セリア先生編 第5話

作者:北山結莉

アリアを見送った後。
 セリアは一人で研究室に戻ると――、

「リオ……、リオだ。リオの手紙よね。早く読まなきゃ!」

 そそくさと受け取った手紙を開封し始めた。隙間からペーパーナイフを差し込み、封蝋(ふうろう)を引きはがすと、(はや)る気持ちで手紙を開くと、食い入るようにその文面を見つめる。
 そこには確かにリオの手によって書かれた文章が並んでいた。セリアはリオが学院にいる間に何度も手書きの文字を目にしてきたのだから、見間違えるはずがない。それに、差出人名が別れ際に教えられた『ハルト』という名になっている。

「良かった。無事だ、リオは無事なのね」

 手紙には大した内容は書かれていないが、旅路が順調であることがよく伝わってきた。しかし――、

「……でも、もうガルアーク王国に入っているなんて、随分と移動が速いわね?」

 と、違和感を抱くセリア。ベルトラム王国の王都ベルトラントから、ちょうど東に位置するガルアーク王国の都市アマンドまで、徒歩ならば数週間はかけて移動する距離である。
 魔道船と呼ばれる空を飛ぶ古代魔道具(エンシェントアーティファクト)ならば、その日のうちに国境を越えて着くことができるのだろうが、魔道船に乗るには色々と必要な条件があるので、今のリオではおそらく難しい。
 セリアはリオが通常の魔法では実現できないほどの身体強化を施せる特異な能力を秘めていると知らないのだから、当然の疑問であった。

「まさか魔道船に密航でもしたんじゃないわよね? ……ま、まあ、移動がスムーズならいいわ。とりあえず一安心といったところね」

 背筋にたらりと冷や汗を流したセリアだったが、細かいことは考えないようにして、小さく息をつく。そうしている間にもその綺麗な瞳を動かし、文面を追っていった。
 差出人の特定を恐れたのか、当たり障りのないことばかりが書かれているが、最後の方にはセリアを励ます旨の文章が書いてある。
 そんなわけで楽しく元気に旅をしているので、セリアも楽しく充実した日々を過ごしてほしい。セリアの性格的に悩み続けてしまうのかもしれないが、自分のことを気にせず研究に没頭してくれるとこっちも安心できるから、そうしてほしい。ただ、引きこもりすぎないよう、たまには運動をすること。またいつか会えた時に、確認するから――と。

「……はは、そっか、私のことはお見通しってわけか。本当は私が励ます立場にいなきゃいけないのに、逆に励まされちゃった」

 セリアは最後の最後まで手紙を読み終えると、思わず涙ぐんでしまった。とめどなく涙が溢れてくる。

「っと、いけない。インクが(にじ)んじゃうわ」

 慌てて手紙を机の上に置くと、セリアはハンカチを取り出して涙を拭う。そして、その後はしばらく余韻に浸ると――、

「……情けないな、私。ちょくちょく後ろ暗い気分になっているようじゃだめだわ。リオはこんなに強いんだから、私もリオを見習わなきゃ」

 ぼそりと呟く。涙を拭うその表情はとても柔らかくて、優しい笑みを口許に覗かせている。

「よし、やるわよ。すごい研究成果を残して、帰ってきたリオを驚かせてあげるんだから!」

 そう、リオがいつか帰ってきた時、胸を張って再会できるように。情けない姿を見せるわけにはいかない。セリアはそう誓うと早速、机に向かって研究を開始した。

◇ ◇ ◇

 そして、二日後。
 クレール伯爵家当主のローランは再びセリアの研究室を訪れようとしていた。

(セリアちゃん、大丈夫かな。なんだか少し元気がなさそうだったし、研究を続けたい気持ちは理解できるんだけど、研究内容が研究内容だ。行き詰っているんだろうか?)

 ローランは扉の前でそんなことを考えると、深呼吸をして扉をノックする。

「…………セリアちゃん、いるかい?」

 数秒経っても返事がないので、ローランは室内に聞こえるよう声を出した。

(いない……のか? この時間なら学院の講義は終わっているはずなんだが)

 困り顔で頭を掻くローラン。明日の午前中には帰らないといけないので、今日を逃すと次に会う時間を捻出するのは難しくなってしまう。

「鍵は……開いているな。…………セリアちゃ~ん。開けるよお」

 ローランは思いきって扉を開けると、恐る恐る室内を覗く。ダンディな髭を生やした壮年の厳めしい男性が十代の少女の部屋を覗きこむ姿は危険な雰囲気を醸し出しているが、部屋の奥で椅子に座って机と向き合っている娘のセリアの背中が見えるとほっと息をつく。

「なんだ、いるんじゃないか。セリアちゃん、パパが来たよ」

 安堵の息を突くと、室内に入ってセリアの背中に声をかけるローラン。しかし――、

「………………」

 セリアは研究に集中しているのか、黙々と机に向かっていた。

「おっふ、まさかの無視。パパ、ショック。はっ、まさかあまりにも結婚を急かしたから、怒っているのかい!? 遅れてきた反抗期なのかい!? しかし、それはセリアちゃんのことを思えばこそだからなんだ!」
「ん? あら、騒がしいと思えば。いらしたんですか、お父様? すみません。気づきませんでした」

 ローランが胸を抑えて苦悩していると、セリアがしれっと後ろを振り返る。

「う、うん。今来たところだよ」

 セリアとの温度差に、ローランはやや気恥ずかしそうに答えた。

「そういえば一週間後にまたいらっしゃると仰っていましたものね」
「……はは、パパとの再会は別に楽しみでなかったと」
「いえ、まあ……研究に打ち込んでいたもので」

 と、セリアはやや後ろめたそうに答えを濁す。

「くっ、否定しないのか」

 ローランは大仰に落ち込んでみせた。だが――、

「ところで時間が惜しいんですが……、用件は何でしょうか?」

 セリアはまともに取り合わず、急かすように尋ねる。

「言っただろう? 結婚のことだよ。少しは真剣に考えてくれたかい?」

 ローランは苦笑して用向きを打ち明けた。

「……そうですね。ええ、考えましたよ」

 セリアはじっとローランの顔を見つめると、深々と頷く。

「じゃあ、聞かせてもらおうか。座らせてもらうよ」

 ローランはそう言うと、応接用の椅子に座った。すると、セリアも応接用の椅子に移動し、ローランと向き合う。そして――、

「言い繕っても仕方がないので、結論から申し上げます。やっぱり私、まだ結婚のことは考えられません。今は研究に没頭していたいです」

 セリアは決然と自らの意思を告げた。

「まあ、そう答えるとは思っていたけど、そうか。やはりこうなるか。……婚約者を作らなくてもいいから、せめてお見合いくらいはしてみるつもりはない? 手紙で書いた通り、セリアちゃんにはたくさんの縁談が舞い込んでいて、中には人格に問題もなく将来有望な相手もいるんだけど」
「いえ。ですから、その……、お見合いをするくらいなら、その時間を研究に当てたいです」
「ははは、我が娘ながら、筋金入りの研究者気質だな。若い頃の自分を思い出すよ」

 答えにくそうに語ったセリアに、ローランは苦笑する。すると――、

「二年……せめてあと二年、時間を頂けないでしょうか?」

 セリアはおもむろに申し出た。

「二年、二年か……。その時のセリアちゃんはもう十九歳になっているよ?」

 一般に貴族女性の結婚適齢期は二十歳までとされている。別に二十代前半の貴族女性が結婚できないというわけでもないのだが、二十歳を超えた辺りから途端に縁談の数が減るのだ。その年齢になっても結婚していないということは、性格に問題があるのではないか、という偏見的な価値観が貴族社会に浸透しているからである。

「私が今何を研究しているか、ご存じですよね?」
「もちろん。人が保有する魔力の量を正確に測定する魔道具の開発だろう? 今のシュトラール地方の魔術水準では成功例のない難業(なんぎょう)だ」

 セリアが尋ねると、ローランは即座に頷いた。

「……手応えがないわけじゃないんです。二年、二年あれば実用化の目途が立つ……。そう思えるところにまでは、もうたどり着いています」
「ほう……」

 大きく目をみはるローラン。

「目立った功績を残せば、適齢期に関係なく、縁談は舞い込んでくるんじゃないでしょうか?」

 セリアは真っ直ぐとローランを見据えると、そんなことを言った。すると――、

「確かにね」

 ローランは頷きつつ、セリアを見つめ返し――、

(良い目をしている。根拠なしに虚勢を張る子じゃない。行き詰って引き返せないところまで研究にのめり込むのは阻止しなければと思っていたが、これはもしかすると本当に……)

 と、そう考える。

「……この一週間で随分と雰囲気が変わったね、セリアちゃん。何か好ましい契機でもあったのかな?」

 ローランは口許をフッとほころばせると、そんな質問をした。

「え? いや、別に、そんなことはないですけど……」

 セリアは図星を突かれ、ドキリとしながらかぶりを振る。

「隠さなくてもいいさ。目を見ればわかる……、なあ、セリアちゃん、やっぱり好きな男がいるんじゃないかい? そっち方面でいいことがあったとか」

 ローランは朗らかに語りだしたが、ややあって疑るように尋ねだした。

「だ、だからいませんよ! そんな相手!」

 セリアは顔を赤くし、上ずった声で否定する。

(その反応はいると言っているようなものだよ、セリアちゃん)

 ローランはそう考え、嘆息すると――、

「わかったよ。二年間、セリアちゃんの研究を見守ろう」

 腹を決め、セリアの背中を後押しした。

「……よろしいんですか?」

 存外あっさりと出た許可に、セリアは意外そうに目を見開く。

「ああ。可愛い娘が結婚して誰かに嫁ぐのは確かに複雑だが、結婚しない貴族女性の未来が明るくないことを知っている以上、結婚が遠のくのを黙って見守るのは辛いものがある……と、そう思っていたんだけどね。研究の成果が出てセリアちゃんが喜ぶ顔を想像したら、まだ素直に応援していたくなった。セリアちゃんを信じるよ。前人未到の偉業を成し遂げてみせるといい」

 と、ローランは穏やかな笑みをたたえて語った。

「は、はい! ありがとうございます!」

 セリアは嬉しそうに笑みを咲かせ、ローランに礼を言う。

「それに、セリアちゃんに意中の相手がいるのなら、結婚を急ぐ必要もないしね。紹介したい相手がいるなら、一度連れてくるといい。私が直々に会ってセリアちゃんに相応しいか判断を下そう」

 ローランはそう言うと、ニッと笑みを刻む。

「だ、だから、そんな相手はいませんから!」
「ははは、まあいいさ。セリアちゃんにいずれは結婚する意思があるのならね」

 泡を食うセリアに、ローランは愉快そうに笑う。その後はしばし親子二人で水入らずの時間を楽しむことになった。
 そして、セリアの研究は見事、二年以内に一定の成果を残すことに成功する――のだが、それはまた別の話。
 
 
 了

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