第五章

作者:イズシロ

『最強魔法師の隠遁計画』外伝『始まりの蒼風』
連載第五回

 アルスは、一つの確信をもって、その巨体を見上げた。
 魔物の体内、表皮を覆う岩壁のような外殻の内部にある、本来の身体。最初に遭遇した時、外殻の隙間から覗いていた、魔物独特の赤黒い体色。

 あれが「魔物本来の肉体の色」だとするならば、外殻とその中身はまったく異なる物質でできているはず。そして恐らく、本体自体を構成するあの赤黒い部分の中身は……魔力の完全良導体。

 にわかには信じがたいが、その働きの異常さにより、本来は在り得ないとされた現象が生まれたのかもしれない。
つまり、外部から捕食により魔力を取り入れるだけでなく、通常はもっと時間がかかるはずの形質や魔力の組成再現までも、一瞬で成し遂げてしまった……。

 そう、【魔力を乱す】という性質さえも。その複雑な反応過程の中で生まれたのが、あの奇妙な黒煙ではないか。

 持ち前の魔力と、取り込んだ【サルケロイト】の性質が反発し、結果的に起きた複雑な反応現象。それはいわば拒絶反応に近いが、それさえも抑え込み、強引に取り込んだ結果としての魔力排出と再構築。

 それは、魔力の高い調整力がなくては為し得ず、そのための力となったのが、本体を構成する、魔力の完全良導体。さらに、外殻が本体とまったく別の物質であるならば、その由来は? 性質は? 

 そこまで考えた時、アルスの脳裏で、散りばめられていた違和感が繋がった。高度な魔物は、魔法をも操ることが可能だ。ならば、あの外殻は……そう、魔法によって構成されている!?

 ――なるほど、そもそもあれほどの巨体が、土中に潜んでいたとすれば、外殻は邪魔以外の何物でもないしな。

 アルスは一人内心で呟く。
 恐らく地上に出てくる直前に、本体を覆う装甲を魔法で再構築していたのだ。

 魔法の装甲ならば、魔力を反発させる【サルケロイト】の性質は劇薬に近い。だからこそ完全に取り込む前に、その性質を生み出す要因を抑制し、複雑な反応により黒煙として排出したのだ。魔法師にとっての天敵たる性質は、同時に魔物に対しても毒となり得る。

 ――それならば合点がいく。

 氷片が、構成を維持できなくともすぐさま残滓として消失しなかったのは、それが魔力の完全良導体たる本体に突き刺さっていたからだ。
 おそらく、魔法の装甲維持に必要な魔力が、氷片に流れ込んだのだろう。

 つまり、あの魔法の装甲さえ突破する魔法を放てれば。
 いや、最悪、本体にさえ届けばいい。
 そんな圧倒的な威力の魔法……Sレートさえも、一撃の下に消滅させるだけの魔法となると。

 ――ない。

 そう、それほど高度な魔法を、今のアルスは使えない。いや、最高位と呼ばれる魔法を一つは使えるが、その魔法が魔物の外殻を突破できるかといえば、それは難しい。ましてやすでに消耗している剣型のAWRが、その詠唱に耐えられる可能性は、限りなく低い。

 だが、その手詰まりの感覚は、却ってアルスに突飛な発想を与えた。しかしその方法は、まずもって魔法師の領分ではない。

 魔法師とは既存の魔法を示す魔法式の構成を辿り、その力を発現するものだ。そのため全ての魔法は魔法大全に収録されるのが基本だ。
 無論、収録されていない魔法も存在するが、それは禁呪の類である、と認知されている。

 魔法大全にない魔法の行使、それは凡百の魔法師のレベルでは到底及ばない、まさに絵空事、夢想でしかないとさえ言えるのだ。

 だが――

「やるしかない」

 魔物がアルスを見つけ、一歩足を動かす。その巨体のリーチゆえに、敵はたったそれだけで、アルスとの距離を半分まで縮めた。

 迫る脅威に、アルスは目を閉じ、脳内で魔法を構成する。出来る限り剣に負担はかけられない。ただでさえ発現時の出力に、それは耐えることができないかもしれないのだから。

 AWRたる剣の補助を出来る限り受けず、アルスは脳内で【逆鱗の渦風《テンペスト》】の構成を分解、再構成を試みる。

 系統は風、そこから魔法そのものの構成を細かく細分化し、補完していく。それは、何万というパズルピースを組み合わせ、たった一つしかない完成形を目指す作業だ。

 通常の魔法師ならば何時間、いや数日掛かってすら及ばない計算の上に、その天才的な発想力すらも加え、アルスの脳は一度のミスもなく、己が描く魔法を導くために必要な構成を形成していく。

 そして……ゆっくりと瞼が開いた。続いて浮かぶのは、達成感とも取れる穏やかな表情。

 それは、まぎれもなく、神域の可能性を手繰り寄せた者のそれだった。

 剣の表面を鮮やかな魔力が駆け巡り、魔法式を力強く輝かせた。
 これほどの強敵が目と鼻の先まで迫っているにも関わらず、アルスに焦りの色はない。

 それどころか、彼の心の中は、さざなみ一つ起きない凪のような静けさで満たされていた。

 【逆鱗の渦風《テンペスト》】よりも、遥かに複雑な構成を一つ一つクリアしていく。それは徐々に、アルスの周囲に風の舞踊を巻き起こした。

 魔力が満たす空間に誘われるように風が(うなじ)を撫で、激しくも心地よい風が乱舞する。
 この小大陸に吹き渡る風が、全てアルスという一人の少年に集約しているかのようだった。

 やがて魔法の構成が準備段階を突破し、発動へと至る。無色透明なはずの大気が、魔法光と鮮やかな蒼穹の色へと彩られる。

 事ここに至って、巨大な魔物の足は、すでに獲物に向けて前進することを停止している。

 それは今や、暴風と化して少年に集う風に吸い寄せられないように地面を踏みしめ、必死の抵抗を見せるための楔として用いられていた。

 やがて。
 バサバサと服の裾がはためき、髪が巻き上げられる中で、アルスは剣をゆっくりと持ち上げ、その先端を魔物へと向ける。

 こうも巨大であっては、外すはずもない。
 そして、剣から昇る白煙もまた、前回の比ではなかった。
 まるでその全身をもって魔法の構成を代替するかのように、刀身は罅割れつつも、優しくまばゆい魔力光の輝きを放っていた。

 ――ありがとう。

 ――系統…………基盤の式を代替。魔法を構成……収束、強度、指向……座標……定着……改変開始。
 そんな風にプロセスをクリアしていき、限界を越えてもなお、魔法の構成要件の補助を行う剣。アルスはそれに、胸の内でそっと感謝を告げた。

 最終段階。剣とともに生み出した新たな魔法に、アルスは名前を与える。

 だが最後の発現のトリガーは、剣が代替することができない領域だ。現実の改変から事象の定着を確定するため、アルスは猛る風の中、静かな声色で最後の音を奏でた。

「【涅槃の蒼風《ニルヴァーナ》】」

 鮮やかな蒼の気流が視覚化され、膨大な魔力を含んだ風が吹き荒れる。
周囲を自由に舞う風は、その矛先を魔物へと向け、吸い寄せられるように巨体を目標に定める。

 いかに強固な外殻であろうと、風は無形。外殻に僅かな隙間さえあれば、魔法とその効果の侵入を防ぐ方法はない。

 さらに、岩を身体に一部同化させていることからしても、恐らくこの魔物は、土系統を得手とするはずだ。そして、本体自身が魔力の良導体であるゆえに、その身体は、風系統に弱い「土系統の弱点そのもの」の結晶でもあるはずだった。

 猛々しい唸り声を上げ、暴風が魔物の体内を噛み割っていく。
 
 魔物の心臓とされる魔核に風の爪牙を絡みつかせて破壊するため、アルスはさらに精神を集中する。

 常軌を逸した巨体をくまなく風が通い、魔核のありかを探っていく間、常に、荒れ狂う風をコントロールしていなければならなかった。

 体内に侵入する風に、本能的に紛れもない劣勢を感じ取ったのか、魔物は耐えることを止め、強引にアルスに向かって、一歩、二歩とわずかに足を踏み出した。

 しかし、二歩目が地面を踏みつけた直後、その関節が破裂し、蒼風の噴流が、続いて腕を付け根から吹き飛ばす。よろめく身体を支えるため、魔物は足を前に踏ん張る。

 だが、その後ろ足もまた、関節部から破裂したかのように崩れ落ちる。

 次いで、落石のように剥がれ落ちていく外皮の岩壁が、粉塵を舞い上がらせた。
 やはり魔力で構成・繋ぎ合わされていたらしいそれらは、アルスの予想通り、魔力の残滓を見せつつ風に巻かれて消えていく。

 だが、魔物はここで、恐るべき粘りを見せた。半ば本能的な最後の悪あがきであろう。

 崩れ去った周囲の岩が浮き上がり、魔力によって接着される。それらが身体に集まると、巨大な腕を再構築していった。そこには膨大な魔力が注がれている。
 
――どこにある……。

 魔核を探る間も、魔物の四肢は完全に修復され、咆哮とともに魔物は再び歩を進めようとする。

 一歩、また一歩……ついに、アルスの頭上に影が降りる。
だが、逃げることも防ぐことさえもせず、アルスはじっと、魔物の存在を見透かすかのように、視線を動かさない。

 そして、強風に抗うように振り下ろされる、岩の巨腕。

 刹那、アルスは突き出した剣を振り下ろす。その反動で、すでに役目を終えていた剣の刀身が、柄だけを残して粉々に砕けた。

 瞬間、頭上にあった魔物の腕が弾け飛び、出口を求めた風が次々に内部で破裂する。魔物の全身から噴出する大気が、赤黒い肉片とともに、その巨体を大地に沈めるかのように、次々と部位ごとに切り離していった。

 魔核を砕くことに、間一髪で成功したのだ。やがて、岩の装甲を繋いでいた魔力の残滓や、どす黒くも赤い本体の肉片ごと、魔物の身体が塵へと還り始める。

 魔力の残滓に混じって土砂が降る中で、アルスは失われた剣の柄だけを握りしめる。そんな少年を、雨のように降り続け、立ち昇る土煙と粉塵が、ゆっくりと覆い隠していった。

 そして。
 岩の欠片がそこかしこに転がり、薄っすらと土煙が晴れた先で、アルスは呆然と脇腹を押さえたまま立ち尽くす。

 終わってしまった。
得も言われぬ喪失感が湧き上がってきた。任務を遂に達成したことの喜びも、今は空しかった。

 何もない……あるのはただ、永遠に癒されぬ気すらする、疲労感だけ。

 それでも魔物の名残の土煙を連れ去った風は、同時にそっと外界を吹き抜け、少年の背中をも、未来へと向かって押してくれた。


【第五回終了 ※最終回となる連載第六回は3月3日(火)更新予定です】

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