フェリネラ編「図書館の没頭」

作者:イズシロ

普段から利用者の多い学院の図書館。しかし、そこも時間帯を選べば、知識の宝庫らしい静謐さで満たされる。
 昼食時に調べ物をするために図書館に訪れたフェリネラは、まずは司書に無言で会釈した。
 学院内の、雑然とした生徒達の声の嵐とは無縁な空間。ここだけは、まるで隔絶された世界であるように、穏やかな時間が経過しているようだった。
 もし、それこそ聞こえるかどうか程度の、耳朶を撫でるようなメロディでも流れていれば、いくらでも本の中に入り込めるだろう。
 図書館は全体にコーヒーカップのように上へ向けて広がる構造になっており、段差ごとに並んだ本棚が、壁面を覆い尽くしていた。
 目当ての本の場所を見つけるのにそれほど苦労をしなかったのは、フェリネラが時間を見つけては度々ここを訪れるからである。かといって本を借りるわけでもなく、基本はここで読むだけ。つまりは図書館ならではの、この空間が好きだからなのだろう。
 今日も分厚い本を重たそうに抱えて、フェリネラは階段をいくつも下っていく。正直これだけは面倒でなかなか疲れるのだが、苦労して読むからこそ、その内容もすんなりと頭の中に入ってくるような気がした。
 やがてフェリネラが無事確保した席に着き、本に没頭できる貴重な時間が始まろうという時、個室ブースではなく、共用スペースで一人黙々と読書にふける少年の姿が視界に飛び込んできた。お昼どきでほとんど人がいないこの時間帯に、自分と同様に静けさを求めて訪れる者がいたとは、彼女には少し驚きでもあった。
「! アル……」
 アルスさん、と咄嗟に出掛かけた言葉を飲み込み、フェリネラは黒髪の少年を注視する。自分とアルスを除いて人影はないが、あまり大きな声を出しては、静穏な図書館にはふさわしくないだろう、という気もした。
 彼女としては声を掛けたいのだが、場所柄それがはばかられるのが、なんとも口惜しいところではある。いずれにせよ、アルスはフェリネラに気づいた様子はなく、それこそ本の世界にそのまま入り込んでしまっているようだった。そんな彼の集中を途切れさせてしまうのはどこか悪い気がして、フェリネラは小さく微笑んで口を噤む。
 十人は掛けられるであろうテーブルの端に座るアルス。対してフェリネラは、それと少しずれた斜向いに腰を落ち着けた。
 静けさを共有するにはこれぐらいが丁度良く、かといって離れすぎるのは個人的に少し嫌だった。
 お互いの顔を十分確認できる距離に座ったつもりだったが、アルスはまるで気づかない。それならば、とフェリネラは、自分も残り少ない時間の中、一気に読書に集中しようと本を開く。
 今手にしているのは、コツコツと読み進めている文芸書で、ページを開くや、さっそくフェリネラを書物独特の紙の匂いが出迎える。
 前回の続きから始めるべく、目次から探り「第4章」のページに行き着く。本当ならば彼のように、研究論文めいた資料などを読むべきなのだろう。そうしたならば、彼もひょっとしたら、フェリネラに興味を持ってくれるかもしれない。
 そんなことを考え、今日はちょっと本のチョイスを間違えたかな、と少し残念そうに、フェリネラはアルスが没頭している本を一瞥する。タイトルからして学院ではまず見ることのない専門用語が含まれている。その手の知識に精通していなければ、ろくに読むこともできないのではないかと思われた。
 そんな風に、自分が持った本の上部からチラリと目だけを覗かせて、すぐさま元に戻す。
 思えば、あんな見るからに難しそうな本を読んでいる者は教員ですら見たことがない。とはいえ、この図書館は貴重な古書も所蔵されていることで有名であり、学生が難解な本を読むことに限っては何もおかしなことはない。
 ないのだが――。
 ふむ、と内容に納得したり何かを理解したかのような瞬間に、時折聞こえてくるアルスの息遣い。そのたび、フェリネラは引き寄せられるように、斜向かいのアルスへと視線を走らせる。一度気になりだしたら、微かな動作でさえも気になってしまう。
 真剣そのものの目、微かに細められたその目が、フェリネラの視線を釘付けにする。まじまじと見てしまうのは失礼だと分かっていたが、それは彼女にはどうしようもなく魅力的なものに映っていた。
 パラパラとページが捲られる、その速読ぶりに目を見張る。また、アルスは時折、興味深い記述でも見つけたのか、特定の箇所を熟読するように前のめりになったりもする。
 そんな些細な動きを、フェリネラは微笑を浮かべたまま観察する――自分の顔の前まで、そっと本を持ち上げてその動作を隠しながら。
 やがて、そんな彼女にとっての至福の時が唐突に終わりを迎えたのは、午後の授業開始を知らせるチャイムが鳴ったからだった。
 ――えっ!? 嘘ッ!
 無情なチャイムの音に溜め息を溢した次の瞬間。耳に届いた声に、彼女はぎこちなく頬を引きつらせる。
「ん? フェリ、いたのか」
「あっ! アルスさん……は、はい」
「声を掛けてくれればいいのに」
「お邪魔をしては申し訳ないと思いまして。こちらも良いところだったのですが、授業が始まってしまっては仕方ないですね。アルスさんも、次は?」
 良いところだった、というのはもちろん本のストーリーではなく、さっきまで彼女がしていた観察のことだ。
「あぁ、次は一応授業が入っているが……まぁ、ここは出ておくか」
 アルスとしては、本来授業に出るつもりはなかったものの、生徒の模範とも呼ぶべきフェリネラを前にして、思い直したようだった。
「そうですね。アルスさんには少々退屈かもしれませんが、進級にも関わってきますので」
 司書もいるからか、フェリネラは口元に手を添えて小声で発し、ニコリと微笑む。
 立ち上がったアルスは本を元の場所に戻しつつ、その後ろに付くフェリネラに。
「フェリはどうするんだ、それ?」
 手に持った本のことを指しているのは明白である。一度、自分が読んでいた本に視線を落としたフェリネラは少し思案する。
 思えば、この時間を使って読んだ文字といえば「第4章」というタイトルだけだった。思い出せるのは、本とは無関係な観察の結果だけで、アルスの姿や仕草だけだ。
「え~っと、私は借りることにします」

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