セリア先生編 第1話

作者:北山結莉

神聖暦(しんせいれき)九九六年。まだリオがベルトラム王立学院に通っていた頃――、リオが野外演習に参加し、身をくらましてベルトラム王国を出奔(しゅっぽん)する三日前のことである。
 リオはセリアの研究室を訪れていた。いつものように紅茶の準備をしていると――、

「先生、ずいぶんと手紙が溜まっているようですが……。昨日、伺った時にもありましたっけ?」

 リオは机の隅で山積みになった手紙を見つけ、小首を傾げて指摘した。

「う、うん。溜まっているわね……」

 セリアはどこかバツが悪そうに頷く。

「もしかしてあまりよろしくない知らせだとか? 力にはなれないでしょうが、相談にならいくらでも乗りますよ」

 リオはセリアの顔色を窺うと、恐る恐る問いかけた。

「いや、そういうわけじゃない、んだけど。その、何ていうか、お父様からの手紙なのよ、それ全部」

 セリアは妙に歯切れの悪い物言いで、手紙の差出人を明らかにする。

「ああ、なるほど……。じゃあ、俺が深入りする話でもありませんね。すみません、妙なことを訊いて」

 リオは空気を読んで、すぐに話を取り下げようとした。だが――、

「あ、ううん。実はリオにも話を聞いてもらいたかったというか、相談に乗ってもらってもいい……かな?」

 セリアがおずおずとリオに相談を願い出る。

「ええ、もちろん構いませんが……」

 リオはじっとセリアの顔を見つめた。特に顔色が悪いというわけではないが、今日の彼女はどこか物憂げというか、あまり元気が感じられない。

「あのね、全部の手紙を読んだわけじゃないんだけど、その手紙の山……たぶんお見合いについて色々と書かれていると思うの」

 セリアはおもむろに相談内容を打ち明ける。

「お見合い……。なるほど、そういうことですか」

 リオはなんとなくすべての事情を察せた気がした。そして、つい口許(くちもと)を緩めてしまいそうになる。

「あっ、笑った。笑ったでしょ?」

 セリアは頬を赤らめてリオに抗議する。

「笑っていません。先生のことですから、話題も話題ですし、研究にかまけて筆不精になったというところですか? それでお父上が心配して、手紙をたくさん送ってきていると」

 リオはきっぱりとかぶりを振って、自らが予想した経緯を語ってみた。
 現在、十七歳のセリアは貴族として結婚適齢期だが、前に結婚の話が出た時に、当分の間、結婚するつもりはないと断言している。前々から実家から色々と言われていたようだが、その延長線上の事態として今に至るのだろう。

「う、うん。そう、その通り……」

 セリアはさらに顔を真っ赤にして、俯くように頷いた。

「それで、いつ頃から返事をしていないんですか?」

 リオはそれ以上セリアを辱める真似はせず、話題を変えるように質問する。

「う、ここ数カ月ほど……」
「数カ月ですか。その割にはたくさん手紙が届いているようですが……」

 と、リオは手紙の小山を見やりながら言う。
 一般的な通信手段が手紙であるこの世界の常識に照らし合わせるならば、相手が家族であることを踏まえても、数カ月という期間は遠隔地にいる者同士で一度も連絡を取らずにいても問題視される期間ではないはずだ。
 むしろ数カ月の間に、同一人物からちょっとした山になる量の手紙が届くことの方が異常かもしれない。それだけセリアが大事に思われているということだろうか。

「お父様が過保護なのよ。まだ結婚は大丈夫だって言っているのに……、変な男に言い寄られるくらいなら自分が良い相手を紹介してやるって」

 セリアは溜息混じりに項垂(うなだ)れる。

「あはは、それだけ愛されているんですね」
「むう、あまり笑いごとでもないんだけど……」

 おかしそうに笑うリオに、セリアはぷくりと頬を膨らませた。

「すみません。先生としては現状をどう思っていて、どうしたいんですか?」

 リオは苦笑しながら謝罪すると、一先ずセリアの気持ちを確かめることにした。相談に乗るにしても、先に本人の意思を確認しておくのが先だと考えて。

「前にも言ったけど、まだ結婚はしたくない、かな」
「なるほど。その意志は固そうですね。……なら、まだ開封していない手紙がいくつかあるみたいですし、とりあえず中身をきちんと確認してみませんか? もしかしたらお父上が翻意(ほんい)している可能性もありますよ」
「うん。それはわかってはいるんだけど、いつも似たようなことが書いてあるから……。リオ、代わりに読んでみてくれない?」

 セリアはおずおずと頷くと、リオの顔を覗きこむようにお願いした。

「えっと、構いませんが……いいんですか?」

 リオはプライバシーに配慮して尋ね返す。

「う、うん。他の人には絶対に見せられないけど、リオなら大丈夫。読まないとちゃんと相談にも乗ってもらえないしね。はい、これ……」

 そうして、セリアから手紙を手渡されると――、

「じゃあ、失礼します」

 リオは丁寧な手つきで手紙を開封した。日付からして少し前に書かれたものだが、そこには達筆な字で長々と文章が並んでいる。
 要約すると、セリアに悪い虫が付いていないか心配だということ、たまには実家に帰ってきてほしいこと、寂しい云々という流れから、そろそろ結婚のことを真剣に考えてくれただろうかといった旨の内容が記されていた。また、見合い相手の候補として、有名な貴族の子弟の名が挙がっており、ご丁寧に簡単な人物紹介まで書かれている。

「……どう?」

 リオが手紙を読み終えて視線を動かしたことを確認すると、セリアが恐る恐る訊いた。

「先生が仰ったような文章が書かれていますね。お見合い相手の候補として、社会的にも人格的にも信用できるという貴族の方々の名前が何人か書かれています」
「……例えば?」
「フォンティーヌ公爵家の次男、バリエ伯爵家の長男、アルベルト伯爵家の次男ですね。アルベルト伯爵家の次男の方は先生と歳も近くて、小さい頃からのお知り合いだそうじゃないですか」

 まあ、歳が近いといっても、セリアとは十歳近く離れているが。

「知っているけど……結婚したいとは思えないわよ。そういうふうに見たこともないし、向こうもそういうふうに私を見たことはないんじゃないかしら?」

 セリアは複雑な心境で表情を曇らせる。

「うーん。それだとお父上を説得するには少し根拠が弱いかもしれませんね。相手が本当にそう思っているとは限りませんし、実際に会ってみろと言われるのは目に見えています。なら、いっそのこと先生の理想の男性像をお伝えして、その人物像に合わないから無理だと断ってみた方がいいかもしれません」

 と、リオは思案顔で、唸るように語った。

「私の、理想の……男性像」

 セリアはぼそりと呟き、理想の男性像とやらを思い浮かべてみる。人並みに恋愛小説を読んで乙女な妄想をしたことはある彼女だが、理想の男性像など、言われてみれば考えてみたこともなかった。

「その様子だと考えてみたこともないみたいですね」

 悩まし気なセリアを見て、リオは口許をほころばせる。

「わ、笑わないでよ。子供じゃないんだから、理想の男性像くらい、ちゃんとあるんだから!」

 セリアは瞬く間に頬を紅潮させた。そういうところがむしろ子供っぽいと思ったリオだが、それは言わぬが花だと、指摘することはしない。

「それは興味がありますね。よければ聞かせてもらえませんか?」

 リオはセリアの理想の男性像とやらについて、朗らかに尋ねた。

「う……。え、えっとね。た、例えば……」
「例えば?」

 どぎまぎと言葉に詰まるセリアを、リオは微笑ましそうに見つめる。すると、セリアはぽつりと語り始めた。

「一緒にお茶を飲んでくれて、楽しくお話をしたり、時には沈黙が苦にならなかったり、あとは私のことをちゃんと理解してくれて、悩み事があれば相談に乗ってくれて、自然体でいられる人……とか?」

 と、微妙に唇を尖らせながら、指を折って条件を挙げていくセリア。しかし、語っているうちに妙な違和感というか、該当する人物のイメージに強い既視感を覚えて、どこか釈然としない様子で首を傾げる。

「意外とハードルは高くないんですね。容姿とか、収入とか、社会的な地位とか」

 リオは貴族の令嬢が真っ先に求めるであろう現実的な条件を列挙しながら、感心したように目をみはった。

「え? うーん、別にそこら辺は別に……。お金は研究の成果で貴族として生活に困らないくらいには稼げるし。それなら一緒にいて居心地のいい人の方がいい、のかな?」

 セリアは悩ましそうに唸りながら、最後にはややはにかみ気味に語った。

「なるほど。社会的な条件に重きを置かないのなら、(かえ)って先生の理想は高いのかもしれませんね。先生を好きになった人は大変そうです」

 リオは得心したように頷き、そっと微笑する。

「そう、かな? いくらでもとは言わないけど、探せば意外と身近に……」

 と、セリアは少し納得いかない面持ちを覗かせるが、ふと向かいに座るリオを見据えると――、

(あれ、もしかして私が語った条件って、ぴったりリオに当てはまってない?)

 ハッと表情を改め、そんなことを思った。そのまま硬直し、混乱し始めた頭で先ほど自分が口にした条件を思い浮かべる。そう、一緒にお茶を飲んでくれて、楽しくお話をしたり、時には沈黙が苦にならなかったり、あとは私のことをちゃんと理解してくれて、悩み事があれば相談に乗ってくれて、自然体でいられる人、と。
 疑念は確信へと変わる。すると、セリアはとたんに顔を真っ赤にしてしまった。だが、リオに自覚している様子はなく、どこか不思議そうに動転中のセリアを見つめている。

「ま、まあ、例えばの話よ。た、例えばの話。そういう人も意外と身近に……は、いなくても、探せばどこかにいたりするんじゃない?」

 セリアはあたふたと語った。リオは弟みたいなものだし、親しい身内に似た相手を結婚相手として選ぶことは往々にしてよくあることだから、理想の男性像に近くて当たり前だろう――、と自分に言い聞かせながら。

「まあ、そうかもしれませんね」

 リオは朴念仁(ぼくねんじん)なのか、やはりセリアが意図したところに気づいた様子はなく、苦笑気味に頷く。すると、セリアはなんだか納得がいかず、複雑な気持ちになり――、

「むう……。それはそうと、リオの理想の女性像を聞かせてくれてもいいんじゃない? 私だけ恥ずかしい思いをするのは不公平だと思うの」

 と、ジト目で質問した。

「あはは、俺の理想の女性像ですか」
「そうよ、聞かせてちょうだい」

 苦笑してお茶を濁そうとしたリオだが、セリアはどこか()ねたように食い下がった。すると――、

「……俺も先生と似ているかもしれません。一緒にいて居心地がいい人。お互いのことを理解して、尊重しあえる人がいいですね」

 リオはどこか遠い目で、理想像を語ってみせる。

「ふーん、そう。リオも私と一緒なのね。そっか、そっか」

 セリアは嬉しそうに、それでいてホッとしたように笑みを覗かせた。

「まあ理想は理想ですし、そういうことばかり言っていると、いつの間にか周囲が結婚して、自分だけが取り残されることになっているかもしれないんですけどね」
「うっ、脅さないでよ……。ちょっと想像しちゃうじゃない」

 苦笑して語るリオに、セリアはギクッと身体を震わせる。

「大丈夫。先生はその気にさえなれば、すぐに相手が見つかりますよ」
「……そうかな?」

 と、セリアは不安そうに顔を曇らせたが――、

「ええ、周りに先生の人となりを知ってもらう機会さえ作ればいいんです。先生は嫌がるかもしれませんが、勇気を出して貴族の社交界にも少し目を向けたらいいと思いますよ。ドレスでも着れば、男の方から近寄ってくるはずです。だから、今から焦る必要はありません」

 リオは穏やかに首肯(しゅこう)した。

「……ありがとう。リオがそう言うのなら、考えておく」

 セリアはなんだか妙に気恥ずかしくなってしまい、はにかんで頷いた。

「いえ、まあ、目先の問題の解決にはならないんですけどね」
「ああ、そうだった!」

 リオが苦笑して話を戻すと、セリアはハッと表情を改める。

「一応、最近の手紙も読んでみましょうか。お父上の心境も変わっているかもしれませんし」

 がっくりと項垂れたセリアに、リオが提案する。

「うん……そうね。お願い」
「じゃあ、失礼します」

 リオは日付印の新しい手紙をとって新たに開封してみた。そうして、しばし文面に目を通すと――、

「…………先生、お父上が王都へいらっしゃるみたいですよ」

 手紙に書かれている事実を口にする。

「えっ!?」

 セリアがギョッと目を丸くした。

「王都に顔を出す用事があるので、学院に立ち寄るそうです。その時にお見合いのことを話し合おうと」
「うっ、そっか……」
「手紙に記載された通りなら、ちょうど来週辺りに来るみたいですね。お見合いを断るなら、早めに考えをまとめたおいた方がいいかもしれません」

 と、リオはセリアの顔色を窺って言う。

「う、うん……。リオのおかげね。不意打ちで来られないでよかったわ。危うく見逃すところだったもの。ああ、でも直接に会って言わないといけないのかあ……。どうしよう!?」

 最悪の状況こそ(まぬが)れることはできそうだが、セリアはひどく悩ましそうに頭を抱え始めた。

「言い訳、とは違いますが、きちんと先生の考えをまとめて、今の気持ちを伝えてみてはどうでしょうか? 手紙の文面を読んだ限り、先生のことを心の底から心配していることがよく伝わってきました。先生がしっかりしているところさえ見せれば、納得してくれると思いますよ。というより、俺はそれが最善だと思います」

 リオはセリアの心を落ち着かせるように、優しくゆっくりと語る。

「……そっか。そう、ね。うん、逃げずに少し考えてみるわ。ありがとう。情けないところを見せちゃったわね」

 セリアは年下の少年に励まされているばかりではいけないと、なんとか気を取り直して頷いてみせた。

「いえ、俺でよければ相談に乗りますから、何でも言ってください。三日後は野外演習で留守にしちゃいますけど」

 リオは相好(そうごう)を崩してかぶりを振る。

「あ、そっか。もう野外演習が目前なのか。気をつけてね? 変なところに行かなければ、そうそう危険はないはずだけど……」
「ええ、気をつけます」

 セリアは野外演習と聞いて、心配そうな面持ちを覗かせた。だが、リオは力強く鷹揚(おうよう)に首肯してみせる。すると、セリアは安堵したのか、優しく微笑んだ。

「じゃあ、行ってらっしゃいな。良い茶葉を用意して待っているから」
「はい、楽しみにしています」

 二人はとても楽しそうに笑みを向け合う。だが、三日後の野外演習でリオが冤罪(えんざい)を着せられて、ベルトラム王国を出ていくことになるなんて、この時のセリアは知りもしない。
そんなある日の出来事だった。
 
 
 ◆◆次回の更新は6月10日(金)予定です◆◆◆

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