第10編 クランVSゆりか『真夏のトライアスロン泥仕合!』 シーン04

作者:健速

シーン04 ラン



 ゆりかとクランは、自転車が上り坂に差し掛かったところで晴海(はるみ)と別れた。体力と技術の問題から、晴海とペースを合わせているのが難しくなったのだ。そして晴海と別れたゆりかとクランは、二人だけで上り坂に挑む事となった。

桜庭(さくらば)先輩をっ、置いてきてしまってぇっ、良かったんでしょうかぁ!?」
「そっ、それぞれに頑張るっ、という目標なのですからっ、仕方ありませんわっ!」
「そっか、こ、今回は、仕方ないですねぇ!」
「今は、わたくし達の心配をっ、した方がいいですわっ!」

 自転車の経験が浅い二人なので、ペース配分などはあまりよく分かっていない。また効果的なギアチェンジをする為の技術や経験がないから、体力を無駄遣いしながらの根性勝負になる。そしてその影響は、最後の種目であるラン―――マラソンに移った時に如実に表れる事となった。



 三番目の種目であるランの距離は、通常のマラソンよりもずっと短い二キロ。これは歩いても三十分か四十分でゴールできる距離だ。子供でも一時間もかからないだろう。そんなごく短い距離を走る訳なのだが、この時のゆりかとクランにとっては、決して簡単な距離ではなかった。

「あ、あと一・五キロって、出ていますよぉ」
「………この距離、を、あと、三回、ぶんですのぉっ………?」
「と、おいっ………遠過ぎ、ますぅ。しぬぅっ、ぜったいしにましゅぅぅぅっ」
「べるとりおんめっ、わたくしにっ、ここまでさせたんですからっ、ふざけた事を言ったらっ、許しませんわよっ!」

 ゆりかとクランは、自転車を降りて走り出した時点で、限界に達しようとしていた。水泳、自転車と慣れない競技が続き、体力はもう殆ど残っていない。そんな状態でのマラソン。二人が走る―――というより殆ど歩いているのだが―――姿は、まるでさまよい続けるゾンビのようだ。まだ五百メートル走っただけであるにもかかわらず、二人はもういつ倒れてしまってもおかしくない状態だった。

「で、でも、ちゃんとゴールしないと………」
「あと、最下位だけは、避けなくては………」
「ごほうびぃ、ごほうびぃ………」
「ここまでやって、御褒美(ごほうび)なしでは、終われませんわぁっ」

 それでも二人が諦めないのは、やはり頑張った御褒美を貰いたいからだった。リタイアしたり最下位になったりすると、流石に頑張ったと胸を張る事が出来ない。だから二人は足を止めない。絶対にゴールするという、強い目的意識が二人の身体を支えていた。

「頑張るなあ、お嬢さん達」
「もうすぐ終わりだから、しっかりね」

 フラフラと進み続ける二人を、多くの参加者が追い抜いていく。誰もが二人に比べれば自己管理が得意なので、ここまできちんと足を残していたのだ。彼らは今にも倒れそうなゆりかとクランを激励(げきれい)しながら、颯爽(さっそう)と先へ進んでいった。

「も、もっと、普段から、運動しておけば、良かったれすぅ………」
「多少、格闘技の練習で、体力が付いたかと、思ってましたけれど………まだまだ、だったようですわ………」

 二人は追い抜いていく参加者の姿を見送りながら、必死に走り続ける。身体には疲労が蓄積され、重くて仕方がない。足を前に出すだけでも、相当な努力を必要とする程に。それでも二人は走るのを止めない。それは恐らく、二人が女の子であるからだろう。自分の気持ちを裏切らない為になら、どこまでも頑張れるのだった。



 ゴールが視界に入った時には、二人は歩くのもやっとという状態だった。順位はかなり下がっていて、先ほど自転車で置き去りにした(はず)の晴海にさえ追い抜かれていた。

「クランさんっ、ゴールですよぉっ! ゴールが見えましたよぉっ!」
「ふ、ふふふっ、フォルトーゼの皇族はっ、やる時は、やるのですわっ!」

 二人はゴールが見えた事で、お互いに顔を見て笑い合った。ゴールは近い、その思いが何時(いつ)になく明るい笑顔を生んでいた。そして疲れて多くの事を考えられない状態ゆえに、透き通るような純粋さがあった。それは恐らく男性が目にすれば一瞬で心奪われてしまうような、そんな素敵な笑顔だった。

「ゆりかふぁいおー! ゆりか、ふぁ、ふぁいおー!」
「あと少しぃっ、これぐらいっ、やってのけてみせますわぁっ!」

 二人はそれぞれに気合いを入れ直すと、最後の力を振り絞って走り始めた。ゴールはもう見えている。そこまで走ればいいだけなので、自然と気分も明るくなる。ペースも余り考える必要はないので、あとは思い切り走るだけだった。

『ゆりかー、クラーン!』
『あと少しじゃぞー!』
『頑張って下さいませ、クラン殿下ー!』

 実はこの時、先にゴールした孝太郎(こうたろう)達が戻ってきて、二人を応援してくれていた。その声はきちんと二人にも届いていたのだが、今の二人にはそれに反応する余裕がなかった。二人に出来た事は、少しでも前へ、一瞬でも早くゴールへ、走り続ける事だった。

「ああして、応援してくれるなら、どうして、いつも、優しくできないのかっ」
「さと、みしゃんは、すなおじゃ、ないんれすよぅ。ちゅーした時もっ、りあくしょん、うすかったしぃ」
「ちゅー!? あなた達、そんな事なさったんですのぉっ!?」
「ほっぺたに、したらけれすよう」
「そういう問題ではありませんわっ!!」

 ゆりかとクランはお互いに声を掛けながら走り続ける。もしこの時、彼女達が一人きりであったなら、力尽きていたのかもしれない。そうならなかったのは同じ目的に向かう友達がいたからだ。ゆりかとクランの関係は、この大会を通してこれまでよりも一歩も二歩も先へ進んだのだった。

「………ゴール、ゴールですわよユリカ………」
「………やりましたねぇ………ビリ、じゃないといいんですけれどぉ………」

 互いを(はげ)まし合いながら、二人はゴールのすぐ近くまでやってきた。その成績は確かに惨憺(さんたん)たるものだった。最下位でこそないものの、それに近い順位。子供や老人も参加しているので、世代で分ければ二人が最下位と言っても過言ではなかった。

「そんな事、どうだって、よろしいですわ」
「でも………」
「誰も()めてくれなくても、わたくしがあなたを褒めて差し上げますわ」
「それじゃあ、私もそうしますぅ」

 もしかしたら、誰も褒めてくれないかもしれない。そういう成績である事は二人共良く分かっている。それでも二人は、お互いが必死で頑張った事を知っている。そういう相手がいるというだけで、二人は満足だった。

「頑張りましたよね、私達。えへ、えへへへへへっ」
「それは保証致しますわ。ふふ、ふふふふっ」

 そうして二人はお互いの手を固く握り締め、ゴールのゲートを潜ったのだった。



 クランとゆりかは、ゴールした後の事をよく覚えていなかった。最後は走りに走ったので、頭に酸素が回っておらず、記憶が曖昧になっていたのだ。気付いた時には一〇六号室にいて、二人並んで布団に寝かされていた。

「………ユリカ、起きていまして?」
「身体が痛くてぇ、さっき起きましたぁ」

 気付いた時、二人はトライアスロンの大会自体が夢だったのではないかと思った。しかし身体にこびりついた疲労や節々の痛みは本物だ。おかげで今は大会後に運ばれたのだろうと分かっていた。

「ゴール………しましたわね………」
「しましたねぇ………」

 二人は並んで天井を見上げながら、しみじみと呟く。改めて思い返してみれば、自分達があそこまで頑張れた事が不思議だった。命がかかっていた訳でもなかったのだ。

「わたくし達にも、意地はあったみたいですわね」
「一応、ちゃんと女の子だったみたいですぅ」

 二人が頑張ったのは、女の子としての意地だった。沢山文句を言いたいし、それと同じだけ甘えたかった。絶対に許せない相手であり、同時に全てを許せる相手でもあった。その多くの矛盾を内包した女性特有の思いこそが、二人の足を最後まで支えてくれた。そしてゆりかとクランは、それを共に()()げた事に大きな喜びを見出していた。

「ふふ、ふふふふっ」
「あはっ、あははははっ」

 部屋に二人の笑い声が響く。その声はやるべき事をやり遂げた喜びと、友人への親愛の感情に満ちている。しかし声の数が二つだけであったから、二人はそれを少しだけ寂しいと思った。

「………ところで、みんな何処へ行ったんでしょうねぇ?」
「わたくし達が寝込んでいるから、どこか別の場所にいるのでしょう」
「そっかぁ、だったら―――」

 ぐぅぅぅぅぅ

 二人きりである事がちょっとだけ寂しくなったその時、ゆりかのお腹が盛大に鳴った。やる事をやったので、お腹が減っていたのだ。

「ふふふふふっ」
「あうぅうぅぅぅぅぅ………」

 これまでのクランなら、はしたないと眉を寄せたのかもしれない。しかし共に苦労を乗り越えた今、お腹ぐらいは空いて当然だろうと感じている。無論クラン自身も、かなりお腹が空いていた。

「ユリカ、わたくし達もベルトリオン達の所へ行きましょう。きっと何か食べるものがある筈ですわ」
「賛成ですぅ! そうと決まればぁっ!」

 クランが友好的な笑顔のままだったので、ゆりかも照れ笑いを引っ込めて大きな笑顔を作る。しかしその直後に勢い良く身体を起こすと、その笑顔が大きく歪んだ。

「いたたたたっ」
「どうしまし―――あいたたたたっ」

 クランも身体を起こした途端に表情を(ゆが)める。二人は慣れない運動をしたせいで、普段使っていなかった部分が悲鳴を上げていたのだ。

「魔法も科学もなしに、頑張り続けるとこうなるのですわね」
「そーっと行きましょう、そーっと」
「ええ、そうしましょう」

 身体を急に動かすと痛む。そこで二人はゆっくりと動く事にした。それでも多少は痛むが、幸い動けない程の痛みではなかった。

「………あら?」
 立ち上がる途中、クランは自分の布団の隣に移動されていたちゃぶ台の上に、小さな紙切れを発見した。
「どうしたんですかぁ?」
 先に立ち上がったゆりかが近付いてくる。クランは紙切れを取り上げると、軽く振ってゆりかに示した。

「書き置きみたいですわ。ええと………『私達はクランさんとゆりかさんの邪魔をしないように「青騎士」にいます。起きたらこちらへ来て下さい』」
「桜庭先輩の字ですねぇ」
「言われてみれば確かに」

 紙切れは晴海が残した書き置きだった。それは二人が目を覚ました時に備えて用意されたもので、起きた後にすべき事が記されている。メール等を使わないあたりに、晴海らしさが感じられた。

「早速行きましょう、クランさん」
「お待ちなさいな、まだ続きがありましてよ………『追伸 里見(さとみ)君やみんなが、二人はよく頑張ったと言っていました。だから御褒美のワガママを誰に言うのか、考えておいて下さい』だそうですわ」
「御褒美………」
「そういえば、そんな事もありましたわね………」

 書き置きを読み終えた二人は、自然と顔を見合わせた。そして互いの顔を見つめ合ううち、次第にその顔が笑顔へと変わっていった。

「………ユリカ、わたくしとあなたのワガママ、二つを組み合わせて効果的に使うべきだと思うのですけれど、どう思われまして?」
「賛成ですぅ。折角ですからぁ、最後まで一緒にやりましょう」
「ふふ、ふふふっ」
「あはははははっ」

 ごく短い密談を終えると、二人はもう一度笑い合う。そして既に立ち上がっているゆりかは、ちゃぶ台の傍に座ったままのクランに手を差し伸べた。

「ところでユリカ、あなたがほっぺたにむちゅっとした時の、向こうのリアクションはどうでしたの?」
「それはですねぇ、リアクションが薄かったのは前にも―――」

 クランは差し伸べられたゆりかの手を取った。そして二人は、共にゴールのゲートを潜った時と同じぐらい、しっかりとお互いの手を握り締めたのだった。



   ◆◆◆次回更新は10月7日(金)予定です◆◆◆

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