第8編 『帰るまでに行っておきたいいくつかの場所』 シーン04

作者:健速

シーン04 万物の覇者



 (しず)()達の前に姿を現した子犬は元気な声で吠え続けていた。
だが女の子として可愛い動物には目がない三人の少女達は子犬と仲良くなりたくて仕方がない。
そこで子犬の警戒を解くべくアプローチを開始した。

「これなんかどうでしょうか?」
「マシュマロかぁ………キリハさん、マシュマロって犬が食べても平気?」
「マシュマロは卵白と砂糖が主成分だ。あげ過ぎなければ問題はないだろう」
「でしたらあげてみますね」

 ルースはその場でしゃがむと、小分けされた袋を一つ開封して、中から二センチほどの大きさのマシュマロを取り出す。

「わう!?」

 すると子犬はマシュマロの匂いを敏感に察知、吠えるのを止めてルースの事をじっと見つめ始めた。

「おいで、子犬さん。お菓子をあげますよ」

 控え目な性格のルースなので、マシュマロを手の上に載せて子犬に見せたが、差し出したり自分から近付いたりはしなかった。それが結果的に良かったようで、子犬は鼻を鳴らしながら、少しずつルースに近付いていった。

「すんすん、すんすん」

 子犬は鼻でマシュマロの匂いを嗅ぎつつ、目ではルースの動きを追っている。
マシュマロの誘惑には抗い難いが、ルースの事はまだ信用し切っていないのだ。

「大丈夫ですよ、いじめたりしませんから」

 ルースは優しげな言葉を発しつつ、相変わらずじっとしたまま動かなかった。すると子犬はたっぷりと時間をかけてルースの前までやってくると、その手の上にあるマシュマロを食べ始めた。

「はぐっ、はむっ」
「落ち着いて、ゆっくり食べるんですよ」

 人間にとっては二センチのマシュマロなど大した大きさではない。しかしまだ小さな子犬にとっては、人間で言うところのメロンぐらいのサイズだと言えるだろう。味も気に入ったようで、子犬は一心不乱にマシュマロを食べ続けていた。

「今のうちに………」

 子犬がマシュマロに夢中である事を確認すると、ルースは空いている方の手をそっと伸ばして、子犬の首輪に繋がっている紐を手に取った。実はルース達が子犬と仲良くなりたかった事には、紐を掴みたかったという事情も多分に含まれている。首輪と紐が付いたままなので、飼い主が探しているのは間違いなかったから。

「よし」
「わう!」

 ルースが紐をしっかりと握り締めたのとほぼ同時に、子犬もマシュマロを食べ終えた。この時ルースはマシュマロを食べ終えれば子犬は逃げようとするのではないかと考えていたのだが、幸いそういう風にはならなかった。

「わう、わうわう! ふんふん、ふんふん」

 子犬は尻尾を振りながらルースを見上げていた。
よほどマシュマロが気に入ったのか、しきりにルースの鞄の匂いを嗅いでいる。子犬はそこにまだマシュマロがある事を知っているのだ。

「もう駄目ですよ。さっきのは特別です」

 気持ちとしてはもっとあげたいのだが、ルースはそれをグッと我慢する。小さなマシュマロ一個であっても、子犬にとっては人間がメロン大のマシュマロを食べるのと同等の意味がある。そう何個もあげては身体に悪い。
それに他人の飼い犬なのだから、しつけの観点からもあげ過ぎはまずかった。

「きゅーきゅーきゅー」
「あん、駄目ですってば!」

 子犬は鼻を鳴らしながら前脚を伸ばし、ルースのバッグにつま先をかける。もっとください、おねがいします。子犬は潤んだ瞳でそうルースに訴えていた。そんな子犬を前にしてルースがどうしたものかと頭を悩ませていると、横から救いの手が伸ばされた。

 ぱふ、ぱふぱふっ

 それは動物の毛皮で作られた小さな毛玉だった。元々キリハの鞄についていた飾りなのだが、今はそれが細い木の棒の先端で揺れている。ルースの悩みに気付いて、キリハが咄嗟(とっさ)に作ったものだった。

 ぱふぱふ、ぱふぱふ

「わう!」

 キリハが器用に棒を操って毛玉をリズミカルに動かすと、一瞬で子犬の視線はそこに吸い寄せられた。彼女が操る毛玉はまるで小動物のように動き回る。子犬は毛玉に興味津々だった。

 ぱふ、ぱっふ

「わうわう、わう!」

 すぐに子犬は毛玉を追いかけ始めた。キリハが操る毛玉の動きは(たく)みで、届きそうで届かない、絶妙な距離を保ち続けている。おかげで子犬は毛玉を追うのに夢中で、マシュマロの事は忘れてしまったようだった。

「助かりました、キリハ様」
「こういうのは得意なのだ」
「そういう印象があります」
「悪女だと言われているような気がするのだが」

 キリハは子犬の相手をしてやりながらルースに微笑みかける。大の大人でもキリハには手玉に取られてしまうので、子犬ではひとたまりもなかった。

「そんな事はありませんよ。お見事です」
「それならいいのだが」
「キリハさん、私もワンちゃんと遊びたい!」

 すっかり警戒を解いてキリハと遊ぶ子犬を見て、辛抱(しんぼう)出来なくなったのが静香だった。静香は子犬が元気に跳ね回る愛らしい姿に完全に心奪われ、自分も遊びたくてたまらなくなっていたのだ。

「うむ」
「やった!」

 キリハは静香に毛玉の付いた棒を手渡して場所を開ける。そして静香はキリハに代わって子犬に毛玉を差し出した―――のだが。

「ガウッ!」
「あいたっ!?」

 子犬は何故か毛玉ではなく、静香の手に噛みついた。静香は火竜帝の力に守られているので怪我はなかったが、この出来事は静香にはショックだった。

「急にどうしたのよワンちゃん! 仲良くしましょ!?」
「ガウッ、ワウワウワウッ!」

 子犬の態度はルースやキリハとは明らかに違っている。子犬は静香に敵意と牙を()()しにして吠え続けていた。

「ルース」
「は、はいっ」

 紐を持っているルースが、子犬を静香から引き離す。
多少距離が離れた事で子犬は吠えるのを止めたが、まだ敵意のこもった目で油断なく静香を見つめていた。

「なんで私だけ嫌うのよぉ~。仲良くしようよぉ、ワンちゃ~ん」

 可愛い子犬に自分だけ拒否された事で、静香は大きく落胆した。彼女は毛玉の付いた棒を握ったまま、半泣きでその場に座り込んでいた。

「………何か、静香を嫌う要因があるのではないだろうか?」
「アルゥナイア様ではありませんか? 子犬にとって強過ぎる相手ですし………」
「有り得るな」

 キリハとルースはその理由をアルゥナイアだと考えていた。
アルゥナイアは静香の中にいる。動物の鋭敏な感覚がそれを捉えたとしたら、(おび)えても仕方がないだろう。アルゥナイアの正体は二十メートルを超える巨竜なのだから。

「おじさまのせいなの!?」
『失敬な!! (わし)は自然界の王!! 全ての生き物に寛容だぞ!?』

 これに対して不満を露わにしたのがアルゥナイア当人だった。万物の帝王を自認する彼にとって、子犬に怯えられているという悪評は無視できない問題だった。

「でも私、おじさまが目を()ます前は犬に嫌われてた記憶はないけど」
『シズカ、お前までそのような事を!?』
「でも………」
『分かった、そこまで言うなら白黒付けようではないか!』
「へっ?」
『儂は一時的にシズカから抜け出す。それでも静香が子犬に吠えられれば、儂のせいではないとはっきりするだろう!』

 そして静香に疑いの眼差しを向けられたのが決定打だった。悔しくて仕方がないアルゥナイアは静香の身体から抜け出して身の潔白を証明するつもりになっていた。

「そんな事しちゃって大丈夫なの、おじさま?」
『急激に魔力を消耗するが、数十秒なら大した問題はあるまい』

 現実の身体を持たない火竜帝アルゥナイアは、静香を中心に魔力を集中させて存在を保っているから、静香から離れれば急激にエネルギーを消耗して存在を保てなくなる。だが急激とはいっても数十秒間であれば消耗は僅かで済む。幽体離脱に近いが、早苗のような自由はなく、時間も短いから、それで特に何かが出来るという訳ではない。それでも身の潔白を証明するには十分だろう。

『ではいくぞ!』

 カッ

 一度だけ静香の両目が赤い光を放つ。するとその直後、まるで静香の身体の中からもう一人の静香が抜け出すかのように、赤い光が分離する。
その光こそがアルゥナイアの意思と魔力。光はそのまま立体映像のアルゥナイアに近付いていく。
ぬいぐるみのような姿の立体映像に本物の意思と魔力を移そうというのだ。

『これでどうだっ!』

 光は立体映像と融合した。見た目にはまるで変化がない。しかしその姿からは圧倒的な力を感じる。見た目のファンシーさとは裏腹に、現時点で地球最強の生物はアルゥナイアだった。

「きゅーきゅーきゅーきゅー♪」

 そしてその圧倒的な姿を目の当たりにした子犬は、ルースを()()るようにしてアルゥナイアに駆け寄ると姿勢よくお座りし、全力で尻尾を左右に振り始めた。



 この結果を踏まえたキリハの結論は、子犬が静香に吠えたのは嫉妬ゆえだろう、というものだった。この子犬はアルゥナイアが大好きなのに、仲良くしているのは静香。それが気に入らなかったのだ。
 もう一つの可能性として考えられるのは、静香が強くなり過ぎた、というものだ。
彼女はアルゥナイアが内在するおかげで人間の限界を超えた力を持っている。それは静香の生身の身体にも影響しており、もしアルゥナイアが彼女への魔力の供給を止めても、しばらくの間は身体能力は人間の限界近いレベルを保つだろう。
その彼女を野生生物として見た場合、熊やライオンと同じレベルの危険生物だ。子犬は当然警戒して吠える。そして子犬がアルゥナイアに吠えないのは、超々危険生物とは仲良くするしかないからだろう。

 他にも幾つか小さな可能性は存在しているのだが、キリハはこの二点が怪しいと考えている。しかし実際はどうなのかは分からない。犬に直接訊いた訳ではないからだ。確実なのはただ一つ。子犬は静香に向かって吠えたという事実だった。

「………も、もぉ、立ち直れなぁい………」

 子犬はアルゥナイアには尻尾を振り、静香には吠えた。そのあまりに切ない現実に、静香はガックリと肩を落とし、とぼとぼと山道を歩いていた。

『ハッハッハッハ、儂の人望もまだまだ捨てたものではないな!』
『流石帝王だホー!』
『頼もしいホー!』
『そうだろうそうだろう! 今度は力試しにさふぁりぱーくとやらに行ってみるか!』

 静香とは反対に、アルゥナイアは上機嫌だった。自身の疑惑が晴れた事と、子犬に尊敬されている事が嬉しかったのだ。そのぬいぐるみのような身体で胸を張り、自信満々といった様子で先頭を歩いていた。

「シズカ様、お気を落とさずに。あの子犬が特別だっただけかもしれないじゃありませんか」
「そうだぞ静香。まだ汝が吠えられた真の理由は分かっていないのだ」
「それでも吠えられたのは事実じゃないのぉ~~~」

 ルースとキリハが(なぐさ)めても、静香の機嫌は直らない。仲良くしたい相手に嫌われてしまったのは、静香にとって本当にショックだった。

「もういいわよっ! こうなったら自棄よ! 名物の十個や二十個、食べてやろうじゃないのっ! どうせスリムでも吠えられるんだから!」

 そしてショックの結果、静香は自棄(やけ)になっていた
。温泉地の名物を七つ食べる事より、犬に吠えられたことがショックだった。そしてそのショックを和らげるのに、好きなだけ食べるのは悪くない解決方法だった。

 ―――静香は自分がスリムでなくなった時に、孝太郎がどう反応するかまでは気が回っていないようだが………今は言わない方がよさそうだな………。

 そんな静香を前にして、キリハには思うところがあったが、自棄でもなんでも元気な方がいい。キリハはあえて何も言わなかった。

『そうともシズカ、その意気だ!』
『美味しい物がおいら達を待っているホー!』
『お腹痛くなるまで食べるホー!』
「望むところだわ!!」
「わうっ、わうわうっ!」

 こうして静香は温泉地の名物を心ゆくまで堪能する事になった。その結果、彼女の体重は予定を大きく上回り、三キロほど増える事になる。
その事はアルゥナイアの要らぬ心遣いのせいで発覚が遅れ、新たな問題を巻き起こす事になるのだが、自棄になっている今の静香はまだ知る由もなかった。



   ◆◆◆次回更新は6月3日(金)予定です◆◆◆

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