第二話 ヴァルキュリア その四

作者:鏡 裕之

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 ヴァルキュリアは信じられなかった。絶対自分は村人たちに殺されると思っていたのだ。内臓が飛び出すまでぼこぼこに殴られて、無残な死に方をすると思い込んでいたのだ。だが、無事に村の境界から脱出したのである。
 ヒロトはヴァルキュリアを乗せたまま、馬を進めていた。村人たちが押し寄せて自分を急襲する……というのもなさそうである。
(本当に、わたし、助かったのか……?)
 心配で心配で、ヴァルキュリアは何度も後ろを振り返った。だが、尾行者の姿はない。痩せた土地が広がっているだけである。
「本当に殺さないのか……?」
 まだ信じられなくて、尋ねてみた。
「そう言ったでしょ?」
 とヒロトが応える。ヒロトの答えの方に、自分がびっくりしてしまった。確かに昨日からそうくり返し言っていたけれど……。
「なんで殺さなかったんだ?」
 ヴァルキュリアは尋ねた。
「殺さない方が村が安全だから」
「安全?」
「だって、自分を殺したら一族が来て皆殺しにするって言ったじゃん。族長の娘なんでしょ?」
 とヒロトが応える。
「信じてたのか?」
「だって、そうでしょ? 普通の娘が、そんなでっかいルビーのペンダントなんか持ってない」
「じゃあ、なんで素直に逃さなかったんだ?」
「言ったでしょ? 逃したらおれたちが殺されるって。なんで逃したんだって、村人たちが絶対怒って砦に来てしまう。そうさせないためには、村人に君を見せるしかない。でも、普通に見せると君が殺されちゃう。殺させないためには場所を精霊教会にして、一人一人会わせるしかない。それが、唯一の、おれたちも殺されないし、君も殺されない方法」
 ヴァルキュリアは驚いた。
 何度も説明を受けていたはずなのに、昨日は死の恐怖で何も聞いていなかった。救い出されて初めて説明を受けると、凄くまっとうな考えただった。
 こいつ、頭いい……とヴァルキュリアは思った。こんな考え方をする人間に会ったのは初めてである。いや、人間じゃなくてディフェレンテか。ディフェレンテって、こういう連中なのか? こんなに頭、いいのか?
 ヴァルキュリアは目をパチパチさせて、ヒロトの背中を見た。
「城でわたしを牢に放り込むのか?」
 尋ねると、
「なんで?」
 とヒロトは聞き返してきた。
「放り込めば、手柄になるぞ」
「そんなことしない」
「城主が放り込めって言ったらどうするんだ?」
「だって、族長の娘を牢に放り込んだら、一族全員攻めてくるよ。我が娘を返せって、絶対やってくるよ。そしたら、立場が逆転してしまう。契約してもらった方がいい」
「契約?」
 ヒロトはうなずいた。
「契約書を書いてもらうんだ。もう村を襲いませんっていう、約束みたいなやつ」

   11

 ヒロトの言った通りだった。ソルム城の家令は自分の殺害を主張したが、ヒロトが理屈でねじ伏せた。ヴァルキュリアは自分の名前を署名して、それで解放された。包帯を解かれて、ヴァルキュリアは中庭に進んだ。
(弓矢で狙ってるやつはいないな)
 素早く確認して、一気に舞い上がった。旋回して中庭を窺う。
 ヒロトが中庭に踏み出していた。
 一際若い顔だちである。だが、その顔には自信と満足が溢れている。
 ヒロトは自分にウインクしてみせた。ヴァルキュリアは応えず、一気に羽ばたいた。一度旋回して様子を見てから、ソルム城を離れた。灰色の空に舞い上がって完全に弓矢の圏外からも離れると、
(わたし、助かったんだ……!)
 歓喜が込み上げてきた。
 わたしは死んでない。
 生きている。
 自由だ……!
 絶対死ぬと思ったのに。絶対殺されると思ったのに。
(わたし、助かったぞ!)
 ヴァルキュリアはさらに高く舞い上がった。くるくると回転して曲芸飛行を展開してから、通常飛行に戻る。
 自分は助かったのだ。
(キュレレ、親父……わたし、助かったよ。助かったよ……!)
 ヴァルキュリアはモーラ村の遥か上を越える。空は生憎(あいにく)の灰色だが、それでも気分はいい。心の中は爽快な青空だ。
 ミイラ族の娘が目に入った。ヒロトといっしょにいたミイラ娘だ。
(わたし、助かったぞ!)
 ヴュルキリアは少し降下し、ミイラ族の娘の上空数メートル上を高速で飛行した。娘が顔を上げて自分を見た。ヴァルキュリアはミイラ娘を見て、また舞い上がった。
 さらに飛ぶ。
 草原が目に入った。草原の中に、いくつもの天幕が固まっている。
(わたし、帰ってきたんだ……)
 ヴァルキュリアは笑顔になった。本当に帰ってきたんだ。自分たちの集落へ。
 今度はキュレレにお願いされたら断らないでおこう、水浴びをしたら、ちゃんとキュレレに本を読んでやろう、とヴァルキュリアは思った。

【第二話 完  第三話に続く】

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