第一章 大川触手捕物帳 其の四

作者:設楽英一

第一章 大川触手捕物帳 其の四

 翼を広げたラファエルがひとつ羽ばたくと、ふわりと身体が浮き上がり、たちまち三丈(10m)も飛び上がりました。
 真下にいた国芳は、天女の短い緋袴と下に着けた舶来下着、その緋と白のコントラストに目を奪われます。
「これぞまさしく、絶景かな、絶景かな!」
「バカッ! パンツじゃなくて周りを見なさい! 死ぬわよ!」
「え? うひゃあっ!?」
 国芳が視線を川面に落とすと、烏帽子亡者が船縁に取りつき、骨の指を国芳に伸ばしているところでした。間一髪、後ずさって難を逃れる国芳。

「千早降る…(ここ)高天(たかま)の原なれば……集まり給え四方(よも)の神々……」
 ラファエルが宙で祝詞(のりと)を唱え、榊を東西南北に投げると、榊が川面に突き立ちました。榊を結んだ陣の内に、すべての烏帽子亡者が収まった格好です。

「第一(やり)の印にて、第二()の印にて、第三天結(てんけつ)の印にて、第四地結(ぢけつ)の印にて、第五(せん)の印にて、第六(ふう)の印にて、邪氣を滅し給え、天地陰陽行神(てんちいんようこうしん)變通力(へんつうりき)!!」
 陣内が一瞬光に満ち、目が眩んだ国芳が再びそろそろと目を開けてみると、辺り一面の烏帽子亡者が崩れ、水没していくところでした。

 あっという間に亡者を一網打尽にし、船に降りてきたラファエルを、国芳が船縁で迎え、拍手(かしわで)を打ち、手を合わせます。
「いや、さすがは天女様だ! 別嬪(べっぴん)で強くて、尻もたまらねぇ!」
「尻かよっ! それと、天使の力をここで使うと色々面倒だから、この国の八百万の神々の力を借りたんだ。アンタたちの神様にも感謝しときなさい」

「こりゃ~! よっしー、ひとの大事な壺投げちゃダメだお~!」
 ここまで奥で見物していたベルフェゴールが、ラファエルに媚を売る国芳に口を尖らせ、二人の間に割って入ります。
 そして外にお尻を向けると、長い尻尾を伸ばし、水面で留まる柿右衛門の花器を、尻尾の先の爪で掴みました。
「し…尻尾が生えてるぅ!?」
「あいだけオバケ見た後に、今さら尻尾で驚くのん? ラファえもんだって羽生えてるのねん」

 その尻尾に、突如水面下から伸びてきた触手がキュッと巻きつき、一気にベルフェゴールを川面へ引き込みました。
「はぎゃ~~~っ!? なんなのん!?」
 続いて巨大な髑髏が浮上し、眼窩(がんか)や骨の隙間から伸びる長い触手がベルフェゴールの全身に絡みついていきます。
「あ~、この前あった大川の神隠しって、きっとこいつの仕業ね」
「ラファえも~ん! 分析してないで助けるのねん!」
「え~。アタシ、アンタ殺しに来てるわけだし~。どうしよっかな~」

 ニヤニヤと眺めるラファエルの前で、ベルフェゴールの躰は今や触手で雁字搦めとなり、小振りな乳房も触手で絞り出されています。
「こっ…こりゃまた絶景かな、絶景かな……」
「国芳! ボケっとしてねェで骸骨を見ろ!! 骨一本、筋一本まで頭に叩ッ込め!!」
 振り向けば、北斎は鬼神の勢いで紙に筆を奔らせ、馬琴も何やら呟きながら筆を動かしています。
 要は誰一人、ベルフェゴールの身を案じる者はいませんでした。

「わかったお。そ~ゆ~つもりなら、わたしにも考えがあるのねん。すぅぅ~……、あの子とわたしでとりかえっこ~~~っ!!」
 突然の出来事に混乱したラファエルは、自分が触手に絡め取られている状況をようやく理解しました。
「……な、何が一体どうなったの……!?」
「秘術『立場大逆転』だお~。わたしも伊達に魔王と呼ばれてないのねん」
 先程までベルフェゴールをまさぐっていた触手が、今度はラファエルの胸元を肌蹴(はだけ)させ、下着の中へと潜り込んでいました。

「きゃああっっ!? たっ、助けてベルフェ!!」
「え~。さっきは助けてくれなかったのに~?」
「ごめんってば!! 謝るから助けてもががっ!?」
 口の中にまで触手を突っ込まれ、万事休すのラファエル。
「それじゃ~、いっこ貸しにしとくね~。わたしの奥の手を見るがいいお! すぅぅ~……、さた~ん、たちけてぇぇぇ~~~!!」

 ゴッ!! と川面に轟く破砕音。巨大な髑髏がふたつに割れて崩れ落ち、その向こうに戦斧を振り下ろした赤鬼が浮かんでおりました。
「……まさか、天使を助けるために呼び出されるとは」
「憤怒の魔王、サタン……」
 触手から解き放たれたラファエルが、裾を直しながら赤鬼を見つめます。

 一方、今回も秘術『魔王大召喚』で呼び出された上、対応まで丸投げされたサタンは、無駄と知りつつベルフェゴールに忠告するのでした。
「たまにはご自身で対処なされよ、ベルフェゴール卿……」
「え~、働きたくないでござる~」

 一件落着後、時は再び動き出します。
 宙で止まっていた水飛沫が川面を打ちますが、投げ込まれた壺は船内に鎮座していました。
 烏帽子亡者の群れや触手髑髏は、何の痕跡も遺していません。
 江戸の町に、いつもと同じ夜の帳が下りていきます。

「なるほどねぇ。こんな江戸のど真ん中なのに、誰にも気づかれねぇところで、退屈様や天女様は大捕物をしてたってわけですかい」
「江戸のような場所には、どうしたって(おり)が溜まる。澱が積もり積もれば、ああしたものを呼び寄せる。御隠居様や天女様が人知れずそれを拭ってくださるから、江戸は天下泰平を謳っていられるんだ」
「だから俺たちが描き遺すのよ! それがひとの役目ってもんだぜ」
 退屈、退屈が口癖の無役旗本、人呼んで「退屈様」。
 怠惰の魔王が退屈している限り、江戸は安泰のようでございます。


【第二章其の一は8月24日更新予定です】

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