第26編 『遂に勃発!!「早苗ちゃん」対「早苗さん」』 シーン01

作者:健速

シーン01 『早苗ちゃん』の問題



 早苗(さなえ)は急いでいた。彼女は吉祥(きっしょう)春風(はるかぜ)高校(こうこう)の部室棟と本棟を繋ぐ道を走っていく。その姿を見れば、陸上部がスカウトしたくなるような速さだった。
 早苗が急ぐ理由はただ一つ、コス研で遊んでいる最中に、今日はルースがプリンを焼くと言っていた事を思い出したのだ。この二年間でルースの地球料理レパートリーは増えに増え、今では日常的にスイーツを作るレベルにある。ナルファの地球関連動画配信の成功を受け、ティアからは地球料理の本でも出せと言われている程だった。

「急がないと、誰かに予備を食べられちゃう!」

 ルースは安全確実を好む。その為、料理はもしもの場合に備え、常に多目に作られる。ゆりかが零す等は日常茶飯事なのだ。プリンもその例外ではなく、孝太郎(こうたろう)+侵略者の少女達+ナルファ&(こと)()の十二人分に、予備の二つを加えた十四個が最低でも作られる。つまり全部成功していれば、早苗が味見をしても大丈夫という訳だった。

「行くぞっ、らぶきらりんっ!」

 昇降口で靴を履き替え校庭に飛び出した早苗は、勢いそのままに自転車に飛び乗った。新しい自転車を買ったティアに影響されて、ここ数日の早苗は自分も自転車で通学している。ティアの自転車はスポーツタイプ―――厳密にはクロスバイク―――だが、早苗の自転車は軽快車、いわゆるママチャリだ。これまであまり自転車には乗ってこなかった早苗なので、走り出しは多少危なっかしさがある。だが校門を出る頃には文字通り軽快に走り出す。元々身体を使う事に関しては、勘が良い方なのだ。

「今日は最速タイムを出すぞー!」

 吉祥春風高校は小さな山の中腹に建っているので、校門を出てからしばらくは下り坂が続く。しかも坂の下まで一本道で信号機は一つもない。登校時の辛さとは裏腹に、下校時には春のうららかな日差しと優しい風を堪能できる。だが、今の早苗の頭の中にはプリンの香ばしい匂いと甘い味しかない。日差しも風も無視して、スピードは上がっていく一方だった。

『早苗ちゃん、やっぱりこういうのは良くないと思うんだけど………』

 だが疾走する早苗に対して、眉を(ひそ)める者があった。それは誰あろう彼女自身、『早苗さん』だった。早苗は幽霊と生身の身体、二つに分かれて成長した。『早苗さん』は生身の身体の方で成長した人格で、普段は『早苗ちゃん』に任せてあまり表には出てこない。入院生活が長かったので、内気で人見知りなのだ。だが一方で精神年齢は『早苗ちゃん』よりも高く、『早苗ちゃん』が危険行為に及んだ場合などには、ブレーキをかける為にしばしば出てくる。今もそうで、早苗の身体から『早苗さん』の要素だけで幽体離脱し、身体と『早苗ちゃん』に心配そうな視線を送っていた。

「だいじょーぶ! 今はこの坂にはあたしとあんたしかいないから!」

 だが『早苗ちゃん』は『早苗さん』の言葉を意に介さなかった。実は以前自転車に乗った時、『早苗ちゃん』は孝太郎からスピードを上げるなら周りにちゃんと気を配れと怒られた事があった。言われてみれば確かにそうだと思ったので、以降自転車に乗る時には早苗は常に霊能力を解放した状態にある。路上の霊力を常時監視する事で、事故を予防するのだ。

『そういう事を言ってるんじゃなくて………』
「平気平気! 最近あたしのおとめちっくぱわぁは絶好調だからっ!」

 そして早苗の身体と自転車は、彼女自身の霊能力が完全に保護している。だから仮に走行中に転倒したりしても、早苗と自転車はどちらも無傷で済む。言うなれば、彼女だけギャグ漫画の世界に生きていると言えるだろう。
 そしてこうした複数の対策を取っているので『早苗ちゃん』は平気でスピードを上げてしまう訳だ。同じ理由から、『早苗さん』の言葉は彼女の耳には届かなかった。

『そうやって「早苗ちゃん」は安易に霊能力を―――』
「あ、車が上ってくる」

 キキィッ

 いち早く自動車の接近に気付いた早苗は、ブレーキと霊能力を同時に使い、自転車のスピードをより安全にコントロールできるところまで落とした。その状態で上って来た車とすれ違う。それが済んでから、早苗は再びペダルを踏んで勢いよく走り出した。何も問題はなかった。早苗の方には、だが。

『コラー!! そこの自転車停まりなさぁぁぁい!!』
「あれ?」
『どんな速度出してるんだっ!! ここの制限速度は三十キロだぞぉ!!』

 すれ違った車―――パトカーの方には問題があった。早苗はすれ違う時に大きくスピードを落としたにも関わらず、それでもこの道の制限速度を大きく超過していたのだ。

「………ねぇ、何キロだった?」
『それを私に訊かれても………』

 早苗の自転車は普通のママチャリなので、速度計は装備されていない。早苗はあくまで自分の感覚で大丈夫そうな速度で走っていたに過ぎなかったのだ。それがママチャリの限界を超えた速度だと知ったのは、この時が初めてだった。



 早苗の速度感覚が狂っている事は、ある程度仕方のない事だと言える。敵がやって来た時などは霊能力で限界まで速度を上げて戦っている。その時の感覚を前提に、『早苗ちゃん』は十分に安全だと思える速度で走っていた。彼女ももう高校三年生なので、彼女なりにちゃんと考えていたのだ。実際『早苗さん』の方も、速度自体には文句を言っていなかった事からもそれは明らかだろう。問題は敵と戦う時の速度感覚から想定した早苗なりの安全速度と、法定速度が全く噛み合わなかったという事だった。

「あたし何キロだったの?」
「時速六十二キロ。法定速度を三十二キロ超過していた。まったく、スピードガンが壊れたかと思ったぞ」

 早苗のママチャリはスポーツタイプの自転車でもなかなかない速度で疾走していた。下り坂ではあるが、早苗はブレーキをかけていたので、すれ違う前の速度はもっと速かったに違いないだろう。

「やった!」
「やってない! 自動車だったら、もうちょっとで運転免許を取り上げてる所だぞ」
「あたし自転車だもん」
「自転車でも違反は違反だ」
「ねー、けーさつのおじさん、自転車ってすぴーど違反あるの?」

 早苗の記憶では、自転車には制限速度がない筈だった。以前怒られた時に、孝太郎がそう教えてくれたのだ。自転車を始めとする軽車両には、制限速度はないと。そもそも、そういう速度が出せる構造ではないからだ。だから原付バイクのような、速度制限は存在していなかった。

「ないが、それはあくまでああいう制限速度の看板がない場所での話だ。この道では車両の種類に関係なく、三十キロより速く走ってはいかんのだ!」
「ああ、そーゆーことだったのか!」

 ようやく早苗にも話が見えてくる。孝太郎の話は正しいし、警察官の指摘も正しい。要は早苗に法律の見落としがあったのだ。

「あたし、そういうのちゃんと分かってなかった。ごめんね、けーさつのおじさん」

 早苗は素直に間違いを認める事にした。きちんと詫びて、深く頭を下げる。早苗がこの二年間一緒に暮して来た人は、こういう筋を通さないととても怒る。早苗はそれだけはとても嫌なのだった。

「んー………まあ、今回は見逃そう」
「いいの?」
「今回だけだぞ? 顔は覚えたから、次はちゃんと捕まえる」
「ありがとう、おじさん! 今後はちゃんと気を付けるね!」
「素直で結構」

 早苗の朗らかな笑顔を向けられて、警察官は満足げに頷く。初犯、未成年、素直という事で、厳密過ぎる法適用を避けたのだ。自転車のスピード違反に関しては、まだ十分な周知が出来ているとは言い難い。特に子供達相手はそうだ。だからこれを機に、早苗とその周囲にそういう知識が広まる事を期待したいところだった。

 ―――それに、本当に三十二キロオーバーだったのかどうか………。

 そして警察官には、使っていたスピードガンの数値にも不安があった。そもそも擦れ違いざまに慌てて使用したので、実際の数値からパトカーの速度を差し引いて早苗の速度を出している。当然測定精度には不安が残った。またその不安を大きくしていたのは、早苗の自転車がママチャリであった事だった。この子はこの小さな身体でママチャリに乗り、本当にあの速度で走っていたのだろうか? この疑問は話している間中、警察官の頭の中から離れなかった。
 そうした複数の事情を考え合わせた結果、警察官は今回は厳重注意で留めておくのが正しいだろうと判断した。もちろん今回の事を踏まえ、スピードガンの仕様や使い方などをもう一度メーカーに確認しようと思っている。本当に次は捕まえるつもりなのだ。そこはやはり法の番人だった。

「でもそーか、この道じゃ三十キロ以上出しちゃ駄目なのか………あれ? この道?」
「どうかしたのかい?」
「今後、どうしたらいいのか考えてたの」
「スピードを出すつもりなら、速度計を付けた方が良いんじゃないか?」
「えへへ、もっといい方法思い付いたから、付けなくても大丈夫だと思う」
「そうか。じゃあ、気を付けて帰りなさい」
「うん。またね、けーさつのおじさん」
「また会うって事は、お嬢ちゃんを捕まえたって事だよ」
「そっか。じゃあ………元気でね?」
「お嬢ちゃんもな」

 警察官は走り出した早苗を笑顔で見送った。彼は日頃色々なタイプの人間を違反で検挙するのだが、なかなかこういう風に笑顔で別れられるケースは少ない。そういう意味では得難い経験をしたことになる。これは彼の後ろで書類を書いていた相棒も同じだった。彼は書きかけの書類を丸めてポケットに入れると微笑んだ。

「不思議な子でしたねー」
「ああ。あの子はもう、違反なんかしないだろう」
「そうだと良いですね―――って巡査長、あれを見て下さいっ!!」

 そして最後に彼らはもう一つだけ、得難い経験をする事になった。

「とべー! らぶきらりーんっ!」
「なっ、なんだとぉっ!?」

 早苗を乗せた自転車は、彼らの見ている前で空に飛び上がった。そして早苗は軽く背後を振り返って警察官達に手を振ると、夕日を浴びながら悠々と飛び去っていく。この時点で早苗を取り締まる法律は、道路交通法から航空法へ移った。これなら確かに、もう二度と早苗が彼らの世話になる事はないだろう。そして後に残された二人は、操り人形のように早苗に手を振り返すと、目を回してその場に倒れた。



   ◆◆◆次回更新は4月12日(金)予定です◆◆◆

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