セリア先生編 第3話

作者:北山結莉

それから、セリアはフローラを引き連れて、自分の研究室を訪れた。

「どうぞお入りください。狭い所ですが」
「いえ、失礼します……」

 セリアが室内に誘うと、フローラはやや緊張した面持ちで扉を(くぐ)る。

「今、お茶をご用意しますので、どうぞ開いている椅子にお掛けください」

 そう言って、簡易キッチンへ足を運ぶセリア。すると――、

「ありがとうございます」

 フローラは礼を言って、おずおずと椅子に腰を下ろした。そして――、

(先生方の研究室ってこうなっているんだ……)

 興味深そうに室内を見回す。今までの学院生活で講師の研究室を訪れた経験がなかったので、妙に新鮮な感覚を抱いたフローラだった。
 セリアの部屋はほんの数日前までリオが掃除を担当していたおかげで、小奇麗に整理されたままである。リオが旅立った喪失感から、セリアがここ数日はほとんど研究に集中できていなかったのも大きい。
 フローラはひとしきり室内を見回すと、(うかが)うようにセリアへ視線を向けて――、

(リオ様のことを話そうって……、さっきの話、聞かれていたのかな? それに、やっぱりセリア先生はリオ様と親しいんだよね)

 と、そんなことを考える。フローラは以前にリオとセリアが仲睦(なかむつ)まじげに喋っているのを、一度だけ見かけたことがあるのだ。その時はちょうど放課後だったが、リオが学内では決して見せないような笑顔を覗かせていたせいか、妙に記憶に残っていた。
 そうしてフローラがどこか(うらや)ましく思っていると――、

「お待たせしました」

 セリアがやって来る。両手で運んでいるトレイには、カップとティーコージーで覆われたポットが乗っていた。セリアはフローラの向かい側に腰を下ろすと、やや申し訳なさそうに顔を曇らせる。そして――、

「先ほどは申し訳ございませんでした。お話の内容は聞こえていたのですが、少し聴き入ってしまったと申しますか、介入するタイミングが遅れてしまいまして……」

 と、フローラに謝罪する。すると、フローラも顔を曇らせて、かぶりを振った。

「いえ。私も突然、あの方達の会話に割って入ってしまったので……」
「……見て見ぬふりはできなかった、ということでしょうか?」

 セリアは言外(げんがい)に問いかける。勝手に言わせておけばよかったのでは、と。
 正直、セリアには彼らが間違いを指摘されて素直に謝罪するような人間には思えないのだ。それどころか、下手に騒ぎ立てれば、余計に問題をこじらせてフローラの立場が悪くなる恐れすらある。だが――、

「……できませんでした。できるわけがありません」

 フローラは悔しそうにかぶりを振った。そして、弱々しく(こうべ)を垂れる。

「フローラ様はリオのことをお気にかけてくださっているのですね……」

 セリアはどこか嬉しそうに口許(くちもと)をほころばせた。

「私は三度もあの方に命を救っていただきましたから。五年前に私が誘拐された時に一回、そして先の演習の時に二回……」
「……よろしければ私に演習の時のお話をお聞かせいただけませんか? フローラ様が胸の内に抱かれているお悩みも」
「……いいのですか?」

 フローラは窺うようにセリアの顔を覗きこむ。

「はい。伺いたいのです。あの子のことをちゃんとご覧になっていたフローラ様が語るリオのことを……」

 セリアは柔らかく微笑して首肯(しゅこう)する。すると、フローラは肩の荷が下りたように、小さく息をついた。そして、おずおずと語り始める。
 演習でリオが荷物持ちを押し付けられたこと、手伝いを申し出たが断られてしまったこと、とても一人では運びきれないような荷物を文句一つ言わずに涼しい顔で運んでいたこと、そして魔物の奇襲を受けた時に崖から落ちそうになった自分を助けてくれたこと。

「……私にはどうしてもリオ様がスティアード君を突き飛ばしたとは思えないのです」

 フローラは崖から落ちそうになった時の状況を説明すると、そんなことを言った。

「その場にいなかった私が言うのもなんですが、同意見です。あのリオが魔物の奇襲くらいで取り乱すとは絶対に思えません。むしろ逆ならありえると思うくらいで……」

 言って、セリアは冗談めかして苦笑する。すると――、

「そ、それはいくらなんでもスティアード君が可哀想といいますか……」

 フローラが気の毒そうにスティアードを擁護(ようご)する。あまり褒められた人格の人間でないとはいえ、悪口を言うのに少し抵抗があるらしい。

「あら、私はスティアード君が取り乱したとは申しておりませんよ? となると、フローラ様のお目にはそういう風にスティアード君が映っていたということでしょうか?」

 セリアはそう言って、悪戯(いたずら)っぽく微笑む。

「あ……、も、もう、ひどいです、先生!」

 フローラは頬を紅潮させて俯いてしまった。

「ふふ、良かった。ようやく明るい顔をされるようになりましたね。……ちょうど飲み頃ですので、よろしければどうぞ。本当はリオなら美味しく淹れてくれるのですが」

 セリアはそう言うと、蒸らしていた紅茶をカップに注いで、フローラに差し出した。

「リオ様が……。もしかしてこの部屋によくいらしていたのですか?」

 フローラはきょとんと目を丸くして質問する。

「ええ、まあ。お茶の相手をしてもらったり、私の研究を手伝ってもらったり、部屋の掃除をしてもらったりと……内緒ですよ?」

 セリアはそう言って、小さくウインクした。

「は、はい。誰にも言いません。でも、その……セリア先生はやはりリオ様と仲がよろしかったのですか?」

 フローラはぎこちなく頷くと、訊かずにはいられない様子で尋ねる。

「やはり、ですか? ええ、まあ、嬉しいことに、親しくしてもらいましたが……」

 やはりという物言いが少し気になったが、セリアは気恥ずかしそうに頷いた。

「あ、えっと、以前、セリア先生がリオ様と親しそうに話している姿をお見かけしたことがあったもので……」
「ああ、なるほど。学院の中だとあまり親しい姿は見せないようにしていたんですが」
「大丈夫です。その時は放課後で、人もほとんど残っていませんでしたから。それに、親しそうにしていたといっても、普通にお話をしているだけでした。ただ、リオ様が素の表情をお見せになっていたので、妙に印象に残っていたといいますか……」

 と、フローラは目撃した時の状況を説明する。

「あはは、そうでしたか。普段はあまり表情に変化のない子でしたけど、年齢相応にあどけない顔を見せる時もあるんですよ?」

 セリアは微笑ましそうに語った。

「……はい。そう、なんでしょうね」

 小さく頷き、顔を曇らせるフローラ。

(フローラ様はリオと親しくなりたかったのかしら?)

 セリアは俯くフローラを見据えながら、そんなことを思った。すると――、

「私は見ていることしかできませんでした。本当はずっとあの方とお話をしてみたいと思っていたのに、周囲に流されるがまま学内で孤立しているあの方の状況を静観(せいかん)することしかできずにいました」

 フローラは忸怩(じくじ)たる面持ちで己の(あやま)ちを吐露(とろ)する。

「後悔なさっているのですね、何もできなかった自分のことを」
「……はい。それに、セリア先生のことが羨ましかったのです。だから、演習の時に勇気を出して声をかけてみました。お姉様からはリオ様と接触を持とうとするなと言いつけられていたのですが」
「クリスティーナ様に? ……なるほど」

 セリアは思案顔を浮かべて頷いた。そして、クリスティーナの命令が、おそらくは王女であるフローラが孤児出身のリオと親しくなるのが互いにとってあまり好ましくないという配慮(はいりょ)(もと)づくものだろう、と考える。
 リオと担任講師の関係にあるセリアでさえ、学内で少し親しそうに話している所を見られただけで生徒達から反感を覚えられることが何度かあったのだ。仮にフローラがリオと親しくなれば、周囲の生徒達から面白く思われないのは目に見えている。

(まあ、クリスティーナ様はリオに対して徹底して不干渉の立場を貫いていらっしゃったものね。リオに対してはフローラ様とはまた違った意味で複雑な感情を抱かれていたみたいだけど、初めて出会った時の状況を考えれば理解はできるし……)

 なんにせよ、クリスティーナは賢い少女だ。日頃は一部の親しい生徒以外とあまり接点を持たないようにしている節があるが、人間という生き物をよく見ている。不干渉な態度とは裏腹に、きっとリオのこともよく見ていたのだろう。などと、セリアは分析すると――、

「では、リオと言葉を交わしたのは、その時が最後になってしまったと?」

 フローラにそう尋ねた。事のあらましはリオ自身の口から聞いているが、細部に関してはセリアも知らぬことだらけである。ゆえに、フローラがどこまで知っているのか、確かめておきたかった。

「いえ、私が崖から落ちそうになった時と、牛頭の巨人に襲われた時に少しだけ。もっとも、二回とも一方的に声をかけられただけなのですが……」
「リオは何と言っていたのでしょうか?」
「その、崖から落ちそうになった時、物凄い力で私を崖の上に放り投げてくれたのですが、投げる直前に『ごめん』と。それと、牛頭の巨人に襲われた時は、早く逃げるようにと言われました」
「そうでしたか……」

 その時の状況やリオの心情を想像したのか、セリアは口許に柔らかな笑みを覗かせる。だが、その一方で――、

「……牛頭の巨人はリオ様が倒したのです。唯一の目撃者として、私はそう主張しました。ですが、お父様も学院長もそれを事実としては扱わず、あまつさえリオ様に此度(こたび)の一件の責任を被せてしまって……」

 そう言って、フローラは悔しそうに目を伏せた。

「なるほど。それでアルフォンス君やスティアード君がリオのことを悪く言っているのが我慢できなかったわけですか」

 セリアはフローラがアルフォンス達に突っかかった正確な理由を得心(とくしん)して苦笑した。

「はい、そうです。……セリア先生は私が言っていることを信じてくれますか?」

 尋ねて、フローラは(すが)るようにセリアを見つめる。

「信じます。お気持ちも理解できます。…………ですが、王女であらせられる貴方様が無暗(むやみ)やたらと公知(こうち)の事実に反する発言をなさることは、恐れながらお控えになった方がよろしいと愚考します」

 セリアはきっぱりと頷くと、悩ましそうに顔を曇らせてフローラを(いさ)めた。

「……お父様も、お姉様も同じようなことを仰っていました。公表した事実と異なる事実を口にするなと。いけないことなのでしょうか、真実を主張することは?」

 フローラは微かに目を見開くと、どこか悔しそうな面持ちになる。

「人の社会においては、正しい行いが常に正しいと評価されるとは限りません。いえ、そもそも普遍的な正しさなど存在しないのかもしれません。ある事柄を捉えて、それを正しいと判断するかどうかも人によって千差万別ですから」

 と、セリアは教師然とした物言いで、悩ましそうにフローラに語りかけた。

「では、一般的に見た場合、お父様とお姉様が正しくて、私が間違っている可能性もあると?」
「……難しいですね。少なくとも私個人はフローラ様が正しく、その感性も好ましいものだと思っております。……それに、国王陛下やクリスティーナ様も本当はそうお考えになっていると存じますよ?」

 自信のなさそうな瞳で見つめてくるフローラに、セリアは困り顔を浮かべて答える。

「そう……なのでしょうか?」

 フローラは小さく目をみはった。

「ええ。ただ、今の国内情勢に照らすと、フローラ様のお気持ちを抑えていただく方が無難だというだけです。政治社会においては、本当は正しいと思っていないことでも、正しいものとして扱わなければならないことが往々(おうおう)にしてありますから……、陛下やクリスティーナ様もそこら辺の説明にお困りなのかもしれません。そして、フローラ様が納得できない問題の核心も、その辺りに潜んでいるのではないでしょうか?」
「そう……かもしれません。確かに」

 セリアが自分の分析を述べると、フローラは何かを得心したように首肯する。

「ふふ、その御様子だと、陛下やクリスティーナ様ときちんとお話をなさっていないようですね」
「…………はい。実は、その、生まれて初めてお父様やお姉様に反抗している最中でして」

 フローラは決まりが悪そうに首を縦に振った。

「でしたら、今日の話を踏まえて、一度落ち着いてお話をなさってみるとよろしいかもしれませんね。今になってリオに対する沙汰を変えることはできないでしょうが、それでも感情的にならず、お二人の話に耳を傾けてみれば、今フローラ様がお抱えになっている胸のわだかまりも少しは溶けるかもしれませんよ?」

 と、セリアは微笑ましそうに語る。

「……試してみます。ですが、やはりリオ様に対して恩を仇で返しているこの現状を変えることはできないのでしょうか? どうにかして(むく)いることができないものかと、つい考えてしまいそうで……」

 フローラはしっかりと頷くと、恐る恐る質問した。

「うーん、それは私も同じように直面している問題ですが、できることはそう多くはないと思っています」
「……と、言いますと?」
「あの子のことを信じてあげること、そしていつまでもあの子の帰りを待ってあげることでしょうか。そしていつか帰って来た時に笑顔で再会することです」

 と、セリアは儚い笑みをたたえて答える。

「……帰ってきてくれるでしょうか?」
「ええ、きっと必ず。私は信じます。まあ、堂々と帰ってはこられないかもしれませんが」

 フローラが不安そうに訊くと、セリアは力強く頷いて苦笑した。

「きっとその時は私にお姿を見せてくれることはないのでしょうね」

 と、フローラは寂しそうに微笑む。

「それは……どう、でしょうかね?」

 確かにリオならばそうするだろうなと考え、セリアは笑みを取り繕って答えをはぐらかした。

「いいんです、はっきり仰っていただいても。セリア先生のおかげで私がするべきことが少しだけわかった気がします。……私にその資格はないかもしれませんが、私もお待ちしてみます。そして、許してはいただけないのかもしれませんが、あの方のことと、自らの過ちを忘れずに、生き続けてみようと思います」

 フローラはゆっくりとかぶりを振って、静かな意思を覗かせながらそう語る。

「フローラ様……」
「お父様やお姉様とも、もう一度話し合ってみますね。また口論になってしまうかもしれませんが、私は私の正しさを信じ、そのうえで出来る限りお父様達が仰る事情も理解してみようと思います」
「……承知しました。それでは、私は陰ながら応援させていただきます。どうしても耐えられない時は、私のところへお越しください。私でよろしければお話を伺いますから」

 セリアは優しく口許をほころばせた。

「……はい、ありがとうございます!」

 フローラは嬉しそうに笑みを咲かせると、しっかり頷く。

「ふふ、お茶が少し温くなってしまいましたね。よろしければ淹れ直しましょうか?」
「あ、大丈夫です。お喋りをして喉が(かわ)きましたので。お姉様からは子供っぽいと言われるのですが、温くなったのも飲みやすくて好きですし。えへへ」

 言って、はにかむフローラ。すると、部屋の扉がノックされる音が室内に響いた。

「あら、お客様みたいですね。失礼いたします。……はい、どなたでしょうか?」

 セリアはフローラに断りを入れて立ち上がると、扉の向こうに向けて誰何(すいか)する。

「クリスティーナです。その、フローラがこちらに来ていないでしょうか? 数十分ほど前にセリア先生と一緒に歩いていたと警備の兵士から聞いたのですが」

 扉の向こう側にいるのはフローラの姉――クリスティーナだった。

「これは姫様。今、扉を開けます。少々お待ちくださいませ。……ふふ、お迎えにいらしたみたいですよ。開けますね」

 セリアは大きい声でクリスティーナに返事してから、背後で椅子に座るフローラに微笑みかける。そうして扉を開くと、そこには所在なさげに立つクリスティーナがいた。

「お姉様……」
「その、迎えにきたわよ。あまり遅くなるとお父様やお母様も心配なさるでしょうから」

 真っ直ぐと自分を見つめるフローラに、クリスティーナはどこか気まずそうに話を切りだす。セリアはそんなクリスティーナの態度を見て、フローラと口論をした事実がまだ尾を引いているのだろうと感じとった。

「……すみません。セリア先生とのお話に熱中してしまって。もしかしてお姉様は一度お城に帰られてから、こちらへいらしたのですか?」

 フローラは素直に謝罪すると、クリスティーナの顔色を窺いながら質問した。

「……ええ、まあね」

 クリスティーナはおずおずと首肯する。

「ふふ。フローラ様のことを心配なさったのですね。では、遅くならないうちに、気をつけてお帰りください」

 セリアは王女姉妹のぎこちないやりとりに微笑すると、二人に帰宅を促した。まあ、実際には王城と学院は隣接しており、王族の通学等に用いる連絡門も存在するから、気をつけるようなことは何もないのだが。

「ありがとうございました、セリア先生。おかげで少しだけ心が軽くなった気がします」

 フローラは立ち上がると、セリアに向けてぺこりとお辞儀した。

「いえ、またいつでもお越しください」

 セリアは笑顔でかぶりを振る。クリスティーナは二人がここで何を話していたのだろうかと、窺うように見つめていた。

「それじゃあ、行きましょう。お姉様」

 そう言って、フローラはゆっくりと歩きだす。

「……ええ、そうね」

 クリスティーナはおもむろに頷くと、セリアを見やり――、

「ありがとうございました、セリア先生。フローラの話し相手を務めていただいて」

 と、礼を言う。

「いえ、お礼を言うのはこちらの方です。つい時間を忘れてお話をさせていただきました」
「なら幸いです。では、また。今日のお礼はまた改めて」

 クリスティーナは会釈すると、(きびす)を返して歩きだした。セリアは廊下に出て帰路に就いた二人を見送ると、一人で研究室に戻る。そして――、

「……私もいつまでも落ち込んではいられないか。頑張らないとね」

 ぼそりと、そう呟いた。リオのことをフローラと話して、少し心が軽くなったのはセリアも同じらしい。いつの間にか先ほどよりも前向きな気持ちになれていた。
 だが、だいぶ温くなってきた紅茶を口に含むと、微かに顔を曇らせる。同じ茶葉を使っているのに、リオが作る味には程遠いからだ。

「早く帰ってきてよね、待っているんだから」

 少しだけセンチな気分になったセリアだった。



◆◆◆次回の更新は6月24日(金)予定です◆◆◆

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