『-船上の復讐者たち-』 ◇2 レオ・タクシル

作者:子子子子 子子子

◇2 レオ・タクシル



『ここ数ヶ月、合衆国近辺の領海にて、海賊事件の被害が多数、報告されている』
『被害の対象は商船や客船といった民間の船舶であり、海賊は財貨の他に〝人間〟の強奪が確認されている』
『海賊たちの手口は狡猾で、現在に至っても彼らの正体に結びつく証拠は掴めていない』
『合衆国は近海を渡航する船舶に注意を呼びかけると共に、海賊に対抗する自衛を呼びかけている』

 晴栄(はるな)はテラス席につくと、グラスに注がれたアイスコーヒーを飲みながら新聞を広げていた。
 その感心は、とある記事へと向けられていた。
 
「――にい……ま……」
「――おにい……ま……」
「――お兄様!」

 記事の内容に没入していると、不意に橘音(きつね)が声をかけていたことに気づく。
 ハッとして顔を見上げると、 

「酷いです、お兄様。この橘音というものがありながら、そんな紙に現を抜かすなど……」

 対面に座る橘音はハンカチを目に当てながら、よよよと涙を拭う芝居をする。

「いや、そこに張り合ってどうする?」
「たとえ紙媒体が相手であろうと、お兄様の関心がこの橘音以外に向かうなど許せませんっ! かくなる上は、新聞社への焼き討ちをも辞さぬ所存です!!」
「頼むからやめてくれ。タイムズ本社が炎上したら合衆国は騒然だ」
「お兄様がそう仰るのでしたら、仕方ありませんね……残念です」

 唇を尖らせて物騒なことを言う橘音を、晴栄はため息混じりに(たしな)める。
 橘音は残念そうに(つぶや)きを漏らすが、晴栄はそれを聞かなかったことにした。

「それで、お兄様はなんの記事を見ていらしたのですか?」
「ああ、この記事を見ていた」

 テーブル越しに身を乗り出してくる橘音に、晴栄は新聞の向きを変えて差し出す。

「これは……海賊の被害、の記事でしょうか?」

 橘音は差し出された新聞に視線を移すと、その中でもひときわ大きく取り上げられている記事を読み上げる。

「しかも、これは……まさしく、今、我々がいる海域のことではないのですか!?」

 記事の内容を理解した橘音は、()頓狂(とんきょう)な声を上げてしまう。
 海賊による被害が報告されているのは合衆国近海――

 つまり、今現在、晴栄たちがいるこの海域が該当していた。

「大変です、お兄様。今すぐにでも逃げましょう! こうなっては仕方ありません、まずは安全を優先すべきです。さあ、兄妹水入らず、愛の逃避行と洒落込みましょう!! 見知らぬ異国の地でも、兄妹で肌を合わ……いえ、力を合わせて寄りそうように生きていくのも、橘音は悪くはないと考えます。ちなみに子供は三人が理想です。ふふっ、でもお兄様がお望みならば、橘音は何人だろうと構いません」
「すまない、途中から何を言っているのか理解に苦しむのだが……」

 橘音は目を爛々(らんらん)と輝かせ力説すると、最後に(ほお)に手を当てぽっと顔を赤らめる。
 そんな姿を見ると、晴栄は困惑気味に表情を引きつらせた。

「安心しろ。当然、この船とて〝対策〟は講じているさ」
「……? それはどういう――」

 晴栄の言葉の意味が分からず、橘音はきょとんとした表情で首を傾げる。
 すると――

「おお、なんてことをしてくれるのだ!」
「も、申し訳ありません……ッ!」

 突如(とつじょ)として響き渡る怒号と、悲鳴めいた謝罪の声。
 橘音は何事かと思い、声のする方へと視線を向ける。

「君ィ……これはどういうつもりかね?」
「本当に、申し訳ありません! 今すぐお拭きいたしますので――」

 目に入ってきたのは、平謝りする女性と、高圧的に尋ねる男性の姿だった。
 テーブルの上で倒れているグラスを見れば、どうやら給仕の女性が客の男性に運んでいた飲み物を零してしまったことが分かる。

「これは、そういう問題ではないのだよ。〝魔術師〟たるレオ・タクシルに、このような粗相(そそう)をしでかして、君はどういうつもりかと尋ねているのだ」

 男の年齢は三十代前半から後半。
 手入れの行き届いている灰色の口ひげに、特徴的な鷲鼻(わしばな)
 目の色は髭や頭髪と同じく灰色。
 着ているスーツやシャツは手が切れそうなほどバッチリとアイロンが当てられている。

 一見すると英国紳士〝風〟のレオと名乗った男が意味深に言葉を続けると、給仕の女性はさっと表情を青ざめさせる。


「おい、〝また〟だぜ……あの子もかわいそうに」
「魔術師だか知らないが、好き勝手やりやがって。よくも飽きずにやってるよ」

 そんな二人の様子を見て、周囲の人間たちは顔をひそめて(ささや)()う。
 誰もがレオの横暴な振る舞いを不快に思ってはいるが、表立って抗議をする者は見受けられなかった。

「お兄様……あれは、いったい?」

 周囲の状況が理解できずに、橘音は(いぶか)しげに問いを投げかける。

「だから言っただろう。〝アレ〟が対策というヤツだ」

 晴栄は横目でその光景を眺めつつ、さもつまらなそうな表情で答える。

「海賊がいかに脅威であろうと、魔術師には敵わない。ならば船側も用心棒として魔術師を雇い、常駐させているのだろうさ」


 魔術――それは魔力を用い、超常なる事象を展開する技術の総称。
 これを扱う者を人は魔術師と呼び、彼らは常に歴史の裏側で暗躍してきた。

魔術師は文字通り一騎当千の戦力であり、たとえ武装した海賊であろうとただ一人の魔術師に勝つことは難しい。
 魔術師とはそれ程に超常的な存在であり、常人との戦力差は絶対的なものだった。

 彼我(ひが)の隔たりは決して埋まることなく、この20世紀初頭において魔術師とは畏怖と畏敬の念を送られる存在として君臨していた。

 無論、レオ・タクシルも、その例外ではない。
 この船において彼は絶対的な存在であり、機嫌を損ねようものならば、有事の際は乗員全員の命に関わることになる。

「私の機嫌を損ねれば、いざという時にこの船がどうなっても知らんぞ?」
「申し訳ありません、申し訳ありません……!」
「ならば、言葉でなく態度で示してもらおうか。あとで私の部屋にきたまえ。それでこの件は、手打ちにしてやらんこともない」

 レオはニヤリと(いびつ)に口角を吊り上げると、給仕の女性の腰に手を回す。
 女性はビクッと身を(すく)ませるが、拒否する事もできずにただ謝ることしかできない。
 そんな様子を見て、レオは表情に(たた)えた愉悦(ゆえつ)を更に深くする。

「チッ……まったく、真っ昼間から盛んな輩だ」
「あ、お兄様――」

 大きくため息を吐くと、晴栄は新聞を折り畳んで立ち上がる。
 この場から立ち去るのだと思い、橘音もそのあとを追おうとするが――

「そこまでにしておいたらどうだ? いい加減、聞くに堪えない」

 晴栄はスタスタとレオのテーブルまで歩いていくと、不機嫌そうに顔をひそめて言い放つ。
 橘音はその後ろで、行く末を見守っている。

「む……いきなり不躾(ぶしつけ)になんだね、君ィ? 私は彼女と極めて重要な話をしているのだが。部外者が邪魔立てしないでもらおうか」
「お、お客様……」

 会話を(さえぎ)られると、レオはさも不快そうに晴栄を見遣る。
 給仕の女性は(わず)かに安堵するが、やはり不安なのか縋るように晴栄に視線を送った。

「礼儀を(わきま)えていないのはそちらの方だ。立場を悪用して悦に入るのはさぞ愉快だろうが、度が過ぎれば醜悪(しゅうあく)でしかないと理解しろ。端的に言って、不愉快極まる」

 威圧するような物言いに対しても、晴栄は動じることなく言葉を続ける。

「貴様ァ……黄色人種の分際で、このレオ・タクシルを愚弄(ぐろう)するか!? 魔術後進国のアジア圏、それも〝あの〟大和の人間に講釈を垂れ流されるなど(はなは)だ不愉快だ!!」

 レオは不快感に表情を歪め、吐き捨てるように言い放つ。

 大和は長い期間、諸外国との交流を断っていたことが原因で、魔術体系も独自発展を遂げていた。
 魔術列強国である欧州圏の人間からすれば、大和の魔術師など〝時代遅れの呪術師〟といった認識でしかない。

 だからこそ、欧州の魔術師たちは大和人を見下している。己が修めている魔術体系が至高であると思っているからこそ、他を見下すことが当然だと認識している。

「無知は罪だとも言うが……このレオ・タクシルを知らぬ愚かさは目を(つむ)ってやろう。大人しく船室へと戻り、そのまま閉じこもっていることが条件だがね」

 やれやれと芝居がかった所作で、レオは肩を竦めてみせる。
 晴栄はそんなレオを見て、辟易(へきえき)したようにため息を吐くが、

「……お兄様、どうしましょうか。あの頭の高い愚物を処します? 処します? ご命令とあらば妙に頭が高いあの愚物、この橘音が始末しますが? いえ、たとえ命ぜられずとも、自主的に処分します!! 覚悟するがいい、今日が貴様の命日じゃぁぁぁ――ッ!!!!」
「いや、落ち着け。というか、騒ぎを大きくするな」
「どいてお兄ちゃん! あの愚物殺せない!!!!」

 後方で殺気を放つ橘音を(なだ)めることに腐心(ふしん)していた。
 放っておけば今にも殴りかかりに行きそうな形相だったので、必死に宥めるしかなかった。

「んん? ようやく身のほどを弁える気になったかね、大和人? ならば、()くと失せたまえ。謝礼分の仕事はするが、機嫌を損ねれば〝うっかり〟手元が狂うやもしれんしな」

 晴栄からの反論がないと、レオはくつくつと(あざけ)りを噛み殺しながら尋ねる。

「先ほど無知と(あなど)ったが――残念ながらお前の名は、そこそこ有名だということを自覚した方がいい。もっとも、それは悪名の部類なのだが」

 そんなレオを見て、晴栄は嘆息して口を開いた。

「レオ・タクシル――仏蘭西(フランス)の薔薇十字カバラ教団に所属していた魔術師だが、金儲けのために自らが修めた魔術を教皇庁(ヴァチカン)に売り払った業界屈指の裏切り者。その後も小銭稼ぎのため虚偽ばかりを書き連ねた結社の暴露本を執筆し、逃げるように姿を消したと聞いていたが……まさか、こんな場所で用心棒(まが)いをしているとはな」

 立て板に水を流すように、つらつらと言葉をまくし立てていく晴栄。
 その表情は嘲りに満ちていて、先ほどのレオの嘲笑など可愛いらしく見えるほどに邪悪そのものだった。

「事情を知らない人間相手ならば、魔術師という肩書きだけで大きな顔をしていられるからな。ハハッ、結構。お前のような場末の魔術師崩れには、お似合いだと言える」
「キ、サマァ――ッ……!」

 嗤笑(ししょう)混じりに()()ろされると、レオは怒りに顔を真っ赤にしてワナワナと身体を震わせる。
 余裕はとうに消え失せ、今は歯を食いしばり恥辱に耐えていた。

「調子に乗ってもらっては困るな、大和人。この私がその気になれば、貴様など一瞬で消し炭にできることを忘れるなよ?」
「ハハッ、やれるものならやってみろ。ただし、お前にそれができれば……の話だがな」

 レオは血走った目で手にした杖の先を晴栄へと向け、恫喝(どうかつ)めいた物言いで言葉を続ける。
 しかし、晴栄はあくまで平静さを崩さず、あまつさえ挑発するような物言いで答えた。

「魔術師にとって暗黙の了解――魔術と関わりのない一般人の殺害、それを犯して困るのは貴様の方だと思うがな。本国からほうほうの(てい)で逃げて来た貴様にとって、欧州の魔術師連合に居場所を感づかれればどうなるか想像に容易(たやす)いはずだが?」
「貴様……どうして、それを――」

 晴栄の言葉を聞いた瞬間、レオの表情が一気に青ざめていく
 その顔に浮かんでいるのは、明確な焦燥感だった。

 魔術師の総本山である英国(イギリス)英国王立協会(ロイヤルソサエティー)を基幹とする魔術師連合は、魔術先進国である複数の欧州魔術組織から構成されている。
 彼らは魔術師たちの代表を自称し、魔術世界の秩序を保ち続けている。
 言わば、魔術世界の司法機関のような存在であり、〝魔術とは秘匿(ひとく)すべき神秘であり、それをみだりにひけらかす者を粛正(しゅくせい)する〟という不文律を掲げている。

 元々、欧州の出身であるレオは、彼らの恐ろしさをよく知っている。
 だからこそ、みすみすと彼らの前に尻尾を(さら)すような真似はできない。 

「先ほどの言葉通り、給金分は働いてもらおうか『喧伝屋(イエロー・ジャーナリスト)』。もっとも、自分で吐いた言葉のツケも払えないならば、致し方ない話だが。それなら両手を広げてデッキに立っていたらどうだ?
役立たずのお前でも、案山子(かかし)の代わりくらいにはなるかもしれないぞ」
「――ッ、ゥ……不愉快だ。実に、実に不愉快だ! 私はここで失礼する!!」

 晴栄が鼻で笑いながら挑発じみた言葉を続けると、レオは再び表情を憤怒に歪める。
 そして、吐き捨てるように捨て台詞を残すと、(きびす)を返して乱暴な足取りで去って行く。
 表面上は大和人に自らを愚弄されたことに(いきどお)ってはいるが、内心では事情を見透かしているような晴栄に言い知れぬ不気味さを感じていた。

 そんなレオの姿を目の当たりにすると、給仕の女性も、騒ぎを遠巻きに眺めていた者たちも、晴栄たち以外の誰もが呆気に取られた表情を浮かべている。

「お兄様、流石です! あの小癪な男を見事に言い負かしましたね!!」
「フン……騒がせたな。行くぞ、橘音」

 橘音は満面の笑みで(たた)えるが、晴栄は静まり返る周囲を見るとバツが悪そうな表情を浮かべる。
 目の前の女性に短く一言を告げると、晴栄は踵を返して歩いていく。

「あ、待ってくださいお兄様ぁ!」
「…………」

 橘音はすぐに晴栄のあとを追っていくが、女性はまだ状況を理解できないのか目をしばたたかせ、ぽかんとその後ろ姿を見ていた。

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