第三章 慈眼大師と魔王の契約 其の二
「確かにその通りじゃん。七つの美徳も七つの大罪も、純粋なる信念と欲望の体現者だ。それを曲げたら天使でも魔王でもなくなる。
アンタの矜持、よくわかった。ならば本気で応えるのが天使の礼儀さね!」
翼を広げ、頭上に光輪を浮かべ、両手を輝かせる節制の天使。
対する怠惰の魔王も、不敵な笑みを見せると、大きく息を吸いました。
「節制の天使よ。我が奥の手、存分に味わうがいい。すぅぅ~……、さた~ん、たちけてぇぇぇ~~~!!」
ドォォォ~~~ンンン!!
天井を突き破り、紅蓮の鎧を纏い大斧を構えた赤鬼が、奥座敷に降り立ちました。
「憤怒の魔王サタン!?」
地獄最強の魔王の降臨に、さしものラファエルも狼狽えます。
「キッタネェ!! 何が『我をどかせたいのなら、力ずくで来るがいい』だよ! こんな強い助っ人頼むなんてルール違反じゃん!!」
「そっちがケンカ吹っかけてくるから悪いのねん! 正当防衛だお!」
「どこが正当だよ、このクソニート!!」
「コギャルなんか返り討ちにしてやるお!」
「「や~っ!」」
ぺしぺしぺし。
「今日はこのくらいでカンベンしてやらあっ!」
「おみゃ~こそ命拾いしたのねん!」
「「あばよっ!」」
江戸を舞台とした聖魔戦争の緒戦は、両者痛み分けに終わりました。
一部始終を見届けたサタンが、地獄まで届きそうな深い溜息を吐きます。
「ベルフェゴール卿、ご自身で対処することを憶えてほしいのだが……」
「え~、働きたくないでござる~」
なんのために呼ばれたのかよくわからないサタンが地獄に帰った後、大穴の空いた天井の下で、改めてラファエルとベルフェゴールが向き合いました。
「実際問題、魔王クラスが地上界に長く留まれば、おかしなものが集まってくる。平和な都もいずれ魔都になるぞ。いいのか?」
「江戸はきっと、世界一の大都市になるお。ひとも何十万人も集まるから、集まる欲望だってすごいことになるのねん。そのままほっといたら、むしろ手が付けられなくなるから、わたしのもとに集めてポイするんだお~」
「魔王が瘴気を吸い寄せる特性を活かして、都を守ろうってのか!? アンタどんだけ地上界が好きなんだよ!?」
「ひとといっしょに暮らしてみればわかるお。神はひとに絶望すると文明を滅ぼすけど、魔王はひとが自滅したら、最期の瞬間まで寄り添って、いっしょに地獄に堕ちるんだお~」
天使の優しさは、神の御心に都合の良い者にだけ与えられる。
異教徒、悪人、さらには貧しき者すら「いないもの」とされることがある。
ラファエルが常々感じていた、天使であるが故に無条件の愛を与えられないもどかしさを、魔王は軽々と超えていく。
堕落が愛ではないことはわかっていても、愛をもって厳しく律するより、優しい欲に溺れさせたほうが人はしあわせなのではないか……?
江戸は将来、世界一の享楽の都にさえなろう。
しかも、神の御心が――少なくとも、“七つの美徳”が奉ずる神の御心が広く届かなくとも、寛容なる文化が人々を笑顔にするだろう。
神がそれを赦さず、文明を滅ぼせと命じたら、天使は従うのか。
忠義を掲げて江戸の町を焼き尽くそうとする天使を、自分は見過ごすのか、止めようと立ちはだかるのか……。
「天界にも都合があるから、魔王を見逃すことはできない。だから、アタシがアンタの命を狙うことにする。アタシの任務になるから、他の天使がこの件に介入することはなくなる」
「ほいで、わたしを殺すのん?」
「努力目標としてね」
「天使のくせに、怠け者なのねん」
「ま、そんな訳だから、アンタを殺すまでアタシもこの町に居着くよ!」
「そいなら、名前もこの国風にしなきゃなのねん。……わたしが助けられなかったひとの名にちなんで、ラファえもんって呼ぶお」
「助けられなかったひとって、縁起でもない名前つけんなっ!」
その後、加納御前こと亀姫と、慈眼大師こと天海が亡くなりました。
高齢ゆえ、さほど不審に思われることもありませんでしたが、亀姫は窒息死、天海は心筋梗塞でした。
「息をするのもめんどくしゃ~い」
「心臓動かすのもめんどくしゃ~い」
【次回第四章其の一は10月5日更新予定です】