第六章

作者:イズシロ

『最強魔法師の隠遁計画』外伝『始まりの蒼風』
最終回


 魔法には、まだまだ進化する可能性が残されている。
 自分はもっと強くなれる、何故か今、アルスは不思議とそう思えた。
それはほぼ確信に近い予感。

 そう、これからも降ってくるであろう、無理難題。
どんな任務も完遂するためには、己の力を更に引き上げるしかない。

 今回もまた、結局生き残ってしまうのならば、その努力を怠るわけにはいかない。
 次々に押し寄せてくる困難の数々を乗り越え、世界に相対するすべを一つずつ習得していかなければ、確実に自分の生の選択を狭めてしまう。


 己を高められる可能性を追い続けなければ……できること全てをこなし、その先に何があるにせよ、未来も可能性も、全てを自分で選べるように、強さを追求していかなければ。

 そう、さしあたっては……。

 荒れ狂う風が連れてきたかのように、アルスの脳裏に、とある目標がふと思い浮かぶ。
 人類の守り手たる魔法師、その中でも最高位たる一桁【シングル】と呼ばれる魔法師たち。全世界の魔法師の中でも、序列一桁以内に位置する限られた存在。

 その頂きに、いつか到達することができたのならば……。

 ふと気づくと、アルスの目の前に、小さな緑色の物体が落ちていた。深緑色の体液に彩られ、土埃に埋もれかけていたそれは、あのS級に食われ、取り込まれたはずのオーガ種、【サルケロイト】の骨片らしかった。
 アルスは、そっとそれを拾い上げる。見たところ、まだその魔力を散らす性質は、損なわれてはいないようだ。

 ――成長と、進化、か。

 ふと、そんな言葉が頭をよぎる。
 ならば自分もまた、その性質を己が糧とせねば。

 アルスはほとんど無意識に、ポケットから残った結晶を取り出した。そしてそれを、砕けた刀身の代わりに残っていた剣の柄で砕く。
 さらにその結晶の粉を、拾い上げた緑片の上に満遍なく振りかけて、外套で覆った。
 
 死んだ魔物の身体の一部である以上、それは時間とともに劣化していく。放置すればいずれ、崩れて消え去ってしまうだろう。しかし今、魔力そのものを留める結晶の粉を振りかけたことで、一時的にせよ、その形を留めることはできたようだ。

 あとは持ち帰って、さらに精製を行えば、骨の一部くらいは保存が可能になるかもしれない。そして、この【魔法に反発する】という性質は、今後の己が目指す道の中で、きっと何かの役に立つはずだ。

 丁寧にくるんだ骨片を背負い、少年は戦いの跡地を背にして、ようやく踵を返す。望まれぬ場所へと帰還するその背中は、今や、明確な意志とともに、大きな力を欲していた。
 何ものにも邪魔されない未来を選ぶための、唯一孤高の力を……。

◇ ◇ ◇

 年端もいかぬ少年が、たった一人で小大陸を制圧・奪還したという報告は、瞬く間に軍上層部内に伝わり、波紋を広げた。

 一部では虚偽に近い誇張だと揶揄する者もいれば、たかが小大陸一つ、それも不完全な手柄に過ぎないと、その実績を過小評価する者もいる。

 確かに、アルスが一応は制圧した小大陸を、完全に人類の手に奪還するのならば、魔法師の軍団を送り込んで、残った魔物を(ことごと)く排除する必要があるのは事実だ。

 だが、軍事的な意味において「奪還」という意味を正しく説明するならば、それはやはり「対象区域に生息する高レートの魔物の殲滅」がメインであり、この一点において、すでにこの小大陸の「奪還」は達成されている。いくら魔法師をかき集めたとて、この点については成功の可能性は高くなく、それはまぎれもない偉業なのだ。

 また、それらの「君臨者」たちさえ始末してしまえば、所詮数だけの低レートの魔物を一掃することは、時間はかかりこそすれ、困難ではない。

 だからこそ、いくら揶揄する者がいようと、少年が成し遂げたのは、あまりにも異常な功績であったのだ。人類にとって、これほど明確な戦果は過去に類を見ないというほどの。

 だが、この事実の報告はごく一部のみに留まり、一般には伏せられた。それは、あくまでこの功績を軍全体のものとして世に喧伝するためであり、間違っても、軍が幼い少年一人を過酷な任務に送り込んだなどという事実が、広く知られることがないようにするためである。

 ただし、軍内部でのアルスの評価となると話は別だ。
結果的にそれは、大きく割れるものにはなった。

 確かに、偏見に目を曇らせてさえいなければ、歓迎して然るべき成果ではある。
しかしそうではない者にとっては、到底理解し難い現実なのだ――いったい何をどうすれば、数百人規模の魔法師を派遣しても達成が危ぶまれる任務を、たった一人で成し遂げることができるというのか。

 それでも軍内でのアルスの地位は、確実に一歩進んで、以前より強固で確かなものになった。そして、その裏で件の老兵が奔走したのは紛れもない事実であった。
 そして何よりも、満身創痍で帰還した少年を、誰よりも早く温かく迎えたのは、まさにその男であったのだ。

 そして、アルスの間接的な上官であり、育ての親でもあるその老将は、軍内部で瞬く間に出世街道を駆け上がり、アルスの後ろ盾として盤石な地位を築いていった。

 アルスが大陸を奪還した後。派遣された魔法師の大部隊によって、完全に小大陸全ての魔物が一掃されたのは、更に三ヶ月が経った後のことだった。

 そのこと自体は大々的に公表され、それと合わせるかのように、少年の打ち立てた成果に対してこの国・アルファのトップたる元首が式典を催すこととなった。もっともそれは政治的事情から、その実績をある程度矮小化された上でのことではあったが。

 ただ、ニュアンスの違いこそあれ、ともかくその場でアルスの手柄は正式に認知されるはずだった。
 大陸奪還という類を見ない大戦果、その一番の貢献者(まさか実質的な単独任務であったとは、一部の人間を除き、誰も想像すらしていない)として正式に認められることは、魔法師にとって何よりの誉れである。

 また、人間がついに魔物に一矢報いたことは、劣勢を強いられている人類にとっては、大きな追い風となるはずだ。

 そして、式典当日。
 そこに参列している名だたる面々、高名な魔法師然り、政府の高官然り、当然のことながら、儀式前に交わされる話題の中心は、アルスという有望な魔法師についてのものとなった。

 軍部では評価が分かれていたとはいえ、結果的に、この場では政治的な側面からも、彼に対して好意的なムードが大勢を占めるに至った。

 それが、実質的な単独任務であった部分こそ曖昧にされてはいたが、劣悪な状況を跳ね返して絶大な貢献を果たした英雄、人類の将来を担う大器として、アルスが話題性のオーラをまとうには十分である。

 そんな中、式場の片隅で立ち話をする者が三名……いずれも軍人を思わせる凛とした出で立ち。正装の一部には、竜を象ったこの国の軍章が入っている。

 とはいえ彼らの身分が、一介の魔法師であることには疑いはない。軍の意向をやや疑問視する主旨の密談は、三人の間のみで小声で交わされていた。

「上層部の無理難題をクリアしたんだ、これ以上は……」

「口を慎め、誰が聞いているともしれないんだぞ」

「こんなところでする話でもないでしょう」

「しかしだな、聞けば例のプログラム二期生だと……」

「おい!! それ以上はまずい」

「す、すまん」

「だが、間違いなく成果は出ているな。確かに表立って口に出す者はいないが……」

 囁き合いながらも、彼らは周囲の目を気にして、さらに声量を抑えた。

「三期生の中には、対人模擬戦闘で現役を何人も倒した少女もいると聞く」

「そりゃ、なおさら表立っては言えんな」

「歳は……?」

「聞くなよ。うちの娘と同い年だとは思いたくない。だけど噂じゃ、まるで人形みたいに無表情だと……しかし、上はいったい何を考えている」

 一人がついに上層部の批判とも取れる内容をこぼし、残りの二人は、これ以上の会話はなかったことにしようとするかのように、口をつぐむ。それきり会話は途絶え、場の関心は別の話題へと流れていった。
 
 アルスの一件について、彼の年齢という意味で、軍は大きな禁忌を犯したことになる。
「実質的な子供」と表現してよい年齢の少年を、危険極まりない外界に送り込んだのだから。

 そのこと自体への批判は常にあるが、それでも、これほどの成果を挙げられるのならば仕方ないという一部の意見も、合理性を重んじる軍人であればこそ、理解せざるを得ない。

 だが理解はできても、どうにも腑に落ちない。感情的に納得ができないのだ。本来ならば、それは大人の役目であろうということは、誰の目から見ても明らかなのである。

 アルスだけではなく、さきほど話に出た少女についても、軍は年端もいかぬ子供を戦場に送り出すという最大のタブーを犯している。何より恐ろしいのは、その傾向に歯止めがなくなることだ。一度でもタブーを犯してしまえば、坂を転げ落ちるように、さらなる愚行に対しての問題意識は希薄になっていく。

 すでにその兆候は(くだん)の少女のことでも明らかで、それは軍内部でも噂となっていた。しかし、声を大にして警鐘を鳴らすことは一介の魔法師風情には、荷が重い。

 更に今回の一件は、図らずもその有用性、必要性を説く者らの根拠を、改めて強化する結果となってしまった。何といっても、アルスが達成したのは、文字通り目を見張るほどの戦果なのだから。

 だが、そのこと自体を強く裏付けるほどの正当性や根拠は、絶対に存在しないはずだ。それは、現場に立つ彼らだからこそわかっている。かの少年が、どれほど過酷な任務を言い渡されたか、ということは。
 魔法師らの間では、少年に言い渡された重すぎる任務を指して、読んで字の如く【死令】と隠語を使うことすらあったほどなのだ。

 そして本来ならその任務は、前線で命を張る自分たちの担うべきものなのだ。だがそんな思いを抱いている彼らとて、結局は、己を不甲斐なく思うだけである。実際にその憂慮すべき選択を非難したり、具体的な行動を起こすことはない。ならばこそ、今回のような声なき者への非道な扱いは、往々にして見過ごされてしまいがちだった。

 それでも、感情の底にわだかまるものは溜まっていく。そんな葛藤を抱く者は彼らだけでなく、いずれ軍上層部にすら、必ず現状に疑問を唱える者は生まれるだろう。
 だからこそ、これで功績が認められ、かの少年の名と存在は、国内に広く知れ渡るはず。そうなれば、少しでも彼に対する扱いが改善されるかもしれない……。

 しかし、元首が大々的に式典の開催を告げ、各国がその主役に注目する中、どれだけ時間が経っても、その少年はついに最後まで、式場に姿を現さなかった。
 
 今まさに式典が催されているはずの、元首の邸宅をも兼ねた宮殿付近。そこに連なる小高い丘の上に、アルスは独り突っ立っている。何を考えているのか、その表情からは読み取れない。

 ただ彼はぼんやりと遠く、忘我の眼差しを、遥か世界の遠方に向けていた。
 
 瞬きすら忘れてしまったような少年の瞳は、ただ外界と内側を隔てる境を見つめ、その両者の違いを見極めようとしているかのようでもあった。一般の人々が、越えることすら考えないそれを……。

 魔物が蔓延る外の世界、そして身を守るべく魔物から逃げ続けた果ての、この矮小なる壁の内側の世界。

 しかし、そんな景色の差異を言葉で言い表すことはできず、アルスはもどかしさを感じる。あいにく彼は詩人ではなく魔法師であり、年齢的には未だ少年に過ぎない。

 そんな時、ふいに。
 背後から年配の男の声が投げかけられた。少しばかり息を切らせているように。
 だがアルスは振り返りすらせず、ちらりと視線を横に走らせただけだ。

「ハ~、さすがに、この歳にはこたえるな……」

 蓄えた白髪交じりの髭を震わせ、そう呟く初老の男。その胸には、真新しい勲章を数個付けている。
 本来であれば、今日はアルスの胸にも、そんな風に栄光と共に輝く勲章が、いくつか付いているはずだった。しかしそれが、少年の内側に宿る、隠しようもない空虚さを、わずかすら満たすことはないのだろう。

「良いんですか? 式典の場に、次期総督が不在で」

「お前が言うな。まあ、監督者として、俺だけがあの場に出ても、お叱りを受けるのは目に見えているからな……怖くて、逃げてきた」

「どの道、叱られるんじゃ」

「それがわかっているんだから、お前も同罪だ。まぁいいさ、お偉いさん方の酔狂や酒に付き合うのは慣れている。そのうち、綺麗さっぱり忘れるだろ」

 初老の男は、無造作にアルスの頭に手を置き、ワシャワシャと髪をかき乱す。 
 アルスが式典に出れば、その年齢を邪推するものが必ず湧いて出る。軍規および法律に照らせば、アルスの年齢は、倫理的側面から、前線に出ることを忌避されるべきものだからだ。
 それを知ってか知らずか……ただ無造作に出席を拒む選択を選んだ少年は、真っ直ぐ視線を空に向け、微動だにしない。

 ――いらぬ気を遣いおって。

 もし、自分に責任と周囲からの追求が降りかかるなら、男はそれを引き受ける覚悟をすでに決めていた。だからこそ彼は、少年が、おそらく「己の自由意思による選択」を装ってそうしたのであろうことを、何となく察していた。
 そんな配慮が、彼にとっては嬉しくもあり、悲しくもある。

「ところで、こんな所で何を見ている」

「景色、ですが……」

「ん? つまらないだろう。ここから見える光景は、ただの人工映像だぞ」

「もちろん、わかっていますよ。ただ、何が違うのかわからないんです」

 外の世界は、それこそ小さき人間の都合など意に介さないかのように、目まぐるしく変化する。時には冷酷に、時には凶暴に、そしてまたある時には、美しく。

 地上で起こりうる一切合切から切り離された別世界。それを象徴するかのような蒼穹が、外界では無限に少年の頭上に広がっていたのだ。天頂から降り注ぐ自由なる光の恩恵を、外界の大自然は存分に浴びて、隆盛を誇っていた。

 対して、人間が作ったこの内側の空。その景色は、少年にとって、下手に外界の蒼穹を模しているぶんだけ余計に、奇妙な居心地の悪さと違和感を抱かせる。

 パターン化された雲の形も、人肌には心地よく感じられるはずの気温も、全てがこの狭い生存領域内において、人の手によって調節され、小奇麗かつ卑小に完結したもの。

 だが初老の男は今、アルスの物言いに、鮮烈な驚きと、得も言われぬ感情を覚えていた。それは若かりし頃に自分も感じ、いつしか忘れてしまっていた純粋な感覚。
 本来あるべき人類の居場所、真の世界。それは、皮肉なことに魔物が跋扈する外界にこそ純粋な形で残されているのだ。
 人類が、一切の変化を拒むこの人造の光景を見るようになって、本当に随分長い時間が経った。そして、本当の空を忘れてしまってからも……。

 一瞬狼狽した男は、それと気づかれないよう、ゆっくりと頬を持ち上げて、少々無理に微笑を作る。

「そうか……アルス、お前は外で何を見てきた? そこは、心にどう映った?」

「さあ」

「ハハッ……つれない奴だ。だが、その感覚は忘れないほうがいいかもな」

 やっと振り向いたアルスに微笑みかけた男は、それ以上は語らず、少年の隣の地面に直接腰を下ろした。不意にアルスの横顔を見る素振りとともに、少々唐突かつ不自然に驚いてみせる。

「ん? アルス、なんだか目が険しいぞ。これはいかん、目つきが悪く見える」

「いや、急に生まれつきのことを言われても」

「いいや、ここ最近は特に、だ。お前……友達はいないのか」

「なんですかそれ」

「言葉くらいは知っているだろ」

「そりゃもちろん。怠慢の中で、馴れ合う相手のことですよね」

「…………重症だな」

 頭を抱えるようにして、男は盛大な溜息を吐く。しかし、次に男が用意した表情はなんとも白々しいもので、なおかつそれには、少し下品な頬の持ち上げ方までも付け加えられていた。

「そういえば、少し前に軍関係者で退役していった者がいたのだが……。お前も、フェーヴェル家の女傑の噂ぐらいは聞いていただろ」

「なんですか急に」

「まあ聞け。それでだな、彼女はいよいよ、本格的な子育てに入るために軍を退いたわけなのだよ、アルス」

「…………」

「先日その送別会があってだな、娘を紹介したいというので年甲斐もなく浮き足だったわけだが。あのフェーヴェルのご令嬢は、なんとも礼儀正しい子だったぞ。気品もあり、母親に似て将来は見目麗しい美人となるだろうな」

 そこで言葉を止め、チラリとアルスの反応を盗み見る。

「で?」

 相変わらず無愛想に見えて、その向う側にある僅かな反応。それを、老練な男は見逃さない。

 ――食いついたな、お前もやはり、年頃というわけか。

「聞けば、なんとお前と同い年だというぞ」

「……?」

「ほれっ」と、男が懐から後生大事に取り出したもの。それは木目調のケースで、頑丈に守られていた。
 あらゆるものをデータ処理し、ホログラムで映写すれば済むこの時代に、それは何とも古式ゆかしい、「写真」という昔ながらの形態である。

 この初老の男は、この少女の写真を、もしや墓の中まで持っていくつもりだろうかとアルスは感じた。

 浮き足立ったというのもまんざら嘘ではなさそうで、おそらく少女を何枚も撮った内の、一番良い写真を持ってきたのだろう。アルスとしては、年端もいかぬ娘を前に、みっともなく相好を崩す男の姿は、あまり想像したくなかったのだが。

 そこに写っているのは、歳不相応なドレスに身を包んだ、紅い髪の少女だ。パッチリした大きな瞳は、愛らしさよりも勝ち気な印象が強く、どこか貴族らしい気品をも漂わせている。確かに将来性は十分だろう。

 ただ、少しばかりの優越感を思わせる得意げな表情も、同時に顔に表れている。それは、いくら令嬢然としているとはいえ、同時に子供らしい未熟さをも感じさせた。

 だがアルスは、それをほとんど一瞥すらしない。むしろ興冷めした様子で、そのまま黙り込む。

「それで、どうだ?」

「は?」

「いや、だから、どうだと聞いている」

「子供でも欲しいのですか? それで何を察しろと?」

「鈍い奴め、まずは友達からどうだ、という意味だ。言わせるな」

「馴れ合いをするつもりはありません。そのご令嬢とやらの戦闘力はどれほどでしょうか、一個中隊規模でしょうか? それとも、貴重な特殊能力でも有していたり? お話を聞く限りでは、そうでもなさそうですが。如何(いか)(ほど)、魔物との戦闘の役に立つのでしょうか」

「いや、そうではなくてだな……」

「では、何の役にも立たない存在と、わざわざ交友関係を結べ、ということですか?」

 ――チッ。まだ早かったか。しかし、ずいぶんと可愛げがなくなってしまいおって。

 究極の合理性が求められる戦場と軍隊生活。しじゅう大人に取り巻かれている環境のせいもあるだろう。その結果、この少年は何事にも意味を求め、目的にとってどれほど有益かで、あらゆる物事を判断してしまうのだ。

 そうさせてしまったのは今の状況、延いては人類が今、それほど追い詰められているという現実の鏡でもある。だからこそ、男にとって、心苦しさが残る。

「……ま、その気になったらいつでも言え、間は取り持ってやるぞ」

 仕方なく、まるで人を喰ったような笑みを浮かべて、男は再び、乱暴にアルスの頭を撫でる。分厚い掌は、まるですっぽり彼の頭部を覆ってしまうかにも見えた。 

 少年の小さな頭はその無造作な動きに合わせ、まるで首を痛めないかと心配になる程に、左右に揺れるばかりだった。

 それから数年の時を経て、アルスは更なる大陸の奪還を果たす。
 軍内部で彼に向けられる視線は、主に二つ――圧倒的な功績に対する羨望と驚嘆、そして人間離れした異常な戦闘能力への恐れ。正負のいずれにせよ、その両極端のいずれかに裏打ちされたものが、ほとんどであるのは変わらない。

 それでも少年は、ひたすら外界に出ては、あの時感じた差異を追いかけ続けた。

 すぐそこにあるものに、どうしようもなく届かない。

 天は世界を蒼く彩り、地に恵みを(もたら)す。その自然の摂理は、あの頃から何一つ変わっていなかった。

 どこまでも続く世界の地平線と、同じくどこまでも広がる空。そこに、孤独な魂が求めるものは、未だ見つかっていない。

 皮肉なことに、それゆえに彼――アルス・レーギンは、誰よりも魔法師としての高みに立つことを望み、己を磨き続けた。その果てに広がるのは、魔力の残滓と血臭漂う戦場だけであるにも関わらず。

 己を守る力は少年を孤独にし、彼はただ、目の前に積み重ねられる魔法師の数知れぬ死体を、すっかり擦り切れてしまった感情とともに、網膜に焼き付けてきたというだけ。酷く濁って見える景色は、あの頃とはいろんなものが、変化してしまったためだろう。

 だが、心を洗われるかのような、あの壮大で雄大な外界の姿は、未だかろうじて、その内側から消え去ってはいない。

 ただ、どれほどの高みに上っても、そこから見える景色にさほど違いはないのであろうことは、すでにぼんやりと感じている――たった一人で、探し続けている限り。

 それでもいつか、いつの日か……あの時感じた差異の意味を見つけられると信じ、少年は、今にも届きそうで、その実、決して届くことのない外界の蒼穹を仰ぎ見る。

 それはたとえ、全魔法師の頂きに立ったとしても……何も変わることはないのだとしても……気の向くままに移りゆく外の世界は、孤独な者の魂を惹き付けた。
                                     
【了】

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