第4編 『バッドガール・ビギンズ』 シーン03

作者:健速

シーン03 : 悪女誕生!?


 キリハが晴海(はるみ)に悪女の演技を教え始めてから一ヶ月が過ぎた。
この頃になるとハリボテながらも晴海の演技は様になり始めていた。
身体の動かし方には色気が出始め、孝太郎(こうたろう)との想定問答もうまくこなすようになりつつある。
だからキリハは、そろそろ実地訓練が必要だろうと考えていた。

「実地訓練、ですか?」
「そうだ。自動車の運転で言うところの、路上教習のようなものだ」

 キリハは晴海を実際に孝太郎と一緒に過ごさせ、その様子を観察して問題点の洗い出しをしようと考えていた。
誰もいない場所での演技は様になっているから、ここからは相手がいる状態でやる方がいい。
とはいえ晴海は不特定多数を相手にしたい訳ではないので、最初から孝太郎を相手に訓練を行うつもりだった。

「でもいきなり里見(さとみ)君を相手にして大丈夫でしょうか?」
「何も心配はいらない。もし話がこじれそうになったら、素直に悪女の演技を練習していると言えばいい」
「それを言ってしまって大丈夫なんですかっ!?」

晴海は驚いて目を()く。
本当の事を言ってしまったら、孝太郎に笑われやしないだろうか―――晴海はそう考えて焦っていた。

「始めた動機を言わなければ大丈夫だ」
「あれ、そうなんですか?」
「うむ。(なんじ)が隠しておきたいのは、演技そのものではなく動機の方だろう? それに汝の動機は非常に想像し辛い。大丈夫だ」

 悪女の演技の練習をしていると言われれば、普通は自然とまた演劇でもやるのかなという想像をする。
一生に一度ぐらいは女の子としての魅力で大好きな男の子をノックアウトしてみたいとか、心の壁を破る手段として有効かもしれないとか、そういう想像は遠回り過ぎてしないだろう。
だから自分からそれを言い出してしまわなければ、孝太郎に気付かれる心配はない筈だった。

「ともかくそろそろ相手がない状態での練習は限界だ。かといって、無関係の男性を相手に練習するのは―――」
「困りますっ! それは絶対にダメですっ!」

晴海はぶんぶんと首を横に振る。晴海が孝太郎を困らせたいのは大好きだからこそだ。
自分という女の子の全てを見て貰いたいからやるのであって、男なら誰でも手玉に取りたいという訳ではないのだ。
だから他の男性で練習など、あってはならない事だった。

「だったら思い切って孝太郎で直接練習する他はない。最初は何もせずに様子見、それから徐々に小出しにして、孝太郎のリアクションを確認。不自然にならない程度に、習得した演技を段階的にぶつけていくといい」
「わ、分かりました。やってみます」

晴海は一度ごくりと(つば)を飲み込むと、真剣な表情で(うなず)く。
決して自信があるとは言えないが、これ以上一人で練習するのは頭打ちなのもまた事実。
覚悟を決めて勝負に出る時がやってきたのだ。
普段は休眠状態の勇気を叩き起こし、晴海は孝太郎の前に立つ決意を固めたのだった。



 何もせずに観察するところから始めるので、最初は普段と何も変わらない(はず)だった。
しかし悪女をやる前提で孝太郎の近くへ向かうとなると、どうしても緊張してしまう。
表情は強張(こわば)り、手足の動きはぎこちない。
そんな彼女の様子は、まるで油をさしていないブリキの兵隊のようだった。

「あれ、桜庭(さくらば)先輩、筋肉痛ですか?」

筋肉痛で全身が痛むから、動きが悪くて表情が固い。
孝太郎は晴海の事情を知らないので、ぎこちない動きで六畳間へ入ってきた彼女の姿を、そんな風に解釈した。
すると晴海は筋肉痛という言葉を聞いて、びくりと身体を震わせた。

 ―――筋肉痛………そうだ、確か想定問答集のなかにあった!

 キリハが用意してくれた台本―――孝太郎との想定問答集の中に、筋肉痛というキーワードに絡んだ項目が存在していた。
それはスキンシップに使い易いキーワードなので、二重丸が付けられた重要項目だった。

『そうなんです。里見君、ちょっと揉んでくれませんか?』

 想定問答集によれば、こういう場合は軽く服の胸をはだけ、挑発的な上目遣いでそう言う事になっている。
あくまで健全なスキンシップを要求しながら、同時に胸元を開けて上目遣いをする事で、邪な想像を誘発させるのが狙いだった。

 ―――早い、早いですキリハさんっ! こんなのいきなりは無理ですっ!

だが晴海にはそれを実行する事が出来なかった。まだその勇気がなかったのだ。
反対にこの行動を意識してしまった事で、これまで以上に緊張してしまい、身体と表情が更に固いものへ変化していた。

「………本当に大丈夫ですか、桜庭先輩」

そして孝太郎の反応も想定問答集の中にあるものとは真逆の方向へ進んでいた。
明らかに晴海の様子がおかしいので、筋肉痛ならよほどの重傷で、そうでないなら生まれつき身体が弱いゆえの体調不良を心配し始めていた。孝太郎は素早く立ち上がり、晴海に近付いていく。

「だ、大丈夫で―――はうっ!?」

 するとここで更に晴海を追い詰める出来事が起こった。
孝太郎の大きな手が、晴海の(ひたい)に押し当てられたのだ。

「熱はないみたいですね」
「本当に大丈夫ですからっ!」

 晴海は思わず声が上擦(うわず)ってしまう。
彼女はこの状況にすっかり慌てていた。本来ならここでも一つやらねばならない事があった。
孝太郎にそっと抱き付き、その耳元に『大好きだから熱ぐらい出ます』と(ささや)かねばならなかったのだ。
しかし孝太郎に心配をかけまいとする気持ちが強く出てしまい、ただただ大丈夫だと繰り返すだけ。
そして想定問答集の通りに出来ないでいる事で更に焦る。完全な悪循環だった。

「ちょっと失礼」
「きゃあっ!?」

そんな晴海の事情を知らずに更に心配を募らせた孝太郎は、彼女を手早く抱き上げた。
早々に寝かせた方がよさそうだという判断だった。

 ―――あれっ、え、えと………何でこんな事になってるのっ!?

 晴海の方は大混乱だった。やりたい事が出来ずに、気が焦るばかり。
それにこうして抱き上げられてしまうと、このまま孝太郎に身を(ゆだ)ねたいという欲求に駆られる。
大好きな人の体温を間近に感じて、嬉しくない筈はなかったから。

「ちょっとここにいて下さいね」
「里見君、あの………」
「いいからいいから」

 孝太郎は一旦晴海を部屋の隅に下ろして座らせると、自身は押入れに向かった。
そして押入れから布団を引っ張り出す。孝太郎はそこに晴海を寝かせるつもりだった。

「あ、あう、ああぅぅ」

しかしこれを勘違いしたのが晴海だった。
この時の晴海は孝太郎が彼女の体調を心配して、寝かせる為に布団を敷いたとは考えなかった。

 ―――えっ、えっ、私っ、もしかしてこのままっ、ええっ!? ちょ、ちょっと早いです里見君っ!! 心の準備とかっ、将来の計画性とかっ、いろいろっ、あのっ!!

晴海はこの時、もっと別の非常に大胆な想像をしていた。おかげで動揺は深く、まともな言葉は口から出て来てくれない。

 ―――でもっ、嫌がるのは何か違う気がするしっ、とっても失礼な気もするしっ、里見君が勇気を出してくれた訳でもあるしっ、これはこれでいいのかもっ!?

そして再び孝太郎に抱き上げられた時、晴海はもはやこれまでと覚悟を決めた。
だが抵抗するつもりはない。心のどこかで、いつかはと思っていた事だったから。

「先輩、しばらく大人しく寝ていて下さい」
「へっ………?」

 しかし孝太郎は彼女を布団に寝かせただけで、素早く身体を引いた。晴海が想像してしまったような事は、起こらなかった。

「さとみくん、これはどおゆう………?」
「最近無理が多かったですし………せめてクランやルースさんが戻るまでは、静かにしていて下さい」
「まさか………これって………」

 そこでようやく晴海の顔に理解の色が走った。孝太郎が布団を敷いたのは、晴海の身を案じての事。
晴海が想像したような大胆な事は少しも考えていなかったのだ。

「きゃああぁぁぁぁっ!? いやああぁぁぁぁっ、私ぃっ、わたしぃぃぃぃっ、とんでもないことをぉぉぉっ、いやあぁぁぁぁぁんっ!!」
「あ、あれっ? 桜庭先輩………?」

困惑する孝太郎をよそに、晴海は布団の中に潜り込み、何とか孝太郎の視線から逃れようとする。
穴があったら入りたい、正しくそんな心境だった。
もしこのまま孝太郎と向かい合っていたら、恥ずかしさで本当に死んでしまうだろう―――晴海は本気でそう思っていた。



 この騒動の顛末を見て、大きく肩を落としたのがキリハだった。
この結末は流石のキリハも予想外で、常に冷静で知的な彼女にしては珍しく、非常に間の抜けた表情を(のぞ)かせていた。

「………馬鹿な………どうしてこうなるのだ? 孝太郎を手玉に取るチャンスなら、何度かあった筈だぞ………」

 もしキリハが晴海と同じ状況にあれば、最低でも二回、上手くすれば四回ほど孝太郎をからかうチャンスがあった。
そしてそのチャンスをどう生かせばいいのかは、想定問答集で教え込んであった。

『大きいブラザーは何もやってないのに、晴海ちゃんは手玉に取られたホー』
『不思議だホー。姐御(あねご)の教育が完全に逆効果になっているホー』

 だが晴海はそれにことごとく失敗した。
手も足も出なかった―――というよりも、何もしないうちから自発的に自滅していったような状況だろう。
これは今一つ人間関係を分かっていない埴輪でさえ分かる、鮮やか過ぎる惨敗だった。

「これは………やはり徹底的に向いていないのだろうな、晴海には………」

 今回の事で浮き彫りになったのは、やはり晴海には悪女が向いていないという事実だった。
孝太郎を前にすると、晴海はどうしても内から溢れる善意を抑え込む事が出来なくなる。
何かをしてあげたい、喜んで貰いたい、そんな気持ちが素直に働いてしまうし、すぐにそれが態度に出てしまう。
そしてそれらを精神の力でねじ伏せようとするから、過剰に緊張する。これは悪女以前の問題だった。

『姐さん、どうするホー?』
『諦めるのは可哀想だホー』
「正攻法では無理な事が分かった。そこで最後の手段に出ようと思う」
『最後の手段ホ?』
『そんなものがあるホ?』
「うむ、大胆な発想の転換が必要なのだがな」

 この悪い状況においても、キリハにはまだ最後の策が残されていた。
一つの問題に対して複数のアプローチを用意するのが成功の秘訣。
埴輪達は一度顔を見合わせて心配そうにキリハを見つめていたが、彼女の表情にはまだ自信が(みなぎ)っていた。



   ◆◆◆次回更新は8月28日(金)予定です◆◆◆

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