セリア先生編 第2話

作者:北山結莉

三日後の晩。ベルトラム王立学院の図書館塔、その地下に存在するセリアの研究室にて、セリアはリオとの別れを済ませた。
 遠いヤグモ地方へ、リオはたった一人で旅立ったのだ。いつ帰ってくるのかはわからない。本当に帰ってくるのかもわからない。そんな遠い旅へ。
 リオが退室すると、部屋の扉がぱたんと音を立てて虚しく閉まる。すると――、

「ごめんね、リオ。私、何もできなくて……」

 セリアは(せき)を切ったように泣きだしてしまった。愛おしそうに、(すが)るように、そして悔いるように、リオの名を呟く。濡れ衣を着せられ、一人で立ち去るリオの背中を見守ることしかできなかった自分が情けなくて仕方がない。
 セリアの身体にはまだリオの温もりが残っている。それはとても嬉しいことのはずなのに、悲しくて、切なくて、不安で堪らなかった。とめどなく涙が溢れてくる。
 そうして、どれほどの時間が経っただろうか。

(……いつまでも泣いていたら駄目だわ)

 セリアはなんとか泣き止むと、緩慢(かんまん)な動きで立ち上がった。泣きたいのはリオの方に違いないのだから。名状しがたい喪失感がすぐに消えるわけではないが、いつまでも泣いているばかりで、悲劇のヒロインを気取ってはいられない。だから――、

(リオ……、待っているからね。貴方が帰ってくるのをいつまでも待っているから。貴方が無事でいますように……)

 セリアはそれから一晩中、ただただリオの安寧(あんねい)だけを祈った。
 祈ることしかできないのなら、祈ろう。他の誰もがリオのことを忘れても、自分だけは決してリオのことを忘れない。いつまでもリオの帰りを待ってみせる。と、そう誓って。

◇ ◇ ◇

 そして、リオが旅立ってから数日が経過する。ベルトラム王立学院には穏やかな日常が戻っていた。
 数日前の野外演習で起きた事件が嘘であるかのように、演習に参加していた学年に所属する生徒達の表情も穏やかである。
 放課後、セリアは自分の研究室に戻るために学院の庭を歩いていると、リオと同学年の生徒達が歩いていることに気づき――、

(リオのことなんて誰も覚えていないみたい)

 と、そんなことを思った。
 実際、彼らにとってリオはその程度の存在だったのだろう。どこか釈然としない気持ちはあるが、何年にも渡ってリオが学院内で受けてきた扱いを知っているだけに、セリアは諦観したように納得した。すると――、

「まあまあ、魔物群れから奇襲を受けたのですか!」
「……恐ろしいですわね」
「お二人とも、よくご無事でいらっしゃいましたね」

 庭の一角から少女達の黄色い声が聞こえてきた。
 セリアは声に釣られてそちらに視線を向ける。そこには大勢の女子生徒達に囲まれたアルフォンス=ロダンとスティアード=ユグノーの二人がいた。

「アルフォンス先輩の指揮が良かったんですよ」

 スティアードがフッと笑みをたたえてアルフォンスに水を向ける。すると――、

「まあ頼りのスティアード君があの下賤(げせん)な男に足を引っ張られて負傷していたからね。あの部隊の指揮官を任せられていた手前、俺が何とかしなければと無我夢中だったのさ」

 アルフォンスが満更でもなさそうに語った。

(あの二人……、演習の時ことを話しているの?)

 リオから別れ際に真実を聞いたセリアは知っている。二人ともリオに冤罪を着せた張本人といってもいい人物達だ。そんな二人が何やら野外演習に関する話をしているらしいことに気づき、セリアは思わず足を止めた。すると――、

「あの下賤な男とは?」

 少女の一人が小首を傾げて質問する。

「リオだよ、あの孤児出身の……。あいつは恐怖のあまり錯乱したのか、魔物の奇襲で負傷したばかりのスティアード君を突き飛ばしてしまってね。フローラ王女殿下まで危ない目に遭わせてしまったんだ」

 アルフォンスはやれやれと嘆息し、芝居がかった仕草で答えた。

「まあまあ、フローラ王女殿下が崖から落ちそうになったとは伺いましたが、まさかそれが……」

 と、少女達は口許(くちもと)を手で押さえて目をみはる。

「ええ、すべてあの男の軽率な行動が原因です。僕は何も悪くないのに、おかげで父上に手酷く絞られてしまいましたよ」

 スティアードは深く溜め息をついて、忌々しそうに顔をしかめた。

「ははは、俺もだよ。まったく、魔物の群れにも襲われただけでも災難だったというのに」

 アルフォンスが苦笑してスティアードを宥める。

(……言いたい放題ね。相手が反論できないからって)

 セリアはひどく呆れてしまった。
 リオから聞いた話とはまるで食い違っている。父親に叱られたというのは紛れもない事実なのだろうが、もしかするとその憂さ晴らしを兼ねて好き放題言っているのかもしれない。
 とはいえ、事件はあの二人にとって、いや、あの二人の実家にとって都合の良い形で公的に処理されてしまった。
 判断を下した上層部が薄々と違和感を覚えたうえで彼らにとって都合の良いシナリオを事実としてしまった以上、セリアが異議を申し立てたところで封殺されるのは目に見えている。それどころか、実家にまで迷惑をかけるかもしれない。
 結局、セリアはここでも己の無力さを痛感しただけだった。そうしている間にも、アルフォンスとスティアードはありもしない自分達の武勇伝を饒舌(じょうぜつ)に語っている。

「ゴブリンとオークの群れは五十体くらいいたんじゃないですかね。とはいえ、アルフォンス先輩の指揮で部隊が立て直してからの一方的な蹂躙(じゅうりん)は爽快でしたよ」
「まあ正々堂々と戦えば俺達が低位の魔物ごときに後れを取るわけがないからな。計算外なのはあの牛頭の魔物くらいか」
「確かに、とんでもない強さでしたね。アレと戦って全員無事で済んだのが奇跡のようです」

 アルフォンスの話に、スティアードはうんうんと相槌(あいづち)を打つ。

「どのような魔物だったのですか?」
「身長数メートルはあったかな? 牛の頭をした二足歩行の化物だよ。筋肉質でね、岩で出来た剣を軽々と振り回すんだ」
「まあ……、恐ろしい」

 スティアードが質問に答えると、女子生徒達は小さく身体を震わせた。

「それでもその時は必死だったからね。なんとか交戦を試みたんだ。まるで伝説の英雄にでもなったかのような高揚感を覚えたよ。まあ、やむなく撤退することになったわけだが」
「あのタイミングで戦術的撤退を判断したのは流石ですよ。そこからは追撃もありませんでしたし、僕らの攻撃が奏功(そうこう)して、あの化物に痛手を与えたのかもしれません」

 などと、誇らしげに語るアルフォンスとスティアード。よくもまあここまで自分達を美化して語れるものだと、セリアはいっそ感心すらしそうになってしまった。
 実際に現場にいた人物が今はこの二人以外にいないし、いたとしても二人に異議を唱えることができるほどの地位にいる者はほとんどいないのだから、完全にアルフォンス達の独壇場だ。
 女子生徒達はアルフォンス達の話を鵜呑(うの)みにしているのか、二人を際限なくもてはやしている。それでアルフォンス達が余計に調子づいていくのだから、セリアから見れば完璧な悪循環であった。

(流石にこれ以上は聞いていられないわね。行きましょう……ん?)

 セリアは聞くに堪えないと考え、嘆息(たんそく)してその場を後にしようとした。だが、いつの間にかすぐ傍にフローラが立っていることに気づく。
フローラは小さく身体を震わせ、思いつめたようにアルフォンスやスティアードを見つめていた。

「しかし、真っ先にいなくなったリオは(かえ)って運が良かったのかもしれませんね。あの男があの場にいても完全な足手まといになっていましたから」

 と、スティアードが愉快そうに笑って言う。すると、フローラは意を決したのか、アルフォンス達のグループに向かって恐る恐る歩きだした。

(……え?)

 セリアが目を見開く。フローラはいかにも何か物申したそうな顔つきを浮かべていた。大人しくて、どちらかといえば人見知りである彼女らしからぬ行動である。

(まさか……)

 フローラが何をしようとしているのか、薄々と予想するセリア。すると――、

「あの!」

 フローラは勇気を出したように、アルフォンス達に声をかけた。

「これは……フローラ王女殿下!」

 アルフォンス達は一斉に畏まり、フローラに対して敬意を示す。建前上、学内では生徒間で必要以上に堅苦しいマナーは要求されないことになっているが、貴族階級の差によっておのずと取るべき態度が変わるのが暗黙の了解になっている。

「何か御用でしょうか?」

 と、アルフォンスがその場の生徒達を代表してフローラに尋ねると――、

「……どうしてあの方のことを悪く言うのですか?」

 フローラはアルフォンス達の顔色を窺うように質問した。

「あの方……ですか?」

 アルフォンスとスティアードが顔を見合わせ、(いぶか)しそうに首を傾げる。

「……リオ様のことです」
「ああ……」

 フローラがリオを様付けで呼ぶと、アルフォンスとスティアードは面白くなさそうに得心した。そして――、

「フローラ様。恐れながら第二王女殿下であらせられる貴方様があのような下賤な者を様付けでお呼びになるとは、感心いたしかねます。周囲に示しがつきません」

 と、スティアードが仰々しく首を左右に振って、王族らしからぬフローラの言動に難色を示す。だが――、

「…………私は、他者の評価を陰で(おとし)めるような発言の方が感心しかねます」

 フローラは静かに反論の言葉を口にした。

「なっ、それは……どういう意味でしょうか?」

 自分が非難されたと思ったのか、スティアードの表情が強張る。

「私は崖から落ちそうになったところをあの方に助けていただきました。あの方は私にとっての恩人です。それを足手まといだとは、納得がいかなっただけです」
「っ……、しかしあの男は魔法が使えませんからね。仮にあの場に残っていたとしても、牛頭の巨人相手には何もできなかったと思いますよ」

 スティアードは面と向かって意見を言われたことでムッとしたのか、どこか刺々(とげとげ)しい口調で物申す。

「何もできなかったのは、あの時あの場にいた全員がそうです。誰もが為す術もなく、我先にと逃げ出してしまったではないですか。負傷者を置き去りにして」
「そ、それは戦術的撤退です。その気になれば全員で倒すことはできたでしょうが、被害を抑えて戦うのは不可能だったから……」

 フローラが生々しく事実を適示すると、スティアードが上ずった声で弁明する。

「ま、まあまあスティアード君。あの男も牛頭の化物の注意を引くことくらいはできたかもしれん。身体能力強化魔術(エンチャントフィジカルアビリティ)が込められた魔道具は持っていたのだから」

 アルフォンスは第二王女のフローラと真っ向から事を荒立てるのは上手くないと思ったのか、さりげなくリオのことを持ち上げつつ慌ててスティアードを(なだ)めた。
 だが、真実を知るフローラにしてみれば、その程度でリオの名誉が回復するとは思えなかったのか――、

「…………注意を引くどころか、あの牛頭の巨人を倒したのはリオ様です」

 と、そんな事実を口にした。すると、様子を見守りがてら、陰で話を聞いていたセリアの身体がビクリと震える。
 また、その一方で、アルフォンス達は顔に困惑を浮かべていた。何故なら――、

「何を仰っているのですか。あの牛頭の化物は騎士団が始末したという話ではないですか。陛下直々の発表だと伺いましたが……」

 スティアードが訝しそうに語る。そう、あの牛頭の巨人――ミノタウロスは、王国の騎士団によって討伐されたことに表向きはなっているのだ。
 もちろんフローラはリオがミノタウロスを倒したと父であり国王でもあるフィリップ三世に訴えたが、残念ながらそれが事実として扱われることはなかった。その背景には、リオに濡れ衣を着せる筋書きにおいてリオに手柄を与えるような事実認定は具合が悪いという思惑、そしてミノタウロスが学院の一生徒に倒せるような魔物ではないことから、そのまま周囲に話を伝えたところで信憑性が薄いだろうという価値判断が潜んでいる。
 あの時、リオとミノタウロスの激闘を見ていたのがフローラしかいない以上、国の最高権力者達の間で事実を捻じ曲げるのはさほど難しいことではなかったのだろう。もっとも、臭いものに蓋をする形で自らの主張を黙殺されたフローラはこの数日間、父に対してかつてないほどの反抗期を迎える結果になって今に至るが。

「それは……」

 フローラは何か言いたそうな面持ちで、逡巡したように言葉に詰まる。
 いくらフローラが第二王女であるとはいっても、国王が公表した事実に表立って異議を唱えれば問題となりかねないからだ。また、仮に問題になったところで、フローラの主張をまともに取り合ってくれないことは痛感済みである。
 それでも抗いたい気持ちはあるが、どのように説明すれば信じてもらえるのか、フローラは自信を失いかけていた。

「お優しいフローラ王女殿下のお慈悲だろうよ、スティアード君」

 アルフォンスは言い返せないフローラを気遣ったのか、口許にフッと笑みを刻んで、スティアードに囁きかける。

「ああ、なるほど……」

 スティアードは鼻先で笑って納得した。
 フローラはキュッと唇を噛むと、やるせなさそうに(うつむ)いてしまう。すると――、

「貴方達、何をしているの? フローラ王女殿下の顔色がよろしくないようだけど……」

 セリアがタイミングを見計らい、割って入った。そして、フローラに助け船を出すように話題を振る。

「セ、セリア先生!? い、いえ、少し世間話をしておりまして……」

 スティアードはセリアの登場に焦ったのか、ぎくりと身体を震わせた。

「いかがなさいましたか、殿下?」
「……大丈夫です。何でもありません」

 セリアが気遣うように声をかけると、フローラは気丈にかぶりを振る。

「でしたら、少しお時間をお借りしてもよろしいでしょうか? 殿下に少々お話がございまして」

 セリアはじっとフローラの顔を見つめると、そんなこと言いだした。

「……はい、構いませんが」

 フローラは話とやらに心当たりがないのか、不思議そうに頷く。

「では、こちらへ」
「はい」

 セリアに促され、歩きだすフローラ。そして、セリアは去り際に振り返ると――、

「じゃあ、失礼するわね。貴方達も遅くならないうちに帰るのよ」

 と、言い残した。

「は、はい!」

 スティアードはやや緊張した声色で返事をすると、そのままセリアの後ろ姿を見惚れたように眺めだす。「可憐だ」と呟いたその囁き声が誰かの耳に届くことはなかった。
 そして、その一方で――、

「あの、セリア先生。どちらへ向かっているのでしょうか? お話とは一体……?」

 フローラが前を歩くセリアにおずおずと声をかける。
 セリアは逡巡したように微苦笑し、いったん歩みを止めると――、

「よろしければリオのことについて、私の研究室でお話をしませんか?」

 と、フローラの顔色を窺うように言った。
 
 
 ◆◆◆次回更新は6月17日(金)予定です◆◆◆

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