第8編 『帰るまでに行っておきたいいくつかの場所』 シーン01

作者:健速

シーン01 火竜帝、目覚める



 孝太郎(こうたろう)達が住んでいる吉祥(きっしょう)春風市(はるかぜし)にも幾つか山はある。
だがそれは登山をするような山ではなく、手軽にハイキングが楽しめる丘と山の境界線上にある様な代物だ。もし登山がしたければ、隣町まで行く必要がある。
隣町は北側が斜面になっており、そのまま山に続いている。
この山は標高こそ二千メートルに届かないものの、手頃なアップダウンがあり登り甲斐があり、この地域では人気の登山スポットだった。
そしてもう一つ、この山が人を惹き付ける大きな理由があった。

『この秋は丸川(まるかわ)(だけ)温泉郷へ! 豊かな湯量と効能を誇る温泉と山の幸が、あなたの疲れた心と身体をリフレッシュ! お土産には人気の黒温泉卵を是非お買い求め下さい!』

 六畳間に置かれた小さなテレビに、その理由が映し出されている。隣町の山には温泉があり、人気の観光スポットとなっていた。
土曜に登山、温泉宿で一泊、それが鉄板の観光スケジュールだった。

『………黒温泉卵?』

 (しず)()の目を通して何気なくテレビを見ていた()(りゅう)(てい)アルゥナイアは、その不思議な物体に目を留めた。
それは名前が示す通り、真っ黒になった卵だった。

「あれ、おじさまは温泉卵は初めてでしたっけ?」

 同じものを見ていた静香は、まるで目の前にアルゥナイアがいるかのように、彼の呟きに応える。静香の言葉は穏やかで、リラックスしているのがよく分かった。

『うむ。温泉卵というのは、どういうものなのだ?』

 アルゥナイアの言葉と同時に、妙に丸っこい姿をした彼が静香の前に出現する。その大きさは三十センチもない。見た目といいサイズといい、ぬいぐるみにしか見えない。それは話をする時に便利なように、アルゥナイアが作り出す幻影だった。
アルゥナイアは声の出所と視点をその幻影に移す事が出来る。カメラとマイク、スピーカーを仕込んだぬいぐるみと考えると丁度いいだろう。

「ええとね、温泉卵っていうのは大雑把に二種類あって―――」

 静香はそんな可愛らしいアルゥナイアに笑顔を向けると、彼の抱えている疑問に答えてやる。ぬいぐるみのような姿のアルゥナイアは、それを興味深そうに聞いている。最近の二人は、そうやって本当のおじと姪のように過ごすようになっていた。

「―――料理として一般的なのは、卵の黄身だけを固めて白身は半熟のまま残す、ちょっと変わったゆで卵の事よ」
『黄身だけを固める………そんな事が出来るのか?』
「うん。実は卵の黄身と白身は固まる温度に違いがあるの。それを上手く利用すると、黄身だけを固く出来るのよ」
『なるほど、黄身の方が低温で固まり始めるのだな』
「そういう事。興味があるなら今度作ってあげましょうか?」
『頼む、とても興味がある』
「ふふふ、りょーかい。それでね、おじさま。さっきCMでやってたのは、そうじゃない方の温泉卵なの」
『確か、二種類あると言っていたな。そちらという事か』
「ええ。温泉地では、温泉のお湯を使ってゆでたり蒸したりして作るゆで卵の事も、温泉卵って言うの。さっきの黒温泉卵は、温泉の成分のせいで殻が黒く変色したものよ」
『ほうほう………こちらは温泉風味のゆで卵という事か』
「そういう事。こっちはうちでは作れないから、行ってみるしかないわね」
『なるほど………』

 アルゥナイアの目がきらりと光る。そしてそのつぶらな瞳が再びテレビの方を向く。そこにはもうCMは映し出されていなかったが、彼の意識が温泉卵に向いている事は明らかだろう。

「ふふふ、おじさまったら………」

 静香はそんなアルゥナイアの姿を見て微笑む。身近に孝太郎が居るので、静香はそういう男性特有の反応には理解があった。
同じ理由から、彼女はこの翌日に温泉のガイドブックを買う事になる。
日頃世話になっているので、お返しにも丁度いいだろうと思っての事だった。



 普段は静香の中にいるアルゥナイアだが、温泉のガイドブックを手に入れてからは例のぬいぐるみのような姿でいる事が多くなった。
ガイドブックを読む為にわざわざ静香の手を(わずら)わせる訳にはいかないというのがその理由だった。

『ふんふん………まず殻に鉄分が付き、そこに硫化水素が反応して、硫化鉄に………』

 ぬいぐるみにしか見えないアルゥナイアがちゃぶ台の上に座って温泉のガイドブックを読んでいるので、その姿は非常にユーモラスかつファンタジックだった。

『硫化水素………シズカよ、硫化水素とは何だ?』
「硫化水素っていうのは………硫化した水素の事よ」
『硫化した水素とは何だ?』
「キリハさーん、助けてー!!」

 ガイドブックを読み始めたアルゥナイアは、時折その手を休めては(かたわ)らにいる静香に質問を投げかける。
火竜帝は地球の情報に疎いから、質問の数は多い。大半は一般常識なので問題はなかったが、温泉の成分や効能などの話になった時に静香では手に負えない事が少なくなかった。そうなると出番になるのが部屋で洗濯物を畳んでいるキリハだった。

「アルゥナイア殿、硫化水素というのは爆発性の気体と硫黄が結びついて出来た、人間にとって毒となる気体だ」
『爆発性の気体?』
「水に電気を流すと、蒸発とは別に、気体が発生する事は御存知か?」
『知っている。雷霆王の奴が水辺にいるとそうなる』
「その時に発生している気体は二種類。物を燃やしたり人間が呼吸に使ったりする酸素、そして爆発する水素だ」
『という事は、雷霆王の奴が水辺にいる時に火を着けると爆発するのか?』
「混合比にもよるが、理論上はその筈だが」
『これは良い事を聞いた! 今度やってみよう!』
「………おじさまぁ………」
「その水素と硫黄が結びついた気体が硫化水素だ。腐食性の気体なので、それが鉄と反応すると黒くなる」
『よく分かった、ありがとう』

 キリハの簡潔な説明で疑問が解消したアルゥナイアは上機嫌でガイドブックの読書に戻る。
それを見届けたキリハは小さく微笑むと、自らも洗濯物を畳む作業に戻った。

「ありがとね、キリハさん」

 アルゥナイアが無事に読書へ戻ってくれたので静香は安堵する。するとキリハは孝太郎のシャツを畳みながら、静香に笑いかけた。

「なに、この国を好きになって貰うのは良い事だろう」
「いずれ竜達が大挙して遊びに来たりしてね」
「そして静香は質問攻めに遭う訳だな」
「やめてよー、もー」

 竜達の訪問に関して静香は冗談めかして笑ったが、キリハの方は意外とあるだろうと考えている。
アルゥナイアの熱心さは、キリハにそう思わせるに十分なものだったから。

「アルゥナイア様、出来ましたよー」
『おお、待ち兼ねたぞ!』

 そんな時、六畳間にルースが入ってきた。彼女はお盆を抱えており、そこには幾つかの器と殻に入ったままの卵が載せられていた。

『ほぉ………これが温泉卵Aパターンか』

 アルゥナイアはちゃぶ台の上に立ち上がると、ルースが持ってきたお盆を覗き込む。
そこにあるのは黄身だけが固まっている、一般で言うところの温泉卵。
アルゥナイア同様に日本文化に興味があるルースが作り方を習って挑戦したものだった。

「上手く出来ているとよいのですが………」

 こんこん、ぱきょっ

 目を輝かせているアルゥナイアが見守る中、ルースが慎重に卵を割る。
七十度以下で三十分保持。ルースは静香に言われた通りに作ったものの、初めての事なので少なからず緊張していた。

『おお!』
「上手くいきました!」

 アルゥナイアとルースが同時に喜びの声を上げた。
殻の中から出てきた卵は、白身がとろりとしたまま、黄身だけが球状の形を保っている。
レシピの写真で見た通りの、きちんとした温泉卵の姿だった。

『シズカ、は、早く食べてくれ!』
「はいはい、分かってますよ~」

 静香はくすくすと笑いながら卵の入った器を手に取った。アルゥナイアは味覚を静香に依存しているから、彼女に食べて貰う必要があったのだ。

「シズカ様、こちらをどうぞ」
「ありがと、ルースさん」

 ルースが静香の温泉卵にタレをかけてやる。単に醤油で食べるのでは味気ないので、きちんと(かつお)と昆布でダシを取り、そこへ醤油とみりんを加えて専用のタレを作った。これも後学の為にルースが作ったものだった。

『これが温泉卵A………』
「それじゃあ早速」

 アルゥナイアの輝く瞳に見つめられながら、静香はスプーンを卵に差し入れた。黄身は球形を保っているが、中まで完全には固まり切っていない。やや固めのクリーム状の黄身がスプーンの上に乗った。

『おお………』
「いただきまーす!」

 静香はスプーンを口に入れた。
するとまず最初に醤油と鰹、昆布の香りが口いっぱいに広がる。そしてその向こう側から、とろりとした濃厚な味わいの黄身が姿を現す。
僅かにタレに加えられている砂糖が味を柔らかくしてくれていて、タレが黄身の繊細な味わいを壊してしまうような事はない。
両者がバランスよく混じり合って、絶妙な味わいを生み出していた。

『こっ、これはっ!?』

 アルゥナイアはそのつぶらな瞳を大きく見開いた。
温泉卵の味は、静香を通じてアルゥナイアにも伝わって来ている。それはこれまで彼が味わった事がない未知の味だった。

『美味い!! これが温泉卵というものなのか!!』

 アルゥナイアはこの不思議な食べ物にすっかり心を奪われていた。見た目といい味といい、アルゥナイアの趣味に合っている。
しかもこの料理を生み出しているのが卵というありきたりな食材である点も高く評価できる。今の彼はすっかり温泉卵の虜だった。

『感謝するぞルース!! (わし)はこれまで、こんなに不思議で美味い食べ物を食べた事がない!!』
「気に入って頂けて良かったです」
『もっとくれ!』
「ちょ、ちょっとおじさまぁっ!?」
『よいではないか、よいではないか!』
「きゃ~~~!!」

 温泉卵が気に入ったアルゥナイアは、静香の身体を勝手に動かして次々と温泉卵を食べていく。
その勢いは静香が本当の意味で体重を心配しなければならない程だった。



   ◆◆◆次回更新は4月8日(金)予定です◆◆◆

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