第三章 慈眼大師と魔王の契約 其の一

作者:設楽英一

第三章 慈眼大師と魔王の契約 其の一

慈眼大師(じげんだいし)こと天海は知っての通り、陰陽五行思想に則って江戸の都市計画を進めた高僧だ。とりわけ鬼門と裏鬼門の鎮護には、細心の注意を払ってる」
「江戸城の鬼門に寛永寺と明神様、裏鬼門に増上寺と山王様ってね」
 ラファエルの言葉に、国芳が江戸っ子の常識とばかりに反応します。

「ところが、“鬼”が易々と結界を破ってきて、江戸城南、汐留の奥平江戸屋敷に棲みついたもんだから、天海の面目は丸潰れさ。しかも家康自らベルフェゴールに“徳川の守護神”のお墨付きを与えていて、幕府はむしろ好意的。
 そこで天海は一計を案じたのさ。鬼退治には神頼みってね!」

    ◆ ◆ ◆

「ミカ! ちょっと待てって!」
 魔を討つ刃「ラム・サン=ミッシェル」を抜き、(きず)や曇りを確かめ、再び鞘に戻す“忠義の天使”ミカエルに、“節制の天使”ラファエルが一旦落ち着けと声を荒げます。
「“怠惰の魔王”ベルフェゴール討伐。これは天界への正式な依頼だ。ならば天使長たるわたしが行くべきだろう?」

 突然天界に届いた、魔王退治の依頼。天界の長い歴史の中でも、東洋人からの依頼としては初めてのものでした。
日本(ヤーパン)からというのは驚いたが、問題はない。天海なる者は異教徒だが、娘のガラシャというのが日本で初めての殉教者だそうだ。その伝手から来た依頼だけに、了承されたらしい」
「それは一方的だよミカ! 調べたけど、ベルフェゴールは魔王としてちゃんと人間と契約してる! 道理が通らないのは天海のほうだし、この件に天界は関わるべきじゃない! 下手すりゃ聖魔戦争(ハルマゲドン)になるぞ!?」

 さすがにミカエルも、飛び立とうとした翼を一旦止めました。
「ならば無視するのか? 極東の拠点として育てている日本で、神の威光に影を差すことになるぞ?」
「アタシが行く。なぁに、うまくやって見せるさ!」

 ベルフェゴールは新たな棲家となった江戸屋敷で、かつてない充実した毎日を送っていました。
 慶長二十年(1615)の大坂夏の陣の後、元号が元和(げんな)に改められ、元和偃武(えんぶ)の宣言をもって百五十年続いた戦乱の時代は終わりました。
 徳川幕府が開かれた江戸には、全国から武士が集まるようになり、街づくりのために労働者の雇用も激増。爆発的な経済成長も始まります。
 さらに日本各地の言葉や風俗が入り混じる混沌の中で、江戸独自の文化が花開き、常にどこかで面白いことが行われている。
 地獄一の怠け者が、寝るのも忘れて毎日遊び回るほどに、江戸は魅力的な都へと発展していったのです。

 奥平家の軍配団扇紋が入った駕籠に揺られ、三日ぶりに帰宅したベルフェゴールは、駕籠が門前に着くや泥酔状態から覚醒。
 駕籠を担ぐ陸尺(ろくしゃく)たちに「あとはみんなで飲みに行っといで~」と金子を渡すと、一人で門を潜ります。
 盗人の侵入を防ぐ結界を張った屋敷内、その奥座敷に、背中に羽を生やした女が立っていました。

「キミのこと知ってるお。節制の天使ラファエルだよね」
「差しで逢うのは初めてかな、怠惰の魔王ベルフェゴール」
「ほいで、天使がなんの用なのん?」
「お願いがあってね。どうしても聞いてもらわなきゃいけないお願いが」

 突然、ラファエルがベルフェゴールに頭を下げました。
「何も言わず、素直に地獄に帰ってくれ!」
「や~。第一わたしはちゃんと人間と契約して、正当な権利をもってここにいるのねん。文句言われる筋合いはないお」
「アタシだって百も承知さ! でも、人のエゴは醜くて、用済みになった魔王を片付けるために、天界に泣きつくんだよ! 魔王退治を天界に頼んできたヤツがいるけど、その裏で誰が糸を引いてるのか、見当はついてるだろ!?」
「ほんと、執念深くてイヤになっちゃうのねん」
「放っておいても、どうせそいつは嫉妬の罪で地獄に堕ちる。問題は、そいつのために天使と魔王が戦わされることだ。ミカエルが来たら、問答無用で戦争になる。だからアタシが頼みに来たんだ。地獄に帰ってくれ!」

 ベルフェゴールは大きく息を吐くと、その場にどっしりと腰を下ろしました。
「戦いがイヤで、働くのも大っ嫌いなわたしが、信昌のお願いを聞いて家康にも手を貸して、やっと世界でいちばん平和な世の中を作ったのねん。
 毎日好きなだけごろごろしたり、遊び回っててもいい場所を、わたしが自分で作ったんだお。魔王が自分の欲望を放棄したら、存在する意味がないのねん。というわけで……」
ベルフェゴールの眼光から弛緩の色が消えました。
 「我をどかせたいのなら、力ずくで来るがいい」


【次回第三章其の二は9月28日更新予定です】

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