第5編 『なぐり逢えたら』 シーン04

作者:健速

シーン04 : 問題の解決

 クランが新しいウェアに袖を通したのは、買いに出掛けた日の翌日の事だった。
厳密には何度か自分の部屋で試着を繰り返しているのだが、他人の目に触れるのはこれが初めてだった。

「あら、やっぱりよく似合うじゃない」

 そんなクランに笑いかけたのが(しず)()だった。
静香もクラン同様に新しいウェアを身に着けているのだが、まずはクランを目立たせようと以前から使っているジャンパーを羽織っている。静香なりのお詫びの印だった。

「そ、そう思いまして?」
「うん。アップにした髪型ともバッチリあってるし、可愛くて元気な感じに仕上がってると思うな」
「そうですの………それは良かったですわ………」

 静香の肯定的な言葉に、クランはホッと胸を撫で下ろした。
実はウェアを買って帰ってから、髪型をどうするのかで悩みに悩んだ。
そしてウェアを着たまま何種類もの髪型を試した結果、今の髪形に落ち着いた。
自信があってこれと選んだ訳ではなかったから、静香の言葉に安堵は大きかった。

「お世辞抜きで、とっても可愛いと思うわ」

 言葉の通り、静香は本当にクランを可愛いと思っていた。
元々素材が良いのに加え、いつもドレスや研究用の白衣、作業服だったので、実際以上に華やかな印象がある。
このウェアで本当に良かった、静香はそう思っていた。

「ありがとう、シズカ。そう言って貰えると………嬉しいですわ」

 クランも笑顔を作った。クランも女の子なので、可愛い格好には(あこが)れがある。
だから運動用のウェアとはいえ、それを達成できた事は大きな喜びだった。
クランは静香が一緒にウェアを買いに行ってくれた事に感謝していた。多少照れ臭くはあったのだが。

「これならきっと里見(さとみ)君も()めてくれるわ」
「だといいんですけれど………」

 孝太郎(こうたろう)の名前が出ると、クランの表情が少しだけ曇ってしまう。
やはりクランにとっては過去の世界でずっと苦楽を共にしてきた相棒の評価は無視できない。
それでいて苦楽を共にしてきた事自体が、孝太郎とクランの関係を男女のものから遠ざけてしまっている。
今更可愛いと思って貰えるのかどうか。またらしくない事をしていると笑われるのではないか。クランの不安は尽きなかった。

「心配しなくて大丈夫よ。私と同じ格好してるんだから、いつもみたいにからかったりはできないから」
「………言わなくても、思っていたら同じですわ………」

 静香がフォローしてもクランの表情は晴れない。むしろ時間の経過と共に、その表情はだんだん不安の色を濃くし始めていた。
常に最悪を想定するのが科学者の務めだが、女の子としてはそれが大きく足を引っ張っているようだった。

 ―――これは、言ってあげた方がいいのかもしれないな………。

 このままではいけない―――そう感じた静香は、秘密にしておく(はず)だった事を暴露してしまう事に決めた。

「クランさん、いい事教えてあげましょうか?」
「えっ?」
「本当は口止めされてたんだけど………実は私がこのウェアを欲しいって言ったの、里見君の差し金なの」
「ベルトリオンのっ!?」

 眼鏡の向こう側でクランの瞳が限界まで見開かれる。
静香の言葉はクランが想像もしなかった事だから、すぐには信じられなかった。
だからクランはいつになく慌てた様子で早口に訊き返した。

「どっ、どういう事ですのっ!?」
「実は里見君、お料理コンクールへの参加を決める前に、クランさんには料理ができないだろうって笑った事を後悔していたらしいの」
「あの時の事を………」

 クランもその時の事ははっきりと覚えている。そしてその後の大失敗も。
今の姿を不安に感じてしまう事には、その時の事が少なからず影響している。
また笑われたら嫌だという発想は、その時の経験が思い起こされて生じるのだから。

「でも里見君は男の子だから、クランさんとのこれまでの付き合い方の問題もあって、面と向かっては謝れないわけ。だから私へのプレゼントを口実にして、クランさんにもプレゼントでこっそり詫びようって事なの。男の子も大変よね?」
「そんな事が………これは、ベルトリオンのお詫び………そう、でしたの………」

 クランは反射的に自分のウェアに目を落とした。
これは孝太郎がクランに女の子らしくないと言ってしまったお詫び。そしてクランに女の子らしい姿をさせる為にプレゼントしてくれたもの。その事が少しずつ心の中に沁み込み、クランの不安を溶かしていった。

「で、でも今更詫びても遅いですわっ! わたくしの心を(もてあそ)んだ事がっ、プレゼント一つで誤魔化せると思ったら大間違いでしてよっ!」

 不安が消えた事で、クランはいつもの元気を取り戻していた。
直前までの後ろ向きな印象は完全に消え、まるで別人のようだった。そんなクランを見て、静香は微笑む。

「………男の子も大変だわね、これじゃあ………ふふふふっ………」

 クランは口では孝太郎を非難しているのに、その表情はとても明るい。
そして自分が着ているウェアを繰り返し見て、乱れや汚れがないかを確認している。鏡を覗き込んで髪型のチェックにも余念がない。その様子からクランの本心は明らかなのだが、彼女はそれを直接口に出来ない。
結局は孝太郎といい勝負。二人とも素直ではない―――だから静香は笑うのだった。



 クランと静香は既に格闘技の練習場所にしている広場へやってきていたのだが、孝太郎はまだ姿を現していなかった。
正確には、やってきていたのに出ていけなかった、というのが正しいだろう。

「………里見君はどうしてこんな場所に隠れているの?」
「大家さん………よくここが分かりましたね?」
「この辺りには里見君以外に大きな生き物の気配がないんだもの」

 静香はなかなかやってこない孝太郎を不思議に思い、クランに準備運動をさせつつ、自分で捜しにやってきた。
そして静香の鋭敏(えいびん)な感覚が、物陰に潜んでいる孝太郎を発見したのだった。

「出辛い?」
 静香はしょうがないなあという顔で笑っていた。孝太郎はそんな静香に向かって、肩を竦めて見せた。

「出辛いというか………何て言ってやればいいか、分からなくて」

 孝太郎はこの場所に隠れていたというよりは、クランと会う前に適切な言葉を探していたというべきだった。

「素直に思ったままを言えばいいのよ」
「クラン相手だと、どうにも憎まれ口が出てしまうんです」

 孝太郎は苦笑すると、素直に静香の言葉に答えた。静香には素直になるのが簡単だったが、クラン相手だとうまくいかない。
孝太郎もそんな自分の悪い癖を自覚しているので、本音と悪い癖が折り合える、ぎりぎりの言葉を探していたのだ。

「それは怒ったクランさんが可愛いから? それともクランさんに甘えているの?」
「………手厳しいですね、大家さんは」

 静香は曖昧(あいまい)な態度を良しとせず、容赦(ようしゃ)なく孝太郎の本音に斬り込んで来る。
それは格闘家らしく一撃必殺、孝太郎の痛いところを直撃する言葉だった。

「どっち?」

 静香は声も視線も優しい。しかしそのどちらにも、筋の通った明確な意思が込められている。
孝太郎はそれに抗う事が出来ず、仕方なく本心を明かした。

「そうですね………多分、その両方なんじゃないかと」
「つまり里見君は、クランさんを可愛いって思ってる。この間の失言も詫びたい。でも面と向かったら違う事を言いそうで、ここで逃げ道を探していたと」
「本当に手厳しいですね、大家さんは。そんなところです」

 これが格闘技の試合なら、いわゆる秒殺レベルの完敗だろう。
もはや孝太郎は白旗を()げて降参する以外になかった。

「ふふふ、素直で宜しい」
 そんな孝太郎に満足した静香は、ジャンパーのポケットの中から何かを取り出し、それに向かって話しかけた。
「………そういう事みたいよ、クランさん」
「大家さんっ、それはまさかっ!?」
「ぴんぽーん、その、ま・さ・か♪」

 静香が手にしていたのは、いつもクランやティアが使っている腕輪だった。
そして腕輪は通信機能が起動されていて、この場所での会話をどこかへ送り続けていた。
その相手はもちろん、準備運動している筈のクランだった。

『あの………ベルトリオン、その………』
「あ、ああ………」

 腕輪からクランの声が聞こえてくる。その声に誘われて、孝太郎は反射的にクランの方を見た。
すると彼女は広場の真ん中で、孝太郎の方を見ていた。その顔は真っ赤で、自分の服や髪の様子をしきりに気にしている。
それはこれまでのクランからは大きくかけ離れた、とても女の子らしい、魅力的な姿だった。

『もう、何も仰らなくて構いませんから………そ、その、近くまで見に来て、下さいませんか?』
「分かった、すぐ行く。でも、言うべき事はちゃんと言うから」
『………はい………お待ちして、おりますわ………』

 その言葉を最後に、クランとの通信は途切れた。
孝太郎にも、この先は面と向かって話すべきだと分かっている。
覚悟を決めた孝太郎は物陰を抜け出した。
広場の真ん中では、クランが胸を高鳴らせてまっている。これ以上、待たせる訳にはいかない。
孝太郎はクランに向かって近付いていった。

「よし、任務完了。まったく、二人とも世話が焼けるんだから………」

 孝太郎とクランが迎えた結末に満足すると、静香は腕輪をポケットにしまいこんだ。
その顔は本当に嬉しそうだった。
孝太郎はそんな静香の様子に気付き、小さく微笑んだ。

「結局、大家さんは最後まで人の世話ばかりですね?」
「自分だけ楽しくても落ち着かないのよ。これも大家の性分かしら?」

 静香は事もなげに笑う。それで当たり前だと考えているから、その笑顔には透き通るような美しさがあった。
しかし孝太郎には、むしろそこが心配だった。

「それじゃあ損してばかりですよ」
「そ・れ・は、里見君には言われたくありませんっ♪」

 静香はからかうような調子で切り返した。
静香から見れば、孝太郎は自分以上に損をしている。その孝太郎から損をしていると言われるのは心外だった。

「大家さん………」

 その笑顔を見て、孝太郎は静香には(かな)わないなという思いを強くする。
そして同時に、幸せにならなければいけない人だとも感じていた。

「それにね、私が不幸だと思うんなら、そう思う人が対応すればいいのよ」

 静香はそう言うと、挑戦的な瞳で孝太郎を見上げる。
『私は不幸みたいなんですけど、放っておくつもりですか?』
 孝太郎にはその瞳がそう言っているように思えた。

「私にだって、きっといい事あるわよ。そう思わない、里見君?」
「………思います」
「ホラ、問題ないでしょう?」
「大家さん、あなたは………」
「んっ?」
「………いえ、何でもありません。行きましょう、クランが待ってます」
「ええ。やる事が沢山あるものね?」
「はい」

 そうして孝太郎と静香は、クランと合流すべく走り出した。
これから起こる事は普段と大して変わりがない事ばかり。
お喋りをしたり、格闘技の練習をしたり、あるいは多少の口喧嘩をしたりというものだ。
けれど、きっといい事があるだろう。今の三人は、その事を少しも疑っていなかった。



   ◆◆◆次回更新は12月4日(金)予定です◆◆◆

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