『-船上の復讐者たち-』 ◇3 土御門橘音

作者:子子子子 子子子

◇3 土御門橘音



「待ってください、お兄様!」

 船内の廊下に入ったところで、橘音(きつね)晴栄(はるな)に追いついた。
 隣に並んで歩きながら、橘音は晴栄を見る。

「しかし、お兄様があのようなことをするなんて、予想外でした」

 橘音は「別に非難したいわけではないのですが……」とつけ加える。

「別に、善意でしたことではない。ただ、気に(さわ)ったからしかるべき処置をしたまでだ。まったく……あのような輩を雇ってしまうとは、この船も先行きが不安だぞ」

 レオのように悪評のある者であっても、一般人からすれば腐っても魔術師である。
 悪い噂も魔術に馴染みのない人間の耳には届かないし、確かめるにもそちらに明るい伝手がなければそもそも手段がない。
 以前までのレオの活動拠点は欧州だったので、それは尚更(なおさら)だろう。

 一方、レオはその立場を最大限に利用し、無知な雇い主から搾り取れるだけ報酬をせびる業界ゴロとも呼べる存在だった。
 船員や他の乗客が彼を(うと)ましく思っていても、正面から抗議できなかったのもそのためだ。

「ふふっ……お兄様は優しいのですね」
「……待て。さっきの話を聞いていたか?」

 晴栄の説明を聞くと、橘音は思わず笑みを(こぼ)してしまう。
 その反応に、晴栄は不服そうに問いかける。

「はい、その上で申しています。つまるところ、どんなに悪ぶっても、お兄様は困っている方を見捨てられないのですから」
「おい、勝手な理屈で納得するな。いいか、さっきも言ったが僕は――」

 くすくすと笑う橘音に、晴栄は口をへの字に曲げて反論しようとするが、

「あ、あの――待ってくださいっ!」

 それは背後から投げかけられた声によって(さえぎ)られる。
 晴栄が背後を振り向くと、そこには先ほどレオに絡まれていた給仕の女性がいた。

「お、追いついて良かったぁ……あの、わたし、どうしてもお礼が言いたくって」

 ここまで小走りで来たためか、女性は肩で息をしながら安堵の息を漏らす。
 どうやら後片付けをし終えると、急いで晴栄たちを追いかけてきたらしい。

「……別に、僕は礼を言われるようなことはしていないが?」
「そうです、お礼なんて無用です! それにかこつけてお兄様に色目を使うことは、この橘音が許しません!! ふしだら、断つべし!!!!」
「……お前はさっきと言ってることが違うのだが」

 振り向いてため息混じりに答えるが、横から橘音が便乗してあらぬ疑いをかける。
 それに辟易し、晴栄は再び嘆息してしまう。

「え、その……わたし、本当にお礼が言いたくて……」
「気にするな。こいつの言っていることは、十中八九が戯言の類いだ」
「酷いです、お兄様! たとえ橘音の言い分の大半が捏造と言いがかりだとしても、お兄様へ捧げる愛だけは本物だというのに!!」
「自分で認めるな……あと、その愛とやらは結構だ」
「――っぷ、あはははは!」


 橘音は上目遣いで晴栄を見つめると、その胸元へ飛び込んでいく。

 晴栄は鬱陶(うっとう)しそうに引きはがそうとするが、二人のやり取りを見て女性は耐えきれずに笑いを零してしまった。 

「ああん? なに笑っとるんじゃ、この小娘はァ??」
「やめろ、というか落ち着け。キャラが崩れかけてるぞ」
「あいたっ!? もう、お兄様ったらぁ、キャラとか言わないでください♡」

 笑われたのが不快だったのか、橘音は因縁をつけるように顔をひそめて女性を睨みつける。
 晴栄はその頭に手刀を入れて制止させると、橘音は打って変わって猫なで声で身を悶えさせた。

「うふふっ……あ、ごめんなさい。あなたたちのやり取りが面白くて、つい。でも、本当に仲が良いんですね」
「あら。橘音とお兄様のただならぬ仲を理解しているとは、なかなか見る目がある方ですね。先ほどの発言は撤回させて頂きます」

 女性がハッとし口を押さえて謝罪すると、橘音は手のひらを返して破顔する。
 よほど嬉しかったのか、表情に浮かんでいるのは満面の笑みだった。

「わたしは、ローゼンと言います。先ほどは、助けて頂いてありがとうございました」

 ようやく本題に入ると、ローゼンと名乗った女性は深々と頭を下げて感謝する。

「顔を上げてくれないか? 生憎と僕は、誰かに頭を下げさせて(えつ)()る趣味はないからな」

 晴栄は改めてお礼を言われると、どこかむず(がゆ)そうな表情で言う。

「実はあの方……レオ・タクシルの傍若無人さには、この船の誰もが困惑していました。だからあの時、あなたが彼を言い負かしてくれて正直に言ってしまえば、胸がすくような心地でした」
「僕は僕で、ヤツの振る舞いが気に入らなかったから少し(きゅう)を据えただけだ。しかし、あれでも一応はこの船に雇われた用心棒だ。へそを曲げられて困るのはお前たちだというのに、文句こそあれど礼を言われる筋合いはないはずだが」
「それでも……少なくとも、わたしは感謝しています。だから、お礼くらいは言わせてくれませんか?」
「……いちいち許可を取るようなことでもないだろう。好きにしろ」

 ローゼンは感謝の気持ちを真正面から伝え、それに根負けしたのか晴栄は視線を逸らして呟きを漏らす。 

「もう、お兄様ったら! 謙虚なところも素敵ですが、その気恥ずかしそうな赤面も大変によろしいと思います! そこの方、特別に褒めて差し上げましょう」

 どこから取り出したのか、橘音は『お兄様♡』『こっち向いて♡』と書かれたうちわを両手に持ってはしゃいでいた。
 その異様なテンションを目の当たりにすると、

「えっと、お二人は兄妹……でいいんですよね?」

 と若干引き気味に問いかける。

「はい。土御門(つちみかど) 橘音(きつね)と申します。お兄様とは妹として、禁断の愛を育んでいる真っ直中です」
「ああ、コレの話は冗談半分に聞いておいてくれ。僕は土御門(つちみかど) 晴栄(はるな)。一応、こいつの兄……ということになっている」

 にこやかに答える橘音を無視して、晴栄は死んだ魚を連想させる濁りきった目で答える。
 晴栄の様子を目の当たりにすると、ローゼンはこのことについて詮索(せんさく)はやめようと内心で決めた。

「でも、本当に仲が良さそうで微笑ましいですね。わたしも妹がいるのですが……その、つい思い出してしまって」

 苦笑を浮かべると、ローゼンは視線を橘音へと向けた。
 その意図が分からずに、橘音は訝しげに顔をひそめる。

「妹には、久しく会えていないのか?」
「……ええ。仕事柄、随分前に会ったきりで。なので、キツネさんを見て、つい妹が恋しくなってしまいました」

 晴栄が問いかけると、ローゼンは懐かしむように表情を(やわ)らげる。
 しかし、どこか物寂しそうな笑みを見ると、晴栄はそれ以上の追求をやめた。

「そういえば、合衆国にはお仕事で?」
「まあ、そんな感じだな。マサチューセッツの方へ出向く予定だ」

 妙にしんみりとした雰囲気を切り替えるように、ローゼンは世間話を切り出す。
 晴栄もそれを特に拒むことなく、答えを返していく。

「そうなんですか、大変ですね。海外には頻繁に行くんですか?」
「いいや、これが初めてだな」
「恐くはないですか? 不安だったりとかは? 兄妹二人で海外まで……というのは大変じゃないですか?」
「不安がないといえば嘘になるが、そんなことで躊躇(ためら)っている暇はない。僕には――」

 ローゼンは矢継ぎ早に問いかけ、晴栄はそれに答えていく。
 しばらく会話に興じていると、晴栄は僅かに表情を強張らせる。

「どうしても果たすべき目的がある。そのためならば、どんな無茶でも通してみせるさ」
「そう……なんですか」

 真剣な表情で答える晴栄を見ると、ローゼンは思わず目をしばたかせる。
 どこか自分に言い聞かせるような様子に、なんと答えを返したらいいのか分からなかった。

「わたしの妹は、昔から病弱で……とても長期間、航海できるような身体じゃありませんでした。だから、わたしはここで見た景色や風景を妹に伝えられたら……そう思って、ここで働き始めたんです」

 自らの胸に手を当てて、ローゼンは静かに語り出す。
 その表情には(わず)かだが、悲哀の色が(にじ)んでいた。

「でも、そうやって行動を起こしたのも本当に最近で……だから、妹とそう年が変わらない子が、こうやって旅をしている姿を見て嬉しくなってしまって。しかも、大和の出身ですから尚更に!」

 どこか気恥ずかしげに笑いながら、ローゼンは言葉を続ける。
 そして、キラキラと目を輝かせながら晴栄を見る。

「……大和に興味があるのか?」
「はい! 実は私の生まれ故郷も結構、閉鎖的なところで……大和も〝サコク〟でしたっけ? 長い間、他国と関わりを断ってきたんですよね? だから、大和の話が以前から聞きたくて。きっと、妹も喜んでくれると思うんです」

 まるで読み聞かされていた絵本の続きをせがむように、嬉々として語るローゼン。

「仕方ない……聞きたいことがあれば言ってみろ。答えられる範囲なら答えてやる」

 苦笑気味に口元を緩めると、晴栄はローゼンに向かって頷く。
 表面上は不承不承としながらも、その実は満更でもなさそうだった。
 普段ならば断っていることろだが、幸か不幸か目的地まではまだ時間がかかる。
 無聊(ぶりょう)を慰めるため、話に付き合うのも悪くないと結論を出す。

「本当ですか!? あ、でも……ごめんなさい、実はまだお仕事の最中なんです。お礼を言いたくて抜け出してきちゃいましたけど、そろそろ戻らないと怒られてしまいます」

 ローゼンは嬉々として目を輝かせるが、すぐに状況を思い出して苦笑を浮かべる。

「別に今すぐでなくてもいい。時間がある時にでも聞きに来い。まだこの船旅はしばらく続くのだからな」
「……そうですね。では、ハルナさん、キツネさん、また会いましょうね」

 晴栄がそう答えると、ローゼンは頷いて再び深々と頭を下げる。
 そして、別れの挨拶をすると、デッキへと戻っていくのだった。

「さ、て――」

 ローゼンを見送ると、晴栄は隣の橘音へと視線を向ける。
 途中から会話に入って来ないので妙だとは感じていたが、

「…………」

 分かりやすく頬を膨らませて、橘音は完全に()ねていた。

「……おい、急にどうした?」
「べ、別に……お兄様がやけに他の女の方と楽しそうに話していたなー、とか思っているわけじゃありません。橘音はデキる妹です。この程度のことで、容易く嫉妬するような面倒臭い女ではありません。でもそれと関係なく、今は非常に不機嫌です。ツーン、だ」

 そっぽを向いて唇を尖らせる橘音は、機嫌の悪さを隠そうともせずに答えた。
 しかし、時折、チラチラッと横目で晴栄を見ているのだった。

「馬鹿なことを言ってないで、船室へと戻るぞ」
「ああん、待ってくださいお兄様! はあ……こうやって冷たくあしらわれても、三歩後ろをついていくしかないのが惚れた弱みなのですね……惚れた弱み、なのですね。いいですかお兄様、大事なことなので2回言いましたからね?」

 さっさと歩いていく晴栄を追いながら、橘音はぽっと顔を赤らめて言う。
 しかし、晴栄はそれを一瞥(いちべつ)するのみで、あとはノーリアクションだった。
 橘音は言葉とは裏腹に晴栄の隣を寄り添うように歩きながら、二人は船室へと戻っていくのだった。



   ◆◆◆次回更新は5月29日(月)予定です◆◆◆

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