『-船上の復讐者たち-』 ◇プロローグ

作者:子子子子 子子子

魔術破りのリベンジ・マギア 前日譚
『-船上の復讐者たち-』

◇プロローグ



 ――20世紀初頭――
 ――極東・大和(やまと)皇国(こうこく)――
 ――横濱・市街地――





「ハッ、ハァッ、ッ、ァ――――」


 夜の(とばり)が下りる頃、横濱の街は賑わいを見せていた。
 大勢が行き交う雑踏は、様々な人々で(あふ)れている。
 忙しなく街を駆ける馬車が、煉瓦(れんが)で舗装された道を蹄鉄と車輪で叩く音。
 靴磨きの子供は通りがかりの紳士へと駄賃をせがみ、ビアホールでは多くの客がジョッキを掲げ談笑をしている。
 街の風景も穏やかな昼から、華やかな夜の顔へと装いを変えていく。

 そんな夜の街を一人の男が走っていた。
 息も絶え絶え、既に満身(まんしん)創痍(そうい)といった(てい)だが、男は必死の形相でガス灯の明かりが僅かに差し込む薄暗い路地を懸命に駆けていく。

「チクショウ! なんでだ!? なんでだよ……!!」

 その最中、吐き捨てるように、もう何度も繰り返した疑問を口にする。
 そんなことをしても決して、彼を取り巻く状況は好転などしない。
 しかし、そうでもしなければ、不安と恐怖に押し潰されそうだった。

「今回は楽な仕事だって……そう、聞いてたはずなのに――」

 彼は今夜、とある〝仕事〟に臨んでいた。

 『さる要人がこの横濱を訪れる。彼を襲撃し捕縛する』

 それが男に下された命令だった。

 情報通り、その人物は護衛もつけずに一人で姿を現した。
 男は仲間たちと共に作戦へ参加し、速やかに(くだん)の人物を捕らえようとした。

 敵はたった一人。
 対して、こちらは自分を含めて、30人以上もの大人数。
 人海戦術にしても流石に過剰ではないか、などと思いもしたが自分の仕事が減るならば構わない。
 そんなことを考えもしたが――

「あんな化け物がいるなんて、こっちは聞いてねぇぞ……!」

 結果として、襲撃は失敗した。
 定刻通り作戦を開始したが、男が気づいた時にはおよそ半数の仲間が倒れていた。
 残された仲間も状況を理解する前に次々と倒れ、男は与えられた役割を放棄して脇目も振らずに逃げ出したのだった。
 
「ハァ……ハァ……ハァ……逃げ切った、のか?」

 休むことなく逃げ続けてきた男だが、追跡の手がこちらへと来ないと思ったのか。
 徐々に足を止めていき、おそるおそる振り返ってみる。
 背後にはぼんやりとした薄暗い路地の風景があるのみで、追っ手の姿は見受けられなかった。

「ハァ……チクショウ、とんだ災難だったぜ……」

 深呼吸をすると、安堵の言葉と共に大きく息を吐き出す。
 言葉上、毒づいてはいるが、内心では生の喜びを噛み締めていた。

「――ふふふっ、こんばんはぁ」

 極限の緊張状態から解き放たれると、不意に前方から声をかけられる。
 男はビクッと体を震わせて咄嗟(とっさ)に視線を向けると、そこには煙草を(くゆ)らせる女性がいた。

「ねえ、お兄さん。よかったら、遊んでかなぁい?」

 中耳へと絡みつくようなねっとりとした声で、女は囁きかけてくる。
 胸元を大きく開き素足を晒した薄着は、異性の劣情をかきたてることだけを考えているかのようだ。
 良く言えば扇情的、悪く言えば下品とも取れる服装だった。

「……悪いが急いでいる」

 男は女の素性を売春婦の類いと判断し、にべもなく誘いを断った。
 離れていてもこちらまで匂ってくる強烈な香水の匂いに、思わず顔をしかめてしまう。

「あら、つれないのねぇ? いいじゃない、お兄さん。まぁだ、夜はこれからなんだから――」

 女は気にする様子もなく、薄く微笑みながら男へと歩み寄っていく。
 そして、強引に腕を絡ませて、熱っぽい言葉と共に水を向ける。

「いい加減にしてくれ! こっちには、そんな余裕は――」

 その態度が気に障ったのか、男は苛立たしそうに絡まされた腕を振り払う。
 しかし、その表情はすぐに驚愕に支配された。

「ヒッ……ヒャ、グギャァァァ――ッ!?」

 男が手を振り払った瞬間、女の姿が陽炎(かげろう)のように揺れる。
 次いで、彼女は青白い炎へと変貌し、燃え盛る炎は一瞬にして男を包んでいった。
全身を炎で焼かれながら、男はあらん限りの声で悲鳴を上げる。

「なんで! どうして急に!? 熱い熱い熱いィィィ――ッ!!」

 突然の出来事に、男は状況が理解できなかった。
 しかし、このままでは自分は、無惨に死に絶える。
 それだけは分かる。
 だから、助けを求めるように、声を上げ続けた。
 せめて、表通りを行き交う人々のうち、誰かが気づいてくれることを祈って。

 しかし、男はそこでふと思ってしまった。
 いつの間にか、表通りの雑踏が聞こえなくなっていることを。

「くふふっ――酷いのぅ……女子(おなご)からの誘いを無下にするとは、焼き殺されても文句は言えんぞ?」

 宙を漂う炎はやがて人の形を象っていき、妖艶な声が路地に反響する。
 そして、人形(ひとがた)は童女の姿となり、体の周囲に青白い炎を浮かべながら男を見下ろしていた。

「さて……貴様は誰に雇われた? 呪禁(じゅきん)宗家(そうけ)の連中か? それとも、土御門(つちみかど)の人間か? 素直に話せば、命だけは助けてやらんこともないぞ」

 それは、奇妙な出で立ちをした童女だった。

 煌びやかに輝く黄金色の瞳に、ふんわりとした髪は狐の毛色のような赤みがかった茶髪。
 所々にはねているウルフカットは、獣のたてがみを連想させた。

 見た目は幼いが、一際目を引く部分がある。
 髪をかき分けるようにぴょこんと飛び出ているのは獣の耳であり、尾てい骨の辺りから生えているふさふさの尻尾。
 半獣半人といった容姿の童女は、可憐な外見に反して酷く大人びた口調で男に問いかける。

「た、すけてぇ――」

 救いを求めるように、男は童女に向かって手を伸ばす。
 提示された条件を理解するより前に、生への執着からの行動だった。

「誰に雇われたのか話せ、そう聞いたはずじゃが?」
「アッ、ヒギャァァァ――ッ!?」

 しかし、結果として、それは童女の逆鱗に触れることになった。
 怒りに表情を歪めると、彼女は伸ばされた手を踏みつけて憤怒の形相で言葉を返す。

「恐れ多くも〝あの方〟の命を狙っておいて、生き汚くも命乞いなどするとは恥を知れ!  こちらは生憎と殺すことは許されておらんが……それ以外は好きにしろ、と仰せつかっておるからのぅ。さて、どこまで耐えられるか、見世物になる覚悟はあるか? 安心せい、死にかけても自白できる程度までには回復させてやろう。もっとも、それ以外ができるとは保証せんがな」

 吐き捨てるように言い放つと、童女は凄惨な笑みを浮かべながら続ける。
 素直に喋れば良し、そうでなければ命以外は保証しない――
 そんな脅迫めいた意図を理解すると、男は必死に言葉を吐き出した。

「は、話す! 話すから、助けてください……ッ!!」

 懇願するように叫ぶと、男は求められた情報を口にした。
 それを聞き届けると童女はパチンと指を鳴らし、次いで男を包んでいた炎は瞬く間に立ち消えていった。

「ふんっ……手こずらせおって」

 失神してグッタリと倒れ込む男を一瞥すると、童女は侮蔑(ぶべつ)するように鼻を鳴らす。
 すると図ったようなタイミングで、脳内に声が響いてくる。

『――狐狼丸(ころうまる)。そちらの様子はどうだ?』
「残る一人も確保いたしましたわい」
『ご苦労だったな。こちらも後処理は完了だ。そいつを連れて帰ってこい』
「御意にござります」

 自らの主からの通信が入ると、先ほどまでの苛立ちは嘘のように消え去っていた。
 外見年齢相応の笑みを浮かべると、鈴をころがしたような声で言葉を返す。

「しかし……長旅の前に災難でしたな」

『いや、そうでもないさ。これから長期で留守にするんだ、〝大掃除〟はしておいた方がいい。罠だとバレない程度に情報を撒くのは、些か面倒だったがな』

「くふふっ! おかげで間抜けは釣れ、後顧の憂いを断てましたな」

 全ては、滞りなく順調に。
 〝予定通り〟襲撃者を誘い出し、これを速やかに迎撃する。
 主の計画は問題なく完遂され、彼らは晴れやかな気持ちで次の任務へと臨む。

『さて、余興は終わりだ。次もお前の働きに期待しているよ』
「くははっ! お任せあれ! この狐狼丸、その期待に応えてみせましょうぞ!!」

 主の言葉に威勢よく答えると、狐狼丸は男を担いで大きく跳躍する。
 建物の上に着地すると、驚くべき身軽さでその上を飛び移っていく。

 生まれ育った故郷を離れる前に見た空には、大きな満月が浮かんでいた。



   ◆◆◆次回更新は5月24日(水)予定です◆◆◆

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