第10編 クランVSゆりか『真夏のトライアスロン泥仕合!』 シーン02

作者:健速

シーン02 スイム



 トライアスロンにおける最初の種目はスイム、つまり水泳だ。そのスタートに関して、この大会では少々特殊なルールが採用されている。それは水泳の技量を自己申告し、それによってスタート地点を変えるというものだった。競技の為の大会ではないので、水泳の技量には個人個人で大きな開きがある。それを考慮に入れて、スタート直後の混乱を軽減する為の処置だった。

「みんなの姿は見えませんねぇ」
「………見えないのはわたくし達の方ですわよ」

 ゆりかとクランは、海から一番遠いスタート地点にいた。二人共この夏に何度も練習したので全く泳げないという訳ではないのだが、それでもまだまだ不慣れ。大会に出る人間の中では、技量が限りなく最下位に近いという自覚があった。おかげで周囲は老人や子供ばかりで、若い世代は(ほとん)ど見当たらない。もちろん孝太郎(こうたろう)達の姿もない。孝太郎達のスタート地点は、もっとずっと海に近い場所だった。

「ビリにならないように頑張りましょうね、クランさん」
「流石に最下位はまずそうですものねぇ………」

 二人の目標は孝太郎達に頑張りを認めて貰う事だ。しかし具体的にこうすればいいという指針はない。だがその反対に、これはまずいという指針はある。それは大会で最下位になってしまう事。幾らなんでも普通の子供や老人に負けるようでは、頑張ったと胸を張るのは難しいからだった。

「だからぁ、苦手な水泳のうちはぁ、変に頑張り過ぎないでぇ、体力を温存するのが良いと思いますぅ」
「なるほど、ペース配分という事ですわね。幾らかマシな自転車から順位を上げる事を考える、と」

 ある程度の順位に入る事を前提とすると、苦手な水泳で頑張るよりも、体力を温存して後の二つに賭ける方がいい。水泳で頑張ってリタイアというのでは目も当てられない。二人の作戦は自然と第二種目以降で勝負という方向に決まった。

「ちゃんとゴールまで行けますかねぇ?」
「重要なのは執念(しゅうねん)ですわ。何としても()()げたい事があれば、自然とゴールに辿り着きましてよ」
「だといいんですけどぉ………」

 パァン

 そしてスタートの号砲が砂浜に鳴り響いたのは、ゆりかが自信なさげに肩を落とした、正にその時の事だった。



 砂浜から海へ走る段階で、クランとゆりかは大きく順位を落とした。しかし水泳で頑張り過ぎないというのは彼女らの作戦であるから、二人が慌てるような事はなかった。

「あ、いかわらずっ、海はっ、しょっぱくてかないませんわっ」
「甘い、う、みがあるとっ、メルヘン、ですよねぇっ」

 海に入った二人は、平泳ぎで泳ぎ始めた。安定性と呼吸のし易さを重視しての選択なのだが、その反面クロールでグイグイ泳ぐ先頭集団とは距離が開く一方だ。しかしここは我慢の時間帯だった。

「せ、んとうの連中がっ、折り返す、ようですわっ」
「は、はやいです、ねぇっ。まだ、五分も、経ってないのにっ」

 海岸から折り返し地点までは百メートルある。水泳はそこに浮かんでいるブイを回って岸に帰ればいいというルールだった。そして先頭集団は開始から二、三分で早くも折り返し地点に辿り着いていた。プールで考えると遅いタイムだが、海で波の影響を考慮に入れると十分過ぎるほど速い。実際、クランとゆりかはようやく三十メートルを過ぎたあたりにいる。今日の海は波が高く、思ったほど先に進めないのだ。

「焦りは、禁物、ですわっ」
「焦るほど、速く泳げないから、大丈夫ですぅ」
「………それは、それで、問題ありですわね………」

 二人は懸命に手足を動かして泳ぎ続ける。波は高いものの、海水は真水(まみず)よりも浮力が大きいので、二人は少しずつだが前に進み続けていた。だがやはり消耗は大きい。六十メートル地点を過ぎようという頃には、前進する勢いが衰え始めていた。

「な、なんだかぁ、およいでもぉ、およいでもぉ、進まない感じがぁ、しますぅ」

 ゆりかはこの時点で根性が尽きようとしていた。疲れて脳に酸素が回らなくなり、意識がぼんやりして自分が何故泳いでいるのかという目的を見失いつつあった。極端に意志が弱いゆりかにとって危険な兆候だった。

「ぼやいてないで泳ぎなさいなっ、あなたはっ、やればできるでしょうにっ」

 クランの方は純粋な体力の問題だった。元々お姫様育ちである事に加え、研究大好きで部屋から出ない生活の彼女だから、根本的なところで体力がない。しかし彼女の性格は粘り強い―――孝太郎に言わせると執念深い―――ので、一人の人間としては若干ゆりかを上回っていた。おかげでクランの方はゆりかを心配できる位には余裕を残していた。

「クランさーん、ゆりかちゃーん!」
「おおっ、こんなところにおったかっ!」

 二人が徐々に苦しくなってきたところで、折り返してきた(しず)()とティアが近くまでやってきた。静香とティアはクラン達とは正反対で、まだ十分に体力を残している。その声も表情も元気いっぱいだった。

「は、やい、ですわねっ、二人とも」
「凄いですぅ、私ぃ、そろそろダメかもしれないですぅ」

 クランとゆりかは二人の登場に驚いていた。流石に一位ではなかったが、静香とティアは上位の集団と一緒にやってきた。にもかかわらず、まだ体力を残している。静香とティアの体力は、自分達の何倍もある。それを思い知らされた格好だった。

「それだけが取り柄だものっ、負けられないわっ!」
「そういう事じゃのっ、ではまた後でなっ!」

 静香とティアは幾らも経たない内に去っていく。元々進行方向が逆向きで、レースの最中なのでそれも当たり前だろう。静香とティアが泳ぐスピードは、やってきた時と同じで素晴らしい速さだった。

「ああいうのを見ちゃうとぉ、少しばかりへこみますねぇ」
「ボヤかないボヤかない、わたくし達なりに頑張らないとっ」

 ゆりかは力の差を感じて更に気合いが()がれた様子だった。それに対して、クランの方は根性を見せている。これはティアの健闘を見たおかげだ。ライバルには負けられないという意識がクランのやる気を支えてくれていたのだった。

「そろそろぉ、リタイアしていいですかねぇ………」
「ちょっとぉっ、何をおっしゃっていますのぉっ!?」
「なんだかぁっ、色々とどうでも良い気がしてきましたぁ」
「こっ、こらっユリカ! 真面目に泳ぎなさいなっ!」

 ゆりかのスピードが急激に落ちる。やはり酸欠状態と気力の不足が如何ともしがたく、ゆりかは身体に力が入らなくなっていた。このまま波に揺られてゆらゆらしていたいなあというのが、この時の彼女の願いだった。

「あああ、いったいどうしたらぁっ!?」
「どうしたクラン?」

 クランが頭を抱えかけた、そんな時だった。ティア達に続いて、孝太郎が近くまでやってきた。そして様子がおかしいクラン達を心配して、すぐ傍で動きを止めた。

「ベルトリオン!」

 クランは孝太郎の登場に顔を(ほころ)ばせた。それは彼女にしてはやけに素直な感情表現だったが、それだけゆりかの状態に焦っていたのだ。

「それが大変ですの! ユリカがもうリタイアするって!」
「そうなんれすよぉ、もお、なんだか何もかもどうでもよくなってきちゃってぇ」

 クランが焦って説明する間、ゆりかは特に先へ進むでなく、海水をぱちゃぱちゃとさせながらあたりを漂っていた。

「そうか。短い人生だったな、ゆりか」

 事情を理解した孝太郎は、ゆりかに憐みの視線を送りながら何度となく頷いた。それを不思議に思ったゆりかが目を丸くする。

「みじかい………じんしぇい?」
「ああ。よく考えてみろ。海の真ん中でリタイア―――泳ぐのを止めたらどうなる?」
「えと………溺れる?」
「するとどうなる?」
「………しぬ?」
「短い人生だったな、ゆりか」
「いっ、いやあああぁあぁあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 孝太郎の言葉の意味を理解した途端、ゆりかは大慌てで泳ぎ始めた。もちろんその速度はティアや静香ほどには速くはない。しかしゆりかが泳ぎ始めた直後と比較すると圧倒的に速い。圧倒的な死への恐怖が、ゆりかを駆り立てていた。

「ベルトリオン………あなた、やっぱり良い死に方しませんわよ?」

 もちろん孝太郎の言葉は完全な嘘だ。監視員がいるので、ゆりかが溺れればすぐに助けが来るだろう。これは酸欠気味のゆりかが、そこまで頭が回らない事を見越した上での策略だったのだ。

「そんな訳ないだろ。お前が守ってくれるからな」
「何を仰っていますの? 本気でわたくしがあなたを守るとでも!?」
「俺を殺すのはお前なんだろう? なら、それまでお前は俺を守る」
「ばかっ! ほんとうにばかぁっ! しんでしまえぇぇっ!!」

 程なくクランもゆりかを追って泳ぎ始める。しかしそれは先を急ぎたかったというよりも、今の自分の顔を孝太郎に見られたくないからなのだった。



   ◆◆◆次回更新は8月19日(金)予定です◆◆◆

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