7.「消えない冗談」

作者:坂本一馬

いくら家族とはいえ、一緒に裸で風呂に入るなんてことは長い(あいだ)していない。それにさっき告白しかけたせいで、どうしたってエリーを意識してしまう。
 だが、武雄の方はいたってマジメな判断のもと言ってくれていた。

「お前ら如月トリオは人目についちゃ不味いだろ? だからって、せっかくの温泉に入れないのももったいないし、家族用の貸し切り露天風呂を開けさせた。時間はきっかり一時間だ。風呂から出たら晩ご飯も部屋に運ぶから楽しみにしてくれ」

 武雄が口にした晩ご飯という魔法の言葉で、蓮に抱きついていたエリーとレイアが元気良く立ち上がる。

「ご飯運んでくれるの!? 変な人って良い人なんだね!」
「武ちゃん! ご飯のおかわり出来る!?」

 色恋沙汰より食欲を優先するのは、蓮を信じているのか、蓮よりも食事の方が大事なのか、分からなくなる。

(うぅ、ドキドキしてるの俺だけか……)

 仕方無いと知りつつも、蓮は少しご飯を相手に嫉妬した。
 とはいえ、この結末もある意味、蓮とエリーにとってのいつもの日常だ。
 おかわりとか、お腹空いたと言わないエリーはエリーらしくなさ過ぎる。
 そういう意味では、武雄の邪魔も案外悪くなかったのかも知れないと、蓮は呆れて笑うしかなかった。少なくとも、いつも通りに振る舞っていられるのだから。

「それじゃ、若、場所まで案内頼めるかな?」
「任せろ大将。元からそのつもりよっ!」
「イヤミが通じねえ!?」
「残念だったな大将。その呼び名には慣れてるのさ」

 親指を自分に向けて立てた武雄が自信満々に言い切った。逆に大将と呼ばれる蓮の方が困惑しそうだ。そして、武雄の相棒であるハルトがさらに拍車をかけていく。

「さすがでございます。若様」
「ハルトまでノリノリだ!? しかもムダに似合ってる!」

 蓮は今すぐ従業員として働けそうなほど美しいハルトのお辞儀と演技がかった口調に、たまらずつっこんだ。
 だが、すぐにもっと戸惑うことが起こるとも知らずに、蓮はエリーとレイアを連れて武雄についていく。
 木で出来た階段と廊下を渡り、旅館の端にあった家族用露天風呂の入り口に立つ。
 緊張感はどうやらエリー達の食い気のおかげで吹っ飛んでいる、と思って息を吸い込んだ時だった。
 武雄が蓮の肩に手をポンと置いたのだ。

「家族が一緒に入る露天風呂なんだが、たまにカップルが使ってる。見る度に爆発しろと思ったが、大将に関してはさっきの詫びだ。タップリ拝んでこい。――だからな」

 耳元で囁いた武雄の答えは婉曲な言い回しだったが、しっかり蓮にも理解出来た。
 混浴だからな。と言われれば、拝む物は一つしかない。

「おまっ!?」
「くっ、あはは。大将良い反応したな。安心しろ。お湯は濁り湯だし、残念ながらそうそう見えねぇさ」
「……そうか」

 ガッカリしたのかホッとしたのか複雑な心境で蓮がため息をつくと、後ろからエリーが蓮の腕に抱きついてくる。
 浴衣の生地が薄いせいか、いつもよりエリーの体温と柔らかな物を感じられて蓮の心臓が一段と跳ねた。

「武ちゃん何の話し? 濁り湯がどうこう言ってたけど」
「温泉の質さ。肌がすべすべになるとか美人の湯だかで有名なんだぜ」
「おー! アニメとかで良く見るけど、本物は初めてだから楽しみだなー。謎の光照射装置とか、身体の一部にまとわりつく謎の粘着性湯気(ゆげ)があるの?」
「さすがにそれはねぇな。濃い湯煙はあるけど」
「気の利かない方の湯煙(ゆけむり)なんだ! 楽しみかも」
「おう、うちの湯を満喫してくれ」

 蓮のドキドキなど知らないようで、エリーが温泉についてやけに偏った知識を披露し、聖地巡礼でもしているかのような楽しそうな様子を見せている。
 いつエリーが混浴ということに気がつくのか、蓮は気が気では無かった。
 一緒にお風呂に入った記憶は、八年くらい前までさかのぼらないと無いかもしれない。
 もちろん、その時の光景はちゃんと思い出せるせいで、エリーの浴衣越しにあられもない姿が勝手に想像されてしまった。
 こんな状態で冷静さを保てる自信なんてないのに――。

「それじゃ、ごゆっくり」

 ハルトが開けた扉に向かって、武雄に背中を押されて中へと押し込まれた。
 中は内側から鍵をかけられる脱衣所になっていて、衣服を入れるカゴと、大きな鏡とドライヤー等のアメニティグッズだけしかなく、仕切りの一つも無かった。
 裸を見られても構わない間柄で使う場所なのだから、当然と言えば当然なのだろう。

「蓮どうしたの? そんなに緊張して」
「いや、だって、ほら」
「一緒に入っても私は構わないよ? あ、レイア、服は床じゃなくてそのカゴの中にいれてね」

 全く動じている様子の無いエリーに蓮はポカンとしてしまった。
 どうやら自分一人で勝手に緊張していたらしい。
 しかも、レイアは蓮が目の前にいるのに構わず一糸まとわぬ姿になって、蓮を真正面から見つめて首を傾げている始末だ。
 エリーに比べて、あまり成長していない身体付きだが、肌は驚くほど綺麗で、美人の湯などに頼らなくても十分魅力的に見えた。将来性もエリーを見ればバッチリあるだろう。

「蓮兄どうしたの? 入らないの? お姉ちゃんがこのお風呂は家族で一緒に入れる広いお風呂ってさっき教えてくれた。家と違って広いから、エリ姉だけじゃなくて蓮兄も入れるんだよね?」

(……エリーの奴、気付いてたんだ)

 実は、家でもレイアにお風呂の世話をねだられていた。
 だけど、家のお風呂が狭いから、エリーとしか入れないと断っていたのだった。
 だから、お風呂さえ広ければ三人一緒に入れるというのは、レイアにとっては筋の通った理屈だったのだろう。
 本当の理由は女の子と入るのが気まずいからだったのだけれど、今更本当の理由は伝えられない。

「家族のお風呂なら、お兄ちゃんの蓮兄も入るんだよね?」
「そうそう。お姉ちゃんの私とお兄ちゃんの蓮とレイアは家族だからね。一緒に入っても問題無いよ。家族向けのお風呂なんだから。それに、さっき浴衣に着替えた時も同じ部屋にいたんだから、服を脱ぐぐらい今更気にしないよ?」

 蓮が一緒に入ることに対して何の抵抗もない二人に、自分一人だけ緊張していたのが段々とバカらしく感じてきた。
 エリーの言う通り着替えだって同じ部屋でしたのだから、何も恥ずかしがることは無い。
 蓮は自分にそう言い聞かせると勇気を持って、エリー達とは反対側のカゴの前に立った。
 背中越しにスルスルと布の()れる音が聞こえると、どうしてもエリーの姿を想像してしまい、つい振り向いてしまいたくなったが、蓮は鋼の自制心で衝動を抑え込んだ。

「先にレイアをつれて中に入ってるねー。あ、シャワーと外湯(そとゆ)は扉で仕切られてるんだ」
「う、うん、頼む」

 そうして、蓮は先に入ったエリー達の使うシャワーの音が止むまで待ってから、身体を洗い終えると、高鳴る鼓動を押さえて浴場へと足を踏み入れた。
 目の前は夕焼けの沈む海が広がり、白く濁ったお湯から湯気が立ち上る。
 小高い山の上から海を一望するような景色の中、ヒノキで作られた十人は余裕で入りそうな広い浴槽(よくそう)
 最高の贅沢とも言えるお風呂環境だったが、聞こえるのは波の音ではなく、バシャバシャと水が跳ねる音だった。

「やっほー蓮。早くおいでよ! すごく気持ちいいよー」
「蓮兄も泳ごうよー。広いよー」

 だが、待っていたのは色気も何もない子供のように湯船の中で泳ぎ回る姉妹だった。

「風呂で泳ぐなよ……。いいか、温泉とか銭湯という場所ではだな!」

 ドキドキのお風呂がいきなり小言に変わったことに、蓮は酷く狼狽(ろうばい)した。
 色気も風情もあったものではない。
 だが、ある種の諦めとともに蓮もお湯に浸かると、そんなことはどうでもよくなった。

「温泉とか何年ぶりだろ……」

 気持ちよすぎて思わず目を閉じてしまうほどだ。
 とろりとしたお湯に身体の芯から温められていく感覚。やわらかな何かが身体を包み混んでいき、身体から力が抜けて動かなくなっていくような重さと、柔らかな毛がふれたようなくすぐったさが訪れる。

「ん?」

 途中から感じる感覚は明らかに温泉らしくない。そう不思議に思って目をあけると目の前に見慣れた銀髪が現れた。

「蓮兄、あったかいね。レイアこんな気持ちいいのはじめて……」
「レイア!?」

 レイアがいつものように蓮の膝の上に座っている。というよりも完全にだらけきって蓮に身体を預けてきていた。

「本当だねー。お姉ちゃんも初めてかも」

 そして、右肩にはエリーが頭を乗せて寄りかかってくる。
 泳げるほど広いお風呂だと喜んでいたのに、目をつむった瞬間密着されたことに蓮は思考がついていけなかった。
 それに、いつもある布の隔たりもなく、肌の感覚がダイレクトに伝わってくる。
 美人の湯と聞いてはいたが、いつも以上に触れる肌がやわらかく、もちもちしていた。
 身体が熱いのはきっと温泉だけじゃなくて、触れあう二人の体温のせいかもしれない。
 そんな状況で、蓮が視線をわずかにエリーの方へと向けると、白い湯の中に張りのある二つの丘が浮いていた。

「えへへー。蓮の顔真っ赤ー。どこ見てるのかなー?」
「エリーお姉ちゃんだって赤いじゃん……」

 あまりの恥ずかしさに昔の呼び方が飛び出した。
 そう言えば、昔一緒にお風呂に入ったときも同じ事を言い合ったかも知れない。心の持ちようは随分と変わったのが、酷く恥ずかしく感じてしまう。

「そりゃそうだよー。久しぶりに蓮と一緒にお風呂入るんだから、恥ずかしいに決まってるよー。お姉ちゃんでも女の子なんだから」
「……何で恥ずかしいのにそんなこと出来るのさ」

 とても恥ずかしがっている人の言う台詞じゃない、とは言えず、蓮は言葉を濁した。
 けれど、こういう時のエリーはいつだって蓮をドキドキさせてくる。

「大好きな蓮と思い出いっぱい作りたいからに決まってるよ。神器が飛び出すんじゃないかと思うほどドキドキしてるけどね。胸、触って確かめてみる?」
「マジで神器が出たらヤバイから止めとく……。お湯が全部流れるから……」

 恥ずかしげもなく言い切ったエリーの胸に、蓮は思わず自分の手を伸ばしそうになった。
 でも、手を動かすとエリーの頭が肩から落ちそうで、手は止まってしまった。
 今の寄りかかられている姿勢の方がエリーに甘えられている感じがして、嬉しかったせいかもしれない。
 きっと、エリーの胸に触れるより、こうして、エリーの力になれている方が良いと、蓮は自分に言い聞かせ続けた。

「あのね、蓮兄、エリ姉、蓮兄が入ってくるまでお風呂の隅っこで変な踊りを踊ってた。小刻みにジャンプする変な踊り」
「うにゃっ!? レイアそれ言っちゃダメ!」
「レイアに大丈夫かな? 変な所とかないかなって何度も確認してきた。答えるのが面倒になったからレイアは泳いで無視したら、お姉ちゃんも真似してきた」
「お……お姉ちゃんの威厳と余裕が……」

 もうとっくになくなっているような気がしていたが、威厳を保とうとするエリーに蓮は苦笑いする。
 威厳なんてなくたって、尊敬しているし、憧れている。そして、好きだ。

「俺は……威厳なんかなくたって、エリーのこと好きだよ」
「へ? えっ!? えぇ!? 蓮今何て言ったの!?」

 蓮自身も言葉にしたつもりのない不意打ちに、エリーが飛び起きて目を白黒させながら叫んでいる。叫び終わった後も何か言いたいのか、生まれたままの姿なのも忘れて、両手を胸の中心にあてて口をパクパク動かしていた。
 普段見ることの無いエリーの動揺した姿に、蓮も自分の言ったことに気がつくと、思わず口を手で覆い隠してしまった。
 そんな蓮達の動揺をレイアは不満そうに見つめている。

「蓮兄、レイアのことは好きなの?」
「へ、あ、うん、も、もちろんだよ」
「それじゃー、ご飯が欲しい。まだならチョコが欲しい。お腹空いたよ蓮兄。先あがって待ってるからー」

 何とも断りにくいおねだりの仕方でレイアが風呂から上がり、とてとてと脱衣場へと走って戻っていく。
 マイペースに振る舞う妹を見た姉と兄は、レイアの姿が見えなくなってから揃ってぷっと噴き出した。

「エリーもお腹空いただろ?」
「な、なんか誤魔化された気もするけど、お腹空いたのは本当かも……」

 いつも通りのやりとりを済ませ蓮が立ち上がると、レイアが膝の上に乗り続けたせいだろうか、強烈な立ちくらみで思わずよろめいた。
 しかも不運か幸運か、倒れた先はエリーのいる場所で――。

「あっ……」
「蓮!? きゃっ!?」

 派手な水しぶきとともに二人が一緒に湯の中へと倒れ込む。
 しりもちをついたエリーの上に蓮が被さり、鼻が触れあう。そして、蓮の手はしっかりエリーの胸に触れていて、驚くほど素早く鼓動を打っているのが伝わった。
 そのまま数秒が過ぎたが、その間二人は驚きのあまり、無言のまま動けなかった。
 けれど、蓮が止めていた息を吸うと、ようやく状況に頭が追いついたのか、二人は慌てて背中合わせになるよう振り向いた。

「ご、ご、ごめんっ! エリーお姉ちゃん大丈夫だった!?」
「だ、大丈夫。蓮の方こそ大丈夫? 立ちくらみしたみたいだけど、のぼせてない?」
「だだだ、大丈夫。あ、あ、ありがとう。おかげで怪我せずに済んだよ。お、俺先に出るね!?」

 温泉の湯気が自分の頭から出ているのではないかと思えるほど、蓮の頭が熱くなり、耐えきれなかった蓮は逃げるように風呂から飛び出した。
 そして、一人温泉に取り残されたエリーは自分の頬に手を当てて、壊れた玩具のように同じ言葉をつぶやき続けるのであった。

「押し倒された……押し倒されちゃった……。蓮が裸で裸の私を押し倒した? これが既成事実? えへへ……ぶくぶく」

 そして、数十秒間エリーは湯の底に沈み続けていた。へにゃへにゃに(ゆる)んだ頬がもとの顔に戻るにはもっと長い時間がかかった。

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