第一章 大川触手捕物帳 其の二

作者:設楽英一

 第一章 大川触手捕物帳 其の二

「おい。鉄蔵の画は真似ていいが、不作法まで真似るんじゃないよ。まずは挨拶をなさい」
 四つん這いになって襖絵に食い入る若者を、初老が(たしな)めます。
「おっと、こいつぁいけねぇ!」
 慌てて退屈様の前に両手をついた若者が、畳に額を擦りつけました。

此度(こたび)は若輩の身に格別の思し召しを賜り、光栄の極みに存じ奉りやす。歌川豊国門下、歌川国芳(うたがわくによし)でごぜぇやす。(かしこ)くも葛飾(かつしか)北斎(ほくさい)先生並びに曲亭馬琴(きょくていばきん)先生の後塵を拝して御隠居様に御意を得る――」
「国芳、クドい! それにこいつァな、徳川に二百年も居候してるってェ厄神(やくじん)だ。敬うようなモンじゃねェ」
「え~、厄神はヒドいお~。わたしはちゃ~んと、それだけのことをした見返りに、朝から晩までごろごろさせてもらってるんだも~ん。それと、お菓子はみんなで食べるんだから、ひとり占めしちゃダメだお」
「旗本がケチくせぇこと言ってんじゃねェよ」
「ほくしゃいは足がくしゃい」
「なにをぅ!? 風呂なら七日めぇにへぇったばっかりだ!」
「ほくしゃいくしゃ~い」

 顔を上げた国芳は、偏屈で知られる葛飾北斎が退屈様と幼稚な罵倒を仕合う様を目にし、驚くと共に頬を緩ませます。
「おい国芳、なに笑ってやがるッ!! とっととこっちへ座りやがれ!!」
「へ、へいっ!!」

 慌てて立ち上がり、北斎の右隣に着座する国芳ですが、してやったりの北斎と苦虫を噛む馬琴を見て、はたと気づきます。
 国芳は北斎寄りか馬琴寄りか。互いに江戸を代表する作家となった北斎と馬琴は、些細なことでもマウントを取りたがる、そんな間柄のようです。

 空気を読んだ国芳が、慌てて正面の馬琴に話しかけます。
「退屈の御隠居様といやぁ、噂じゃ天下分け目の大合戦で徳川様にお味方したなんて言われておりやすが、馬琴先生は信じてるんで?」
「関ヶ原だけじゃねェぜ」
 北斎がすかさず口を挟みました。
「このベロ公はな、徳川に天下を盗らせた正真正銘の守り神だったのよ。それが今じゃあ厄神だ。東照神君も日光でお嘆きだろうぜ」

 俄かには信じがたい話に、国芳が生真面目な馬琴に目をやると、馬琴も国芳の目を見据えて頷きます。
「あたしだって半信半疑でしたよ。だがね。あたしは御隠居様と出逢って二十年になるが、あたしが歳を取っても、御隠居様は一向に歳を取らないんだ。
 あたしだけじゃない。五代目(だん)十郎(じゅうろう)もおんなじことを言っていた。もっと言やぁ、初代團十郎の頃から姿形が変わってねぇって話だ。不老不死ってものを目の前に出されりゃあ、お前さんも信じるようになるさ。それにね――」

 馬琴の話の腰を折るように、障子が勢いよく開け放たれました。
 慌てて振り向いた国芳は、外の陽の光だけではない眩しさに一瞬目を細め、続いてそこに立つ天女に目を奪われます。

 巫女のような白衣と、異様に丈の短い緋袴(ひばかま)。僅かに覗く舶来の下着。
 むっちりとした太腿が大胆に露出する、得も言われぬ格好の、それはまさしく天女でした。

「よっ! 北斎に馬琴、久しぶりじゃん! それに、アンタが麒麟児って噂の歌川国芳だね!」
 まだ少年の面だちを残す国芳はともかく、北斎や馬琴が天女を前に居住まいを正したのを見て、鬼がぷうっと頬を膨らませました。
 自分の半裸姿には無反応だったくせに、と。

「ラファえもん! 給仕が済んだらとっとと出てくお!」
「らふぁ衛門!? ってこたぁ、この御方ぁ陰間(かげま)なんですかい!?」
「このすっとこどっこい! こんな立派なおっぱい持ってる女装男がいるかってんだ!」
 天女が頓珍漢(とんちんかん)な疑問を口にした国芳の鼻先に、ずいと胸を突き出すと、桃源郷から吹く風のような芳香が国芳の鼻腔へ押し寄せました。

「これ、失礼があってはならないよ。この御方は、まぁわかりやすく言えば、西洋の極楽浄土に七人おられる天女様のお一人だ」
「節制の天使ラファエル。ちゃんと憶えるんだぞ、未来の大浮世絵師!」
「へ、へい! で、その天女様と退屈様は、どういったご関係で?」
「天使が地上界に来て、やることっていえばひとつさ」
 天女は大きな目を細めて鬼をチラリと見ると、国芳に宣言されました。
「魔王退治。アタシはベルフェゴールを殺しに来てるんだ」

【其の三は8月10日更新予定です】

作品応援ボタン(1日1回)応援コメントを書く