第4編 『バッドガール・ビギンズ』 シーン02

作者:健速

シーン02 : 修行の日々


 キリハの見たところ、晴海(はるみ)には悪女の才能がない。
欠片(かけら)もない。内面から溢れ出る善意や優しさと、その落ち着いていて清潔感がある外見が合わさって、悪女どころかその対極にある聖女や慈母を思わせる。
だからキリハには、この状態の晴海を心身共に悪女へ改造するのは不可能だと思えた。
だが不可能だからといって諦める訳にはいかない。そこでキリハは外面を完全に整える事にした。

「これは………台本と舞台衣装、ですか?」

晴海とキリハはちゃぶ台を挟んで座っていた。そしてそのちゃぶ台の上に、一冊の本と衣装一式が置かれている。
どちらもキリハが何日もかけて用意したものだった。

「そうだ。(なんじ)の人格面を変えるのは不可能に近い。そこで『悪女の晴海』というキャラクターを創造し、その演技として悪女を習得して貰う」

 キリハが考えたのは、晴海に教育として悪女を習得させるのではなく、演劇の登場人物として習得させるという方法だった。
晴海には演劇の経験がある事に加え、もし悪女の心を習得できなくても、台本により膨大なパターンを学習する事で悪女として行動できるようになる。
幸いキリハには孝太郎(こうたろう)との想定問答を作るだけの知識と経験があった。
 キリハは晴海に弟子入りを志願された時から、幾つか計画を立てた。
その中で最も可能性が高いと思われたのが、この手法だった。

「なるほど………これなら確かに抵抗感は少ないです」

 晴海は台本のページをぱらぱらとめくりながら、しきりに(うなず)いた。
晴海としては本当の意味で悪女になりたい訳ではない。自分が納得したら、いつもの晴海に戻りたいと考えている。
だからいつもの自分と明確に切り分けが可能な演技として習得するという手法は、晴海にとって受け入れやすいものだった。

「外側を完全に仕立て上げる事で、内側の変化を不要のものとする訳だな」
「でも外面を()(つくろ)うというのは、後ろ向きかなって思いますけど………」

晴海はそこに少しだけ引っ掛かりを覚えていた。演劇の場合、心身共にキャラクターと一致させるのが理想だろう。
しかしキリハはそれを敢然(かんぜん)と否定していた。

「悪女というものは元々本音を明かさないものだ。方法論としては間違っていない」
「言われてみれば、確かにそうかもしれませんね」

 だが晴海はキリハの言葉を聞いてすぐに納得する。
悪女とは本音を隠したまま、男性を手玉に取る存在だ。つまり元々が外面を取り繕う存在という事になる。
結果的にキリハが提案したやり方をしても、心身共に悪女と一致するという訳だった。

 ―――それにキリハさんだって本音は里見(さとみ)君の事が好きな訳だし………。

キリハは日常的に孝太郎を手玉に取っているが、その本音がどこにあるのかは晴海にはよく分かっている。
キリハは周囲に気を遣って普段は本音を隠しているが、晴海の目にはそれが時折垣間見(かいまみ)える事があった。
晴海も同じ気持ちを抱えているし、性格上周囲をよく見ているから、キリハが僅かに漏らした本音を見逃さなかったのだ。
そして晴海がなりたい悪女はキリハそのものなので、この時のキリハの言葉には納得できるのだった。



 キリハが用意した衣装は露出が多く、挑発的なものだった。
使っている生地も晴海のイメージとは真逆の黒で、ファーや刺繍(ししゅう)で派手に飾り立てられている。
そしてそこへアクセントを加えるアクセサリー類は金色。全体としては、いかにもなデザインだった。

「こっ、これっ、過激すぎませんかっ!?」

衣装に袖を通した晴海は、顔を真っ赤に染めて恥ずかしそうに身を(よじ)る。
同性のキリハの視線からも逃げ出したい気分だった。

「まだ大人しい方だ」

しかしキリハはきっぱりと首を横に振る。
これはキリハの言う通りで、デザインの過激さはあくまで晴海が普段着ているものとの比較の問題だった。
晴海の普段の格好が真面目で清楚なだけなのだ。

「でも下着なんて完全にっ、そ、そのっ、普通じゃない感じですっ!」
「直接下着を見せる訳ではない。服の隙間から、ちらちらと見えるのが男心をくすぐるのだ」
「直接じゃなくても、見られたら死にますっ、こんなのっ!」
「最終的には見せるつもりなのだろう? 覚悟を決めるのだ」
「それは今じゃないしっ、普通の下着でですっ!!」

道徳心が強い晴海の感覚では、この格好は表を歩けないレベルだった。
裸と同じくらいに恥ずかしいのだ。近所の子供達の教育にも悪そうだった。

「耐えて貰うしかないな」
「そんなの無理ですっ!」
「汝の技術でカバーできない分は衣装に乗せるしかないのだ。それとも技術面を強化してみるか?」
「うっ、ううぅぅっ………」

だがキリハの淡々とした言葉に、晴海は次第にトーンダウンしていく。
晴海には技術面で劣る自覚があったし、自分から教えてくれと言った事なので拒否は出来なかった。
やがて晴海は大きく一つ深呼吸をして動きを止めた。

「はぁ………」
「落ち着いたか?」
「はい、な、なんとか………」
「それに慣れるのも訓練の内だ」
「私、慣れる前に恥ずかしさで死ぬかもしれません」

 晴海は赤い顔のまま自分の服装に目を落とす。
この格好で孝太郎の前に出る事を想像すると恥ずかしくて仕方がない。
それだけでも大変な事なのに、孝太郎に変な女だと思われたら、その時点で本当に死ぬかもしれない。
晴海はここで、早まったかもしれないと怖気(おじけ)づき始めていた。

「既に賽は投げられたのだ。覚悟を決めろ、晴海」
「は、はい、頑張ります」

顔を出し始めた晴海の弱気を、キリハが即座に打ち消す。
ここで止めては何も生まれない。それにキリハが色々と準備した事も無駄になってしまう。
責任感の強い晴海はそれではいけないと考え、気合いを入れ直した。



 晴海の服装が整ったところで、キリハは早速指導へ移った。最初の指導は、基本中の基本である立ち方からだった。

「………という事情で、普段のように真っ直ぐ立ってしまうとまずい事になる」
「では、どうすればいいんですか?」
「まず、ほんの少しどちらかの肩を前に出す」
「半身になる訳ですね」
「その上で、左右の手を非対称の位置に」
「非対称?」
「全体的にアンバランスな印象が欲しいのだ。心理的な効果を狙っている」
「難しいですね………」

キリハは適切な指示を与え、晴海の立ち方を修正していく。
すると最初は優等生然としていた立ち方が、だんだん攻撃的な女性らしさを帯び始めた。

「こんな感じでしょうか?」
「うむ、大体そんなものだろう………しかし………」

立ち方がしっかりすると、普通はそれだけで色気が感じられるようになる。だがキリハは首を傾げた。
何故か晴海はそのようには見えなかったのだ。

 ―――立ち方はよくなった(はず)だが………何故そう見えないのだ………?

キリハの経験上、理想的な立ち方になったにもかかわらず、晴海からはタンポポのような親しみ易さが感じられる。
これでは男性というより、幼稚園児を引き付けそうな雰囲気だった。

「………とりあえず表情を付けてみるか」

 キリハはとりあえず立ち方の指導を止め、新たに表情の指導を始める事にした。
見た目の印象は立ち方だけでは決まらない。幾つかの要素を複合させてみない事には、結論は出ないだろう。

「お願いします」
「まず、顔を身体と同じ向きに向ける」
「半身になっているので、元の正面ではなくそっちという事ですね?」
「そうだ。顔も正面よりは角度が付いた方がそれらしくなる」
「分かりました。こんな感じですか?」
「そうだ。続いて目を伏し目がちにして―――」

キリハは指示を出しながら、晴海の表情を調整し始めた。
立ち方に比べて細かい注文が多かったが、晴海は文句ひとつ言わず黙々とこなしていく。
おかげで数分後には、キリハが理想とする流し目が完成していた。

「こんなものかな」

 ぱしゃっ
 キリハはある程度形になったところで、携帯電話で晴海の姿を撮影する。すると晴海は途端に慌て始めた。

「こっ、こんなの写真に残さないで下さいっ!」
「撮らねばどんな姿をしているか分からないだろう? 見せたい角度は視線の方向ではないのだからな」
「………後で消して下さいね?」
「分かっている。我を信じろ」
「はい………」

キリハはきちんと約束を守る。見飽きた頃に消そうと思っていた。
そんな事を考えながら、キリハは撮影した画像を晴海に見せてやった。

「大体こんな感じになっている」
「まぁ………大分普段と感じが違いますね」

 晴海は自分で自分の写真を撮る事は少ないのだが、観光地などで友人達と一緒に写真を撮る事は少なくない。
そういう時のものと比べると、今の晴海は格段に色っぽい雰囲気に仕上がっている。
晴海は自分の変化をはっきり感じる事ができ、かなり満足していた。

 ―――しかし………これでもまだ印象が弱い………何故だろう………?

だが満足していた晴海とは逆に、キリハは再び首を傾げた。
見た目は完璧なお色気ポーズになっているのだが、どこかしっくりこないのだ。

「カラマ、コラマ、光学観測で我の画像と比較してみてくれ」
『ハイだホー!』
『お任せだホー!』
「きゃあっ!? 埴輪ちゃん達もいたんですかっ!?」
『いたホー』
『最初から全部見てたホー!』
「きゃあきゃあきゃあっ!!」

 埴輪達が姿を現した事で、晴海の姿勢や表情があっという間に崩れてしまう。
しかし埴輪達は最初から見ていたので、既に取得してあった画像を使って、キリハのポーズとの比較を始めた。

『身体の大きさや形の差を無視すると、(ほとん)ど姐さんと合致しているホー』
『ポーズそのものの幾何学(きかがく)的な差異はないと考えるのが妥当だホー』
「ふむ………」

埴輪達の答えを聞いて、キリハは考え込む。晴海の女性的な印象が弱い理由は、ポーズ以外の場所にあるのだ。

「埴輪ちゃん達っ、データは消して下さいねっ!?」
『記録としてのデータは消すホー。おいら達はプライバシーを守るホー』
『でもおいら達の記憶は消せないホー! スマンだホー!』
「うぅっ、それは消せとは言えないっ」

しかし埴輪達と騒いでいる晴海の姿を見た事で、キリハには晴海の女性的な印象が弱い理由が分かってきた。

「目か………」

問題は晴海の目だった。
晴海の目には、いわゆる目力がない。穏やかで優しい、包み込むような目をしている。
タンポポのような親しみ易さも、この目が原因だった。

「記憶は他の人には見せないで下さいね?」
『大丈夫だホー。姐さんしか見れないホー』
『でもオーバーホールの時にアーカイブされるホー』
「複製されるんですかっ!?」
「晴海、こっちを見て貰えないだろうか?」
「えっ!? あ、はいっ!」

 晴海は埴輪達との会話を中断すると、言われた通りにキリハを見る。
その目には『どうしたんですか?』という疑問がありありと浮かんでいた。
穏やかで優しく、素直な目。悪女の目としては失格だった。

「そのまま(にら)んで貰えるか?」
「睨む?」
「そうだ。どうやら汝は攻撃性が不足しているらしい。そのせいで悪女の格好をしていても、その印象が弱まってしまうようなのだ」
「攻撃性………」
「挑発的、扇情的と言っても良いだろう。相手に対する働きかけが弱いのだ」

悪女はただ立っているだけで相手の意思を動かす必要がある。
だが晴海は基本的に受け身で相手に対する働きかけが殆どない。
目にもそれが現れている。相手を思い遣り、事情を知ろうとする目なのだ。
ここではむしろティアのような挑戦的な目が必要になる。それが無いから、晴海の姿は悪女としてしっくりと来なかったのだ。

「えと………こんな感じでしょうか」

 晴海は言われた通りにキリハを睨んでみる。眉を寄せ、少しだけ目を閉じ気味に。
晴海のイメージでは大分攻撃的になっている筈だった。

「形だけだな………そうだな、我を敵だと思って睨んでみて欲しい」
「敵………」

敵と言われて晴海がすぐに思い出したのは、つい先日の戦いの事。
だがその少し後に、アライアの記憶の中から二千年前に対峙した敵の姿が飛び出してきた。
ビオルバラム・マクスファーン。誰が敵かといって、この人物ほど重大な敵はいないだろう。

「………」

 晴海は目の前の人間がキリハではなく、マクスファーンであると自分に言い聞かせる。
孝太郎を斬り殺そうとした、あの許されざる人物だ、と。すると晴海の雰囲気が急激に変化し始めた。

「晴海、それは少し違う」

 だがこれはキリハの想定外の結果を生み出した。
皇女としての凛とした美しさが前面に出てしまい、女性の魅力とは違うところへ行きついてしまった。
これは明らかに敵の人選ミスだった。

「誰を思ったのかは知らないが、その敵よりももう少し許せる敵にしてほしい」
「許せる敵………」

 晴海の脳裏に浮かんだのは、悪の魔法少女達。クリムゾンやパープルなどは、比較的許せる敵だった。
だが晴海が思い出した悪の魔法少女達の暗い衣装が、ある全く別の敵の存在を記憶から呼び覚ました。

『フッハッハッハァッ、残念だったなぁ、若造っ! この可愛い子は俺の嫁にする!』

 真っ黒で刺々しい鎧を身に付けた、悪の地底人の幹部・悪魔男爵。
晴海にとって、彼が一番許せる敵だった。

 ―――もしあのままハルカゼマンが来なかったら、どうなっていたのかな………。連れて行かれて、それで教会で………。

晴海は一年ほど前の事を思い起こしながら、目の前に悪魔男爵がいるつもりで、じっとキリハを見つめる。

「………」
「………晴海、その敵には何もかも許し過ぎている。もっと普通の敵にしてくれないだろうか」
「ごめんなさいごめんなさいっ、もっと別の敵にしますっ!」

晴海は慌てて悪魔男爵の事を頭から追い出すと、新たな敵を探し始めた。

 ―――て、手強い………。

そんな晴海を見てキリハは頭を抱える。
この様子では、晴海が悪女の演技を習得するまでには、非常に長い時間が必要になるだろう。
やはり根本的なところで、晴海は悪女に向いていないのだった。



   ◆◆◆次回更新は8月21日(金)予定です◆◆◆

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