第10編 クランVSゆりか『真夏のトライアスロン泥仕合!』 シーン03

作者:健速

シーン03 バイク



 孝太郎(こうたろう)の言葉で命の危機を感じたゆりかは、猛然と泳ぎ始めた。ゆりかが運動が苦手なのは意志の弱さや自信の欠如(けつじょ)のせいであり、実は体力そのものはそれなりにある。泳ぎ方が下手なせいで体力を無駄に浪費しながらも、ゆりかは何とか二百メートルを泳ぎ切り、無事に岸まで帰り着いていた。

「………なんとか、し、しなずにすみましたぁ………」

 必死に泳いだ百数十メートル。そして水から上がった時特有の身体の重さ。ゆりかは実際の何倍も疲れたように感じていた。海から上がって一応自転車の方へ向かっていたものの、その足取りはぺたぺたと力のないものだった。

「ユリカ、あなたは騙されたんですわ」

 そこへ少し遅れてクランもやってくる。彼女の場合は純粋に体力がないだけで、泳ぎ方などには大きな問題はない。疲れてはいるものの、ゆりかのようにあからさまに見た目に出る程ではなかった。

「ほへ?」
「監視員がいるのに、溺れて死ぬ訳ないでしょう」
「あああああぁぁぁぁ~~~~~っ、騙されましたぁぁぁぁぁああぁぁぁぁっ!!」

 ゆりかはここでようやく孝太郎に騙された事に気付いた。しかし既に水泳は終わっている。後の祭りだった。

里見(さとみ)さんに文句言ってやらなきゃっ!」

 ゆりかは頬を大きく膨らませ、力強い足取りで自分の自転車へ向かう。自転車で孝太郎に追い付き、文句を言ってやろう―――ゆりかの頭はそんな事で一杯だった。

「ここまで含めた策略だったら大したものですわね………んもうっ、どうしてベルトリオンはいつもわたくしにはこういう気遣いをしてくださらないんですのっ!?」

 クランも眉を吊り上げて怒りの表情を作ると、ゆりかに続いて自分の自転車へ向かう。やはり孝太郎に嫌味の一つも言ってやる為だった。ちなみに孝太郎はクランのリアクションまでは想定していない。しかし結果的に二人ともやる気になっているので、孝太郎も二人が抗議に来れば満足するに違いなかった。



 クランとゆりかは自転車に乗れない。そんな訳で、普通にやるとここで二人はリタイアという事になる。そこで二人の自転車には、クランが作ったオートバランサーが取り付けられた。これは数センチ四方の小さな機械装置で、重力を制御して自転車が左右に倒れてしまわない仕組みになっている。簡単に言うと見えない補助輪と言ったところだ。公式のトライアスロンの大会では当然使えない代物だが、幸いこの大会はレジャー目的。他の参加者も改造車両を使っている者が少なくない。三輪であったり、二人乗りであったりだ。上位を荒らす心配がない改造は大目に見るというのが運営側の判断なので、クラン達も心置きなくこの装置を利用していた。

「自転車に乗ったのは初めてですけれど、これで意外に楽しいものですわね」
「でもでもぉ、出来れば泳ぐ前に乗りたかったですぅ」
「それは同感ですわね」

 自転車のコースは全長十キロ。海岸のすぐ傍にあるサイクリングロードをそのまま利用する。海岸からしばらくは平地と緩やかな下りが交互に続くので、自転車は特に力を入れずとも滑るように進んでいく。身体に当たる風が心地よく、海沿いの林を抜けていくサイクリングロードは景色も美しい。二人はこのサイクリングを楽しんでいた。

「クランさん、いつまでこの楽しい感じが続くんですかねぇ?」
「ベルトリオンの話だと、中盤から終盤にかけてきつくなるようですわ」
「ふええぇぇ、じゃあ勝負は後半からですねぇ」
「少しでも順位を上げられるといいんですけれど………」

 走り易い前半は幾ら頑張ってもそれほど上位との距離は縮まらない。後半になって上位のスピードが落ちた時が、距離を詰めるチャンスとなる。二人は最下位付近にいるので、順位を上げるチャンスは大いにあった。

「………あら?」
「どうしたんですかぁ?」
「あれ………ハルミじゃありません事?」
「ああ! そうですそうですぅ、桜庭(さくらば)先輩ですぅ!」

 体力を浪費しないように自転車を走らせながらチャンスを待っている二人。そんな二人の視線の先に、見覚えがある背中が現れた。それはクランとゆりか、双方にとって特別な友人である、桜庭晴海(はるみ)の背中だった。

「ハルミー!」
「せんぷわーい!」

 二人はまるで示し合わせたかのように、同時に自転車のスピードを上げた。晴海に追い付いて、話が出来るようにする為だった。

「ゆりかさん、クランさん!」

 晴海が二人の声に気付き視線を背後へ向けると、笑顔で近付いてくる二人の姿が見えた。そこで晴海も同じような笑顔になり、自転車のスピードを幾らか緩めた。

「やっと追いつきましたぁ!」
「善戦していますわね、ハルミ!」

 数秒後、ゆりかとクランが晴海の横までやってくる。晴海はそれを確認すると、一旦緩めたスピードを元に戻した。

「力加減を工夫しながら、何とかやっています」
「凄いですぅ、桜庭せんぱぁい」
「流石ですわね、その身体で………」

 これで順位としては晴海とクラン達は一緒になった。だが晴海には生まれつきハンデがあるので必ずしも同じ意味ではない。晴海はその限られた体力を無駄なく利用してゴールを目指している。これはスピードレースに燃費重視の車で挑むようなもの。その辺りを考慮に入れれば、上位陣に近い評価をしても過大評価にはあたらないだろう。

「そんな大したことでは………むしろお二人の方こそ、いつも以上に頑張っているんじゃありませんか?」

 褒められて照れ臭くなった晴海は話を二人の方へ向ける。晴海だけでなく、クランとゆりかがいつになく頑張っているのもまた事実だった。

「それは水泳の時にぃ、里見さんが悪質な嘘を言ったのでぇ、文句を言いに行きたいんですぅ」
「頑張れば、後半のコースが重複しているあたりで捕まえられると思いますの!」
「あらあら」

 しかし二人から頑張っている理由を聞かされると、晴海は一度目を丸くした後、小鳥が囀るような可愛らしい声で笑い出した。

「うふふふっ、お二人とも結局里見君が原因で頑張っているんですね?」

 ゆりかとクランは孝太郎に文句を言う為に頑張っている。リタイアしてしばらく待てば好きなだけ文句を言えるというのに、彼女達は何故かそれをしない。今すぐ会いに行きたいのだ。晴海はそれがおかしくてならなかった。

「だってぇ、里見さんったら酷いんですよぉ! 海でリタイアしたら死ぬって、騙したんですぅ!」
「そ、そういうハルミはどうですのっ!? どうして頑張っているんですのっ!?」

 腹を立てているゆりかは晴海の言葉の表面的な意味しか受け取らなかったが、クランはすぐに裏の意味に気付いて顔を赤らめる。そして話を逸らそうと晴海に話を向けた。

「私は頑張った御褒美(ごほうび)が狙いです」

 晴海はそれに笑顔で答えた。孝太郎達はそれぞれ体力にバラつきがあるので、順位をじかに比べるだけでは体力自慢だけが楽しい結果になってしまう。そこで大会全体を通じてどれだけ頑張ったかで、仲間内で御褒美を出す事にしていた。その頑張りは個々の状態に応じたもので構わない。例えば晴海ならゴールすればそれだけで十分な頑張りだと言えるだろう。そして晴海の狙いは、まさにその御褒美だった。

「それでハルミ、御褒美の内容はどうするんですの?」
「それは………」

 ここまではスラスラと質問に答えていた晴海だったが、内容を問われると途端に口籠った。御褒美は特に内容は決まっておらず、任意の相手にワガママを言っていいという大雑把な決まりになっている。そこで晴海は、ある人物に対して少々思い切ったワガママを言おうと考えていたのだ。

「なんなんですかぁ?」
「………ある人にその………一日中、手を繋いだままでいて下さいって、お願いしてみようかと、思っています………」

 晴海のワガママは実に彼女らしいものだった。日頃から挑戦してみたい事ではあったのだが、受け身でいる事が多い彼女なので、なかなか実行には移せないできた。また周囲の人間に対する遠慮や気遣いもあった。だが頑張った御褒美としてなら公平なので、問題は少ないかもしれない―――晴海はそんな風に考えていたのだ。

「一日中手を繋いで………」
「恋人みたいですぅ………」

 そんな晴海の言葉を聞くと、クランとゆりかの頭の中にも、もやもやとイメージが湧き始める。それは気になっている人と、一日中手を繋いで過ごすイメージだった。

 ―――あの男の事だから、絶対に意地悪は言いますわね………でもぎゅっと手を繋いだままそんな事を言っても全然………むしろあの男の方が居心地が悪く………ふふふ、そうだ、わたくしもそうしてやろう! それが一番ですわっ!

 クランは頭の中に湧き出したイメージが自分にとっても価値があるという事を悟り、大きな笑顔を作った。そして同時に、自転車のペダルを漕ぐ足にしっかりと力が入った。

 ―――前に真希ちゃんと一緒にぃ、ほっぺたにむちゅってした後はぁ、おしおき以外じゃあんまりくっついた事が無かった様な………もっと少女漫画みたいにぃ、やわらかい感じでくっついていられたら………えへっ、えへへへへっ、そうしちゃおうかなっ!?

 ゆりかの方も膨らんだイメージに大きな価値を見出していた。少女漫画の影響で過剰に美化されたりキラキラしているイメージなのだが、それがたまには女の子らしい姿を見せたいという強い気持ちを生み出していた。

「で、でしたら何とかゴールすることですわねっ!」
「そうですそうですぅっ、一緒に頑張りましょう、桜庭先輩っ!」
「まあ………ふふっ、ええ!」

 晴海と合流した時から、ゆりかとクランにはやる気があった。しかし今の二人は、やる気はそのままに雰囲気だけが大きく変わっている。晴海はそんな二人の変化に戸惑い、目を丸くしていたのだが、その理由は彼女にもすぐに分かった。それに共感した晴海は、二人と一緒になってペダルを力強く踏み込むのだった。



   ◆◆◆次回更新は8月26日(金)予定です◆◆◆

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