第2編 『ルース&早苗・イン・ワンダーランド』 シーン02

作者:健速

シーン02 : イン・ワンダーランド


 孝太郎(こうたろう)の中に飛び込んだ二人が辿り着いたのは、とても明るい空間だった。
そこには何もなかったが、まるで秋の日の陽だまりのような過ごしやすい場所だった。

「………ここは………それに身体が元に戻って………」

 ルースは不思議そうに周囲を見回す。この場所が何処なのかが分からないし、身体はいつの間にか実体を取り戻している。
早苗(さなえ)と一緒に幽体離脱して孝太郎の中に飛び込んだ筈なので、これは奇妙な状況だった。

「孝太郎の夢の中に入ったから、孝太郎が見ている夢の中にいるあたし達の姿になったんだよ。よく見て、いつもと服装が違うでしょ?」
「そういえば、運動をする時のウェアになっていますね」
 
 困っていたルースに、早苗が事情を説明した。おかげでルースにも事情が呑み込めてくる。
今の二人は孝太郎の夢の中にいる。だから孝太郎が見ている夢の中に登場しても不自然ではない格好に変化していたのだ。
おかげで身体は実体に戻り、服装は運動をする時のものに変わっていた。

「では、おやかたさまは運動に関する夢を見ていると」
「そうだよ。この格好だと、多分あれだと思う」

 早苗には孝太郎がどんな夢を見ているのかに心当たりがあった。
早苗は日常的に孝太郎の中に入り込んでいるので、これまでにも何度かこの格好をしている時の夢に入った事があったのだ。

「あれって何なのでしょうか?」
「ああ、説明するより見た方が早いよ。いこっ!」

 早苗はそう言うと、ルースの手を握って歩き始める。勝手知ったる他人の夢。早苗は慣れた雰囲気で進んでいく。

「は、はいっ」

 それに対するルースは、まだこの不思議な状況に慣れた訳ではなかったが、周囲から危険は感じなかった。
ルースは少し落ち着いた事で、ここが孝太郎の中だという事に意識が回り始めていた。

 ―――ここがおやかたさまの夢や心の中だというのなら、どうなろうがむしろ本望というもの………。

 おかげで不思議な場所だという感覚だけが残り、恐怖は完全になくなっていた。
だからルースは見慣れない場所なのできょろきょろと周囲を見回しながらも、どこか楽しげだった。

「おおっ、ルース凄いね!」

 そんな時だった。先を行く早苗が笑顔で振り返った。

「えっ?」
「ここへ来たの初めてなのに、もう次の場所に着くよ!」
「それはどういう意味なのでしょうか」

 ルースには早苗の笑顔と言葉の意味が分からない。確かに周囲の風景は変化しつつあった。
真っ白い光の向こうに、何かが見えつつある。だが、それを早苗が凄いという意味がよく分からなかった。
すると早苗はどこか自慢げに説明を始めた。

「えっとね、ここって孝太郎の夢の中でしょ?」
「はい」
「だから別のトコへ行く時にはね、あたし達が歩く事より、どこかへ向かいたいという気持ちが大事なの。
 するとね、孝太郎があたし達をそこへ連れてってくれるの」
「なるほど、双方の気持ちが大事なのですね」

 夢の中で歩く意味は無い、双方の気持ちが一致したら別の場所へ行ける―――
 それはルースの感覚的にも正しいように感じられた。

「だからおめでとうございます」
「はい? なにがでしょうか?」
「だからぁ、ここは孝太郎の夢の中なんだよ?
 ルースはその中をうろうろしておっけーって思われているの。それって、どーゆーこと?」
「あっ………」

 ルースはそれが何を意味するのかに思い至り、目を丸くする。
つまりこれこそが、ルースが知りたいと思っていた答えそのものだったのだ。

「孝太郎はね、ルースが勝手に心の中に踏み込んでも怒ってない。その反対に歓迎してくれてる。
 そのぐらいルースの事が好きなんだよ。だから、おめでとうございます」
 
 夢とは心の一部。その中に他人を入れるのは人間にとって大きな苦痛を伴う。
だがもし夢の主が夢の中でも会いたいと思うような相手なら、どの夢に出てきても構わない相手であるなら、
自由に出入りや移動が出来る。それはつまり―――

「―――わたくしは、おやかたさまに大切に思って頂けているのですね………」
「そゆこと。孝太郎はルースの事が大好きなんだよ。
 だからさぁ、現実の方でくっつくぐらいなんてことはないんだよ。心の中に招き入れてくれるぐらいなんだからさ」

 早苗とて、最初から自由に孝太郎の中に出入り出来ていた訳ではない。
最初は心の壁に阻まれて入る事さえできなかった。しかし一緒に時間を過ごすうちに、徐々にそれが可能になっていった。
そして今では多くの場所へ遊びに行ける状態にある。
その変化を知っているから、早苗は孝太郎に遠慮なく接する事が出来た。
孝太郎がどこまで許してくれるのか、早苗は誰よりもそれを理解していたのだ。

「それでも………わたくしが急にサナエ様のように振る舞ったら、おやかたさまは驚いてしまうのではありませんか?」
「それはあると思う。だからちょっとずつやりなよ。何事も下積みが肝心」
「ふふ、そうする事に致します」

 そうやって笑い合っているうちに、二人は新たな場所に辿り着く。到着は早苗が想像していたよりもずっと早い。
きっと早苗とルースが仲良くしているから、孝太郎はいつも以上に歓迎してくれているのだろう―――早苗はそう感じていた。



 新たに二人が辿り着いたのは河川敷だった。この場所にはスポーツの為のグラウンドが幾つか整備されている。
野球やサッカー、テニスやバレーボールとバリエーションは豊富で、日頃から多くの人々が利用していた。
そして相変わらず周囲は明るくあたたかで、スポーツ向きの気候だった。

「この格好と天気の意味が分かりました」
「孝太郎の夢だもん」
「はい」

 そうした多くのグラウンドの一つに、孝太郎自身の姿があった。
孝太郎は多くの仲間達と共に、野球をしている最中だった。

「見て見て、みんないるよ」
「ほんとうですね。ああ、殿下や皆様………マッケンジー様、他にも高校や町の皆さんまで………」

 野球は二つのチームに分かれて行われていた。
まず孝太郎と六畳間の少女達が五人ずつの二チームに別れ、そこにエルファリアや賢治(けんじ)
クラスメイトやコス研、演劇部、町内会の人々が加わっている。
チームに入り切れなかった者達はベンチに居たり、スタンドで応援していたりする。非常に豪華な顔ぶれだった。

「これはきっと、おやかたさまの思い出の人達なのでしょうね」
「ウン。だからホラ、たまに複数人いる人もいたりして」
「あは、あれは小さい頃のキリハ様でしょうか」
「そそ、ここには孝太郎の思い出の人達が全員集合なのです」

 この場所にいるのは、今の孝太郎を形成する上で重要な人々ばかり。
だから中には重複している人間もいるし、故人も含まれている。ここは夢の中なので、それほど厳密ではないのだ。
しかしそのおかげで、この野球場は孝太郎の人生の縮図となり、精神世界そのものでもあるのだった。

「ただ………わたくしがマッケンジー様のチームなのが納得いきません」

 そうした事情を分かった上で、それでもルースは不満だった。
やはり自分は孝太郎と同じチームがいいという、少女じみた願望があったのだ。

「しょうがないじゃない。あたし達と孝太郎だけで十人もいるんだから。
 それにね、この夢の時は毎回チーム分けが違うから、今日はたまたまだよ」
「そ、そうだったのですか………」
「でもね、いつも一つだけ変わらない事があるんだ」

 早苗はルースの言葉に苦笑していたのだが、ここで声の調子が少し落ちた。
その『変わらない事』を、残念に思っていたからだった。

「それは?」
「メガネ君だけはね、いつも孝太郎とは違うチームなんだ。多分、誰よりも信頼しているからなんだと思う」
「マッケンジー様が………」

 男女間の感情まで含めれば、六畳間の少女達の存在感は賢治を上回るのかもしれない。
だが単純に人間としての信頼という意味に限れば、孝太郎が最も信頼しているのは賢治になる。
それは孝太郎を最初に救った人間が賢治だったからだ。
だから孝太郎はある意味において賢治を自分以上に信頼していて、だからこそ相手チームのリーダーに固定されている。
賢治になら大切な人達の事を任せられる、つまりはそういう事なのだった。

「きっとね、あたし達の真のライバルってメガネ君なんだよ。
 だからね、いずれ孝太郎にあたし達をメガネ君以上だって思わせないといけないんだ」
「そうですね。きっと、そのように致しましょう」

 孝太郎を真に救う為には、賢治以上の救いをもたらさねばならない。
そうなった時、少女達は孝太郎にとって例外的な地位を賢治から(ゆず)()ける事になるだろう。
それは誰の為でもあるから、少女達がそれを目指さない理由は何処にもないのだった。



 試合は一進一退の展開。そして個々のプレーは選手達の性格をよく反映していた。
ゆりかは三振するし、(しず)()は場外ホームラン、ティアはただのヒットを俊足で二塁打に変え、
キリハは変幻自在のピッチングといった具合だった。
早苗とルースは客席に座って、そんな試合の様子をしばらく楽しんだ。

「またティアがバッターボックスに入るみたいだね」
「打順が間違っていますけれど、夢ですからね。ふふふ………」

 二人が見守る中、バッターボックスにティアが入っていく。
そして小さい身体が大きく見える大胆なフォームでバットを構えた。
するとピッチャーの賢治が小さなフォームから鋭い球を投げる。
器用な賢治は技巧派のピッチャーで、容赦なく打ち難いコースに投げ込んできた。

 カキンッ

 だがそのコースを読んでいたティアはバットをフルスイング。
打ち返されたボールはセカンドの頭上を越えてライトとセンターの間をコロコロと転がっていった。

「殿下っ、走って走ってっ!」

 グラウンドに響いた快音に、ルースは思わず立ち上がって声援を送る。
するとグラウンドにいるもう一人のルースも同じように声援を送っていた。
孝太郎の夢は現実のルースをよく再現している。そしてそれは他の人間もそうだった。

「素晴らしいです殿下ぁっ! 三塁打だなんてっ!」

 ティアはこの一打で三塁まで進んでいた。彼女はルースの呼びかけに応え、手を振っている。
グラウンドのティアにとっては、ルースが二人いる事などどうでもいい事であるようだった。

「ルース、そろそろいこっか」

 次のバッターがバッターボックスへ向かうのを見て、早苗はティアの活躍を見て興奮気味のルースに笑いかけた。

「まだ試合は途中ですが………」
「あはは、実はこの試合ね、いつまで経っても終わらないんだ」
「もしかして、おやかたさまがこの夢をずっと見ていたいと思っているからですか?」
「たぶんね」

 孝太郎の望みは明らかだった。平凡な幸せがずっと続きますように。
この野球はその願いを反映したもの。だとしたらこの試合はいつまでも終わらない。
孝太郎が目覚めるその時まで、このまま試合は続いていくに違いないのだった。

「そだ、折角だから孝太郎に会ってく?」
「えっ………おやかたさまは今、バッターボックスに………」

 ティアに続いてバッターボックスに入ったのは、孝太郎だった。今はピッチャーの賢治と何かを言い合っている。
その声はよく聞こえないが、いつもの軽口の応酬(おうしゅう)である事は二人の様子から明らかだった。

「こっちこっち」
「えっ………サナエ様? おやかたさまはあちらにおいでで………」
「いいからいいから」

 戸惑うルースの手を引き、早苗は何故か河川敷の土手を登り始めた。
この土手は下の方は増水に備えてコンクリートで作られているが、上の方は芝生が敷かれているだけの簡単な作りになっている。
そしてそこに、孝太郎が寝そべっていた。

「孝太郎」
『また来たのか、早苗』

 孝太郎は芝生で横になり、日向ぼっこをしながら試合の様子を眺めている。
早苗はこの孝太郎が本物―――正しくは孝太郎の意識の中心―――である事を知っていた。

「今日はルースも一緒だよ」
「おやかたさま」

 ルースは早苗の背後から抜け出して孝太郎の前に立った。すると孝太郎は彼女に笑顔を向けた。

『いらっしゃい、ルースさん』
「ぶぅ、あたしとリアクションが違うじゃないっ」
『お前はもう何度も来てるだろ』
「起きたら忘れちゃうくせにっ」
『今は覚えてるからいいんだよ』
「毎回全力で歓迎しなさいよね」
『いらっしゃいませ、敬愛してやまない早苗お嬢様』
「うむ、くるしゅうない」

 孝太郎は二人の事を歓迎していた。やはり孝太郎にとって、この二人は特別なのだ。
夢の中に尋ねてくるぐらい、どうという事もない相手だった。
そして孝太郎はひとしきり早苗の相手をした後、その隣に立っているルースに目を向けた。

『ところで、どうしてルースさんまでいらっしゃったんですか?』

 孝太郎はルースの来訪は歓迎していたが、彼女が来た理由までは分からない。
日常化して遊び半分の早苗ならともかく、ルースが自分から他人の夢に入るとは思えないのだ。

「………そ、それは………そのぉ………」

 ルースは顔を赤くして俯く。孝太郎に積極的に甘えていいかどうかで悩んでいたとは答え辛かった。
すると困っているルースを見かねて、早苗が助け舟を出した。

「それはね、おとめちっくな事情! 質問禁止!」
『俺の夢なのに?』
「乙女の事情は全てに優先するの!」
『さてはお前が無理矢理連れてきたな?』
「てへへへへぇ」
『全くお前という奴は………』
「でもルースの悩みをここで無理矢理解決しようかなって思って」
『………ならいいか』
「うむ、いいのだ!」

 早苗の勝手な言い草に少しばかり抗議をしようと思った孝太郎だが、
どうやら早苗なりの配慮がありそうだったので不問にする事にした。
それに周囲の天気もお説教には向かない。のんびりと過ごす休日でいい筈だった。
 ルースはそんな二人のやり取りを楽しそうに見守っていたが、やがて一つの疑問を感じ始めた。
そこで二人の会話が途切れたのを見計らい、遠慮がちに話を切り出した。

「おやかたさま、一つ質問してもよろしいでしょうか?」
『構いませんけど』

 孝太郎にはルースに訊かれて困るような事はないので、あっさりと首を縦に振った。

「どうしておやかたさまは、ここから試合をご覧になっているのですか?」

 ルースの疑問は、孝太郎の視点が夢の外にある事だった。
この野球の試合が願望や理想であるなら、孝太郎は試合のプレイヤーとしてグラウンドに立つべきだろう。
なのにグラウンドに立っているのはもう一人の孝太郎で、本人は土手に寝転んで第三者的に試合を眺めている。
ルースにはそれが不思議に思えたのだ。

『俺にはこれが夢だって分かってるんです。現実は片付いてない問題が山積みで、なかなかこんな風には出来ませんから』
「夢の中でぐらい、そんなの忘れていいのに。ぶきっちょなんだからもうっ」

 孝太郎が第三者的に試合を眺めているのは、これがあくまで夢である事を自覚している為だった。
だからのめり込めず、遠くから眺めている。夢ぐらいは、自由に見ていいだろうに―――ルースも早苗と同感だった。

『お前らの事だからな。簡単には忘れられないんだ』
「おやかたさま………」

 しかし続いた孝太郎の言葉で、ルースはそれが不器用だからではない事を悟った。
孝太郎はルースや早苗の事を思えばこそ、これが夢だと理解している。
その事に気付いたルースは胸がいっぱいになり、その瞳に涙を(にじ)ませた。

「おっ、今のはかなりラブな感じだったよ孝太郎!」
『そういう話じゃないだろ。茶化すなよ』
「茶化してないよ。おっきなラブだよ」
『ああ、それなら合ってるかもな』

 個々の人の繋がりではなく、もっと大きな意味での愛。
孝太郎がここから試合を眺めているのは、それが強いからなのだろう。

『ともかく、試合ならややこしい事が全部片付いたら………かな』
「ようやくあちらで試合に参加できるのですね?」

 ルースは零れかけた涙を拭いつつ、孝太郎に笑いかける。
全ての問題が片付いて、孝太郎も自由に夢が見られるようになる。それはどれだけ素晴らしい事なのだろう。
ルースはそう感じていた。

『いえ………試合なら現実でやります。夢は叶えるものでしょう?』

 しかし孝太郎の結論はルースの想いを大きく上回るものだった。
それは孝太郎が自覚しての言葉ではないだろう。しかしその結論は、非常に大きな愛情の表明に他ならない。
そこに男女の愛情があろうがなかろうが、もはや問題ではなくなっていた。

「………お、おやかた、さ、ま………」

 ルースは心臓が止まりそうな強い衝撃を受け、胸には強い想いが溢れてくる。
頭の中が真っ白で空回りし、言葉が上手く出てこない。
この時のルースに分かっていた事は、自分が孝太郎と共に生きると決めた事に、間違いはなかったという事だけだった。

『ル、ルースさんっ!?』

 だからルースは、一度は我慢したにもかかわらず、結局泣き出してしまうのだった。



   ◆◆◆次回更新は4月17日(金)予定です◆◆◆

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