第5編 『なぐり逢えたら』 シーン03

作者:健速

シーン03 : 多面的アプローチ

 クランが本格的に格闘技の練習を始めるにあたり、まず動き易いスポーツウェアを買いに行く事になった。
 実はクランは運動向きの服を持っていなかった。
手持ちの中では研究用の作業着が一番動き易いが、安全第一で頑丈な生地でできているので、ごわごわしてスポーツのレベルでは動き難い。そこでちゃんとしたものを買いに行こうという話になったのだった。

「何もここまで本格的にやらなくても………」

 だがクランは少しだけ渋っていた。
ウェアを買ってしまうと目に見えて大きな変化が起こり、これまで避けてきた事を始めるんだと明確に示される。
彼女にはそれが照れ臭かったのだ。

「何事もまずは形からって言うからな。丁度いい機会だろ」
「嫌がるのはウェアを見てからでも遅くはないと思うの。見るだけならタダだし」

 だから今は、孝太郎(こうたろう)(しず)()が二人でクランを引っ張っていくような状態だった。
どうせやるならちゃんとやろう。体育会系の二人はそんな意見で一致していた。

「でも………向いていないような気がしますし………」
「やっているうちに考え方だって変わってくるわよ。新しい事を始めるんだもの、不安はあって当然だわ」
「大家さんの言う通りだぞ。何事もやってナンボだ。お前が科学が得意なのも、始めてから分かったんだろうが」
「それはそうですけれど………」

 クランは横目でちらりと孝太郎を見る。孝太郎に構って欲しいクランだが、無様な姿を見られるのは恥ずかしい。
単に新しい事が不安というだけでなく、そういう乙女の事情もあって怖気づいている訳なのだが、それを孝太郎に言う訳にもいかない。クランとしては難しいところだった。

「………あなたは単にスポーツ用品店で野球の道具が見たいだけじゃありませんの?」

 そんなクランに出来た事は、ちょっとした憎まれ口を叩いて抵抗するぐらい。
その視線にもありありと恨みがましい感情が現れていた。

「それが無いとは言えない」
「ぬけぬけとっ、本当はわたくしの事なんてついでなのでしょうっ?」
「滅相もない。クラリオーサ皇女殿下が常に最優先です」
「あなたがそういう仰り方をする時は、大抵その逆が真実ですわっ!」
「ぶつくさ言ってないで行くぞ。セールは今日で終わりなんだから」
「帰りにあなたが何を持っているかが、目に浮かぶようですわっ!」

 もちろん孝太郎も言われっぱなしではないので、すぐにクランとの憎まれ口の叩き合いに発展する。
そのおかげでクランの弱気は姿を消していたのだが、クランはその事に気付いた様子はないようだった。

 ―――なんだかんだで、いい関係なのよね、この二人。ただ………。

 静香はそんな二人の様子を微笑ましい気持ちで見守っていた。でも二人は共に意地っ張りなので、ぎりぎりのところで素直になり切れない。だから静香は、そんな二人の間で緩衝材になるのが、自分の役目だろうと考えていた。



 スポーツ用品店に入るなり、孝太郎は野球用品のコーナーへ飛んでいってしまった。
おかげでスポーツウェアのコーナーにいるのはクランと静香の二人だけだった。

「皇女殿下が最優先と仰ったくせにっ、結局野球の道具が目的じゃありませんのっ!」

 クランは置いてきぼりにされた事を怒っていた。実は孝太郎が一緒にウェアを選んでくれるのかと密かに期待してたのだ。

「まあまあ落ち着いて。それだけが理由じゃないだろうし」
「そんな訳ないですわっ、あの嬉々とした顔っ」

 期待してしまった分だけクランの怒りは深く、静香がなだめようとしても収まらない。
そこで静香はもう少し踏み込んで孝太郎の事情を伝える事にした。

「あの男は―――」
「クランさん、周りをよく見て」
「―――わたくしの事なんてって、なんですの?」
「ここってウェアだけじゃなくて、下着まで扱ってるでしょ?」

 女性用のスポーツウェアのコーナーには、下着まで置かれていた。
最近は技術の進歩が目覚ましく、吸水性が高い素材や、触るとひんやりする素材を使った、高機能の下着類が多数存在している。デザインも工夫されていて華やか、一つの大きな市場を形成するに至っていた。

「クランさんは里見君に洗濯をさせていたから意識は薄いんでしょうけれど、普通は男の子は女の子の下着のコーナーには居辛いものよ」

 そして高機能の下着類は、スポーツウェアと向かい合うようにして陳列されている。
結果的に年頃の男の子には居辛い空間になっていた。

「あっ………」

 静香に言われた事で、クランはようやく周囲の状況に目が行くようになった。
この場所に陳列されている商品は半数近くが下着類、加えてクランや静香以外にも女性客が何人もやってきている。
おかげでクランにもこの状況は男の子には辛い事が理解できた。

「本当なら、クランさんのウェア選びは私に全部丸投げでも良かったのよ。なのにお店まで一緒に来てくれてる。男の子としては、大分気を遣ってくれている方だと思うわ。もっとも、マッケンジー君なら涼しい顔で一緒に選んでくれそうだけど」
「か、関係ありませんわっ、そんな事っ。それよりウェアですわっ!」

 クランは静香の言葉を否定すると、陳列されているウェアに近付いていく。

 ―――ホント、意地っ張りって損よね………。

 だがクランの言葉からは刺々しさが消えていたから、静香は小さく微笑むとクランの横に並び、一緒にウェアを眺め始めた。



 幾ら研究一筋とはいえ、クランも女の子。だからウェアを選ぶ最初の基準は可愛い事。
そしてその上で使い易いものを、という発想になる。だから最初に手に取ったのは、色の濃さが違うピンク色の生地を複数使った、可愛らしいデザインのウェアだった。

 ―――わたくしの身長や体型からすると、この辺りのデザインがいいのではないかしら………?

 クランはウェアの上着を胸に当て、近くに置かれていた大きな鏡で似合うかどうかを確認する。
そのピンク色のウェアは、彼女の肌や髪、目の色によく合っていた。
強過ぎない色彩が彼女の繊細な容姿を引き立て、可愛らしいデザインがそれをより華やかに感じさせる。
最初に手にしたものだったが、これで全く問題がないと感じられるぐらい、クランによく似合っていた。

「あら、すごくいいじゃない、それ」
「そ、そう思いまして?」
「ええ! きっとみんな可愛いって言ってくれると思うわ」
「可愛い………みんなが………」

 クランは軽く頬を赤らめると、自分の身体を見下ろす。
静香に褒められた事で、自分の感じ方は間違っていなかったと少しだけ安堵していた。

 ―――みんなって………ベルトリオンも………?

 だがそこでクランは小さな不安を感じた。
みんなの中に一人だけ、違う感じ方をする人間がいるかもしれないという事に気付いたのだ。

 ―――こんな格好………らしくないって、笑われてしまうんじゃ………?

 クラン自身としては、そのピンク色のウェアには一目惚れに近い感情を抱いている。
しかし一番褒めて貰いたい相手に褒めて貰えなかったらという不安があった。
普段の彼女とはあまりにもかけ離れたデザインだったから。

「もっと、シンプルなウェアはないかしら………」
「他のにするの? それ、とっても似合ってると思うけど」
「あんまり普段と違い過ぎる格好で、笑われたくありませんもの………」

 結局クランは最初のウェアを陳列用の衣装掛けに戻すと、別のデザインのウェアを物色し始めた。
華美に走らず、皇女らしいつつましいデザインがいい。そうすればきっと笑われない。
格闘技を始めると決めた時とは違って、彼女を前向きにさせる材料が乏しく、後ろ向きな考えがクランを支配しつつあった。

 ―――これは悪い展開ね………。

 静香にはクランの胸の内がおぼろげに想像がついていた。
クランが最初のウェアを陳列用の衣装掛けに戻す時、ほんの一瞬野球コーナーの方を見たからだった。

 ―――こうなったら………よし!

 このまま放っておくと誰の為にもならない。
そこで静香はこっそりクランの下を離れ、問題の原因となっている人物に会いに行く事に決めたのだった。



 部活動で野球をやる事はなくなっても、孝太郎は未だに野球が大好きだった。
今でも休日などに時折クラスメイトと野球をやったりする。だから野球用品はいつでも使えるように準備を怠らない。
この日はくたびれ気味のシューズを買い替えようかと、シューズが並んでいるコーナーにやってきていた。

「………うむむむ………予算ギリギリか………悩ましいところだな………」

 孝太郎が欲しいシューズは、想定していた予算の上限ギリギリの値段だった。
ギリギリならそれを買えばいいかというと、そういう訳ではない。
シューズはすり減ったスパイクを交換するだけに留めれば、グローブの手入れに使うワックスや、予備のアンダーウェアなどを買う事が出来る。限られた予算をシューズに使うか、それとも全体的なメンテに当てるか、孝太郎はそこに悩んでいるのだった。

「この靴を買うの?」

 そんな悩める孝太郎の背中に声がかかった。孝太郎が振り返ると、そこには静香の姿があった。
彼女は孝太郎の横に進み出ると、これまで孝太郎が見つめていたシューズに目を落とした。

「大家さん………それが、どうしようか悩んでます。予算ギリギリなもので」
「あはっ、相変わらず趣味にはアルバイト代しか使わないのね?」
「そりゃあ、親父やティアのお金で買うのはかっこつかないですから」

 現在の孝太郎には、目の前のシューズなど何十足と買ってもびくともしないだけのお金がある。
それは父親からの仕送りや、ティアがくれる騎士の俸給によるものだった。
だが孝太郎は自分の趣味には、そのどちらも使いたくはなかった。
 仕送りは父一人子一人の父子家庭の父親が生活と勉強の為にと送ってくれたものだ。
だからそれらは家賃や学費など、高校生活に必要な事だけに使われる。
これは孝太郎のプライドの問題で、父親の負担にならないように、つまり一人の男として恥ずかしくない使い方をしたかったのだ。

 ティアからの俸給も状況は似たようなものだった。
孝太郎はティアの家臣になったが、お金が貰えるから家臣になった訳ではない。
だからそのお金を自分の為だけに使ってしまうと、矛盾しているように感じられてしまう。
その為ティアがくれる俸給は全額が貯金され、一〇六号室の複数の人間が必要としている時にだけ利用される。
みんなで遊びに行ったりとか、全員の夕食を高級肉のすきやきにするとか、そういう場合だった。

 こうした事情から、孝太郎の趣味や遊ぶ為のお金は、遺跡発掘のアルバイトからしか出ていない。
だからシューズ一足にこれほど悩む訳なのだった。

 ―――ふふふ、どっちもシューズぐらい買ってやりたいと思ってるでしょうに………
      男の子は男の子で大変ね。でも今は女の子の問題の方を………。

 静香はそうやって内心で小さく苦笑しながら、彼女が孝太郎のところへやってきた目的を果たそうと口を開いた。

「ところで里見君、悩んでいるところを申し訳ないんだけど、ちょっと相談したい事があるの。いいかな?」
「相談ですか? 構いませんけど」

 孝太郎はすぐにシューズの事を頭の中から追い出し、静香に目を向ける。孝太郎の悩みは急ぐようなものではないのだ。

「実はクランさんのウェアの事なんだけど………」

 そして静香の声は何処となく深刻そうだった。だから孝太郎としては、シューズの事は後回しで構わなかった。

「クランの?」
「ええ。クランさんは可愛いウェアが欲しいみたいなんだけど、自分が可愛いのを着たら似合わない、笑われちゃうって、地味なのを買おうとしてるのよ」
「あいつがそんな事を………?」

 静香の話を聞いて、孝太郎は思わず女性用のウェアの売り場の方に目をやった。
売り物が邪魔で上半身しか見えなかったが、クランは売り場を行ったり来たりしている。
どうしようか悩んでいる様子がありありと伝わってきていた。

「きっとあの時の事が悪かったんだわ」
「あの時?」
「ほら、お料理コンクールの時の………里見君はクランさんをコンクールに参加させる為に、料理なんか無理だって笑ったでしょう? きっとあれを気にしてるのよ」

 孝太郎は以前、クランのプライドを刺激してお料理コンクールに参加させた事があるのだが、静香はそれがクランの気持ちを後ろ向きにしてしまっていると考えていた。

「俺のせいで、あいつが………」
 その時の事は、孝太郎も覚えていた。そして意外なところで繊細なクランなら、それもありそうだと感じていた。
「ううん、あれは里見君だけじゃなくて、私のせいでもあるわよ。運も悪かったし」

 その時の経緯や刺激の仕方、そして結末が悪かった。
静香はコンクールの参加者が喉から手が出るほど欲しかった。
孝太郎がクランをからかったのは、それを知ってクランを参加させる為だ。
また孝太郎が笑っても、クランがそれなりの料理を作れていれば何も問題はなかった。
ほれ見た事か、わたくしはきちんと料理が出来る―――そんなクランに孝太郎が詫びれば済む筈だった。
しかし結末は不運にもナノマシン同士の戦争という大失敗。結果的にクランは新しい事へのチャレンジを恐れるようになった。
静香の願望、孝太郎の手段、クランの不運、三拍子がそろって生じた不幸だった。

 そんなクランが格闘技を始められたのは、強い動機とPAFの開発という言い訳があったからだ。
だが可愛いウェアにはそういう後押しがない。クランが二の足を踏んでしまうのは仕方のない事だろう。

「だから何とかしてあげたくて。里見君、何かいい方法はないかしら?」
「そうですね………ちょっと待ってください………」

 静香はこのままでいいとは思っていない。静香の願いが引き起こした事だからだ。これには孝太郎も同感だった。
孝太郎の場合は手段を誤っている。そこで孝太郎と静香は一緒になって頭を悩ませ始めた。

「まず前提として、クランが本当に欲しいものを買うようにしたい」
「でも里見君、ただ買わせるだけだと、クランさんは実際に袖を通して里見君が褒めるまで不安な時間を過ごす事になるわよ?」
「かといって、俺が可愛いのを買えって言うのも嘘くさいでしょう?」
「そうね………それはそれでクランさんが勘繰りそうだし………何か必然になるような事情があればいいんだけど………」

 すぐには結論は出ない。予期せず傷付けてしまった埋め合わせは、なかなかに難しい問題だった。

 ―――やはり何かしらの代償は必要か。仕方ない。

 そこで孝太郎は覚悟を決めた。それはクランを傷付けてしまった分だけ、自分が代償を支払う覚悟だった。

「大家さん、大家さんからクランが欲しいウェアを買うように言ってくれませんか?」
「それはいいんだけど、何か理由が必要よ?」
「大家さんが同じものを買うなら、クランも安心の筈です」

 クランが欲しいウェアを静香も気に入り、一緒に同じものを買う。もし孝太郎がクランを笑えば、静香も気を悪くする。だから孝太郎はからかったりしない筈―――そういう風に静香に誘導して貰おうというのだ。だが、この方法には一つ大きな問題があった。

「でも里見君、私は今日そんなに持ち合わせがないのよ。その方法は無理だわ」

 静香は大家として収入があるが、お金を使い過ぎないように、自分で定めた小遣い制を守っている。
静香は孝太郎のアイデアには賛成だったが、残念ながらその為の予算が足りなかった。

「このお金で、クランと大家さんのウェアを買って下さい」

 そんな静香に向かって、孝太郎は自身の財布を差し出した。
今日は野球用品を買う為に来たので、孝太郎の財布には静香とクラン、二人分のウェアを買うのに十分な額が入っていた。

「でもこれはシューズを買うんじゃ?」
 もちろん静香も簡単には財布を受け取れない。まだ高校生の二人だから、その額は決して簡単なものではないのだ。
「男には責任を取るべき時があります」
「じゃあ、私の分は後で―――」
「プレゼントなのに、片方からだけお金を取るのはおかしいでしょう?」
「それは、そうかもしれないけど………」

 孝太郎が二人にウェアをプレゼントするというのは、クランを説得するのに十分な言い訳になるだろう。
孝太郎からのプレゼントだから、二人で同じものを買うという構図に説得力が出るのだ。
それなのに静香がお金を出すのでは、理屈が合わなくなってしまう。

「それに………たまには大家さんにもいい事があったっていいじゃありませんか。いつも人の心配ばかりしているんですから」

 クランへのプレゼントはお詫びの意味があったが、孝太郎は静香にもプレゼントがしたかった。
家族のない静香は、基本的にプレゼントを貰う頻度が低い筈だったから。それに静香はいつも人の心配ばかりしている。
料理コンクールではゆりかを、今回はクランを心配していた。
そんな静香に日頃の感謝を示し、その頑張りを讃えるのは、決して悪い事ではない筈だった。

「………さとみくん………」

 静香は目を丸くする。孝太郎がそんな事を考えているとは、思いもよらなかった。

 ―――きっと、全然分かってないんだろうな………そんな風に言われたら、私が何を思うのか………どうしようとするのか………。絶対に見苦しくしがみつくわ………だって、里見君みたいな人は、他にはいないもの………。

 静香は嬉しくて泣き出しそうになっていた。
だが胸に手を当てて、溢れ出しそうな涙を必死で堪える。今はただ、笑っているべき時だった。

「………高くつくわよ、里見君」
「覚悟してます」

 そうして孝太郎に笑いかけながら、静香はつくづく思う。
やはり孝太郎は、あの一言でウェアどころではないものを買ったという事に、まるで気付いていないようだ、と。



   ◆◆◆次回更新は11月27日(金)予定です◆◆◆

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