第2編 『ルース&早苗・イン・ワンダーランド』 シーン04

作者:健速

シーン04 : ひだまりの中で


 孝太郎(こうたろう)が目覚めた時、傾いた太陽の赤い光が顔に当たっていた。
太陽の光は六畳間全体を赤く染め上げ、あたたかみのある雰囲気に仕立てていた。
だが、孝太郎を目覚めさせたのはこの赤い光ではない。

「………こいつか………」

 孝太郎の胸の上には早苗(さなえ)がもたれかかっており、すやすやと眠っていた。
その重みで息苦しさを感じて、孝太郎は目を覚ましたのだ。

「毎度毎度、何が楽しくてこんな寝方をするのか」

 孝太郎はあくまで普通の人間なので、夢の明確な記憶はない。
早苗の夢を見たような気がしても、早苗が夢に侵入しているとは思わない。
だから気持ちよさそうに寝ている早苗の気持ちは想像できなかった。

「一体、どんな夢を見ているんだろうな………?」

 その早苗の方は、霊能力のおかげで夢の中のことを覚えている。
だがあえて孝太郎に話す必要はないと思っている。
説明がややこしいし、本当に嫌ならとっくに夢の中に入れないようになっている筈だからだ。

「あれ? ルースさん?」

 そして早苗をどうしようかと考えながら孝太郎が何気なく視線を上げた時、意外なほど近くにルースの顔があった。
だがその両目は閉じられ、早苗同様に穏やかな寝息を立てている。
また、頭の下には柔らかい感触があった。
ルースは眠ったまま、孝太郎に膝枕をしてくれていたのだ。

「そうか、俺が寝てたから、寝やすいように膝枕をしてくれたんだな」

 孝太郎はこうなった理由をすぐに思いついた。
まずルースが孝太郎に膝枕をし、日差しの温かさに誘われて居眠りを始めた。
早苗はそこへやってきて、一緒に寝てしまった。逆の順ではルースが膝枕をするのが難しい。
孝太郎はこの想像に自信を持っていた。

「なんだ………?」

 二人の存在を近くで認識した時から、孝太郎の胸にある衝動が現れ始めた。
その衝動はあっという間に強く、大きくなり、やがて孝太郎の胸はその衝動一色に染まっていた。

 ―――俺はどうして、早苗とルースさんを抱き締めたいだなんて思ってるんだ?

 その衝動とは、二人をぎゅっと抱き締めたいというものだった。
だがもちろんそれをする訳にはいかない。
眠っている二人を起こしてしまうし、寝ている女の子を抱き締める訳にもいかない。
そして何より、自分がどうしてそう感じるのかが分からないのだ。
 寝かしておいてやりたいし、常識として抱き締める訳にもいかないし、原因が抜け落ちたまま行動するのはどうにも気分が悪い。
仕方なく孝太郎は強い衝動に突き動かされながら、そう感じる原因を自分自身に問い続ける。
しかし結局、二人が目を覚ましても原因は分からなかった。



 目を覚ました早苗が真っ先にやった事は、着ている真新しいパーカーを孝太郎に自慢する事だった。
そもそもそれが目的で一〇六号室へやってきて、居眠り孝太郎と膝枕ルースに遭遇したのだ。

「どうだぁ、可愛いか孝太郎!」
「可愛い可愛い」
「どこが?」
「ウサギの耳と尻尾が可愛い」
「それを、より格調高く!」
「お美しゅうございます、お嬢様」
「うむ! くるしゅうない! くるしゅうないぞっ!」

 早苗はいつものように孝太郎に()めて貰うと、満足してちゃぶ台に()いよって行く。
早苗が上からどいた事でようやく解放された孝太郎は、大きな伸びと欠伸(あくび)をした。
そんな二人の様子を眺めていたルースは、近くに来た早苗の耳にそっと(ささや)く。

「………おやかたさまは覚えておられないようですね」
「うん。いつもそうなんだ。だから向こうは向こう、こっちはこっちで分けてる」
「そうなのですか………」

 ルースはそこで残念そうに小さく溜め息をついた。早苗は顔を上げ、不思議そうにその顔を覗き込む。

「どうしたの?」
「結局、何も出来なかったなと………」

 ルースが残念に思っていたのは、孝太郎の中にある黒い霧に対して、結局何も出来なかった事だった。
 黒い霧には孝太郎の負の感情や記憶が集まっていて、その中心には少年が座り込んでいた。
ルース達は恐らく負の感情を受け入れ、少年を霧の中から連れ出してやらねばならない筈だった。
しかしもう少しというところで弾き出され、そのまま現実世界に押し出されてしまったのだ。
 ルースは早苗に守られているので、夢から覚めてもその事を覚えていた。だからその事を残念に思っていたのだ。

「残念だったねぇ」
「はい。でも、一朝一夕(いっちょういっせき)にはいかない問題ですし」
「うん。気長にやっていこうよ」

 早苗も残念だった。しかし悪い材料ばかりではない。
かつてよりも核心に近いところまで行けたのは間違いないのだ。
だから早苗もルースも表情は決して暗くはなかった。

「何の話だ?」

 そんな時、孝太郎もちゃぶ台のところへやってきて二人の会話に加わる。
まさか自分の話とは思ってもいないので、孝太郎は呑気(のんき)なものだった。

「女の子の秘密。ねっ、ルース!」
「はい。秘密でございます」
「それじゃ、仕方がない」

 孝太郎は小さく笑うとちゃぶ台の上にあったリモコンを手に取り、テレビの電源を入れる。
そしてチャンネルをニュースに合わせた。

「そんなのじゃなくて、アニメの再放送にしようよ」
「最初だけ見せてくれよ。これでも世帯主なんだから」
「あたし扶養(ふよう)家族(かぞく)?」
「ああ」

 孝太郎はすぐに頷いてやる。
早苗はもうずっと前から、孝太郎にとって妹かそれ以上の存在になっていたのだ。
そのやり取りを聞いて、悪戯っ子(いたずらっこ)のような顔で笑ったのがルースだった。

「わたくしは?」
「ルースさんはちゃんと自分で収入あるじゃないですか」

 ルースの場合、孝太郎の扶養家族というにはあり得ない程、莫大な収入と資産がある。
フォルトーゼの騎士の名家、パルドムシーハには六畳間は狭すぎるのだ。

「建前が重要なのです」
「………ルースさんも扶養家族です」
「ありがとうございます、おやかたさま」

 照れ臭そうな孝太郎の言葉に満足したルースは、テレビの方に注意を向ける。
するとテレビの画面の左上のあたりに時刻表示があり、それが五時過ぎである事を彼女に教えてくれた。
そろそろ夕食の準備をするべき時だった。

「それではおやかたさま、サナエ様、わたくしはそろそろ夕食の準備を致します」
「ああ、ちょっと待った、ルースさん」

 孝太郎は台所へ向かおうと立ち上がりかけたルースの手を(つか)んで引き留めた。

「は、はい?」

 ルースは突然の事に驚き、また孝太郎の手のぬくもりを感じて胸を高鳴らせる。

「膝枕のお礼に、お茶でも淹れますよ。夕食の用意なら、その後に」
「お茶ならわたくしが―――」
「いいからいいから。なんだかそうしたい気分なんです」

 孝太郎は戸惑うルースに笑いかけると、テレビのチャンネルを再放送のアニメに切り替え、席を立って一人台所へ向かう。
そして孝太郎が六畳間の入り口にかかっているのれんの向こうに消えると、早苗とルースは二人で顔を見合わせた。

「何も出来なかった訳じゃなさそうだね」
「はい、そのようですね」

 二人はそのまま笑顔になり、声を合わせて笑い始めた。大好きな人の役に立てたのは、とても嬉しい事だった。

「おーい、早苗、ルースさん、お菓子は何がいい?」
「あたしこないだのもなかがいい!」
「そういえば、お菓子ならようかんを買い足してありますよ」
「じゃあそれもー!」
「はいよー」

 しかし二人の気持ちはすぐにお菓子の話に引き寄せられ、夢の中での出来事は頭の片隅に追いやられてしまう。
だがそれで構わない。
二人はそれが孝太郎の望みだという事を、ちゃんと知っているのだった。


   ◆◆◆次回更新は6月5日(金)予定です◆◆◆

作品応援ボタン(1日1回)応援コメントを書く