第二章 長篠城に魔王現る 其の一

作者:設楽英一

第二章 長篠城に魔王現る 其の一

「よっしー、武者絵はうまいけど、美人画はまだまだだねぇ~」
 歌川国芳(うたがわくによし)に描かせた下絵を一瞥したベルフェゴールは、絵を突き返しながらとくとくと指摘し始めました。
「エロさが足りないのねん。フェロモンが滲み出てないんだお。こないだ大川でなに見てたのん?」
「え、えろさ? へろもん? そいつぁいってぇ、どういう意味で?」

 大川での一件より十日。国芳は江戸の東、本所吾妻橋(ほんじょあづまばし)にあるベルフェゴールの邸宅、中津藩(なかつはん)奥平家(おくだいらけ)下屋敷に呼び出されておりました。
 無役ながら禄高(ろくだか)四百二十石を食む旗本であるベルフェゴールは、江戸一番の草双紙(ラノベ)錦絵(イラスト)蒐集家(コレクター)であり、同好の士に屋敷を解放して交流の場(オタクコミュニティ)を作るなど、当時の江戸文化マニアの中心人物となっていました。
 そのベルフェゴールから摺物(すりもの)の依頼を受けた国芳が、何枚か描いてきた下絵を見せたところ、散々な評価を受けたのです。

 蕎麦(そば)一杯が十六文の時代に、役者絵が二枚で十六文、大判錦絵なら一枚二十文。それが量産品である木版摺錦絵の値段です。
 対して、趣味人が自費出版で作るのが摺物で、色も金銀箔押しまで使い放題。
 蒐集家同士の交換会で渾身の逸品を披露しようと、有名な浮世絵師も多く起用されました。
 とりわけベルフェゴールは目利きとされ、これと目を付けた若い絵師に自分の摺物を描かせると、選ばれた絵師は後年必ず大成したものです。

「よっしー、まだ女を知らないから女が描けないんだね~。なんならわたしの躰で男になってみるぅ~?」
 (まぶた)をしぱしぱと瞬かせ、親指を(くわ)えて自称(なま)めかしいポーズを取ったベルフェゴールが、国芳の胸を角でつついて挑発します。
「いやぁ、どうせなら天女様で男になってみてぇ(ボカチン!)あいたあっ!?」
 ベルフェゴールの尻尾が拳骨を作り、国芳の頭上で震えていました。
「ぷ~! 失礼しちゃうのねん!」

「ところで、こないだ北斎先生が退屈様のことを“徳川に天下を盗らせた正真正銘の守り神”と言ってやした。ありゃあ真実(まこと)なんで?」
「ほんとだお。話すとちょっと長いけど、聴きたい~?」
「是非に!」
「わかったお。きっかけは天正三年(1575)の長篠(ながしの)なんだお~」

    ◆ ◆ ◆

 三河国の東端、寒狭川(さむさがわ)と大野川の合流地点の断崖上にある要衝・長篠城。
 徳川領と武田領の境目に位置するため、激しい奪い合いが繰り返された城で、四年前に武田信玄の三河侵攻によって武田方の城になったものの、二年前に信玄が死去した間隙をついて、徳川家康が奪い返しました。
 現在は武田から徳川に寝返った奥平貞昌(おくだいらさだまさ)が、五百の手勢と籠っています。

 天正三年五月。貞昌の裏切りに激怒した武田勝頼は、人質である彼の妻や弟を処刑した上で、一万五千の大軍を率いて長篠城へ攻め寄せました。
 蟻の這い出る隙間もない包囲網を敷いた武田軍と、籠城する奥平勢。
 さらに武田軍が、長篠城のすぐ南にあって城内を見下ろせる鳶ヶ巣山(とびがすやま)に砦を築き、城の北側の兵糧庫を焼き討ちして奥平勢を苦しめます。
 包囲から既に二十日余り。連日の激しい戦闘と、糧秣(りょうまつ)を失った絶望感により、城内の将兵の疲労も肉体・精神共にピークに達していました。

「もうだめじゃあ~! おしまいじゃあ~!」
 二十歳の城主・奥平貞昌は、重臣たちとの妙案の出ない評議を中座すると、自室に戻るなり具足の胴を外し、夜具の上を転げまわりました。
 信玄が死に、家康には長女の亀姫を嫁にやると言われ、ならばと徳川に与したばかりに、武田に元妻と弟を殺されて、己と城の命運も風前の灯。
 降伏したところで、激おこの武田勝頼が許してくれようはずもありません。

 明日をも知れぬ命だからこそ、貞昌にはここ数日、(とみ)に励んでいることがありました。
 枕元に置いた厨子を開け、中から像を取り出すと、横になる貞昌。
 像は唐渡(からわた)りの荼枳尼天(だきにてん)だと貞昌は信じているのですが、半裸の鬼神が羽衣を纏い、踊っている姿なのです。
 また驚くことに衣服が外せる仕掛けがあるため、貞昌は不敬と知りながらも像を裸体にしては、男の欲望を吐き出して束の間の生を感じるのでした。

 極限状態でなければ有り得なかった、累計十三回目の視姦を終え、急激に冷静になった貞昌が後始末をしている時に、それは起こりました。
 突如像が輝き、目が眩んだ貞昌の視界がようやく戻ると、そこに像と同じ姿の鬼神が困り顔で立っていたのです。
「キミがあんまり邪神像でするもんだから、魔王召喚が成立しちゃったのねん」
 腰をぬかす貞昌は、腰のイチモツもしまい忘れて見入るばかりでした。


【第二章其の二は8月31日更新予定です】

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