第24編 『幼馴染み二人』 シーン04

作者:健速

シーン04 現在のそれぞれ



 キリハと琴理(ことり)が一〇六号室へ辿り着いた時、最初に聞こえて来たのは大きなもの同士がぶつかり合った時に特有の重々しい衝突音だった。

 どこぉんっ

「ぐふっ」

 そして喉から空気が押し出されるだけの、声にならない悲鳴。それを聞いた途端、キリハと琴理は珍しく靴を脱ぎ散らかすようにして慌てて和室へ駆け込んでいった。

孝太郎(こうたろう)!?」
「コウ兄さん!?」

 和室ではナルファが大の字になって倒れていた。またあたりにはポテトチップが散乱しており、部屋の端にはひっくり返った木製の器が転がっている。そしてナルファの身体の下には孝太郎がおり、頭を部屋の柱に押し付けるようにしていた。何が起きたのかは一目瞭然だった。

早苗(さなえ)、クラン殿、ナルファを頼む!」
「わかりましたわ! サナエ!」
「うん! メガネっ子は手の方持って」
「いきますわよ………いっせーのーせっ!」

 台所からお菓子を運んできたナルファが、段差に足を取られて転んだ。孝太郎が受け止めたのでナルファは無傷だが、その孝太郎は柱に頭を強打した。キリハはこの状況をそう解釈した。この場合(ほとん)どダメージのないナルファを部屋にいたクランと早苗に任せ、自分が孝太郎を診た方がいい―――そう考えたキリハは飛び降りるかのような勢いで孝太郎の間近に腰を下ろすと、慎重に孝太郎を抱き起した。

「いててて………」
「動くな。頭へのダメージは怖い」

 痛みに顔をしかめ身じろぎした孝太郎を鋭い視線と声で制し、キリハはそっとその身体を畳に横たわらせた。孝太郎は頭を打っているので、キリハも本当は動かしたくなかったのだが、柱に寄り掛からせたままにもしておけなかった。そして細心の注意を払いつつ、彼女は孝太郎の傷の具合を調べ始めた。

「怖いのはキリハさんの顔だよ。そんなに心配しなくて大丈夫だって」
「気分はどうだ? 吐き気があったりはしないか?」

 キリハは真剣だった。おかげで孝太郎が冗談交じりに話しても、真剣な表情が少しも崩れない。いつもはこのくらいで微笑んでくれるというのに。キリハはそれだけ頭への打撃を恐れている。どれだけ強くても、防ぎようがないのが脳への衝撃なのだ。そんなキリハの様子に気圧され、孝太郎も大真面目に答えた。

「大丈夫、気分は悪くない」
「視界が狭まったり、ぼやけたりは?」
「それもない」

 キリハはひとつひとつ慎重に、孝太郎の頭の具合を確かめていく。その様子はまるで貴重品、しかも世界に二つとない特別な品を扱っているかのようだった。

 ―――私の出る幕はなかったな………。

 琴理はキリハの様子を見て小さく微笑んだ。実は琴理も、キリハと同じことをやろうとした。しかし内気な性格の影響か、ほんの一瞬出遅れてしまったのだ。おかげでそれはキリハがやる事になった。琴理はその手伝いをするだけだった。

 ―――でも、こういうの見るとよく分かる………キリハさんは本当に、コウ兄さんの事が好きなんだなぁ………。

 琴理はこの時、改めてそう感じていた。キリハは孝太郎の身体を懸命になって調べている。おそらくキリハ自身が頭を打ったとしても、ここまで必死になりはしないだろう。そうなるのはキリハが孝太郎を愛しているからこそだ。彼女には孝太郎以上に大切なものが無いのだ。その事が見ているだけで伝わってくる。その想いの深さに、琴理は強く胸を打たれた。

 ―――私にもいつか運命の人が現れて、ああいう恋が出来るんだろうか………。そうだと、良いんだけど………。

 そして琴理は憧れた。自分もいつか、キリハのような恋がしたいと。琴理はまだ運命の人を見付け出せていない。あるいは既に見えているのに、気付いていないだけなのかもしれない。どちらなのかは分からないものの、琴理は運命の人に出逢い、キリハのような恋がしたいと思っている。孝太郎の怪我の具合を必死になって調べているキリハには申し訳ないのだが、その姿は琴理の理想そのものだった。



 キリハが行った触診や問診による大まかな診断では、孝太郎の怪我は大した事は無い筈だった。だが、万が一という事はある。だからクランが持ってきた診断装置が結論を出すまで、キリハは孝太郎が動く事を許さなかった。

「キリハさん、本当に大丈夫だから」
「お願いだから、もう少しだけ動かないでいてくれ」
「………お、おう………」

 畳の上で横になり、間近からキリハに見つめられていると妙に照れ臭い。逃げ出そうとしても、キリハがいつになく心配そうな顔をするものだから、実際に逃げ出すまでには至らない。キリハが本気で心配している事は、孝太郎にも分かっている。それは同時にキリハの愛情を認めるという事でもあったから、孝太郎はいつも以上に必死になって照れ臭さを押し殺す必要があった。むしろキリハから悪戯をされる方が、我慢するのは楽だったに違いないだろう。

「………キィ、診断装置はコータローの怪我が大した事は無いと言っていましてよ」
「確かか?」
「ええ。もう心配いりませんわ」

 クランが持ち込んだ診断装置は小型の簡易的なものだが、それでも現代日本の最新医療機器に劣らない性能がある。そんな診断装置が大丈夫だと太鼓判を押した訳なので、もう心配は要らなかった。

「はぁ………助かった………」

 孝太郎は安堵の息を一つ。診断装置の結果を聞いた時から、キリハの様子が普段のそれに戻っていた。おかげで孝太郎も安堵する事ができた。また悪戯をされたりからかわれたりするかもしれないが、泣き出しそうな瞳で見つめられているよりはずっとよかった。

「申し訳ありませんでした、コータロー様!」

 場の空気が緩むのを待っていたかのように、ナルファが孝太郎の傍へやってきた。キリハが場所を空けてやると、ナルファは詫びの言葉を口にしながら、ぺこぺこと繰り返し頭を下げた。

「私の不注意でコータロー様にお怪我をさせるところでした!」
「そんなに恐縮しなくていいよ。お互い怪我は無かったんだし」
「今後は気を付けます! コータロー様にお怪我をさせてしまっては、フォルトーゼに帰れなくなってしまいますから!」

 孝太郎が頭を打ったのはナルファをかばっての事なので、彼女もキリハ同様に孝太郎が怪我をしていたらとずっと心配していた。おかげで目の端には涙が滲んでいた。

「ふふ………」

 ナルファは平謝りを続けている。孝太郎はそんな事はしなくていいと言っていたが、フォルトーゼ人にとっては重大事件なので、ナルファはひたすら謝罪の一手だった。その様子が可愛らしく思え、キリハは微笑んでいた。

「キリハさんもさっきまではあんな可愛らしい感じで心配していましたよ」

 そんなキリハに琴理が笑いかける。琴理の視点ではキリハもナルファも五十歩百歩。可愛らしさといじらしさは似たようなものだった。

「そうだったのか」
「はい。だから思ったんです、キリハさんは本当にコウ兄さんが好きなんだなぁって」

 ナルファが孝太郎を心配するのは、個人的な知り合いというだけでなく、フォルトーゼ人にとっては伝説の英雄だからという意味も含む。だがキリハはそうではない。その全てが好意のみから出たものだった。

「だがそれに関しては汝も同じだったぞ」
「えっ?」

 キリハの言葉に不意打ちを受け、琴理は目を丸くする。琴理はその言葉を、この一瞬だけは琴理も孝太郎が好きだという意味に受け取っていた。

(なんじ)も酷く心配そうにしていた。十分に可愛らしい感じだった」

 だがその勘違いはすぐにキリハによって訂正された。可愛らしく心配していた、それなら琴理にも納得だった。

「そ、そりゃあそうですよ、小さい頃からずっとお世話になってきた、幼馴染みのお兄さんですもの」
「幼馴染み、か………」

 幼馴染みという言葉を聞いて、微笑んでいたキリハの目が、わずかに細められた。その瞬間、琴理は心の奥底を覗き込まれたかのように感じた。

「………琴理、実のところ汝は、孝太郎の事をどう思っていたのだ?」

 そしてキリハは、先程琴理がほんの一瞬だけ勘違いしたのと全く同じ内容を質問した。その質問は再び彼女の目を丸くさせた。

「どうって………」
「言葉通りだ。汝が孝太郎が好きなのは分かっている。だがそれはただの幼馴染みとしてなのか、あるいは―――」

 キリハの言葉は途中で途切れたが、琴理にはその続きが分かった。

 ―――あるいは、一人の男性としてなのか。

 それは琴理が時折自問する事であったから。

「分かりません」

 琴理は首を横に振った。琴理は自分が孝太郎をどう思っているのか、よく分かっていなかった。恋愛に憧れながらも、自分では経験がなかったのだ。もしかしたら自分は一人の男性として孝太郎が好きなのかもしれないとも思う。だが琴理はそれに確信が持てないでいる。幼馴染みのお兄さんとしての付き合いが長過ぎた。そして何より、孝太郎の心の奥底にある冷たい部分を、心配する気持ちが強かったのだ。

「コウ兄さんはコウ兄さん。今はその印象が強過ぎて、上手く気持ちがまとまりません。ただ………」
「ただ?」
「ただ、コウ兄さんが私の運命の人じゃないって、決まった訳でもないと思うんです」

 キリハにとって孝太郎が運命の人。それは分かる。だが、琴理にとってもそうではないとは言い切れない。琴理自身の人間関係が広がって、もっと周りをよく見る事が出来るようになったら、孝太郎に運命を見出すのかもしれない。琴理はその可能性を否定したいとは思わなかった。否定したくないくらいには、孝太郎の事が好きな琴理なのだった。

「………前例は多い。逆に否定する例は(とぼ)しいな」

 キリハは苦笑した。キリハが知る限り、孝太郎に運命を感じている女の子は、自身を含めて全部で九人。それが十人になる可能性は否定出来ない。むしろ九が十になっても、キリハは驚きはしないだろう。琴理が言うように、今この瞬間に結論を出す必要など、どこにもなかった。

「そういう訳ですから………キリハさんは胸を張って下さい。今のところはキリハさんが運命の人で良いんです」
「今のところは、か………強いな、琴理」
「ふふふ、私は誰よりも運命を信じていますから」

 大切なのは、安易に自分の気持ちを決めてしまわない事。そうしてしまうと、真に運命の瞬間がやって来た時に、導きを見逃してしまう。そして琴理は信じようと思う。自分にもきっと運命の人が居るに違いないと。それでいい筈なのだ。何故ならキリハは、そうやって再び孝太郎と出逢ったのだから。



   ◆◆◆次回更新は2月1日(金)予定です◆◆◆

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