第一章

作者:イズシロ

『最強魔法師の隠遁計画』外伝『始まりの蒼風』

 どこまでも続く、人の手が入っていない雄大な世界。長きに渡って人間を放逐した世界は、本来あるべき姿を取り戻していた。
 見渡せば視界も利かないほど、密集した木々。決して平らではなく、寧ろ、足の踏み場すら気を遣うほど木々が根を張り、自然がかつての誇りを取り戻した外の世界。

 この周辺のどこを見まわしても、人間はいない。それゆえ、一度でも活動に支障をきたすほどの外傷を負ってしまえば、誰も助けに来てはくれない場所。

 そこに今、一人の少年の姿がある。最小限の荷物を入れられるだけの大きさの背嚢を背負い、器用に木の根を足場に、木立の中を疾駆する。

 これほど広大で、どこがゴールなのかすらわからないような、緑一色に覆われた地。黒い髪を額に張り付け、小刻みにリズム良く呼吸を繰り返していた――息を乱さないように。

 人類がこの世界を独占していた時代は、すでに一世紀以上も前のこと。今では僅かな数のみを残し、かろうじて防壁に覆われた己の生存領域内に閉じこもり、怯えつつ身を守るだけの生活。

 今、人間に許されている精一杯の活動と言えた。全人類の最後の砦として「7カ国」が建国されたのは、老人にとってはまだ記憶に新しいとさえ言える時期である。

 その最大の要因たる外敵……「魔物」は、まさに突如として出現した。
 想像を絶するその存在の前に、瞬く間に駆逐されていく人類は、地の果てに後退してまで逃げ場を求めることとなった。

 やがて逃げることもできなくなった時、残された人々は、最後の理性と力を振り絞って団結し、国家を作り、物理兵器が効かない魔物の脅威に対抗せんと、新たな力を昇華させた。

 誰もが生まれながらに備えており、誰もが扱えるはずの力――魔法である。

 その力を対魔物兵器として洗練させ、自在に扱う技術を習得した者、人類を救わんと立ち上がった力ある者を、人々は【魔法師】と呼んだ。
 そして黒髪の少年もまた、その力を扱う魔法師であった。

 一瞬足りとも気の抜けない、この外界と呼ばれる世界。そこで少年は一人、腰に下げたあまりにも不釣り合いな剣を、目にも留まらぬ速さで引き抜き、一閃させた。

 そしてまた、足を動かし続ける。背後で聞こえる異形の化物の断末魔。それは、まるで緑の屋根に閉鎖されたような、閉ざされた空間に反響する。

 背後に続くは、異形の化物の軍勢。少年を見る眼は血走ったように赤黒く染まり、執拗に小柄な獲物を追いかけている。

 そんな魔物達の執着心を知ってか知らずか、ある程度敵を引き付けたと見た少年は、大きく黒髪を揺らし、木の幹に飛び移った。

 瞬く間に身体を捻って反転し、着地すると同時に、駆けて来た道に向かって、逆に跳躍する。続いて剣の刀身に輝く精緻な文字列が淡く輝くと、そこからうっすらと白煙がたなびく。

 やがて、瞬く間にその刀身はグツグツと熱せられたような茜色に染まった。
 少年は躊躇いなく、己への敵意を剥き出しにする魔物どもに向けて、それを振り払う。

 たちまち、熱波のような灼熱の業火が巻き起こる。
 それは、数十といたはずの多種多様な魔物を、一瞬で焼き尽くした。
 火柱が緑の屋根に穴を開け、代わってそこから注がれた陽光の日柱(ひばしら)が、影の(わだかま)った日陰を跳ね除けて、勢いよく差し込む。

 異形の化物――物理兵器が効かない魔物を倒しうる力は、現時点で魔法のみとされている。
 かつて人間が繁栄を謳歌していた地上。その失われた王土を奪還すべく、長きに渡り堪え続けた果てに、人類はやっと反撃の狼煙(のろし)を上げ始めたのだ。

 魔物に対抗するための魔法は、今や急速な進歩を遂げている。とはいえ、それは必ずしも人間にのみ備わった力ではない。
 でなければ、これほどまでに人類はその数を減らすことはなく、さしもの魔物も駆逐されていたはずなのだ。
 そう、地上を支配していた人間が追い詰められた原因である魔物――彼らもまた、魔法という超常の力を扱う上で、人間のそれを遥かに越えうる資質を本能的に獲得している。

 ゆえに、魔物と人類の間にある力の天秤の傾き具合は、未だ不均衡なまま。魔物との死力を尽くした総力決戦は実行されず、人類はじりじりと追い込まれつつある状態だ。

 しかし、それでも……かつての絶望的な状況はだいぶ後退し、人類にはさらなる力を求め、仮初の平穏に身を浴すだけの余裕が生まれたのは事実だ。

 防壁を作り、その中を仮の住処として定め、一方で、その僅かな生存圏内において、淡々と刃を磨き続けてきたのだ。
 だがいざ、その生存圏内を示す防壁から一歩踏み出せば、そこは未開の地も同然の場所。
 魔物が跋扈する外界は、まさに別世界……否、それこそが、本来自然のあるべき姿なのかもしれない。

 こちらに向かってくる魔物は一掃したものの、少年はそれでも足を止めるわけにはいかなかった。
 煙や火柱、魔物の断末魔の声により、この一帯の魔物はほとんど全てが、紛れ込んだ異物たる少年の存在に気付いただろう。だから、少年はひたすらに足を動かす。

 この時、彼が所属する軍を離れて、すでに三十日が経過しようとしていたが、少年は気にもとめない。もとよりその「離脱」は、己が自ら望んでのことだったから。

 ……それから、どれほど走り続けただろうか。
 考えるのすら馬鹿らしいと、少年は思考を断ち切って、自分に与えられた使命にのみ邁進する。
 彼に与えられている任務は、雑魚の一掃などではなく、もっと根元的な「討伐」なのだ。

 だから少年は、身を低くして、木陰に溶け込むようにひたすら走り続けた。
 だがいくら鍛えていようと、この年齢の身体では、延々と走り続けられるものでもない。

 そう、少年は一般的にはまだ「あどけない」とさえ言える年齢なのだ。
 普通なら、まだ家族に守られていて、毎日温かい食事にありつけて、日々の幸せをわずかにでも感じとり、豊かに表情を変えていくといった日常が似合うくらいの……。

 だからこそ、この異常な状況に独り挑んでいる少年は、そんな日常からは見捨てられ、誰からも守ってもらえない存在に違いなかった。

 やがて陽が落ち始め、背後から徐々に静かな闇が迫ってくる。
 まるで夜に追い立てられるように、少年は今日の隠れ家を求めて、更に速度を上げた。

 間もなくおあつらえむきの場所を見つけた少年は、獣にすら悟られないよう徹底して痕跡を消し、ポッカリと口を開けた洞穴を今日の宿に選んだ。

 小さな洞穴は、この小大陸が持つ地質学上の特性から、そこかしこに散見されるものだ。
 そして彼は、恐らくこの外界での生活を何度か実体験して学んだのであろう、驚くべき手際の良さで野営の支度を整える。

 夜になると活発化する魔物の習性上、暗くなってからの行動は控えなければならない。それが、ここで長く生き残るコツなのだ。

 それでも、外界を跋扈するほとんどの魔物なら、それを討伐するのは、少年の力を持ってすれば造作もないことだった。もっとも、その飛び抜けた力ゆえに、少年はこの無謀な任務に赴かざるを得なかったのだが。

 少年――軍役中の異端児にして天才魔法師【九番】は、洞穴の中に降りた闇の帳の中、過去を振り返る。
 あれはいったいいつだったか……魔物に対抗するために身体と精神を鍛え抜いた魔法師たちを、たかだか十一の子供が容易く制圧・凌駕するという事態。

 軍内部の模擬戦で披露された、その常軌を逸した戦闘力。
 歴戦の英雄ならいざ知らず、それを年端もいかぬ外見の子供が有しているとなれば、その持ち主は救世主としての期待を通り越して、人の皮を被った化物にすら見えたことだろう。

 だから、誰もが彼に背中を預けることに違和感と恐怖を覚え、それは少年を瞬く間に孤独にしていった。
 誰だって、遠く己の理解が及ばない、まさに想像を超越した存在を、自分の仲間だと思いたくはない。

 仮に名付けるとしたら、それは神か悪魔か、といったニュアンスを持つことになるだろう。しかし、この世界に神がいないことは、この時代、この世界に生きる者である以上、誰もが嫌でも知っていることだ。

 たとえ魔物に姿を変えた悪魔がいたとしても、神だけはいないと断言できる。ならば、既存の知識に照らし合わせてみた時、人々が少年を影でどう考え、呼びならわすか……そう、「化物」という単語が口の端にのぼるのは、必然だったのだろう。

 少年の、透き通っているようでいて(くら)く沈み込んだ瞳は、何も受け入れないための精神的防壁であり防衛措置の表れ。

 いや、きっと「作業をする」ことに意味を求めないための無感情という名の仮面なのだ。そう、考えてはいけないことだ……自分が今何をしていて、どこに向かっており、その果てに何があるのかなど、知らなくていい。

 だから【九番】という、少年を識別するための呼称に意味などなく、文字通りそれは、ただの記号でしかないのだろう。八番以上が死ねば、自分の番号は無味乾燥な手続きにより繰り上がっていく……ただそれだけ。

 最も記憶に新しい【アルス・レーギン】という名もまた、日々の戦いの中で、それ自体が刃であるかのように研ぎ澄まされた心には、不要なものとして埋没していく。

 でなければ余計なことを考えてしまうのだから。
 ただ、言われたことだけをしていれば良い。

 傀儡のように一切の愚痴を漏らさず、反論もせず、命令に従う人形になることを望まれている。
 しかし、それでも……だったら、自分はなぜ、何のために生きているのか……? そこまで考えてしまってから、少年は慌てて頭を振った。

「ッツ!」

 電流が走ったように、腕に唐突に感じた激痛。
 少年は肩を捻って痛みの原因を見つけ、そっと一つ溜息を溢す。
 強化繊維で編まれたせっかくの特製服も、連日の戦闘には、ついに根負けしたようだ。

 何か鋭い物に引っ掛けでもしたのだろうか、少年は、裂けたその箇所を無表情に見つめる。
 縦にざっくりと開いた穴は、繊維のみならず、肉体にも達しているようだ。

 同時にすでに凝固しつつある、紅黒いものが見えた。背嚢を降ろし、狭い洞穴の中で身じろぎするように袖から腕を引き抜く。裂かれたというより、まるで皮膚が割れたかのように、傷口は腫れあがっている。

「よかった、これぐらいなら」

 闇が入ってこないように拾ってきた枝に魔法で火を付け、背嚢の中身を確認する。
 外界に足を踏み入れた時と比べて、随分軽くなってしまった。一昨日中身を補充した水筒を振って、まだ半分は残っていることに安堵する。

「今日も食事は抜き、か」

 そう、非常食として持たされたチューブ型の食料は、随分と前に切らしていた。真っ黒に汚れた顔を擦って、また頭を振る。まあ、いいだろう。そう、余計なことは考えなくていい。

 靴の踵に仕込んだ、針と糸を確認して準備はできた。布の切れ端を水に浸し、患部を清掃する。使い古したような色の布切れをもう一度絞ってから。

 それを、今度は口に(くわ)えた。手に持った針を滑らせるように、皮膚の中に潜り込ませる。

「ンッ!! フウゥゥ……」

 口の中に詰められた布の縫い目を抜けて熱い息が漏れ、奥歯が苦味を感じ取る。眉尻が、ピクリと皮膚の下に針を通すたびに反応して、顎に力が入る。

 無論、洞穴に隠れようとも一時も気が休まる瞬間はない。
 傷口を縫い終えて、少年は脱力するように堅い壁面に背中を預けた。常に張り詰め続けた神経が、脳に疲労を伝えてくる。

 が、少年にはまだやることがあった。水筒の中身はすでに使い果たし、乾いた喉を潤すのは、鉄の味がする口の中に残ったものだけだ。やがて少年は、背嚢から一枚の地図を取り出した。

 今回の任務の最終目標である、大陸の奪還。それを一人で達成するために、その地図は必要不可欠なものだ。今後、失われた地を本格的に人類の手に取り戻す上で、この小大陸の確保は必須。後の反撃の足掛かり、文字通り最前線の橋頭保とするために。

そのための尖兵として、単身送り込まれたのが彼である。
 計画書と命令書の字面だけを言うならば、それは後々の拠点作りを踏まえ、その脅威となるであろう魔物の排除を命じており、そのために、通り一遍の下級の魔物ではなくそれらの上に君臨する、Aレート以上の魔物の掃討までもが任務に含まれていた。

 これが完遂された後、軍が速やかに残った「雑兵」を一掃すべく、大量の魔法師達を投入するという流れだ。しかしそれらは、本来ならば何百という魔法師を揃え、数年を費やして達成されるべきもののはずだった。

 それをたかだか十一の子供、それも一人に託したのだから、その言外に込められた辛辣な意味は、考えるまでもないことだ。だが。

「……今日で、5体」

 それでも少年は、確実に無謀な任務の達成に近づいてしまっている――それも驚異的な速度で。
 おそらく何十年も前のものであろう、その地図に記された地形は、現在のものと比べると随分と食い違っていたが……それでも、大部分で変わっていなければ問題はない。

 その地図の上には、煤けた黒い×印が、所々に付けられている。そして、少年は水で溶いた炭を指に擦り付けると、今日の成果として、さらに二箇所に印を付け加えた。

「このエリアには、北側から入ったから……」

 地図の上で辿った道筋を記憶し「任務を完遂」した区域を、一つずつ潰していく。
 魔物は強さに応じてレート分けされており、こういった小大陸では、それぞれに区切られた小さな領域を、高レートの魔物が別個に支配していることが多い。

 要は、野生動物の縄張りのようなものだ。特に今回のような、世界と地続きではない小大陸の場合、閉鎖的な生存競争の結果、そういった環境になりやすいのだ。

 更に言えば、少年はこれまで倒した高レートの配置や数から、一つの結論に達していた。

「恐らく……もっと上がいる」

 小さく呟く。妙なことにこの小大陸には、Aレート以上の魔物同士の、縄張り争いめいた闘争の痕跡がない。
 少年がこれまで何体か駆逐してきたそれらは、その活動状況や振る舞いから、まるでそれぞれが力を温存し、無駄な小競り合いは極力避けているような気配さえあった。

 それはなぜか……。つまるところ、Aレートの魔物すら恐れる、より強力な存在がいるということではないか。
 通常の魔物に比べれば王や貴族のようなAレートすら、常にその襲来や気まぐれな攻撃に備え、警戒しなければならない強大な相手だ。

 そうならば、恐らくその魔物はSレートにも届くほどの、この小大陸全土を支配している皇帝のような存在に近い、と考えたほうがよいだろう。

 少年はこれまで大陸の北から侵入し、徐々に南に向かって攻略してきた。
 ならばいずれは出くわすことになるはずだ。
 そして、最終的な任務達成のために、それは恐らく避けては通れない戦いになる。

「……」

 苦虫を噛み潰したような表情で、地図に落とす視線は空虚。
 まだ先は長そうだと、主に疲労感しか含まない溜息を、ドッと吐き出す。
 だからこそ、少年はしばしの休息のあと、いつでもここを出られるように、身支度を整えた。本来ならば火を(おこ)す のは外界ではやってはならないことだ。

 それでも少年は、あえてそうした。
 外界は、人類が暮らす生存領域である壁の内側とは、あらゆるものが全く異なる。
 夜ともなると冷え込みは一層で、それにより、本来戦闘に割かれるべき体力が奪われることは、あってはならないのだから。

 少年は剣を傍らに置き、堅い壁面に寄りかかった。

「アルス……アルス・レーギン」

 ぼそりと呟いた言葉とともに、少年は虚ろな瞳を向かいの壁面に飛ばす。
 久しく聞かなかったその名。ここ数年、彼はただ、番号でのみ呼ばれてきた。

 だが、かつて自分を助け、育ててくれた老練な男は、少年に「ただの識別番号」とは違う、奇妙な響きを持った名称を与えた。それはずっと少年の心の中に、不思議な余韻となって残っている。いつも、彼だけが、自分のことをそう呼ぶのだ。

 今回の命令の前、あの壮年の男が吐き出した言葉。今さらのように少年は思い出す。
 いったいあれはどういう意味で、どんな想いが籠っていたのか。

 『アルス、必ず生きて帰ってこい』

と、悔しさを押し殺したような顔で告げられ、少年はわけがわからず、頷き返すことしかできなかった。

 自分は任務を達成するための道具にしか過ぎない、そう思っていた。
 そもそも、生きて帰ることを期待され、許されているのだろうかとすら感じていた。

 だが、少年に名を与えた男は、まぎれもなく彼がそう願っていることを、真摯な気持ちを乗せた言葉で、確かに伝えてくれたのではなかったか。
 ならば、こんな自分にも、帰る場所があると思って良いのだろうか。

 少年――アルスは、ウトウトと重たくなった瞼をそっと閉じた。
 背中を丸めて膝を抱える。
 その程度で、身体が完全に休まることはないと知りながらも、これ以上は考えないために、浅い眠りについた。

 眠れる時に眠らなければ、蓄積された疲労が些細なミスに繋がる。
 たった一度のミスが、全てを失うことに繋がる……ここは、そういう場所だ。
 そう、今度は「縫う」だけで済むとは限らないのだ――そう、自分自身に言い聞かせながら。

【第一回終了 ※連載第二回は2月17日(金)更新予定 ※毎週(火)(金)更新を予定しています】

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