テスフィア編「親切と不親切の天秤」

作者:イズシロ

「あんた、朝はいつもそんな感じよね」
 移動教室の最中、遅れて向かうアルスの手を引くように、小走りで先導する赤毛の少女から唐突に放り投げられた言葉。
 無気力な表情に淀んだ目つき、まるで徘徊する亡者のように生気がないアルスに対する苦言である。
 テスフィアの口からは、これで同様の台詞が、午前の間だけですでに二度目。どこか呆れつつも、すでに全てを受け入れたかのような雰囲気もある口調だ。
「いっつも限界まで起きてるから、翌朝に力尽きるんでしょ。もう二日は寝てないんじゃないの?」
「余計な世話だ、俺にとっちゃ講義は寝るための時間なんだが。それと、二日じゃなく三日目だ」
「嘘でしょ、三日も寝てないの? ああもぉ、訳の分かんないことばっか言って! それにあんな態度じゃ、いくらあんたでも落第扱いにされることだってあるんだから!」
 前の講義の後、テスフィアは教員に質問があり、一人残っていた。アリスやロキには次の教室に先に行ってもらったが、当然、一限目をまるまる睡眠にあてたアルスもそこにいた。心配するロキに、テスフィアが「後から連れて行くから」などと安請け合いしてしまった結果が、今の状況である。
 今にも瞼が完全に降りてしまいそうなアルスの手を、ついにはテスフィアが引いて走るという事態に至っている。ロキならば、間違いなく彼を甘やかして欠席させるところだろうが。
 ――そりゃ、私だって本当に体調が悪いなら、休ませるけど……。
 とチラリと後ろを見て、テスフィアの唇から溜め息が溢れた。そう、ただの寝不足程度で講義を欠席させるのは、正直あまり褒められたものではない。せめて講義の場にさえいれば出席扱いにはなるのだから。
「ホラ、寝るなら教室行ってからにしなさいって!」
 アルスが徹夜で進めていた研究が、講義などより遥かに価値あるものだとしても、生徒である以上、単位を落とせば当然留年になってしまう。
 普段からろくに講義を聞いていないアルスだ、授業態度はとても良いとは言い難いため、出席数が進級に響く可能性は現実味を帯びすぎて怖いほどなのだ。
 そして、そんな二人の前に不運は突如として訪れた。
「君達、ちょっと失礼。道を尋ねたいんだが」
 そう声をかけてきたのは一人の男。この学院の関係者ではない証として、服装が軍服であり、首には許可証を下げている。正規の立ち入り手続きを踏んでいる証だ。
「事務所で目的地の場所を聞いたんだけど、どうにも迷ってしまったらしいんだ」
 ハキハキとした声のトーンで、男はやや照れながらそう告げた。見たところ三十代前後でまだ若いが、迷ったというところから、どうもこの学院の卒業生などではないらしい。
 男はどうやらテスフィアではなく、たまたま目が合ったアルスに道を訊ねたいらしく、申し訳なさそうに顔の前で手を立てた。
 一先ずどこに行きたいのかを聞き出さねばと、テスフィアはアルスに代わり、少し後ろから訊ね返す。
「御用があるのは、どちらでしょうか?」
「理事長室を探しているのだけれど」
「はい、理事長室ですね」
 幼少の頃より身に付けてきた貴族の礼儀作法故か、テスフィアはあくまで愛想良くそう復唱する。それから説明役の任命代わりに、肘でアルスを小突いた。
 ちゃんと意図を察したらしいアルスは、虚ろな目のまま男の全身を見て。
「甘えるな……んぐっ」
 眠気のあまり妙な夢でも見ているのか、アルスの目はぼんやりとしている。しかも、相手を軍人と見るやいなや、暴言とも取れる受け答えを返す始末だ。
咄嗟にテスフィアが口を塞いだが、どうやら気分を害した様子がないところを見ると、男にはくぐもったアルスの声がよく聞こえなかったのだろう。
 次いで、テスフィアは慌ててアルスの耳元に顔を寄せて、小声を発した。
「ちょっと、何言ってんのよ! ここは学院、あんたは一生徒、分かってる? ちゃんと教えてあげなさい!」
 焦点が合っていない目をアルスはテスフィアに向ける。いつも以上に口数が少ないが、一応は理解してくれたようだった。
 気を取り直したように、アルスは重たげに口を開く。
「……えーっと、理事長室はですね。まず一階まで降りて、階段正面の昇降口を出ます。そのまま道なりに真っ直ぐ行けば着きます」
 男とテスフィアは、同時にアルスが説明したルートを脳内で思い描く。だが、来訪者である男よりも、学院の構造をもっとよく理解しているテスフィアが、先に問題に気づけたのは幸運だった。
 ――一階? 昇降口から出る? って、そうしたら完全に外じゃない!?しかも真っ直ぐって、学院の敷地から出ちゃうし!
 男に考える隙を与えないため、慌ててテスフィアはアルスの前に飛び出る。そして軽くお尻を突き出して、背後のアルスを押しのけた。
「し、失礼しました! り、理事長室ですね!」
 そしてあくまで平静を装いつつ、テスフィアは理事長室の場所を説明していく。が、問題はこの学園の構造が口で説明するには難しい点にあった。
 今、二人がいるのは本校舎に隣接したあくまで別棟であり、理事長室は本校舎内にある。この場合、連絡通路を経由したほうが早いのだが、一口に言ってもおそらく伝わりづらいだろう。
「申し訳ないのだが、案内を頼めないだろうか」
 男の口から次に出た言葉。そうなる予想も、テスフィアは当然行っていた。もちろん、培ってきた経験から社交スマイルは維持したままだ。だがテスフィアの耳元に、そんな内心を言い当てるかのような小言が入ってくる。
「ホラ見ろ、つまらん見栄で遅刻確定だ」
「うっさーい!!」
 いとも容易くよそ行きの仮面が剥がれてしまったテスフィア。この展開を見透かしていたかのようなアルスへと、彼女は唇を尖らせて、いつものじとっとした視線をぶつけるのだった。

※次回の更新は11月22日(水)を予定しています。次回のヒロインは、ロキ! ご期待ください!

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