第4編 『バッドガール・ビギンズ』 シーン01

作者:健速

シーン01 : 弟子入り志願


 キリハという少女の中では、常に二つの気持ちがせめぎ合っている。
それは大好きな人に甘えたいという気持ちと、困らせたいという気持ちだ。
しかし器用な彼女は、その二つの気持ちをTPOに応じて切り替え、両方を上手く表現している。
その基準は、(そば)に他の誰かがいるかどうかである場合が多い。
彼女は他の誰かの感情の発露(はつろ)を邪魔する事を好まない。
だからこの時のように二人きりであれば、少女らしさを存分に発揮させ、大好きな人に甘えられるのだった。

「勝った」

 映画館を出るなり、キリハはそう言って微笑み、間近から孝太郎(こうたろう)を見上げた。
腕を組んで道を歩く二人の顔は驚くほど近い。比較的背が高いキリハだから、こうしていると息が届くような距離だった。

「何が何に?」
「我らが映画に」
「………意味が分からない」
「孝太郎と我の方が、さっきの映画の主人公とヒロインより、運命的な関係だった」
「変なところで対抗意識を燃やすなよ」
「否定はしないのだな?」
「………」
「好きっ」

最後の一言だけ、キリハははしゃいだ様子で言った。そして孝太郎の腕を抱き締めるようにして身体を寄せる。
それは大人の入り口に立ちつつある女の子の仕草なのだが、どこか幼い少女を思わせる透明感があった。

 ―――やっぱりキリハさんの中には、キィちゃんがいるんだな………。

そしてその透明感は孝太郎に、かつて出会った幼い少女の事を思い起こさせる。
だから孝太郎も感じている。キリハが言う通り、運命的な関係なのだろう、と。

「どうしたのだ、ボーっとして?」

孝太郎が考え込んでしまった事で、キリハは笑顔を消すと心配そうに孝太郎の顔を(のぞ)き込んだ。
そして手を伸ばして孝太郎の頬に触れる。

「ちょっと、昔が懐かしくなっただけだ」

隠すような事でもなかったので、孝太郎は素直にそう答えた。
そして孝太郎は間近にあるキリハの頭に手を伸ばし、まるで幼い少女に対してするように、優しく頭を撫でた。

「………そうか」

キリハは孝太郎の様子からおおよその事を察すると、そっと目を閉じて孝太郎にされるがままになる。
かつて望み、得られなかったものが、豊富に与えられている。キリハにはそれを全て受け入れる用意があった。

「しかしな、我は多くの時が流れて良かった気がしている」
「どういう意味だい?」

孝太郎は幼い少女に対するように、そっとキリハに(ささや)きかける。

「………キィの小さな身体では、(なんじ)の大きな身体は、抱き締める事が出来ないからだ」

そしてキリハは少し勢いを付け、飛び付くようにして孝太郎を抱き締めた。

「えいっ」
「お、おい………」

孝太郎は軽く後ろに下がりながらキリハを受け止める。
キリハは成長した身体を、小さな少女であった頃からの純粋な想いで操っている。
それは孝太郎の気持ちを大きく揺さぶる、とても強力な攻撃手段だった。



 一〇六号室が近付くと、キリハはごく自然に孝太郎から離れた。
これはいつもそうで、キリハは他人の目―――特に六畳間の少女達の前では、孝太郎に甘える事はない。
キリハは自分だけが幸せであればいいとは思わないし、孝太郎との懐かしい想い出は独り占めしておきたいという事情もある。
だから家の傍で誰かと出会っても、孝太郎とキリハは普段通りに振る舞う事が出来るのだった。

「二人とも、映画はどうでしたか?」

 この日に出会ったのは、病院帰りの晴海(はるみ)だった。
彼女は駅前の病院に通っているし、病院から自宅は近い。
しかし、ころな荘に行けば沢山の友人と過ごす事が出来るし、帰るのも簡単だ。
『青騎士』の転送用ゲートで一瞬のうちに自宅へ帰れるので、晴海にとって一〇六号室へやってくるのは自宅へ帰るのと同義なのだった。

「しんみりする良い話だったと思う」
「面白かったです。あと、桜庭(さくらば)先輩が好きだって言った理由が分かった気がします」

 この日、孝太郎とキリハが映画を見に行ったのは、晴海の(すす)めからだった。
晴海は先日クラスメイトとこの映画を見に行き、面白かったので孝太郎達に勧めたのだ。
だがスケジュールの都合や、真面目な映画であった為に、孝太郎とキリハだけで行く事になったのだった。

「そうでしたか。気に入って貰えて良かったです」

晴海は嬉しそうに目を細める。自分が勧めた映画を楽しんで貰えたのは嬉しかった。
そんな晴海の様子を見て、孝太郎はにやりと笑う。

「でもキリハさんは、自分の方が波乱万丈(はらんばんじょう)だったって言ってました」

いつもキリハにからかわれている腹いせに、孝太郎は先程の話題の一部を晴海に伝える。
それはちょっとした復讐になる筈だったのだが、ここでもやはりキリハの方が一枚上手だった。

「当たり前だろう? 共にあれだけ濃密な時間を過ごしたというのに………」

 キリハは軽く頬を染め、恥ずかしそうに(うつむ)く。軽く吐き出した息と、胸元に当てられた手が、女性らしさを強調していた。
そして横目で(うら)めし()に孝太郎の顔を見つめる。

「えっ、ええぇぇぇぇっ!?」

そんなキリハの様子を見て、晴海は思わず『濃密な時間』の内容を過激な方向で想像してしまい、顔が真っ赤に染まった。
そして耳まで赤くなり、恥ずかしくなって顔を伏せてしまう。これに困ったのが孝太郎だった。

「こらぁぁぁっ、悪質な嘘は止めろぉっ!!」
「嘘など何も言っていないではないか………いけないひと」

キリハは孝太郎に寄り添い、その胸を指先で撫で始める。
それは完全に恋人の言葉に傷付き、()ねる女性の仕草だった。

「演出が丸ごと嘘だろうがっ!」

 確かにキリハの言葉には嘘は微塵(みじん)も含まれていない。
しかし勘違いを誘発する言葉選びと、それを助長する言い方や仕草によって、完全に別の意味にすり替えられている。
これでは晴海が勘違いをするのも当たり前だった。

「ふふ、ふふふふふっ」

孝太郎が酷く慌てる様子から、晴海はキリハが孝太郎を―――そして多分晴海も―――からかっている事に気付いた。
おかげでホッとしたやら情けないやらで、晴海は思わず笑い出していた。

「んもー、あんまりびっくりさせないで下さい、二人共っ」
「孝太郎が意地悪を言うのが悪い」

 キリハは晴海が気付いた時点で普段の調子に戻り、孝太郎から身体を離す。
慣れない人が見れば驚くような変わり身の早さだった。

「俺のせいかっ!?」
「ふふふふふっ、あははははっ」

孝太郎と晴海は、完全にキリハに踊らされていた訳だ。晴海はそこに、非常に大きな精神年齢の差を感じていた。

「想い出を軽んじた罰だ」
巧妙(こうみょう)に避けただろう!」
「あぁ………また男の論理に女が泣かされる」
「泣きたいのはこっちだっ!」

晴海が事実関係に気付いても、相変わらず孝太郎はキリハにきりきり舞いさせられている。
それは晴海が思わず感心してしまう程だった。

 ―――これが大人の女性の余裕という事なのかしら………それとも悪女って言うべきなのかな?
 どっちにしろ、今の私には無いものだわ………。

そして晴海はキリハの大人ぶり、あるいは悪女ぶりに、密かに憧れを抱いた。



 一〇六号室へ帰ってきた孝太郎達は、しばらくお茶を飲んでのんびりとした時間を過ごしていた。
だが夕方の六時が近付いてくると、まずは孝太郎が席を立った。

「そろそろ風呂に入ってくるよ」

六時を回るとキリハは夕食の準備を始めるし、家を空けている少女達も続々と帰ってくる。
だから孝太郎はこの時点で風呂に入ってしまう方が何かと都合が良いのだった。

「孝太郎、背中を流そうか?」
「いらんわい!」

孝太郎はキリハの申し出をばっさりと切り捨てると、一人で風呂場へ入っていく。
キリハはそんな孝太郎の姿を笑顔で見送る。そして晴海は、不思議そうな眼差しでそのキリハを見つめていた。

「あの………キリハさん」
「なんだ?」
「………えっと、いつも思うんですけれど………ああいう事を言って、もし里見(さとみ)君が背中を流してくれって答えたら、どうするんですか?」

晴海は湯呑みをちゃぶ台に置くと、非常に言い難そうにキリハに(たず)ねた。
キリハが口にした言葉は、年頃の男の子に投げかける言葉としては非常にリスキーなものなのだ。

「ふむ………さしあたって、喜ぶだろう」

キリハも湯呑みを置くと、小さく微笑んでそう答えた。すると晴海は目を丸くする。

「喜ぶんですか?」
「ああ………孝太郎はああいう男だ。我の全てを受け入れる覚悟がなくば、背中を流せとは言わないだろう」
「そっか………それはつまり、里見君の問題の解決を意味するんですね」

 晴海は(うなず)く。彼女にもキリハの考えが分かってきた。
孝太郎は責任感が強い反面、本質的に他人を遠ざける。
結果的に他人と一緒に風呂に入れるのなら、他人を遠ざける気質を解消したという事でもあるのだ。

「孝太郎の問題解決にどういう手法が有効かは誰にも分からない。我だけに可能なこの手法も、定期的に試す必要があるのだ」
「言われてみれば、そういう事もあるかもしれませんね」

 女性としての魅力を使った働きかけは、他の少女達には難しい。
(しず)()やルースが辛うじて可能かという程度で、ほぼキリハの独壇場になっている。
孝太郎の心の壁を破るのにそれが必要である可能性が少なからず存在しているので、これはキリハがやらねばならない事なのだった。

「それに………キリハさんとしても損はない」
「まぁ、そういう事だな」

 キリハはそう言って微笑むと、再び湯呑みを手に取りお茶を飲んだ。
孝太郎をからかうのは、孝太郎の為であるのと同時に、キリハ自身の為でもある。
この場合は大好きな人と一緒に風呂に入って背中を流してやりたいという願望が叶うし、違う事でからかっている場合もそれはそれで孝太郎の生の感情をぶつけて貰える。
キリハにとって得ばかりの状況なので、それをしない理由はないのだった。

「しかし、なかなか上手くいかない。孝太郎が真面目過ぎるのか………我の方で弾幕が薄いのか………多少の変化はあるのだがな」
「ふふ、意志が強いっていうのも考えものですね?」
「しかしそこが魅力でもあるから、厄介なのだ」
「あは、分かる気がします」

キリハの考えを理解した事で、晴海は彼女が正しいと感じ始めていた。
楽しむ為だけで孝太郎をからかっているのなら問題かもしれないが、その裏には深い愛情と思いやりが潜んでいる。
むしろキリハを応援すべき―――晴海はそう考えていた。

「そこでキリハさん、一つ相談があるんですけれど」
「うん? なんだ?」

キリハが頷くと、晴海は一度息を呑んでから、大真面目な顔で切り出した。

「………私に悪女のやり方を教えて欲しいんです」
「なんだとっ!?」

常に冷静なキリハも、この晴海の申し出には酷く驚かされた。おおよそ晴海の口から出てくる言葉とは思えない。
教えてくれという一点だけが、辛うじて晴海らしさを残している程度だろう。

「お願いしますっ、キリハさんっ! 私もキリハさんみたいにっ、里見君をからかってみたいんですっ!」

晴海はとても真剣な眼差しでキリハに迫る。晴海は本気なのだ。するとキリハはそんな晴海を頭の天辺(てっぺん)から足の先まで眺めた後、力強く断言した。

「………無理だ。諦めて欲しい」

 キリハの見立てでは、晴海には悪女の素質が皆無だった。
人間には人格の振れ幅というものがある。晴海はその振れ幅の中に、悪女の要素が含まれていない。
善意が服を着て歩いているような少女なのだ。生まれたての子犬には獲物は狩れない。
それにそもそも頭を下げて真摯(しんし)にお願いしている時点で、明らかに悪女の道を踏み外している。キリハが論外だと結論するのも当たり前だろう。

「そこを何とかっ! 私も自分が向いていない事ぐらい分かっています! でも一生に一度ぐらいは、里見君を女の子の魅力で困らせてあげたいんですっ!」

晴海も現実は分かっている。しかしそれでも女の子として生まれたからには、一度ぐらいはその力を行使してみたい。
大好きな男の子を困らせてみたい。女の子なら当たり前の願望だろう。

「それに今ならきっと、里見君の為になりますっ!」
「うぅむ………」

 キリハが言うように、本質的に他人を受け入れられない少年の心を動かすには、時には女の子の魅力が必要かもしれない。
今なら晴海の願望は、孝太郎の人生の足しになる。だが孝太郎の問題が片付いた後ではそうではない。
今がお互いの為になる唯一のチャンス。晴海の意志は固かった。

 ―――この根性があれば、あるいはやり()げるかもしれんな………。

当初は無理だと考えていたキリハだったが、晴海の様子とその瞳に宿る力を感じて、もしかしたら何とかなるかもしれないと思い始めた。
そしてしばらく考え込んだ後、キリハは晴海に向かって頷いた。

「………分かった、やってみよう」
「本当ですかっ!?」
「ただし、結果は保証出来ない」
「分かってます! それで結構ですっ!」
「その覚悟があるならいい。やるだけやってみよう」
「よろしくお願いしますっ!」

 こうして晴海はキリハから悪女―――女の子としての立場と魅力の悪用方法を習う事となった。
その道のりは長く険しい。しかし晴海は不断の努力でそれを成し遂げようと思っている。
それがなおの事問題を難しくしているのだが、晴海がそれに気付いた様子はなかった。



   ◆◆◆次回更新は8月14日(金)予定です◆◆◆

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