『-船上の復讐者たち-』 ◇1 土御門晴栄

作者:子子子子 子子子

◇1 土御門晴栄



 ハワイ諸島ホノルル近海を航海するクルーズ船<トラキア>。
全長180メートル、最大速力22ノット、総トン数18,000トン。
その優雅(ゆうが)な姿から『航海をする女神』とも称される<トラキア>は、彼の大英帝国のジョン・ブラウン・アンド・カンパニーが誇る大型乗員船である。

 その船内の廊下(ろうか)を風変わりな二人組が歩いていた。
東洋人と(おぼ)しき少年少女だったが、風変わりなのは容姿のみではない。
行動も不可解であり、少女は連れ立って歩く少年の腕を取り、ぴったりと身体を密着して歩いていた。

「ふふふっ――お・に・い・さ・ま♡」

 少女は烏の濡れ羽色の髪を肩口まで伸ばし、頭には大きな幅広の(ブリム)が特徴のガルボ・ハットを被っている。
服装は真っ白なワンピースで、裾から覗く生足は白磁を思わせるように白く、ほっそりとした腕もまた同様だった。
どこぞの令嬢、もしくはお嬢様。そんな表現がぴったりな雰囲気の少女だった。
 しかし、浮かべる表情は、恍惚(こうこつ)(とろ)けきっている。 

「…………」

 うっとりとした顔で少女は囁くが、対照的に少年は渋面を作っていた。
具体的に言うならば、その目は死んだ魚よろしく生気が存在しない。

「おい……橘音(きつね)

 大きなため息と共に、少年は横目で橘音と呼んだ少女を見遣(みや)る。 
男性にしては珍しく腰元まで伸ばした黒髪を後ろで(ひと)(くく)りにしていて、顔立ちも整っているからか、性差を越えた中性的な雰囲気を醸し出している。
服装はパンツルックにジャケットを合わせたラフなもので、めかし込んだ少女とは真逆の服装とも言えた。

「はい! この橘音になにか御用ですか、お兄様?」

 名前を呼ばれると元気に返事をして、橘音は少年を上目遣いで見る。

「そのお兄様という呼び方をだな……その、止めて欲しいのだが」

 苦虫を噛みつぶしたような表情で、少年は苦言を呈する。

「おや、どうしてでしょうか? お兄様は橘音のお兄様であらせられるのですから、ここはお兄様とお呼びするのが適切だと橘音は愚考します。それともお名前で……晴栄(はるな)とお呼びした方がいいのでしょうか? うふふっ。しかし、これではまるで、恋人同士のようですね♡ では折衷(せっちゅう)(あん)として、〝いつものように〟主殿とお呼びいたしましょうか? 橘音はどちらでも構いません。すべて、お兄様の命ずるままに従います」
「あー……分かった、分かった。お兄様で構わない。というか、他は却下だ」
「ふふふっ、では……せっかくなので、今まで通りお兄様と呼ばせて頂きますね」
「好きにしろ。少なくとも、ここにいる限りはな」

 笑顔を崩すことなく流暢(りゅうちょう)にまくし立てられると、晴栄は観念したように嘆息する。
 橘音はそんな晴栄を見ると絡ませた腕にギュッと力を込めて、耳元で甘く(ささや)いた。

 どう見ても真っ当な兄妹には見えない二人組だったが、他の乗客は特に気にすることなく通り過ぎていく。
兄妹には見えなくとも、仲睦(なかむつ)まじい恋人同士には見えるのかもしれない。

「(まったく……早いところ、目的地に辿り着きたいものだ)」

 内心で大きなため息を吐くと、晴栄はここまでの経緯を思い返していた。


 <トラキア>は母港であるリヴァプールを出港し、大和の(よこ)(はま)を経由して現在は最後の寄港地であるホノルルを目指して航海を続けている。
晴栄たちは横濱からの搭乗なので、現在は五日目の船上生活に入っていた。
目的地であるサンフランシスコに到着するには、寄港地であるホノルルを出港してから更に数日の時間を要する。

 となればいつまでも引きこもっているわけにもいかず、気分転換に橘音と共に外の空気を吸いに出てきたのだった。

「ああ――風がとても心地よいですね」

 デッキに出た瞬間、鬱屈とした気分を吹き飛ばすように、潮風がそよいでいった。
橘音は帽子を片手で押さえると、感嘆するように声を漏らす。

 絹のように艶やかな黒髪が陽光を浴びてキラキラと輝き、純白のワンピースも海風によって大きく揺れる。
まるで映画のワンシーンを切り取ったような光景だ、と誰もが思うことだろう。

「しかし……このような鉄の塊が水に浮かぶなど、橘音には信じられません。本当に沈みませんか? キャー! 橘音、こわーい☆」

「今更なにを言っている、今は20世紀も初頭だ。航海技術の発展なしでは昨今の世界情勢は語れないし、科学技術の粋を集めたものを鉄の塊呼ばわりはしてくれるな」

 どさくさに紛れて抱きついてくる橘音を押し退け、晴栄はため息混じりに言う。

「このトラキアはスコッチ・ボイラーを25基、推進器は3枚羽スクリューを採用。主更に機関は汽室パーソンズ型蒸気タービンを4基を搭載し、ニューヨークに向けての処女航海では当時の記録を更新してブルーリボン賞を受賞している。やはり、大和の造船技術も彼の国に比べれば、発展途上だと認めねばならない代物だよ」

生憎(あいにく)ですがお兄様、橘音はこの手の〝はいてく〟? には疎いのです。そもそも、大和からたった一週間ほどで南蛮へ到着するなど、にわかには信じられません」

「信じられないもなにも、あと数日で実際に到着するんだ。これを機に、現代の科学技術を実際に体験してみたらどうだ?」
「なるほど……」

 橘音は晴栄の解説を神妙な表情で聞いていると、

「では、お兄様。せっかくですので、ここを少し見て回りませんか?」

 パッと笑みを浮かべながら提案をしてみせる。
晴栄は頷くと、二人はしばらくデッキを歩くことにした。
やがて転落防止の柵に寄りかかると、目の前に広がる景色を眺める。

「見てください、お兄様! 海がとても綺麗な色をしています!」

 眼下の光景を見て、橘音ははしゃいだように嬉々として声を上げる。

 晴栄たちの出身である大和(やまと)皇国(こうこく)は極東に位置する島国なので、海自体は珍しいものではない。

 しかし、視界いっぱいに広がる透明度の高いエメラルドグリーンの海は見とれてしまうほどに美しく、燦々(さんさん)と降り注ぐ南国の日差しが今いる場所が大和から遠く離れた場所であると主張しているようだった。

「そんなに海が気に入ったのか?」
「ええ、とても! そもそも、こうやって船に乗って外国まで旅をするのも初めてですし……その、お兄様が一緒……ですから。その、橘音は果報者(かほうもの)です」
「大げさなことを言うな。それに、だ――」

 頬を赤らめてはにかむ橘音を横目に晴栄は声のトーンを僅かに落として、

「僕たちが今、ここにいる理由を……努々(ゆめゆめ)、忘れるな」
「……はい。分かっています。橘音は、そのためにいるのですから」

 真剣な表情で、釘を刺すようにつけ加える。
橘音も浮ついていた表情を引き締め、神妙な顔で頷いた。

「……さて、日差しに当たって少し、喉が渇いたな。なにか飲み物でも飲むとしよう」

 しばらく沈黙が続くと、晴栄はそう言って歩き出す。
橘音はどこかばつが悪そうな表情でその背中を見ていたが、

「どうした? 早く着いてこい。お前もなにか飲みたいのならば、ついでに頼め」
「――はい! お兄様、だーい好きですっ♡」

 気恥ずかしそうに赤面した顔で晴栄に言われると、ぱぁっと一転して表情を輝かせてその背中へと飛びついた。

「な、ななっ!? ば、馬鹿者! 急に飛びついて来るヤツがいるかッ!!」
「えへへっ、申し訳ありません……お兄様への愛が、その、抑えきれません」
「まったく……いい加減、僕から離れて自分で歩け」

「そんな! お兄様の急な妹離れ(物理)に、橘音は驚きを禁じ得ません……よよよ」

 晴栄は橘音を引きはがすと、困惑したように声を上げる。
 橘音は残念そうにするが、その表情はどこか満更でもない。
 こうして軽口を交わしながら、二人はテラス席へと向かって行くのだった。



   ◆◆◆次回更新は5月24日(木)予定です◆◆◆

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