第4編 『バッドガール・ビギンズ』 シーン04

作者:健速

シーン04 : コペルニクス的転回


 最後の策に出る前に、キリハは一応晴海(はるみ)への再教育と、再度の実地訓練を試みた。
最後の策は奇策に(るい)するものなので、実行には慎重さが求められるのだ。
しかしやはり結果は(かんば)しくなく、結局は最後の策の実行を決めた。
晴海はキリハの想像よりも(はる)かに悪女に向いていない。もはやこれしか方法はなかった。



 キリハから今後は孝太郎(こうたろう)にいつも通りに接していいと言われた時、晴海は大きく安堵(あんど)した。
晴海自身も自分が向いていない事は分かっていたし、悪女をやる為にはいつも孝太郎の言動に目を光らせ気を張っていなければならない。
キリハには簡単な事でも、晴海にとっては大仕事。
だから普通に編み物研究会の活動をしていいというだけで、自然と笑みが(こぼ)れてしまうのだった。

桜庭(さくらば)先輩、何を笑ってるんですか?」

 孝太郎が編み棒を動かす手を止め、晴海の顔をじっと見つめる。
特に何かがあった訳でもないのに晴海が微笑んでいたので、不思議に思ったのだ。

「いえ………やっぱり慣れない事はするものではないなって」

すると晴海も編み棒の手を休め、より明確な笑顔を浮かべた。悪女をやる必要がないので、その反応は早かった。

「ああ、気持ちは分かります」
里見(さとみ)君も?」
「俺の場合、編み物がそうでしたから」

孝太郎も笑い出し、晴海に自分の編み物を見せる。
今でこそ孝太郎も迷わず編む事が出来るが、始めたばかりの頃は苦労の連続だった。

「そういえば、最初は窮屈(きゅうくつ)そうにやってましたね」
「力が入り過ぎて腕が筋肉痛になったり、指にまめが出来たり、散々でした」
「ふふふ、慣れない事にはつい力が入っちゃうんですよね」
「今にして思えば、何をやってるんだって感じですけど」

 二人は楽しそうに笑い合う。
そんな事をしながら、晴海はつくづく思った。
悪女に挑戦してみて分かった事だが、晴海は結局こういう何気ない幸せを求めていると。
それを再認識できたので、晴海は悪女への挑戦は無駄ではなかったのだろうと思っていた。

「でも桜庭先輩、慣れない事でも本当にやりたい事なら、やり続けた方がいいですよ」
「えっ?」
「俺の編み物みたいに」
「そうですね………そういう時は、頑張ってみようと思います」

 編み物は孝太郎が気持ちの整理を付ける為に必要なもの。
本当にやりたい事であったから、慣れない事でもやり続けて習得した。
だから孝太郎は、晴海も本当に必要な事であればやり続けた方がいいと考えていた。

 ―――私は本当に悪女になりたかったのかな………?

 晴海は改めてそれを自分に問い直す。すると晴海の願望は、必ずしも悪女そのものではない事が分かった。
孝太郎を困らせるのは別の方法でいいし、心の壁を崩すのもそう。晴海にはきっと、晴海らしい方法があるに違いない。
だから晴海が悪女にこだわったのは、無駄ではないのだろうが、失敗だったのだろう。

「最初は筋肉痛になりますけど」
「あは、覚悟してます」

しかし実は、晴海とキリハの想定外の部分で、悪女教育が効果を上げ始めていた。

 ―――筋肉痛………悪女なら大胆に攻めるところだけど、私には無理よね………。

 キリハが晴海に(ほどこ)した悪女教育は、直接的な成果は上げなかった。
今後もそうだろう。だが、その教育は晴海に少しだけ変化をもたらした。
その変化を感じ取り、孝太郎は不思議な気持ちを味わっていた。

 ―――なんだか、最近の桜庭先輩はこう………妙にドキドキさせられるな………何かが変わったって訳じゃないんだろうが………。

 晴海はもう悪女教育で得た技術を利用するつもりはないのだが、訓練中に出てきた状況やキーワードに遭遇すると、教え込まれた技術を思い出してしまう。
それが結果的に晴海に自分が女性であるという事を明確に意識させ、女性特有の魅力を引き出してくれる。
またそれを意識した事で照れ臭さも生じる。つまり状況やキーワードによって、晴海に突然色気が出るのだ。
 これはもちろん、晴海が意識してやっている事ではない。
しかし孝太郎の方は、晴海の変化を意識せざるを得ない。
時折不意打ちのように女性らしい魅力が襲ってくるから、対応に困ってしまったり、見惚(みと)れてしまったりする事が少なくない。
結果としてキリハの悪女教育は間接的に効果を上げ始めていた。

 ―――悪女………そうだわ、言わなきゃいけない事があったんだっけ!

 そしてこの会話の流れから、晴海は大事な事を思い出した。実は晴海には、孝太郎に言わなければならない事があったのだ。

「そうだ里見君、一つやってみたい事があるんですけれど、お手伝いをお願いしてもいいですか?」
「構いませんよ、何ですか?」

 いつも通りの笑顔、照れくさくて僅かに赤らんだ頬、そこに同居するようになった女性らしさ。
元々晴海の頼みを断るつもりなどないのだが、そんな彼女の雰囲気に誘われて、孝太郎はごく自然に首を縦に振っていた。

「実は私、悪女になりたいんです」
「悪女!? 桜庭先輩がっ!?」

 孝太郎は驚きのあまり編み棒を落としそうになる。
そんな孝太郎を見て、晴海は笑顔の種類を変える。それは本当に楽しい時の笑い方だった。

「あはは、正確には悪女の演技を覚えたいんですけれど………その練習に付き合って貰えないものかと」
「演技? ああ、なるほど、そういう事ですか。構いませんよ」

悪女の演技を習得したいと言われると、孝太郎は自然と演劇の事が頭に浮かんだ。
そして以前の演劇の時には二人で練習していたので、この時の晴海の頼みには別段抵抗は感じなかった。

「また二人で頑張りましょう」
「ありがとう、里見君っ!」

孝太郎は晴海の頼みを(こころよ)()()った。
この時の孝太郎は、晴海を立派な悪女に仕立てようと意気込んでいた。それがキリハでも不可能であった事だと、知らないままに。



 晴海からかかってきた報告の電話を終えると、キリハは大きく息を吐き出し、携帯電話をちゃぶ台の上に置いた。
そしてその傍に置かれていたお茶を一口飲む。
一〇六号室で電話を待つ間ずっと心配していたので、ようやく肩の荷が降りたキリハだった。

『どうなったホ?』
『晴海ちゃんはうまくやったホ?』
「孝太郎は晴海を悪女にすると約束した。どうやら成功したらしい」

 実はキリハの最後の策は、晴海が孝太郎に悪女訓練の協力を求めるというものだった。
悪女は出来ない事を要求したりさせたりして、相手を困らせる存在だ。
晴海が悪女になるのは不可能なので、孝太郎に悪女になる手伝いを求めるという事は、出来ない事を要求する事になる。
つまりこれによって孝太郎は困った状態に(おちい)り、定義上は晴海が悪女になる事に成功する訳なのだった。

『姐さんは天才だホー』
『本物の悪女だホー』
「やれやれ、一時はどうなる事かと思ったが………」

 キリハはこの結末に満足していた。悪女のやり方は女の子の数だけ存在している。
晴海には晴海のやり方がある。晴海なりに孝太郎を手玉に取った訳なので、悪女になる事に成功したと言えるだろう。
晴海にその自覚があるかどうかは、また別の話なのだが。

『でも(あね)さん、どうして晴海ちゃんに協力したんだホ?』
姐御(あねご)は大きいブラザー―――孝太郎と結ばれたいんじゃなかったホ? ライバルに協力してよかったホ?』

 だが埴輪達はそんなキリハが不思議だった。
自分が好きになった男性に好意を寄せる別の女性に協力するのは、賢い行動とは言えない。
埴輪達にはキリハが自滅したがっているようにしか見えなかった。

「………結ばれる事よりも、もっと大切な事がある。その為には晴海の力も必要なのだ。これまで以上にな」

だがキリハは迷いのない瞳でそう言い切った。その瞳は晴海に勝るとも劣らないぐらい、深い愛情と優しさで満ちていた。

『………姐さんは本当に大きいブラザーが好きなんだホ。普通はそこまで出来ないホ』
『姐御は悪女のふりが得意だけど、やっぱり悪女向きじゃないんだホー』
「秘密だぞ?」
『がってんだホー!』
『おいら達は口が堅いホー!』

 とても器用そうに見えるのに、結局は真っ直ぐにしか生きられないキリハ。
埴輪達はそんな主人の姿を見て、密かにある決意をする。

『ホー、ホー』
『ホホーホー』

 その決意とは、いずれ孝太郎にこの時の経緯(けいい)を全てバラそうというものだった。
それは不器用な主人の為の、ささやかな反逆だ。
つまりカラマとコラマは悪女の主人を見習って、悪埴輪になるつもりでいるのだった。



   ◆◆◆次回更新は11月6日(金)予定です◆◆◆
(※編集部都合により、第5編の掲載日を10月2日から11月6日に変更させて頂きます。申し訳ございません。)
(※第6編はこれまで通り偶数月、12月の更新予定です。 11月、12月の連続更新となりますので、お楽しみに!)

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