第一章 大川触手捕物帳 其の一
侍の時代が終わり、明治維新を迎えたのが今から百五十年前。
そこからさらに四、五十年ほど遡ると、幕府の崩壊が始まり血風吹きすさぶ寸戦の、最後の平穏な時代。
江戸の町人文化が爛熟した文化・文政期となります。
様々な文学、木版摺技術の発展から生み出された錦絵、歌舞伎に浄瑠璃などの歌舞音曲。
その芳醇な娯楽性は、現代のエンターテインメントと較べても遜色ないどころか、今では世界的に評価されている傑出した才能を数多く輩出しました。
そんな江戸の片隅に、もう二百年もの間、天下泰平の世を貪っているとんでもない怠け者がおりました。
◆ ◆ ◆
後に隅田川と呼ばれることになる大川の桟橋に、元はさぞかし金銀漆の装飾で立派だったであろう、くたびれた様子の屋形船が浮かんでいます。
その船内座敷の上座に、大徳利を傍らに置き、昼間から大盃を手にした“鬼”が座っていました。
見慣れぬ形の白の江戸小紋からは、日焼けした人足よりなお浅黒い肌が胸の半ばまで見えてしまっておりますが、当人はどこ吹く風。
下も褌一丁で、見たいのならば見るがいいとばかりに胡坐をかいています。
「ほくしゃーい、ばっきー、ほら早くおしもにござれ~。よっしーもよく来たねぇ~」
鬼が、桟橋から船に乗り込んだ三人の男に呼びかけます。
一人はギラついた眼をした老人、一人は身なりの良い初老の文人肌、後ろに控える一人は擦り切れた羽織で目一杯めかし込んだ若者でした。
まずは老人が六尺もある長身を屈めてぬ~っと座敷に分け入り、畳上に散乱する読本や艶本をお構いなしに踏みつけて進み、鬼の右手前にどっかと腰を下ろします。
続いて初老が立礼してから敷居を跨ぎ、足元の本を拾い集めて壁際に読本と艶本の二山を作り、鬼の面前に膝を着いて、深々と頭を垂れました。
「御隠居様、御無沙汰をしております。本日はまた格別の御配慮を賜り、誠に忝く存じます。今回は九年酒に致しました」
そう言って大和屋又商店の通い徳利を差し出す様子を横目に、鬼の傍らの箱を勝手に開けて大福餅をつまみ出した老人がボソリとこぼします。
「堅っ苦しいのは変わんねェな、左七」
「鉄蔵。お前さんも先生だ、名人だと持て囃されているのだから、いいかげんに道理をわきまえなさい」
初老は鬼の左手前に身を移し、老人と相対するように座ると、鬼に差し出された茶碗を緊張の面持ちで受け取り、鬼が傾ける大徳利が当たって万が一にも欠けたりせぬよう気を配ります。
最後に若者が「失礼しやす」と頭を下げ、敷居を跨ぐなり天井を見上げて「うおっ!?」と仰け反りました。
そこには天井いっぱいに、艶やかな色遣いで大鳳凰図が描かれていました。
「こいつが噂の、退屈様の御座船に北斎先生が描いたってぇ天井画ですかい!」
「茶菓子代で描かされただけだ。それにここにゃあもっと飛び上がるモンがあるぜ。奥の襖絵を見てみな」
北斎先生と呼ぶ老人に顎で示された先、船内座敷の奥に堆く積まれた本や錦絵の山を掻き分けて襖絵を目にした若者は、たちまち尻餅をついてしまいました。
「たっ!? たた…俵屋宗達に尾形光琳!? こっちにゃあ狩野派のお歴々がズラリって、いってぇなんなんだこの船は!?」
老朽化した屋形船の外観からは思いもよらない、それはまさに水上の動く美術館。
江戸初期以来の当代無双の芸術家たちが、余興と称して辣腕を揮った、知られざる名画の数々でありました。
さらに、柱の短冊は松尾芭蕉。
先ほどから老人が箱ごと抱え込んで食べている、大福餅を入れた蒔絵箱は本阿弥光悦。
鬼が気軽に扱っている大徳利は野々村仁清。
初老が両手でしっかと包み込んでいる茶碗は尾形乾山。
本や錦絵が散乱する屋形船の十二畳ほどの座敷に、天下の大名品がみっしりと詰め込まれているのです。
江戸八百八町で「退屈様」と人の呼ぶ無役旗本、怠惰の魔王ベルフェゴール自慢の汚船でありました。
【其の二は8月3日更新予定です】