『-船上の復讐者たち-』 ◇6 ××××

作者:子子子子 子子子

◇6 ××××
(※今回は第8話『◇エピローグ』と合わせて2話分の更新になります)



「…………」

 人のいない夜のデッキに、晴栄(はるな)は一人で(たたず)んでいた。
 表情は険しく、とある事柄に考えを巡らせている最中だった。

「――ハルナさん。隣、いいですか?」

 そんな晴栄に、ローゼンは背後から声をかける。
 晴栄の隣に並ぶと、話を切り出した。

「なにか、考え事ですか?」

 苦笑交じりに尋ねると、晴栄に(なら)うように視線を夜の海へと向けた。

「まあ、そんなところだ」

 晴栄はローゼンを横目で一瞥(いちべつ)すると、短く答えを返す。

「あ、あの……言いそびれていたんですけど、ありがとうございました」

 ローゼンは突然、晴栄に深々と頭を下げた。

「ハルナさんとキツネさんのおかげで、わたしは……いいえ、この船のみんなは助かったんです。本当に、感謝をしてもしきれません」

 顔を上げると、ローゼンは感謝の言葉を口にする。
 言葉通り、レオと海賊のリーダー格の男を除き、この事件で死者は出ていない。
 海賊たちは火傷を負った者も多数いるが、命に別状はないとのことだった。

 晴栄たちの活躍で襲撃者たちを拘束した<トラキア>は、彼らを引き渡すために進路を変更して最寄りの港へと向かっている最中だった。

「それにしても、ビックリしちゃいました……まさか、ハルナさんが魔術師だったなんて」

 しみじみと声を漏らすと、ローゼンは場の空気を変えようとおどけるように言う。

「隠していて悪かった。仕事柄、身分を公にするのは避ける必要があったのでな」
「いえ、気にしないでください。オンミョウリョー、でしたっけ? ハルナさんが所属している組織の方針なんですよね。だったら、仕方ないと思います」

 晴栄は大和において陰陽師を統括している組織、陰陽寮(おんみょうりょう)に所属している。
 今回、合衆国へ向かっているのも、陰陽寮から与えられた任務のためだった。
 幸か不幸か、その道中で今回の事件に遭遇してしまったのが経緯でもある。

「……実は今回の襲撃で、引っかかっている点がいくつかある」

 視線を海に向けながら、晴栄は静かに口を開いた。

「まず、襲撃者たちの手際が良すぎる。警告の空砲が聞こえてから僅かな時間……具体的にいえば、30分もかからずにヤツらは船内を制圧してみせた。船内の地図を事前に入手でもしていない限り、この早さでの制圧はほぼ不可能だろう」

 軍艦の空砲を聞いて飛び起きた時のことを思い出す。
 あの時、事態が飲み込めず混乱していた最中、男たちは船室へと立ち入ってきた。
 彼らの動きは統率された無駄のないもので、少なくとも船内の配置を知らなければ不可能な芸当だ。

「次に、レオ・タクシルの死因について。大前提をいってしまえば、魔術師が一般人におくれを取ることはあり得ない。つまり、アレが魔術師崩れであろうと、襲撃者たちが正面を切ってあの男を始末できる可能性は限りなくゼロに等しい。しかし、例外はもちろん存在する」

 魔術師と一般人のパワーバランスは、決して崩れることはない。
 晴栄と()(ろう)(まる)がたった二人で襲撃者たちを制圧したように、彼我の間には埋めることのできない(へだ)たりが存在している。
 しかし、何事にも例外はつきものだ。

「それは――不意打ち、騙し討ち、意識外からの攻撃となれば、魔術師を殺すことは可能だ。例えるならば……そう、毒殺とかな」

 魔術師も結局のところは人間である。
 毒を盛られれば死ぬし、不意を突かれれば致命傷も受ける。
 それは生物にとって不変の理であり、レオ・タクシルにとっても例外ではない。

「船医にレオ・タクシルの検死を依頼した結果、死因は青酸化合物による中毒死――つまり、毒殺の可能性が高いと判明した」

 補足すると、急死した襲撃者のリーダー格の男も同様な死因だった。
 両者は何者かの手によって、始末された可能性が極めて高い。

「つまり、事前に何者かから毒を盛られて殺された……ということですか?」
「無論、レオが毒物を持ち込んで自ら飲んだ。自殺した、という可能性もある。しかし、タイミングが良すぎる。襲撃者にとって唯一の懸念である魔術師が、都合よく自殺をするなどあり得ない話だ。少なくとも、事前に船内の地図を入手しているような用意周到な人間が、魔術師の滞在している船に襲撃をかけるはずがない」

 ここまで推理を語ると、バラバラだった疑念が一つの方向性にまとまっていく。
 船内の実情を把握していた襲撃者と、毒殺された魔術師――

 つまり、今回の事件は計画的な犯行の可能性が高かった。

「結論から言って、レオは計画的に始末された。では、誰の犯行か? それが容易な人物を僕は知っている。同じ船客の立場では、流石のレオも警戒はするだろう。では、自らの世話を担当する船員ならば?
それもヤツがお気に入りの人物ならば、その警戒も薄まっていくはずだ」

『ならば、言葉でなく態度で示してもらおうか。あとで私の部屋にきたまえ。それでこの件は、手打ちしてやらんこともない』

 自らが提示した条件に該当する人物を晴栄は知っている。
 しかし、それは最も考えたくない可能性でもあった。

「僕の推理では、襲撃者には内通者が存在する。それは船の地図や人員の配置を熟知し、なおかつレオ・タクシルに気に入られ毒を盛る機会があった人物――」

 晴栄は身体をローゼンの方に向けると、その瞳を真っ直ぐ見据えながら問いかける。

「ローゼン、お前が内通者だな?」
「――――」

 ローゼンの顔からは表情が一切消え失せ、二人の間には沈黙が続いた。

「……いつから気づいてたんですか?」
「レオの死因を調べ始めてから、だな」
「なーんだ、やっぱりそこからかぁ」

 フッと表情を崩して苦笑すると、ローゼンはため息混じりに尋ねる。
 晴栄が淡々と答えると、ローゼンはやれやれと肩を(すく)めた。

「レオ・タクシル以外にも、この船に魔術師がいたのは想定外でした。あなたがいなければ、襲撃は成功してレオの死も有耶無耶(うやむや)にできたんですけどね」

 まるでイタズラがばれた子供のように、酷く軽い調子で呟くローゼン。

「お前は……何者だ。どうして、あのような犯罪に荷担している?」
「私はローゼン。ヴィクトリオの小さな妹(ローゼン)。少なくとも、今はそう名乗っている」 

 晴栄が真剣な表情で問いかけると、ローゼンは淡々と答えを返す。
 同時にローゼンの皮膚にヒビが入り、ポロポロとそれが剥がれていく。

「私の目的はただ一つ――神をも恐れぬ野蛮なる侵略者たちの駆逐(くちく)。ただ、それのみ」

 ローゼンの肌を覆っていたもの――粘土質の土が剥がれ終わると、その下からは褐色の肌が露わになる。
 顔には特徴的なボディペイントが施されており、晴栄はその意味を知っていた。

「アパッチ族――なるほど、ローゼンという名にも納得がいったよ」

 アパッチ族。
 それは合衆国の原住民・インディアン部族の総称だ。

 ローゼンとはチリカウア・アパッチ族の酋長(しゅうちょう)ヴィクトリオの妹であり、連邦政府側のアパッチ斥候運動によって命を落とした女戦士の名前である。

 アパッチ族では本名を口にするのはタブーであり、彼らが人に名乗るものは決まって偽名や通称である。
 だからこそ晴栄はそれ以上、ローゼンの名前については追求することを止めた。

「誇り高き部族の戦士よ。再度、問わせてもらおう。どうしてお前は、こんなことをする?」
「知れたこと――我らが大地に足を踏み入れる移民どもをことごとく始末するためよ。それが、それこそが! 聖なる大地を踏みにじられた我々ができる唯一の報復だ!!」

 晴栄に問われると、ローゼンはその瞳に憤怒の炎を滾らせながら答えた。

アパッチ族の領土には、白人が喉から手が出るほど欲しい金鉱があり、略奪民族だったナバホ族やアパッチ族は合衆国にとって、どうあっても絶滅させなければならない最大抵抗勢力であった。

 騙し討ちや大量虐殺(ホロコースト)など手段を問わない白人たちの攻撃に追い詰められたアパッチ族は、結果的に全面降伏を強いられる。
 多くが捕らえられた後に強制収容所へ送られ、残った者は保留地で強制労働を強いられることになる。

 移民である白人たちと原住民であるアパッチ族の長きに渡る抗争は、『アパッチ戦争』の名で今もなお語り継がれている。

「侵略者どもは我らの同胞を殺しただけでは飽き足らず、頭の皮を剥ぎ、首を斬り落として、頭蓋骨を博物館に送り見世物にした。捕らえた者は収容所で虐待し、強制労働で死ぬまで使い潰された。ならば、次は侵略者たちの番だ。奴隷として売られ、物として扱われ、理不尽に(しいた)げられる――自らの身をもってして、我らが受けた恥辱を刻み込んでやるのだ」
「そのためならば、憎い白人たちの手をも借りると?」
(しか)り。我が目的のためならば、甘んじてその不名誉も受け入れよう。奴らは所詮、小金稼ぎしか頭にない軍人崩れ。話を持ちかけたら二つ返事で乗ってきた。愚かな奴らだ……自分たちも我が復讐の対称に含まれていると知りもせずに」

 ローゼンの言葉で、晴栄の抱いていた疑問が氷解する。

 襲撃者たちが乗客を狙っていたのも、全てはローゼンの指示ということだ。
 真意までは聞かされていないが、手を貸す交換条件として拉致を提案したのだろう。
 多少は奇妙に思ったかもしれないが、目先の利益に目が(くら)んだ彼らはそんな疑問を抱くことなくローゼンの話に乗ったのだろう。

「さて――残念だよ、ハルナ。私はあなたに危害を加えるつもりはなかった。作戦は失敗したが、気づかれる前に姿を消せば問題はないからね。しかし、ここまで知られてしまえば、生かしておくわけにはいかない」

 前置きはここまで、とローゼンは鋭い目つきで晴栄を睨みつける。
そして、服のポケットに手を突っ込むと、呪文の詠唱を始めた。

(いにしえ)の巨人。(ふる)(くろがね)。黒曜をまといし破壊の化身。我が呼びかけに応え顕現(けんげん)せよ――『黒曜鎧の巨人(ベ・チャスティ)』!」

 両手に掴んだ粘土質の土をまき散らすと、さらに取り出した黒曜石を投げつける。
 すると土は人形を象り始め、全長2メートルを越える巨人が姿を現す。
 巨人は全身に黒曜石の鎧をまとい、唯一露出している単眼がギロリと晴栄を睨め付けた。

「なるほど、土を操る術式というわけか。これでレオの毒殺の件も納得がいったよ」

 レオの胃や吐瀉物の中には、毒の他に少量の土があった。
 ローゼンは土をカプセル代わりにして気づかれないようにそれを飲み込ませ、外部からの遠隔操作で好きなタイミングで毒殺を可能としたのだろう。

「――狐狼丸!」
「任されよ! チィッ、あの女、ついに化けの皮を現しおったな!!」

 巨人の出現を確認すると、晴栄は叫ぶように自らの式神の名を呼んだ。
 それに呼応するように狐狼丸が姿を現すと、一足跳びで巨人の横をすり抜けローゼンへと肉迫していった。

「あれはアパッチ族が使役するゴーレム。つまり、術者を無力化すれば事足りる」

 人格を有し自ら思考する狐狼丸とは違い、あの巨人はローゼンの指示を受けて行動している。
 ならば、ローゼン自身が命令を出せない状態に陥れば、もはや用を為さなくなる。

「其は太陽を創りし者。天高くにかけ、東から西へと動かした。其は星と月を創りし者。人に光と熱を与えるべく、頭上の全てを創造した。悪戯なる獣よ、(かがり)()を追って走れ――『大地の創造者(チゴ・ディジ・ナアイ)』!!」

 迫り来る狐狼丸を一瞥すると、ローゼンは取り出した煙草に火を点ける。
 呪文を詠唱し終えそれを前方に放り投げると、煙草の火を起点として炎が燃え盛っていく。
 炎はやがて獣を(かたど)っていき、狐狼丸を迎撃するように咆哮した。

「ええい、邪魔じゃ! 失せい、()(もの)が!!」

 狐狼丸は怯むことなく、進路を塞ぐ炎の獣を短刀で切り裂いた。
 しかし、炎の獣はすぐに再生をし始め、再び狐狼丸に向かって襲いかかってくる。

「な、なんじゃ此奴(こやつ)は!? キリがないわい!」

 何度も何度も狐狼丸は短刀で切り裂くが、炎の獣は幾度となく再生をする。
 振り切ろうにも炎の獣の動きは素早く、狐狼丸はローゼンの前で足止めを強いられていた。

「チッ……」
「よそ見をしている場合、か――ッ!」

 苦戦を強いられる狐狼丸を見て、晴栄は苦々しく表情を歪めた。
 その隙を突くように、ナイフを(たずさ)えたローゼンが一気に切り込んでくる。
 どうにか(かわ)すが、休む暇もなく巨人の一撃が頭上から降ってくる。
すんでの所で横に飛び退いて回避すると、ローゼンと距離を取りつつ後方へと下がった。

「なるほど。アパッチの戦士は近接戦闘も得意としていたな。『血塗れの悪魔』ほどではないにしろ、厄介なことには変わらない」

 呼吸を整えながら皮肉交じりに状況を分析する。
 ローゼン自身による近接戦闘と、巨人が繰り出す強烈な一撃。

 さらに狐狼丸は炎の獣に足止めを食らっている最中だ。
 隙のないコンビネーションに、晴栄は内心で舌を巻いていた。

「大人しく降伏するなら、命までは取らない」
「冗談。命以外の保障があるとでも?」

 降伏を勧告する瞬間、ローゼンの瞳が一瞬だけ躊躇(ためら)いに揺れる。
 しかし、晴栄はそれを一言で切り捨てた。

「狐狼丸。時間稼ぎはもう充分だ。下がっていい」
「時間稼ぎ……だと?」

 晴栄がそう告げると、狐狼丸は姿を消していく。
ローゼンはその真意が分からないのか、怪訝(けげん)そうに眉をひそめる。

「お前の手札は理解した。ならば、こちらも相応の手札を切ることにしよう」

 そう答えて取り出したのは、人形を(かたど)った一枚の呪符。
 一件、ただの紙にしか見えないこの札だが。予め術式を込めておくことで魔力を注ぐのみで、本来は儀式を要する大規模な術式を発動することのできる魔具だった。

後一天后水神家在亥主後宮婦女吉将(万事海難を排する水上の吉将よ)――天霊霊地霊霊十二天将急急如律令(十二が天将の一角として急ぎて律令を為せ)

 呪符が燃えるような輝きを放つと同時に、ローゼンに向かって投げつける。
 光が爆発的に広がると、晴栄の背後の海が突如として逆巻いていく。

 水の奔流はやがて美しい女性の姿を象り、その手を伸ばすとローゼンや巨人、炎の獣を飲み込んでいく。

「十二天将が一柱、天后(てんこう)。我が前に生じる障害のことごとくを退(しりぞ)けよ」
「――ッ、クゥ……!?」

 デッキを飲み込む水流は、不思議と晴栄とローゼンを避けていく。
 しかし、それ以外には容赦なく、巨人は激流によって形を崩していき、炎の獣は圧倒的な水量の前にかき消えていく。

 やがて水流が引いていくと、デッキの上には膝を着いて座り込むローゼンと、それを見下ろす晴栄が残されていた。

水剋火(すいこくか)――水は火を消す。これを陰陽五行では相剋(そうこく)と称する。逆に水侮土(すいぶど)――水が強すぎれば、土の克制を受け付けず、土は形を保てなくなる。これを陰陽五行では相侮(そうぶ)と称する。つまり、属性の総量によって、相性は(くつがえ)る」

 一歩、また一歩、と歩みを進めながら晴栄は口を開いた。

 本来、土より生まれた巨人は土気に類する属性であり、水気は相剋に該当する土剋水(どこくすい)の関係である。
 しかし、水気の総量が圧倒的に勝れば、逆相剋の関係――即ち相侮となり、相性は覆る。

 晴栄は炎の獣が類する火気に有効な水気を用いつつ、総量差を利用して本来は相剋の関係にある土気に類する巨人を相侮にて逆相剋を為したのだった。

「もっとも……ここが海の上でなければ、ここまで上手くは立ち回れなかっただろう。アパッチの魔術は大地に根ざしたものだ。その恩恵が受けられない場所では当然、その効力は半減する。この海の上に出てきたことが、お前の最たる敗因だ」

ローゼンが呼び出した巨人は全長2メートルほどの大きさだったが、それは船が転覆しない程度の重量に制限する必要があったからだ。
 そして、水気が満ちた海上では、土気を使用する術式の効果は半減する。
 この場における全ての要素を把握した上で、晴栄はローゼンに勝利したのだった。

「…………」

 晴栄が宣告すると、ローゼンは俯いたまま動かない。
 その様子をしばらく眺めていると、晴栄は(きびす)を返して歩き出す。

「……わたしを、捕まえないんですか?」

 弱り切った声で、ローゼンは晴栄の背中に問いかける。
 晴栄は足を止めると、振り返らずに淡々と答えた。

生憎(あいにく)とお前の捕縛は、僕に与えられた任務の範疇(はんちゅう)ではないからな。合衆国へ着くまで、こちらに手出しをしなければ僕からは何かする必要はないさ」
「なんですか、それ……わたし、は……わたしは、あなたのことを――」

 晴栄とは対照的に、ローゼンは声を震わせて言葉を続ける。
 己自身の身体を抱き、痛みに耐えるような表情で必死に声を吐き出す。

「……ならば、今度はこちらの質問に答えてもらおうか」

 そんなローゼンを一瞥すると、晴栄は不意に問いを投げかける。

「あの時――海賊たちが襲撃した際に、どうして僕たちを助けようとした?」

 ローゼンは海賊たちが訪れる前に、先回りして晴栄たちを逃がそうとした。
 しかし、それは彼女にとって、何らメリットがない行為のはずだ。
 晴栄は事件の黒幕がローゼンだと断定したが、その点のみが疑問だった。

「だって……小さな子に、辛い思いをさせたくないじゃないですか」

 ぽつり、と呟くように。
 ローゼンは静かに口を開いた。

「わたしたちの集落が襲われた時――両親は身を(てい)して、わたしと妹を逃がしてくれました。そのおかげでどうにか命は助かりましたけど……目の前で両親を惨殺された光景を目の当たりにして、妹は心を壊してしまったんです」

 ローゼンは、当時の出来事を今もなお鮮明に覚えている。
 小さな妹と必死に身を寄せ合って、家族や友人などの親しい人間が殺されていくのをただ見ていることしかできなかった日のことを。

 どうして自分はあの時、妹の目を(おお)ってやれなかったのか。
 どうして自分はあの時、妹の耳を(ふさ)いでやれなかったのか。
 どうして自分はあの時、ただ震えていることしかできなかったのか。
 何度も、何度も。問いかけを反芻(はんすう)するが、いまだ答えは出ていない。

 あの時の自分はまだ幼く未熟で、自分を守ることで精一杯だった。
 しかし――橘音(きつね)を見た瞬間、ローゼンは妹とその姿を重ね合わせてしまった。
 だから計画に支障を来そうとも、橘音だけは逃がしたい。そう思ってしまった。
 それは彼女のエゴであり、ある種の贖罪(しょくざい)なのだから。

「本当は分かってるんです。こんなことをしたって、何の意味もないって。だけど……わたしには、こんな方法しか思いつかなかった。たとえ見当違いの復讐だとしても、あの子のために何かしてあげたかった……!」

 消え入るような声で、ローゼンは悲痛な想いを吐露(とろ)する。
 彼女一人では全ての移民を排除することなど不可能に近く、例え彼女の人生全てを捧げたとしても復讐は成就しないだろう。
 そもそも、前提が間違っているのだ。

 妹のためと自らに言い聞かせていたが、それは部族の復讐を妹への(あがな)いへとすり替えているだけに過ぎない。
 矛盾を自覚しつつも、彼女は立ち止まることを拒んでいた。
 それすらもやめてしまえば、今度こそ本当に自分は妹にしてやれることがなくなるのだから。

「いいや、意味ならあるさ。少なくともあの時、お前が僕に告げた言葉は真実だったはずだ」

 体を震わせ嗚咽(おえつ)を漏らすローゼンに、晴栄は静かに言葉をかける。

「お前は船上で、様々な景色や風景を見てきたはずだ。それこそがお前の妹が望んだことであり、お前が伝えてやれるものに他ならないはずだ」
「――――」

 晴栄がそう告げた瞬間、ローゼンの脳内にとある言葉が過ぎる。 

『わたしの妹は、昔から病弱で……とても長期間、航海できるような身体じゃありませんでした。だから、わたしはここで見た景色や風景を妹に伝えられたら……そう思って、ここで働き始めたんです』

『はい! 実は私の生まれ故郷も結構、閉鎖的なところで……大和も〝サコク〟でしたっけ? 長い間、他国と関わりを断ってきたんですよね? だから、大和の話が以前から聞きたくて。きっと、妹も喜んでくれると思うんです』

 それはかつて、自分が晴栄に告げた言葉だった。
 病弱だった妹は、遙か彼方の景色と風景に憧れていた。
 ならば自分が代わりにそれを目に収め、妹に語って聞かせると――
 幼い日に交わした約束を果たしたのは、妹を失ってからだった。

「お前にできるのは妹に寄り添って、いつか目を覚ました時にそれを聞かせてやることだ。少なくとも……僕はそう考えるのだが」

「そうか……わたし、は――」

 どうして自分は、今更になって約束を果たそうと考えたのか?
 それはきっと、晴栄が語ったように〝いつか〟のためだった。

 初めて海を見た瞬間、思わず言葉を失ってしまったことを今でも鮮明に覚えている。
 生まれ育った大地から見える地平線と同じように、海はどこまでも広がっていた。
 ここから先に何があるのか。
 どうやってそこに行けばいいのか。
 いつの間にか、心躍らせている自分がいた。

 もしも、妹が目を覚ましたら、あの時の光景を教えてあげたい。
 世界はどこまでも広がっているのだと、狭い世界に閉じ込められている彼女に語って聞かせたい。
 そんな〝もしも〟に期待して、未来に思いを()せていたことを思い出す。

「たとえ、目を覚まさずとも、側にいて見守ってやれ。もしも、死んでしまえば、その機会は永遠に失われてしまうことになる……これは経験者からの忠告だ」

 (わず)かに表情を陰らせ、晴栄は呟くように言う。
 その言葉の意味にどんな感情があるのか、ローゼンには分からなかった。
 しかし、どこか物寂しげな表情を見ると、何も言えなくなってしまう。

「さて――もう会うこともないとは思うが、逃げるならば早くするといい」

 そう()(くく)ると、晴栄は再び歩き出す。
 人払いの結界を張っていたとはいえ、水浸しになっているデッキに気づけば人が集まってくるだろう。
 ならば騒ぎが大きくなる前に、立ち去った方が無難だ。

 扉を開けると、晴栄はデッキをあとにしていく。
 残されたローゼンは、その背中を見ながらポツリと呟きを漏らす。

「ハルナさん……ありがとう、ございます」

 その呟きは夜風に紛れかき消え、決して晴栄に届くことはなかった。


(※第8話『◇エピローグ』へつづく)

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