シーン02 トラウマも再び
ルースはしばらく前から剣術の訓練をしている。当初は体力作り程度の意識だったのだが、騎士の名家の出身である事に加え、クランから先祖が使っていた『光の剣』を受け取った事で、やる気に拍車がかかった。また孝太郎が青騎士だと判明して以降は、騎士団の格を下げない為に強くなる必要があった。
「でぇいっ! たぁぁっ! とりゃああぁあぁぁぁっ!!」
しかし今はそれが別の目的にすり替わっている。打倒、カブトンガー。孝太郎を誘惑する憎き敵、カブトムシ。その首領格にあたるカブトンガーを倒す。ルースの剣術訓練は明確な敵を得た事でその激しさを増していた。
―――あの強靭な甲殻を砕くには、より速い一撃が必要になる!
ヒュッ、ザシュッ
生真面目なルースだけに、その斬撃は日に日に鋭さを増していた。元々ルースは騎士の家の出なので、身体的な才能には恵まれている。それが彼女の精神的な部分の影響で十分に発揮されずに来た。それが今回の事件をきっかけに開花しつつある。才能を持った者が生真面目に訓練を積んでいるのだから、そうなるのも当然だろう。
「ルースさん、そこからコンビネーション!」
そんなルースの訓練の相手を務めているのは孝太郎だった。一〇六号室の関係者の中でフォルトーゼ式の剣術を習得しているのは孝太郎とティアだけ。二千年前のパルドムシーハであるフレアラーンの戦いぶりを知っている者に限れば孝太郎ただ一人。成り行きではあるのだが、ルースに剣を教えるなら孝太郎が適任だった。
「ハァァッ、たぁっ、てぇいっ!!」
孝太郎の一撃をガードした所から、下段への攻撃で視線を下げさせ、一度フェイントを挟み、そこから本命の一撃という三連撃。それがかつての彼女からは想像もつかないようなスピードで繰り出されてくる。驚くべき上達ぶりだった。
―――あのルースさんが………しかしやはりフレアさんによく似ている………。
その攻撃を何とか受け止めながらも、孝太郎の気持ちは複雑だった。孝太郎の行動の結果、争いを好まないルースが不自然なほど強くなっている。それを良くない事だと感じながらも、彼女の姿が日に日にフレアラーンに似てくる事が嬉しくもあった。孝太郎にとってはどちらも重要な事なので、どちらが良いと断じる事が出来ず、求められるままにルースの訓練に付き合い続けていた。
「ルースさん、三段目で肘が上がり過ぎています。目に付きやすいのと、動きが遠回りになるので、少し下げて!」
「は、はいっ!」
そんな孝太郎の悩みを知らず、ルースはひたむきに剣術訓練に励んでいる。真面目に剣術訓練をしていれば孝太郎がルースの方を向くので、実は孝太郎が思う程にはルースは攻撃的になっていない。そこが分からないでいる事が、この状況をなおの事ややこしくしているのだった。
そうやってルースがめきめきと上達していく事に一番気を揉んでいるのが静香だった。ルースが倒そうとしているカブトンガーの中に入るのは静香。だから物陰からルースの訓練を眺めている静香の胸の中で、嫌な予感が大きく渦を巻き始めていた。
「中の人が私だという事がバレていないのが救いだけど………何だかまずい感じになってきたわね………」
ルースが剣の訓練を本格化したのは今年に入ってからなので、戦闘の技量という観点では静香には遠く及ばない。しかし武器を持たずに戦う静香は、剣を使うルースよりもかなり不利である事は確かだ。それでも高確率で静香が勝つだろうが、ショーにルースが乱入して来た場合、子供の夢を壊さずに勝つという条件においては非常に危険な領域に到達しつつあった。
「どうしてくれるのよ里見君! あんなに強くしちゃって!」
そんな訳で静香が孝太郎に向ける言葉は自然と厳しくなってしまう。子供の夢を守るのはヒーローの鉄則だった。
「いやでも、剣を教えてくれと言われて、手は抜けないじゃないですか」
ルースに自主練を命じて静香と相談しにやって来ていた孝太郎は、申し訳なさそうに詫びる。孝太郎にも自分が悪いという自覚はあった。
「大家さんだって空手を教えてと言われたら、ちゃんと教えるんじゃありませんか?」
「うっ、それは、そうだけど………でもルースさんのあの集中力を生み出してるのは、明らかに里見君のせいでしょう?」
「そこを言われると辛いです」
発端は孝太郎がルースの女性としてのプライドを傷付けた事にあった。それがカブトムシへの敵対心と、剣術訓練に対する集中力を生み出している。剣術を教えるという直接的なもの以外にも、心理的な面で孝太郎はルースを強くしてしまっていた。
「それが分かっておるなら話は簡単じゃ」
静香と一緒に様子を見にやって来ていたティアには、既に問題の解決法が見えていた。原因ははっきりしているので、取り除くのは簡単だった。
「コータローや、さっさとルースから剣を取り上げて、キスの一つもして参れ。そうすれば全て解決じゃ」
今のルースを衝き動かしているのは、自分がカブトムシに劣るという誤った認識だ。それを解消するには、ルースに対してカブトムシ以上であるという明確な証拠を示す必要があるだろう。その証拠としては、キスという直接的な行動は手頃で確実だった。孝太郎も流石にカブトムシにはキスをしない。
「馬鹿野郎っ、そんな無責任な事が出来るか!」
しかしこれに孝太郎は猛反発。ティアが驚いて目を白黒させるほど、はっきりとした拒絶の意思を示した。
「何故じゃ? ルースの事が嫌いな訳ではあるまい?」
「当たり前だろ! だからこそだ! ルースさんはパルドムシーハの跡取りだぞ? 異星人の俺が相手でパルドムシーハは大丈夫なのか?」
孝太郎は恋人でもない相手にキスをするつもりはない。裏を返せば、キスをするという事は恋人にするという事でもある。特にルースは仲の良い相手であるから、なおの事いい加減な事は出来なかった。
「許す。わらわが言うのだから間違いないぞ、青騎士閣下」
ティアはルースの直接の主人。その行動を決定する権利があった。そしてルースの感情をもっとも良く知る幼馴染みでもある。ティアは自信満々だった。
「………お前、権力を傘に着て無茶苦茶言うなよ。それにな、俺の気持ちがちゃんとしていないのに、ルースさんの気持ちに甘えるのは間違いだ」
孝太郎が一番気に入らないのは、問題を解決する手段としてルースの感情を利用する点だった。好きなら好き、ただそれだけの為にキスするべき―――孝太郎にも孝太郎なりの人付き合いのルールがあるのだった。
「細かい事を気にする奴じゃのう………」
ティアは腰に手を当て、小さく嘆息する。孝太郎は一番簡単で、すぐ終わる解決法を放棄してしまった。結果的に問題は解決しないまま先送りとなったので、何でもすぐに終わりにしたいせっかちなティアには残念な展開だった。
「細かくない。俺が後で後悔するんだよ。嫌だろ、そういう生き方」
「………分からんではないな」
だがティアも孝太郎の気持ちは分からなくもない。どんな物事も堂々と正道を行く、それが真の王者たる者、あるいは真の騎士。そちらの視点に立てば、孝太郎の答えは嬉しいものだ。ティアとしては複雑な心境だった。
「しかしそうなってくると他の手が必要になるのじゃが………キリハよ、何か上手い手はないかのう?」
困ったティアは、やはり一緒に様子を見に来ていたキリハに助けを乞う。人心に通じたキリハなら、良い考えを持っているのではないかと期待しての事だった。そのキリハはこれまでと同様に、どこか楽しそうに柔らかな笑みを浮かべながら、少しも迷う事無く答えた。
「直接的な解決を避けるなら、一番効果的なのは本懐を遂げさせる事だろう」
「本懐を遂げさせる? どういう事?」
静香は遠回しな表現に首を傾げ、身を乗り出すようにしてキリハにその真意を問う。当事者は静香なので、曖昧に聞き流せなかった。
「ルースがやりたい事は、自分にはカブトムシよりも価値があると証明する事だ。そこで現状では最も強いカブトムシ―――カブトンガーを倒そうとしている。ならばそれを成し遂げさせてやろうというのだ」
直接的な解決を避ける以上、ルースに目的を遂げさせるのが一番効果的である、というのがキリハの考え方だった。要するにルースにカブトンガー、つまり静香を倒させればいいという事になる。
―――今にして思えば、ルースだけは汐里の登場以前から我ら以外の存在に対して危機感を持っていたのだ。今なら、その気持ちは分からなくもない。そうなるとやはり問題の解決法もそこに、という事なのだ………。
キリハは口には出さなかったものの、それで問題が解決するという確信があった。既にその前例があったから。
「ちょっとキリハさんっ! 倒されちゃまずいんだって! 子供達の為のショーなんだからぁっ!」
だがもちろん静香はこれに反対だった。ルースがショーに乱入してきてカブトンガーが負けてしまったら、子供達は何を思うだろう? それを考えると、キリハが提示したこの作戦は到底受け入れられるようなものではなかった。
「案ずる事はない。幸いカブトンガーにはこの状況に適したエピソードがある」
「へっ、そうなの?」
「『カブトンガー、暁に死す』だ」
テレビアニメ『甲虫王者カブトンガー』には、一度だけカブトンガーが敵に倒されるエピソードがある。カブトンガーが宿敵スカラベキングの姦計に嵌り倒されてしまう。だが仲間達の協力と子供達の祈りが奇跡を起こし、パワーアップして復活。スカラベキングを倒すというエピソードだった。キリハは静香に、その事を順を追って説明していった。
「ルースはカブトンガーを倒し、本懐を遂げて舞台を退場。だがショーはそのまま滞りなく進み、カブトンガーは復活してスカラベキングを倒す。これなら子供達の夢を壊す心配はないだろう」
「なるほど、そういうエピソードを次のショーにすれば安全って事か」
静香にもようやく事情が呑み込めてくる。本当にキリハが言うようなエピソードがあるなら、確かにそういう風に脚本を組めば丸く収まる。静香にも納得の作戦だった。
「どうしても実現性が乏しいようなら、若干効果は薄くなるだろうが、衣装を借りてきて特訓中のルースを襲って返り討ちに合うという手もある。どちらにするかは、汝の腕とショーの運営側の考え方によるだろう」
「分かった、ちょっと向こうと相談してみるわね!」
キリハの作戦には安全重視のBプランも用意されていた。至れり尽くせりの作戦に、静香はこれなら何とかなりそうだという気がし始めていた。そしてそういう気持ちになっていたから、静香はある事に気付いた。
「でも残念だわ、里見君」
静香はそれまでとは打って変わって、明るい表情で孝太郎に笑い掛けた。そして孝太郎に一歩二歩と近付き、上目遣いに見上げる。
「何すか?」
「もしルースさんが里見君にキスして貰えるようなら、私もゴネまくったらキスして貰えるんじゃないかなって思ったの」
それから静香はそのほっそりとした右手の人差し指を孝太郎の唇に押し当てた。おかげで直後の孝太郎の言葉はくぐもってしまう。
「しませんよ」
「ん、分かってる。だから残念だなぁって」
静香は軽く左目をつぶると、孝太郎の唇に押し当てていた人差し指を今度は自分の唇にそっと触れさせた。孝太郎はそんな静香に何かを言わなければならなかったのだが、何を言えばいいのか咄嗟には思い付かず、彼女の女の子らしい思わせぶりな仕草に圧倒されただけで終わった。
※1柏木汐里 …… 孝太郎たちのクラスメイトの女の子。修学旅行で孝太郎に告白するが……? 詳細は『六畳間の侵略者!? 23』を参照
◆◆◆次回更新は12月16日(金)予定です◆◆◆