第27編 『ある一日』 シーン01

作者:健速

シーン01 朝



 一〇六号室の朝は早い。だがそれは孝太郎(こうたろう)が早く起きるという意味ではなく、別の人間がやってくる時間が早いという意味だ。そしてこの日、一〇六号室に最初に姿を現したのはルースだった。

「………おはようございます………」

 六畳間の一番奥の壁が光を放ち、そこからルースの顔が出てくる。この光は瞬間移動の為の時空の扉が開いている証で、彼女やティアが軌道上の宇宙船からやってくる時に日常的に用いられているものだ。彼女はゲート―――時空の扉から顔だけを出し、部屋の様子を確認する。以前、壁際で寝ている孝太郎を踏んだ事があったので、この時間帯は確認が必須だった。

「………大丈夫なようですね………」

 ルースの声はひそめられている。それは今も手足を大きく広げて寝ている孝太郎と早苗(さなえ)を邪魔しない為だ。寝ている二人は多少声が大きくても目覚めるようなタマではないが、真面目で几帳面なルースの性格がそうさせるのだった。

「………またお腹を出して………風邪をひいてしまいますよ………」

 部屋に入ったルースは小さく笑うと、早苗のパジャマのボタンを留めてやる。そして蹴っ飛ばしていたタオルケットを早苗にかけてやった。ちなみに身体に戻ってからも、早苗はしばしばこうして一〇六号室に泊まっていく。宇宙船経由で早苗や晴海(はるみ)の部屋ともゲートで繋がっているので、その頻度は高い。自宅の延長ぐらいの認識だった。

「………これでよし、っと………次は………」

 ルースは台所の方に目を向ける。実は彼女が今日の朝食当番なのだ。そうして台所に向かいかけたルースだったが、暖簾(のれん)をくぐる直前に足を止め、ちらりと壁に掛けられた時計に目をやった。

「………」

 時間にはまだ余裕があった。正確に言うとそうなるように早めに来たのだが、もしそれを指摘したとしても真面目なルースは認めないだろう。

 ―――ちょっとだけ………ちょっとだけなら………。

 ルースはぴたりと足を止めた。そして彼女は背後を振り返る。そこにはまだ深い眠りの底に居る孝太郎の姿があった。それを見つめるルースの頬は真っ赤に染まっていた。

「………少し休憩を………そう、仕事の前に休憩をするだけです………」

 ルースは赤い顔のまま、孝太郎に近付いていく。そうして孝太郎が目覚めないように細心の注意を払いながら―――そんな事をしなくても孝太郎が目覚める可能性は万に一つもないのだが―――ルースは孝太郎の隣に身体を横たえた。

「すー、すー………」
「あぁ………」

 孝太郎の寝息がルースの前髪を揺らす。そして前髪が揺れる度に、ルースの顔はより赤く染まっていく。ルースと孝太郎の距離は近い。ほんの少し身体を動かせば、触れ合うような距離だ。顔だって、揺れるルースの前髪が孝太郎に触れそうな距離にあった。

「すー、すー」
「………わたくしは隣にいるだけ………」

 統計上、今朝は比較的当たりの日だった。孝太郎が横を向いて寝ていたので(確率32%、ルース調べ)、ルースは孝太郎と向かい合うように寝転がる事が出来た。孝太郎が上を向いている場合は(同62%)ここまで近くはならない。

「………わたくしは何もしておりません………何も………」

 いつもルースは、こうして孝太郎の顔を見ながら十分ほどの時間を過ごす。すると孝太郎は寝相が悪いので、様々な事が起こる。それは孝太郎の手がルースに触れたり(確率22%)、腕が彼女に回されたり(確率13%)、寝返りで覆い被さってきたり(大当たり5%)といったものだ。つまりルースはこうして、偶発的な事故によるスキンシップの発生を待っているのだ。自分からは一切手を出さずに。ルースは騎士の家の生まれなので、自分の望みを騎士団長に押し付けるなど以ての外だと考えているのだった。

「んー………」
「あっ………」

 この日はルースにとって、非常に幸運な日となった。この日の孝太郎は、腕が動く事も寝返りをする事もなかったのだが、その顔が幾らか前に動きだした。

「………えと………これは、その………わたくしは別に何も………」

 だからルースはほんの少しだけ自分の顔を上げて僅かに角度を調整すると、そっと両目を閉じた。



 孝太郎が目を覚ました時、ちゃぶ台には既に朝食の用意が出来ていた。ごはんに焼き魚、豆腐の味噌汁に卵焼き、ほうれん草のお浸し。メニューは朝食としては豪華で、しかも台所ではまだルースが調理を続けている。台所から聞こえてくる音にはルースの鼻歌もまじっていて、メニューの豪華さと併せて、今朝は彼女の機嫌がやたらと良い事がうかがわれた。

「おはようございます、ルースさん」

 誰にでも機嫌の良い日はある。だから孝太郎は深く考えずにルースに声をかけた。

「おはようございますっ、おやかたさまっ♪」

 すると六畳間と台所の間にある暖簾からルースの顔が出てきた。ルースの笑顔は輝いている。その声も元気に弾んでいた。

「もう少しで朝食が焼き上がりますから、ユリカ様を起こして下さい」
「分かりました。それにしても、今朝はやけに豪華ですね」
「あはは、調子に乗って作り過ぎてしまいました」

 ルースはそう言って微笑むと、そっと自身の頬を撫でる。この時の彼女の笑顔はとても幸せそうで、見ている孝太郎の方が思わず笑顔になってしまうほどだった。

「………おっといけない、こげてしまいます!」

 フライパンを火にかけっぱなしだったのを思い出し、ルースは慌てて台所へ戻っていく。それを見届けた孝太郎は自分の役目を果たすべく立ち上がった。

「おーい、ゆりかー」

 スパンッ

 孝太郎は勢いよく押し入れを開けた。ゆりかは押し入れの上の段に住んでいる。彼女を起こすのが今の孝太郎の役目だった。

「くー、くー………」

 しかしゆりかも孝太郎同様に一度寝たらなかなか起きない。低血圧ともあいまって、押し入れを開けて声をかけたくらいでは目覚めなかった。

「おきろー」

 そこで孝太郎はゆりかの頬をつつき始める。

「ぬんむむむむむむ………」

 ぺちっ

 しばらくつつかれたところで、ゆりかは孝太郎の手を払う。

「起きたか、ゆりか?」
「くー、くー………」

 しかしゆりかは目覚めない。再び規則正しい寝息を立て始めた。

「起きろっつーの」

 今度は身体を揺する。

「にゅむむ………んー、さとみしゃん食べしゅぎれすよぅ、でゅふ、でゅふふ………」

 だがそれでもゆりかは目覚めない。ゆりかは寝言を漏らしながら、起きている時よりずっとあいまいな笑顔を作った。

「さて、どうしてくれよう………」

 ここまでは孝太郎が予想した通りの展開だった。実は毎朝こうなのだ。孝太郎とゆりかの戦いはここからが本番。ここまではどちらかというと普通に起こす努力はしました、という建前として必要な事だった。

「しかし禁じ手が増えて来たからなぁ………」

 熱湯、氷水、鼻と口を同時に塞ぐ―――孝太郎はこれまで様々な手段でゆりかを起こして来た。だがその度にゆりかに抗議を受け、多くの手段が使えなくなってしまった。昨日は刺激臭のある虫刺されの薬をゆりかの鼻の下に塗って起こす事に成功したが、それも使用禁止となった。また新たな手段を考え出さねばならなかった。

「うーむ………よし、これで行くか」

 しばらく考え込んでいた孝太郎だったが、数分が経過したところでニヤリと笑い、ゆりかの耳元に口を寄せた。

「くー、くー………」
「それは、酷く寒い夜の事だった………」

 孝太郎はゆりかの耳に囁きかける。それでもゆりかは変わらず寝息を立てていた。孝太郎は構わず続けた。

「しんしんと降り続けた雪は細い道を覆い隠し、誰も通る事が出来ない。その屋敷は完全に孤立していた」
「くー、くー………」
「屋敷の住人は炭焼き職人の若夫婦。二人は身を寄せ合うようにして夜の寒さをしのいでいた」
「ん、んん………」
「そして時刻が真夜中を過ぎた頃………ドンドン、ドンドンと屋敷の戸を叩く音が聞こえて来た」
「んん………」
「夫は咄嗟に戸を開けようとしたが、妻は青い顔で首を横に振った………こんな時間、こんな雪の中、一体何者が訪ねてくるというのか………夫もすぐに真っ青な顔になった」
「ぐ、ぬぐぐ………」

 最初は普通に寝ていたゆりかだが、やがて表情が歪み始める。寝ていても、孝太郎の話はゆりかの意識に干渉している。ゆりかが見ている夢は、少しずつ孝太郎の話に引きずられ始めていた。

「ドンドン、ドンドン………音は続いている。夫は青い顔のまま、それでも戸を開けてやろうと玄関へ向かう。妻は震えながら夫に止めるよう忠告した。妻が止めるように言う意味も分かったが、それでも正直者の夫にはもし誰かがそこに居て、寒さに震えていたらという可能性が捨てられなかった」

「ひぅ………う、うぅぅ………」

 ゆりかの表情が恐怖に歪む。ゆりかの夢は完全に孝太郎の話と同化していた。

「ドンドン………何度目かの音を聞き終えたところで、夫は玄関の戸に手をかけた。向こう側に誰かいる。夫はそれを確信した。夫は躊躇いながらも錠を外し、戸を開けた!」
「ふぐぅっ!!」
「するとそこにいたのはなんとっ、血塗れの若夫婦自身だった!!」
「ギャアアアアアアアアアア!!」

 話がクライマックスに差し掛かった正にその瞬間、ゆりかは大きな悲鳴を上げて飛び起きた。その表情はまるで地獄でも覗き込んでしまったかのように、激しい恐怖に歪んでいた。



 この日のゆりかの目覚めはばっちりだった。眠気は完全に吹き飛び、二度寝など全くしそうになかった。低血圧の影響も全くない。問題は悪夢を見た事だろう。おかげで寝起きの気分は最悪だった。

里見(さとみ)さんはぁ、どうしてこういう酷い事が出来るんですかぁっ!?」

 もちろんゆりかはその原因に猛抗議。悪夢の原因はもちろん怪談話を囁き続けた孝太郎だ。今は朝食の最中なので、口からご飯粒が飛び出しそうな勢いで抗議が続いていた。

「そうは言ってもだなぁ、禁止が多過ぎて他に手が無かったんだよ」

 孝太郎はそう言いながらヘアブラシを動かした。悪夢を見た事も手伝って、ゆりかの髪はかなり乱れてしまっていた。仕方なく孝太郎が直してやっている。よくある事なので、孝太郎は手慣れていた。

「これならまだ、鼻と口を塞がれる方がマシですよぅ!」

 ゆりかは怒りながら朝食を食べ続けている。ゆりかは食べ物が大好きなのはもちろんなのだが、この日の朝食はいつも以上に美味かった。

「じゃあ、明日からはそれで良いか?」
「駄目に決まってますぅぅぅぅっ!!」

 孝太郎は淡々と作業を進めていく。髪をとかして髪型を整え、ツインテールの尻尾を作ってやる。不思議な事に、ゆりかは孝太郎にこの作業を任せきりだった。怒っているのだから、自分でやると言ってもおかしくないような状況であるにもかかわらず、だ。

「なんで今みたいに優しく出来ないんですかぁっ!?」
「今も優しくはないぞ。めんどくさいなぁって思ってる」
「いじっぱりぃっ! 本当は私の事が大好きな癖にぃっ!」

 不器用な孝太郎なので、本当にやりたくなかったら、とっくに投げ出していただろう。にもかかわらず、孝太郎はとても上手になるぐらいそれを繰り返した。その理由は言うまでもないだろう。

「そうでもないぞ」

 正直なところ、孝太郎ももう分かっている。これは孝太郎なりの詫びなのだ。しかし孝太郎はそれに気付かないふりをしながら、二本目の尻尾を作り始めた。その手つきは丁寧で優しい。終始、ゆりかが痛がるような事はなかった。

「さとみさぁんっ! もぉぉ………」

 ゆりかにとって、孝太郎の本音が一番分かるのはこの時だ。だから不満は多いけれど、ゆりかには孝太郎にやって貰う以外の選択肢はないのだった。



   ◆◆◆次回更新は6月14日(金)予定です◆◆◆

作品応援ボタン(1日1回)応援コメントを書く