第三章

作者:イズシロ

『最強魔法師の隠遁計画』外伝『始まりの蒼風』
連載第三回

 その日の夜。アルスは常時、ナイト・ウォーカーの動向に注意を払っていた。
だが結局は何事もなく、その日は別の洞穴で、浅いながらも、かなり長い睡眠にありつくことができたのだった。

 そしてそれ以降、ナイト・ウォーカーとの接触は途絶えた。アルスはほっと安堵しながらも、そのことをこう分析した。

 やはり彼らは、ターゲットのわずかな魔力情報を頼りに、追跡を行っていたのだ。
 そして恐らく、囮にかまけて誤ったルートを追跡するうちに、彼らは本来の魔力の残滓を見失い、同時にアルスの正確な位置が分からなくなってしまったのだろう。

 なぜなら、魔力の痕跡は時間とともに薄れていくものだからだ。エネルギー体のまま体外に放出された魔力は内部情報が劣化し、いずれ完全に消え去ってしまう。だからこそ、一日でも完全に姿を眩ませてしまえば、追跡は困難になるはずであった。

 無事、厄介な魔物による不毛な追跡劇を打ち切らせてから数日。
 主に高レートを討伐し始めてから、今日で二ヶ月余りが過ぎようとしていた。だが、すでにアルスには日にちを数える意志はなくなっていた、

 そもそも、ある程度の期日は言い渡されたものの、最初からこの任務自体、期限があってないようなものだ。
彼を送り込んだ軍の意向は、なんとなく推測できている。恐らくアルスが命を落とすならそれはそれで構わず、万が一完遂してくれるなら、儲けものという程度だろう。

 今、小大陸の地図を広げれば、最初の頃に比べて、印が付けられた制圧済みの領域が、圧倒的に増大していた。無論、陸地全部を印で埋め尽くせたわけではないが、どうにか最初の目標地点は、残すところ一箇所だけというところまで到達したのだ。

 これまで、そこそこのレートの魔物との遭遇はあったものの、アルスが最初予想していた、Aレートを超えうる強大な魔物にはまだ出くわしていない。
 本当に、それが存在するとしたら……そう、最後のこの区域こそが、その縄張りである可能性は非常に高い。
 アルスはそこまで考え、残りの食料や飲料水のこと、連日の戦いによる疲労蓄積や体力の消耗具合のことを素早く計算に入れ、冷静に判断を下す。
 もちろん、軍による支援や補給などは考慮の外。

――挑むなら、明日……遅くても数日内にはやるしかない。

 そう結論付けると、静かな闘志を内に秘め、アルスは瞼を閉じた。

 翌朝、ここへは戻らないつもりで、天然の洞穴内に空になった背嚢を残し、残った僅かな装備をポケットに突っ込んで、アルスはその領域に足を踏み入れた。

 霧が視界を遮っているが、完全に陽が差せば、それもいずれ晴れるだろう。喉の奥がツンと冷たい。朝の大気は、冷め切った風を身体の芯に送り込んでくる。

 白い息を吐きつつ、アルスは鋭く、今日の目的地となる方角を見据えた。
 剣は、昨日の内に研ぎ終わっている。準備は万全だ。あの男に、帰ってこいと言われたから……今はそれだけを頭に留め、最後の区域の制圧に向かう。

 動き出した足を速め、薄闇の中を駆け抜けながら、冷静に下級の魔物どもを掃討しつつ、アルスは確認するかのように思考する。

 ――やっぱり、この区域内の魔物の分布は奇妙だ。

 ほかの区域よりも、遥かに少ない魔物の数。Aレートすらも恐れて近づかない気配がある場所だからこそだろう。
 結果的に、アルスはほかのエリアに比べ、ここでは拍子抜けするほど少ない魔物を蹴散らすだけで済んだ。だから、目的の地の奥深くに到達したのは、洞穴を出てからおよそ三時間ほど後のことに過ぎない。

 ふと、アルスの足はピタリと動きを止めた。

 大気自体の、明らかな変化。どんよりと重たい空気は、ここら一帯に残る魔力の残滓が原因だ。
 もちろん、魔法師によるものではない。しかし、並の魔法師を遥かに上回りこそすれ、そこまで圧倒的な探査能力を持たないアルスですらそれを感じ取れるということは、それが撒き散らされたのは、今から比較的間もない時間の出来事だろう。

 それを裏付けるように、目の前には魔物――恐らくアルスを付け回していた群れとは別の、単独行動をしていたナイト・ウォーカー――の残骸。

 朽ち果てた老木のような無残な身体には、その存在の中心たる「魔核」を消滅させられた後に見られる、身体組織の独特な崩壊現象が見て取れた。
 目の前には、半分崩れかけた身体から舞い散る、灰のような細かな塵が、そこかしこ
に浮遊している。

――共食いか内輪もめ、といったところか。ならば、その「勝者」が近くにいる!

 風に乗って塵が攫われていく。その向こうで、アルスは早々に目標を視界に収めた。
 野草を磨り潰して塗りたくったような深緑の身体は、鉄のような色艶さえ感じさせる。

 短く太い二本の足で立ち、上半身は下半身の倍はあろうかというほど筋肉で膨張した巨躯。
 体格だけ見れば人間、いやむしろ猿人のようだが、全身に盛り上がる筋肉は人間のそれとは遥かに異なり――ほとんど、鋼鉄で組まれた鎧を思わせた。

 地面に着くほど長い腕は異常なまでに太く、腕から手にかけては、さらにもうひと回り大きく膨らんでいる。

 背を向けた魔物は、まだこちらには気付いていないようだったが、アルスの鋭い目は、ただでさえ丸太のような腕の先――四本の指の中に、引き千切られ、ガッチリと掴まれたナイト・ウォーカーの頭部を見出した。

 無造作に敗者の一部を掴み上げ、勝ち誇るかのように見下ろしている後ろ姿には、憐れみや感慨など、知能に付随する感情を見つけることはできない。

 縄張りへの侵入者および競争者を排除するために行われ、すでに決したのであろうその勝負。それは、当然の結果を反映していたに過ぎないのだ……敗者の死は、外界においては摂理。

 興奮しているような唸り声が、漏れ聞こえてくる。続いてそいつは、握りこんだナイト・ウォーカーの頭部を、まるで水気たっぷりの林檎のように、他愛もなく握り潰す。

その異形の頭蓋の中に、魔物が巨大な指を食い込ませていくガリガリという音が、空ろに周囲に響いた。存在の終わりを告げる冷徹な物音。

 一帯に満ちる、魔物の残滓たる塵芥の全てがナイト・ウォーカーのものであるらしい。アルスは背後からではあるが、じっくりとその魔物の姿を観察し、素早く結論を下す。
 推定ランクはAレート超、俗に「オーガ種」と呼ばれている、並のそれとは別格を誇る魔物だ。
 本来、魔物は同族、特に人間以外に対しては、捕食を目的としない殺しをあまり行わないはず。だがこのオーガ種は、相当に気が荒く縄張り意識が高い個体なのか。
 そもそも徘徊者を意味する言葉を名に持つナイト・ウォーカーだけに、うっかり、怒れる鬼の城に踏み込んだのかもしれない。

 ただ、いずれにしても結論は一つ。

「どうやら、ボス猿を探す手間は省けたな!」

 音もなくアルスは数歩足を滑らせる。それでもオーガ種に気づいた気配はなく、とうにバラバラになったナイト・ウォーカーの頭を、何が楽しいのか、玩具のようにさらに細かく粉砕する行為を続けている。

 そして、最後に一際強く巨大な掌を握りこむと、その閉じた指を一度広げ、砂粒ほどに砕けた生贄の残滓を確認するかのように、そっと覗き込んだ。その一瞬を、アルスは見逃さない。

 年端もいかぬ少年とは思えぬ速力で駆け、剣を引き抜くと、全身にみなぎる魔力が、最短で刀身に刻まれた魔法式を輝かせる。

 引いた剣の周囲に風が纏い始め、相当に巨大な敵ですら一撃で仕留められるだけの魔力が剣に乗る。そのままの勢いでアルスはタンッと素早く地面を蹴り、岩山のような背中にそのすべてを叩きつけた。

 が、刃が隆起した筋肉を斬りつける直前、空気を震わすような振動が起こり、纏わせた魔法を一瞬で掻き消す。

「なっ!!」

 ただの鉄の塊では、強固な魔物の外殻を傷つけることはかなわない。故に魔法師は対魔物用の武器を所持しているのだが、魔力を剥がされた剣は、如何に斬れ味が良かろうと魔物相手では(なまく)らな刃に過ぎないのだ。

 即座に距離を取るべきだと判断したアルスだったが、すでに遅く、魔物は振り返りざまに、横薙ぎの拳を放っていた。全身さえも覆うほど巨大な拳が壁のように迫る中で、アルスは右手に力を込め、剣の背を腕と密着させて防御体勢を取る。

 だが、その上から叩きつけられる超重量の乗った拳は、小柄な身体など容易く跳ね飛ばす。衝撃の軽減こそすれ、その圧倒的な勢いに抗う術などなく、木の葉のように吹き飛ばされたアルスは、危うく飛びかけた意識を手繰り寄せるので精一杯となった。

 一度目の衝撃はアルスが地面に叩きつけられた瞬間に襲ってきた――直後、痛みに耐えつつ、一度バウンドした身体を支えるべく、咄嗟に剣を地面に突き立てて体勢を整える。

 キッと視線を上げたアルスのこめかみを、ぬらりと血が伝っていった。右肩の骨にも、罅の一つも入っただろうか。激痛とともに、指先が微かに痺れる。

「変異体、か……!」

 魔物の身体に届く前に、霧散してしまった刃を覆う魔力。アルスは頭脳をフル回転させ、持てる知識の中から、その不可解な現象の答えを見つけ出した。

 魔物は、魔力を喰らい進化する存在だ。そして稀に、取り込む魔力の質やその時の環境・状況によって、異質な進化を遂げる個体がいる。
 そういった魔物を魔法師達は変異体と呼び、その脅威度に対しては、特別な表現を用いて「変異レート」と呼ぶ。

 そしてアルスは、そんな異質な魔物の中に、魔力を拡散してしまう特異体質を身に付けたものが稀に現れる、という報告を聞いたことがあった。

 比較的珍しい、魔物の同族殺しのことが頭をよぎる。
 目の前の敵は、共食いを含めた異常行動の中で、そんな歪んだ進化を遂げてしまった存在に違いなかった。

 もちろん、魔力を消し飛ばす異能が全ての魔物に共通しているわけではない。これは魔法師を相手にする上で、このオーガ種が、独自に適応したことによる進化だ。もっとも、相応のデメリットもあるはずだ。

 魔物は高レートになるほど、下手な魔法師より巧みに魔法を使うものだが、これではこのオーガ種自身も、魔法という戦闘手段を破棄したに等しい。
 だが、それ故にあの鋼のような肉体、肉弾戦に特化した体格を持つようになったのだろう。

そこまでを、アルスの頭脳は瞬時に考え、同時に結論を出した。

 つまりコイツは、魔法師であるアルスにとっての天敵、いや、魔法師全員に共通した天敵といえる存在だ――後にこの変異体は「魔法殺し」、【サルケロイト】という固有名をつけられることになるのだが、それはまた別の話である。

 アルスがそう結論を下す間にも、魔物は一瞬たりとも攻撃の気配を休めない。ムクリと身体を捻り、地面に巨腕を突いてアルスへと向き直った。改めて感じる、その巨大さに身が引き締まる。

 筋肉で常識はずれなまでに膨張した上半身に、ちょこんと乗っかっているだけのような小さな頭と矮小な目、突き出た鼻。

 そして何よりも目立つのは、ヌラリと涎の糸を引く口。やがてそれが歪に開いたかと思うと、新たな獲物を見つけた喜びの声を上げるかのように、大きく開いて、周囲に咆哮がこだまする。

 だが所詮あの短い足では、速度も……そう考えたアルスだったが。

「――!!」

 驚愕は一瞬、ただちに彼は己の甘さを改めるに至った。腕で地面を叩き、反動で巨大な膂力を得た巨体が、残像を残すかのような勢いで弾けた。

 そのまま、魔物はアルスのそばまで、一直線に最短距離を飛んできたのだ。
 やがて彼の目の前で、四本の指が鉤爪のような形を作り、胸をのけ反らせるほどの勢いを付けて、躊躇なく振り下ろされた。

 瞬時に手を翳し、身体と少し離れた空間に魔法障壁を構築するも、またも空気が震えるようなかすかな振動を、アルスの鼓膜が拾い上げる。
 その意味を察し、アルスは大きく体勢を崩し、間一髪飛び退いた。

 やはり魔法の障壁は、攻撃を阻むという役目すらさせてもらえずに霧散してしまったのだ。巨大な豪腕が容易く壁を抜けてくる。

 迫りくる圧倒的な暴力を辛うじて回避したアルスは、即座に、ほとんど直感を用いて、己の魔法が、現象としての発動状態を維持できない理由を解析する。

 その結果、アルスが瞬時に選んだ手段は、至極単純なものだった。

 目の前の地面が爆散する衝撃に、あえて突っ込んだのだ。目をそっと細め、飛礫が頬を掠めていくのですら意に介さず、まっすぐに突き進む。続いて剣を引き、魔法の構成を開始する。

 しかし、今度それを魔法として具現化した場所は、刀身ではなかった。
吹き飛ぶ小石を出来る限り躱しつつ、アルスは地面に突き立った巨腕を足場に、まるで岩山を駆け登るようにして、魔物の顔面に躍り出る。
 そしてアルスは、化物を斬るための剣を使わず、身体を捻って、小さな頭と細い鼻先に回し蹴りを叩き込む。

 そして足が魔物の身体に触れる直前、小さな爆発が生じた。
 直後、魔物の巨体が地面に二本のラインを引きつつ、飛び退るようにして後退する。筋肉に覆われていない顔面を攻撃されては、さすがにたまらなかったようだ。オーガ種の歪められた顔には、頭全体を覆うほどの爆煙が纏わり付いていた。

 仰け反った上半身を短い足で支えつつ、魔物は鬱陶しげに煙を払い除けながら怒りの咆哮を上げる。
その黒く煤けた顔からは、プスプスと音を立てる細い煙が、今も立ち昇っている。

「ハハッ…………当たり」

 魔法を構成する緻密なプロセスの中の「魔力を変換、構成する過程」において、魔物の身体から半自動的に発せられる特異な振動。
それこそが、魔法現象の源たる魔力を反発させ、かき乱す元凶であることを、アルスは早くも見抜いていた。
実に稀有ではあるが、魔力そのものに干渉してくるこの性質こそが、この変異体の持つ異能の正体であるのだ。
 
  だからこそ、目には目を。アルスは、魔法現象としての定着強度を限界まで練り上げてから、己の肉体――最も認識し易い足の甲から僅か数cm浮かせた位置を、その発現場所として定義したのだ。

無機物の刀身を通すのとは異なり、肉体を介在させたゆえの、微細な波長の変化。これを読み切り、波長を合わせて打ち消すことはさすがに半自動的な反応では困難だ。

 しかし、その代償として、アルスの足は赤く爛れている。この程度で済んだと言えば聞こえはいいが、やはりまだまだ魔力の操作が緻密ではない証左だろう。

――また一つ、化物らしく強くなるための道筋が見えたな。

 そんなふうに心中でうそぶきつつ、アルスは唇の端をにやりと歪めた。
論理的な思考がだんだんと希薄になり、戦いへの高揚のみが次第に心を埋め尽くしていく。それがアルスの表情に、とある変化を与えた。

傷を負い、摩耗しきった思考を閉ざして……その恐るべき相貌が表に現れる。
アルスは知能の高い魔物が獲物となる人間に対して見せるような、悪魔的で歪な笑みを、、ふと口元に張り付けた。

 積み重なった疲労感と爛れた足の痛みは、不思議と込み上げてくる魂からの高揚が消していく。それを見た魔物が、表情に変化を見せた。

それは怯えとも、茫然自失とも、激怒とも取れる――全ての感情が混ざりあった末の、無機質な顔。

 小さな眼窩の奥に揺れる赤い光。それが、不敵な笑みを浮かべるアルスを捉えて焦点を定めると、魔物は空気を吸い込み、胸を膨らませ。

「ブオオオォォ……!!」

 これまでになかったほど巨大な、威嚇の咆哮を轟かせた。

 大気中を走ってくる、その咆哮の衝撃。それをもろともせず、アルスは標的だけを見据える。謎さえ解けてしまえば、さっきまでの優劣は容易く覆る。

攻守逆転の快感に浸るように、アルスは一瞬だけ、そっと目を瞑る。

 ……これでも出来る限り、人前で全力は出さないように意識してきた。化物に向けられるような、嫌悪と怯えが入り混じった周囲の視線。それ自体と、それを向けられる自分自身への疎ましさ。
認めたくはなかったけれど、そんな感情をどこかでやはり感じていたから。

考えてみれば、異質であり異端である自分もまた、どこかで「人間の範疇」に留まれる存在でありたいと、心のどこかでは思っていた。

 しかし、一人になってみて疑問が浮かんでくる。自分は何に遠慮をしていたのだろうか、と。この一帯に人間、ましてや助けに駆けつけてくれる魔法師の仲間など皆無なのだ。

無理解と排斥の目から逃れるため、いつしか無意識に構築してしまっていた、己を閉ざす檻。

「馬鹿馬鹿しい……何を我慢していたんだろ」

 あえて形にするかのように、誰にともなく不意に吐露した本心は、それをあっけないほど容易く決断させた。

 戦いの高揚は、無意識下にある忌避感の壁をあっという間に溶かす。
 そう、それはもはや足枷であり、この先に待つ無限の高揚の妨げにしかならない。それが邪魔で邪魔で、仕方がないのだ。

 その一点で……「タガ」が外れた。

【第三回終了 ※連載第四回は2月24日(金)更新予定 ※毎週(火)(金)更新を予定しています】

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