。
(あれ?)
 歯が皮膚に食い込まなかった。少年は、首に包帯を巻いていたのである。
「包帯!?」
 思わずヴァルキュリアは声を上げた。
「なんでミイラ族が――」
「おれはディフェレンテだ!」
(ディフェレンテ!?)
 ヴァルキュリアは飛び退いた。
 ディフェレンテのことは、もちろん知っている。大昔にヒュブリデ王国を変えた偉いやつだそうだ。本当かどうか知らないが、異世界の人間だと聞いている。
(こいつが?)
 嘘だとヴァルキュリアは思った。少年なんかを召還するはずがない。こいつは人間だ。
(首の包帯を外すか?)
 面倒臭そうだな、とヴァルキュリアは思った。
 ならば。
 標的変更。
 ヴァルキュリアは少年に向かって羽ばたいた。少年が身構える。
(おまえは狙いじゃないんだよ)
 ヴァルキュリアは少年を飛び越えて、そのずっと後ろ、防壁のすぐそばでふらふらしている眼鏡の少年に襲いかかった。
 眼鏡の少年は、口を上に向けた。妙な顔の向け方に、妙な顔の角度だった。
(こいつ、何をするつもりだ?)
 奇異を感じながら近づき、喉首(のどくび)にかぶりつこうとしたその時、眼鏡の少年はまるで大砲が宙を向くかのように顔を上げると、突然、凄い勢いで吐瀉物(としゃぶつ)を吐き出した。
「うわっ!」
 すんでのところでヴァルキュリアは危険物を躱した。ヴァルキュリア危機一髪である。人間と争って何度か危険を味わっているが、今が一番危なかった。
(くっそ~っ! なんだよ、こいつ!)
 せっかく美味しい血が飲めると思ったのに、一人は包帯、一人は危険な吐瀉物の大砲とは、最悪だ。
(小屋にまだ残ってるか?)
 ヴァルキュリアは眼鏡の少年もやりすごして、小屋に飛び込んだ。中には四十代らしい中年男と三十代っぽい男が眠っていた。
(ちとオッサンだけど、いいか)
 ヴァルキュリアは一人に襲いかかった。ぐえっと男が叫んだ。だが、叫びたいのはヴァルキュリアの方だった。思いの外、血が不味かったのである。
(変なの飲んだ!)
 ヴァルキュリアは慌てて男から離れた。男はすでに痙攣(けいれん)を始めていた。ショック死しようとしている。
 ヴァルキュリアは、すぐ隣の三十代っぽい男に顔を向けた。
(こいつなら)
 ヴァルキュリアは男に(また)がって、首筋に噛みついた。これまたあまり美味くなかった。今日は大外れである。
(絶対あの二人が美味かったんだ。ご馳走を逃した……!)
 悔しがっているところへ、
「ルケ隊長~っ!」
 最初に襲った、首に包帯を巻いた少年が飛び込んできた。
(いただきぃ♪)
「そこをどけ!」
 少年が石を投げる。
(当たるもんか!)
 ヴァルキュリアは強くはばたいた。小屋の中は(ほこり)っぽい。たちまち埃が舞い、少年は目を覆った。
(けけけ、抵抗できないでやんの)
 にたにた笑っていると、少年は悪あがきを始めた。石をつかんで、包帯を巻きつけはじめたのだ。自分に巻きつけようという魂胆らしい。
(そうはさせるか)
 ヴァルキュリアはすぐ少年のそばに近づき、
「わたしを捕まえようっていうのかい?」
 耳元でささやいた。
 少年がぎょっとした表情を見せた。
(今度こそいただき――)
 いただけなかった。自分を撃退したあの吐瀉物の大砲、眼鏡の少年が部屋に入ってきたのである。しかも、また大砲よろしく、顔を宙に向けたのだ。
(まさか――!)
 派手に吐瀉物が噴射した。ヴァルキュリアはぎゃっと悲鳴を上げた。慌てて飛び上がったが、地面に落ちた吐瀉物が跳ね上がって、翼の先についてしまったのだ。
「何をするんだい! 羽に掛かったじゃないか!」
 我を忘れて、ヴァルキュリアは翼のお掃除にかかった。
 ちきしょう。
 こんな汚いもの、掛けやがって。髪と翼は女の命だぞ。
 思えば、あの時、翼の掃除なんかせずにさっさと小屋から飛び出していればよかったのだ。だが、自分は翼に気を取られていた。その間に、首に包帯を巻いた少年が、自分に包帯を巻きつけてきたのだ。
「おまえ――!」
 慌てて羽ばたいたた。少年が宙に浮く。だが、少年は離れない。ヴァルキュリアは地面に落ちた。
 少年がのしかかってきた。自慢のバストに、少年の指が食い込んだ。双球をありったけの力で握り締めてくる。しかも、人差し指はしっかり乳首を捉えていた。
「あん、馬鹿ぁっ!」
 ヴァルキュリアは思い切り羽ばたいた。
(この馬鹿、スケベ! わたしはまだ結婚してないんだぞ! さわるな、馬鹿!)
 ヴァルキュリアは少年から逃れようとした。だが、少年は必死に自分を押さえ込み、包帯を巻きつけてくる。眼鏡の少年まで自分に向かってきた。
(わぁっ、来るな、吐瀉男! あっち行け~っ!)

   5

 最悪だった。
 なぜ自分が? 氏族長ゼルディスの長女である自分が、なぜ人間なんかに捕まるのだ?
 くそっ。
 くそっ!
 ヴァルキュリアは身体を左右に揺さぶった。
 こんなところで捕まってたまるか。村人に引き渡されたら、最悪なことになってしまう。
「くそっ……放せ……! こんなことをしてただで済むと思ってるのか……!」
「そっちこそ、人間を襲ってただで済むと思ってるのか!」
 と少年が叫び返す。
「腹が減るんだから仕方ないだろ!」
「それで人を殺すのか!」
 と少年が怒鳴る。
「殺したくて殺してるんじゃない! 吸ったらたまたま死ぬだけだ!」
「首筋に噛みついたら、ショックで死ぬだろ!」
「どこに噛みつけって言うんだよ!」
 少年は一瞬黙った。
「手首とか」
「黙って手首を吸わせる馬鹿がいるか」
「一人ぐらいはいるんじゃないか」
「じゃあ、おまえが吸わせろ」
「だめ。明日、村人に引き渡す」
 少年の言葉に、ヴァルキュリアの顔面から、血の気が引いていった。
 いやだ。
 村人に引き渡されるのだけはいやだ。
 自分の氏族ではないが、別の氏族で、捕まって村人に引き渡されたヴァンパイア族の末路を聞いたことがある。
 そのヴァンパイア族は縛られたまま、村人たちの前に引き出されたそうだ。村人たちは、鋤やら鍬やら、手にしうる武器を持ってヴァンパイア族の前に集まった。そして、盲滅法にぶん殴りはじめた。
 唇は切れ、歯も折れ、顴骨も陥没し、目の玉も飛び出した。頭蓋骨もひびが走った。それでも、容赦なく鋤や鍬が襲いかかる。腕の骨は粉々に砕け、あらぬ方に折れ曲がった。太腿からは血が溢れ出し、ヴァンパイア族は生ける屍になった。それでも、殺戮はつづいた。ようやく止んだ時には、その場はどす黒い血で地面がすっかり変色してしまっていたという。
 助けに来た仲間たちが見つけたそうだ。殺戮する者とされる者の立場は入れ代わり、その村は半時間もしないうちに全滅したそうだ。
 その話を聞いた時は、自分が捕まるわけないじゃんと思っていた。兵士の弓矢さえ気をつけていれば、捕まることはない。
 だが――。
 その自分が捕まって、村に連れていかれようとしている。
「わたしはヴァンパイア族の長の娘だぞ。わたしが死ねばどうなるか、わかっているのか!」
 ヴァルキュリアは命懸けで叫んだ。
(いやだ……! 絶対死にたくない……!)
「それ、ガセ?」
「本当だ! わたしの首を見ろ!」
 少年の首が自分のペンダントを向いた。ルビーのペンダントを見ている。
「それ、ルビーじゃないのか」
 と眼鏡の少年が言った。
「ルビーは、なかなか大きな結晶ができないんだぞ。もし本物だとしたら、凄い宝物だぞ」
「偽物だったら?」
「本物だ!」
 ヴァルキュリアは叫んだ。
 なんで信じないんだ。わたしはゼルディスの娘だぞ。わたしを殺したら、おまえたち、明日には殺されるぞ?
 だから、お願い。殺さないで。見逃して。
「もし嘘だったら、大変なことになるよ」
 と少年が脅した。
「嘘だと思うなら、わたしを殺せ。死をもって思い知ることになるぞ」
 必死にヴァルキュリアは強がってみせた。
「嘘に決まってる」
 と眼鏡の少年が突っ込む。
(馬鹿野郎! わたしのどこが嘘をついてるって言うんだよ! さっきから、本当のことしか言ってないだろ!!)
 ヴァルキュリアは眼鏡の少年を睨んだ。
 なんでこんなやつらに捕まってしまったんだ、と嘆きの声がする。わたしって馬鹿。こんなやつらに捕まってしまうなんて。
 わたし、村人に引き渡されるの?
 殺されちゃうの?
 こんなことだったら、キュレレに本を読んでやるんだった。そしたら、こんなひどい目に遭わなかったのに。
「殺しちゃうの?」
 不安そうにミイラ族の娘が尋ねた。
「村人に突き出した方がいいと思う?」
 少年の問いに、ミイラ族の娘は首を横に振った。ヴァルキュリアは必死にミイラ族の娘を見た。
(助けてもらえる? お願い、見逃して……!)
 少年は判断に迷っているようだ。
「わたしを解放しろ!」
 ヴァルキュリアは叫んだ。
「それはできないよ。今度はおれが殺される」
「村人に突き出すというのか!?」
 思わず自分の声が裏返った。
 いやだ。
 それだけはいやだ。
 無残な死に方だけはしたくない。村人たちに何時間にもわたって殴られつづけるなんて、絶対いやだ。そんなの耐えられない。
 少年は黙った。少し考えて、はっと顔を上げた。
「村へ連れて行く」
「殺すのか!」
 ヴァルキュリアは叫んだ。驚いたことに、少年は首を横に振った。
「安全なところに匿うんだ」

【次回更新 11月20日(金)】

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