脱税未遂

作者:中田かなた

第3章 脱税未遂

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 金子幸子。あだ名はカネゴン。
 ぼくの元・幼馴染にして、自称ぼくの敵。
 敵と言っても、ぼくが彼女のことを敵視したことは一度もない。ただ、彼女があるときを境に、ぼくのことを一方的に嫌い、遠ざけるようになっただけのことだ。その辺の事情については、彼女の家庭の事情が――家庭の事業が大きく関わっているわけだけれど、詳細については割愛させてもらう。
 さて、なぜそんな彼女を紹介したのか。
 元だの自称だのというどうでもいい肩書きがついて、既に過去の人となってしまった彼女のことを何故紹介したのかというと――今現在、その金子幸子が、ぼくの目の前に再登場したからなのだ。

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 もう春休みが終わろうとしていた時期。
 ある日、彼女はぼくの家の前で待ち構えていた。
 自転車に乗っていた学校帰りのぼくを見つけるなり、彼女は仁王立ちしながら、愛想の無い第一声を上げた。

「会いたくなかったけど、仕方なく会いに来たわ」

 ぼくは不審者でもみるかのように彼女を一瞥すると、無視して自宅の敷地内に入り、自転車を置いた。言っておくが、ぼくは知り合いを無視するような人間味の無い性格はしていない。目の前にいた彼女とは、実に五年ぶりくらいの再会となるわけで、当然外見にも大きな違いが出てくる。
 つまり、ぼくは彼女のことを、本当にただの不審者だと思っていたのだ。

「源イズミ。私を無視するとはいい度胸ね」

 自分の名前を言われて、ぼくはようやく彼女を見た。

「私のことを覚えていないの?」
「え、ああ、久しぶり?」
「覚えていないようね。金子幸子よ」
「ああ、金子さん。言われてみればそうだね。金子さんじゃないか。本当に久しぶりだね」

 うっわ~、誰だっけこの人。
 金子幸子――聞き覚えのある名前ではあるのだけど思い出せない。

「覚えていないなら別にいいわ。それより、今日はアンタに頼みがあって来たの。私に租税のうふっていう人を紹介して欲しいんだけど、どう?」
「……は?」
「ほら、税金に詳しい人がいるんでしょ? だから、その租税さんに相談に乗ってほしいことがあるのよ」
「租税さんに相談?」
「詳しい話をする気はないわ。租税さんに取り次いでもらえるのかどうかを聞きたいの」
「それは、本人に聞いてみないと何ともいえないよ。それより、本人のところに直接行ってみたらいいんじゃないか?」
「嫌よ。私がのこのこ租税さんとやらの教室まで行って、租税さんに相談をしようなんてしたら、色々と勘ぐる人間がこの高校には沢山いるんだもの」
「ああ、そういうことか」

 このときになって、ようやくぼくは彼女が何者なのかを思い出した。
 金子幸子。通称カネゴン。ぼくの元幼馴染。
 彼女の家でおきたトラブルは、当時小学生だったぼくたちの記憶に色濃く残っている。金子幸子を含んだ仲良しグループは、遊びに行く前、いつも彼女の父親が経営している喫茶店に集合していた。集まった子ども達にはお菓子が振舞われ、彼女はいつでも人気者だった。

 でも、ある日突然事情は変わった。
 その喫茶店は、ある日を境に営業をやめてしまったのだ。
 普通であれば何か問題が起きたのだと察することは出来るだろうが、当時小学生だった彼ら彼女らは、持ち前の好奇心と無邪気さを以って、金子を質問攻めにした。それをさけてきた金子は徐々に孤立していった。

「色々と勘ぐっているみたいだけど、そういうのは後にして。私は、租税さんを連れてきて欲しいの。私の父がまた始めた喫茶店まで。理解できた?」
「一応、本人にそう伝えることは出来るけど、やってくれるかどうかは分からないよ」
「それでいいわ。連絡先を教えておくから、結果はここにメールで送って」

 金子は一枚のメモをぼくに押し付け、返事も聞かずに去っていった。

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 四月になり、ぼくは高校二年生になっていた。
 クラスメイトも大半が一新され、教室の中はぼくの知らない生徒が大半を占めていた。八つあったクラスが混ざっているのだから、当然といえば当然だ。ちなみに、新しい担任はオーストリア人と日本人のハーフらしく、アリアという西洋風の名前の人だった。
 さて、ここまでは重要度の低い導入部分だ。
 今日のところは、今後の予定などの説明を受けて、午前中で授業は終了。この後は任意で部活に行くことになる。今日の部活をどうするかについて、租税さんとは全く話をしていなかったけれど、とりあえずぼくは文芸部の部室へと向かった。

「やぁ、久しぶりね」

 やはり、租税さんは部室にいた。
 春休み中は、文芸部の活動は一切無かったから、会うのは本当に久しぶりだ。

「お久しぶりです、租税さん」
「さぁ、そんなところにいないで、さっさと部活を始めましょう。とはいっても、ただ本を読むだけだし、昼食の用意がなければこのまま帰ってくれてもいいわ」
「租税さんはなにを読んでいるんですか?」
「これ? 『珈琲店タレーランの事件簿』っていう本よ。俗に言う人の死なないミステリというジャンルのものなのだけれど、色々な種類の珈琲が出てきて、思わず飲み比べをしてみたくなってしまうのよ。ライトノベルでもないのに、バリスタのヒロインが表紙を飾っているのが実にあざといわね。近頃は、一般書籍でも表紙に女性キャラクターの絵が載るものが多くなってきたわね」
「万能鑑定士Qの事件簿とかビブリア古書店の事件手帳もそうですよね。ビブリアのほうは、ライトノベル枠に入るのかもしれませんけど」
「……え?」
「どうしたんですか?」
「もしかして、私が貸した本を読んでくれているの?」
「ああ、とりあえず、適当に二十冊ほど読んでみましたよ」
「二十冊!」

 租税さんの表情が一気に明るくなる。

「それで、どうだった!? 他には何を読んだの!?」

 租税さんは謎の喰いつきを見せた。
 やはり、語り合える相手に飢えていたらしい。
 ぼくと租税さんは、たっぷり二時間感想を語り合った。そして、一通り語り終えると、租税さんは一息ついて、ペットボトルのカフェオレを飲み始めた。そのカフェオレを見て、ぼくは金子のことを思い出す。

「租税さん」
「何?」
「租税さんに税に関する相談をしたいと言っている人がいるんですけど」
「本当に!? お客さんがあまりに来なかったから、半分忘れかけて――いえ、諦めかけていたけれど、やっと二人目のお客さんが現れたのね!」
「今、忘れかけていたって言いました?」
「言っていないわ。それよりも、その人はいまどこにいるの?」
「今すぐって訳じゃないんです。そもそも、彼女がいまどこにいるのかはぼくも知りません。一応連絡先ということで、メールアドレスだけは受け取っているんですけど――」
「けど?」
「はっきり言って、ぼくはあまり租税さんを紹介したくないんです」

 ぼくの言葉に、租税さんが首を傾げる。

「……独占欲?」
「違います」
「即答しなくてもいいのに……」
「ボケにつっこんだだけですよ。実は、金子幸子の家は、昔事業で失敗しているんです。その失敗のきっかけとなったのが、税務署による立ち入り検査だったみたいで、もしかしたら面倒ごとに租税さんを巻き込もうとしているんじゃないかと思うんです」
「う~ん」

 租税さんは天井を見上げながら、悩みだした。

「正直言って、現時点ではなんともいえないわね。そもそも、父親の事業に関することなら税務署や税理士に相談すべきよ。その選択肢を捨てた上で、一介の高校性であるこの私に相談をするというのには、何か事情があるような気がするんだけど……」
「でしたら、とりあえず断っておきますか?」
「イズミ君は私に金子さんの依頼を断らせたいの?」
「正直、関わって欲しくはありませんね」
「……そうなんだ。それじゃあ、やめておくわ」
「あれ、随分とあっさり引き下がりますね」
「だって、イズミ君がおすすめできない人なんでしょう? だったら、私も好んで関わろうとは思わないわ。そもそも、よそ様の営業所にただの学生である私が出向いて何か言ったところで、相手も聞く耳は持たないでしょうし」
「ああ、そうですね」

 言われてみれば、至極まっとうな常識的意見だった。
 何はともあれ、租税さんは金子幸子の依頼を断ることになった。
 ぼくはその旨を、簡潔な文章でメールで伝えた。

『件名:依頼の件
 本文:依頼の件、お断りするそうです』

 これにて一件落着。第三章、完! というわけには行かなかった。
 返信はすぐにあり、金子幸子はさらに簡潔な分で、ぼくを呼び出した。

『件名:Re.依頼の件
 本文:明日。例の喫茶店。午後二時』

          3

 喫茶『カネコ』。
 これが金子幸子の父親が再度始めた喫茶店の名だ。
 何でも隠れ家的な雰囲気を売りにしているらしく、住宅地の端のこぢんまりとした一角にあった。店のドアには入り口としか書かれておらず、ぱっと見では喫茶店であることも分かりにくい。
 ぼくはためらいながらも、妙に重いドアを開け、店の中に入った。
 カウンター席が五つ。テーブル席が十人分程度のこぢんまりとした印象だ。客も少なく、テーブル席に一人、レジ近くに一人いるだけだった。
 カウンターをみると、そこにはエプロンをした金子幸子の姿があった。

「そこに座って」

 ぼくはいわれるがまま、テーブルにつく。
 金子は無言でコーヒーを入れると、ぼくの前に置いた。

「それで、あの返事は何?」
「何って、そのままだよ。租税さんはこの店には関わらない」
「どうして? アンタが何か言ったの?」
「そうじゃない。ただ、大人の話に子どもが遊び半分で首を突っ込むべきじゃないって言う判断だ」
「そう。その租税さんっていう人が最初で最後の希望だったのだけれど、残念だわ。本当に残念」
「金子さんは、一体何を相談するつもりだったんだ?」
「そういう、興味本位で聞かれるのが本当にむかつくのよね」
「いや、興味本位というわけじゃなく、本当に困った内容なら租税さんにぼくから話すことも出来ると思ったんだ」
「へぇ。それじゃあ、聞きだした上で、何もしないことも出来るわよね」

 金子は語気を強めて言った。
 ぼくはその憤りに、ただ絶句するしかなかった。果たして、ぼくはそこまで嫌われるようなことをしたのだろうか。今一よく覚えていないのだけど、金子とは仲のいいほうだったはずだし、喫茶店のことについてもあまり話題に出そうとはしていなかったはずだ。
 そんなぼく達の間の重い空気に絶えかねたのか、カウンター席にいた男性客が立ち上がった。

「あの、お会計お願いできますか?」
「え、あ、はい」

 金子は裏返った声で返事をすると、カウンターに行き伝票を確認しながら電卓を打った。

「三百十八円になります。はい、三百二十円お預かりします。二円のお返しです。領収証は必要ですか?」
「ああ、もらえるかな?」

 ドン引きだった。何も金子が意外としっかり接客できていたから驚いたとかいうわけではない。客に話しかけられた瞬間、金子は直前までの態度を捨て去り、一流ウェイトレス顔負けのスマイルを顔に浮かべ、明るい声で接客を始めたのだ。
 いや、キャラ変わりすぎだろ! 一瞬、新キャラ登場かと思ったよ!

「はい。少々お待ちください。領収証の宛て名はどうされますか?」
「空白でいいよ」
「はい。それでは、こちらが領収証になります。ありがとうございました」

 金子は愛想よく言った。そして、さっきよりも更に高い声で、媚びるように、またの来店を待っている旨を告げた。
 男性客が店を出ると、金子は気まずそうにぼくの前に戻ってきた。

「……聞きだした上で、何もしないことも出来るわね」
「いや、無理矢理シリアスな雰囲気に戻そうとするなよ! もう無理だって。さっきまでの不機嫌キャラを取り戻すには、接客態度が完璧すぎたんだよ!」
「いいのよ、これが地なの。通常モードなのよ」

 うわぁ、嫌な事聞いた。
 これが通常モードって、どう考えても日常生活に支障をきたすレベルだ。普段、学校ではどうしているのだろう。そもそも、金子は学校に行っているのか? いや、これ以上考えても仕方が無い。金子の依頼は断るということで、租税さんとも話がついている。最早、ここに留まり金子と関わる理由は無い。

「それじゃあ、ぼくもこれで帰るよ」
「……五年前!」
「え?」
「五年前、何があったか、アンタは知っているの?」
「大雑把なことは知っているよ。税務署が調査に入ったって」
「私が相談したいのは、そのことなのよ。五年前、税務署が入ってこの店は潰れたわ。よく覚えていないけど、確定申告を全然していなかったから、脱税しているってことになったらしいの。それからはずっと貧乏暮らしだった。それでも、何とかお金を貯めて、お父さんはもう一度この店を始めたの。でも、前みたいなことにならないか、私は心配で仕方が無いのよ」
「それはお父さんと話したほうがいいんじゃないか?」
「話したわ。でも『お前は心配するな。大丈夫だ』って言ったきりなのよ」
「それなら、大丈夫なんじゃないか?」
「アンタは暢気でいいわね。お父さんは大丈夫だとは言ったけれど、ちゃんと処理しているだなんて一言も言っていないのよ。そういう嘘をつかない代わりに本当のことを言わない人を、私は何人も見てきたわ。出来ることなら私も信じたいけど、どうしても信じ切れない。万が一、五年前と同じようなことになったら、次こそは立ち直れない……」

 金子は消え入るような声で言う。

「イズミ。アンタはどう思うのよ? このままお父さんを信じていれば、私は本当に平和に暮らせると思う?」

 ぼくは答えない。
 心にも無い気休めを言ったところで、金子は納得しない。かといって、不幸な予想を告げれば、金子の心情はさらに泥沼に嵌る。結局、ぼくはその質問に答えるには、あまりに他人すぎたのだ。

 でも、一つだけ気が楽になる事実がある。
 それは、租税さんをこの場に連れてこなかったことだ。
 こんな厄介な悩みに、租税さんを巻き込まなくて済んだことだけは、ぼくの手柄と言っていいだろう。
 そんな慰めごとを考えていたのだが――。

「残念だけど、そうはいかないんじゃないかしら?」
「えっ?」

 奥のテーブル席にいた女性が、突然会話に割り込んできた。
 なんだか、聞き覚えのある声だった。それは、ここで聞こえるはずの無い声、聞こえてはいけない声、聞こえてきて欲しくない声だった。

「あの、お客様。どういう意味でしょう?」
「貴女の家は既に、破滅に向かって歩き出しているということよ」

 なんと、租税さんその人が奥の席に座っていた。
 確かに、入店したときに奥のテーブルに人がいたのは確認したけれど、知り合いがいるとは考えず、しかもそれが租税さんだったなんて考えもしなかったから、完全に意識の外に置いてしまっていた。

「あの、どちら様でしょうか?」
「今はただのお客様よ。そして、文芸部の部長でありイズミ君の先輩でもあるわ。名前は租税のうふ」
「アナタが……」
「そういうわけで、貴女のお父さんとお話をさせてもらおうと思うのだけれど、どこにいるのかしら?」
「えっと、あと十分もすれば出て来るわ。この時間は自宅のほうに休憩に行っているだけだから」
「そう、分かったわ。私に出来ることは、貴女のお父さんを説得することだけだけど、あまり時間をかける気もないし、かといって成功を保証するものでもないわ。私がただの高校生だということはゆめゆめ忘れないでね」
「はい」

 金子は何かを疑っているようだ。

「ねぇ、この人、本当に租税さんなの?」
「そうだよ」
「……ただの高校生じゃなくて、小学生なんじゃないの?」
「一応、ぼくの先輩。文芸部の誇るゆるキャラだよ」
「いや、小声で話していても聞こえているから」

 租税さんはすねたような態度を取る。

「ごめんなさい、租税さん。コーヒーをサービスするから許して」
「苦いからいらないわ」
「喫茶店でその発言はどうかと思う」
「甘いコーヒーが無いならケーキを出せばいいじゃない」

 なんと、ケーキを要求した。
 この人、何でコーヒーを注文したんだ?
 金子は冷蔵庫からチョコレートケーキを取り出し、租税さんの前に出した。

「それじゃあ、その十分間で今回の問題に関する前提知識を確認しておきましょうか。まず、自営の人の確定申告だけど、白色申告の場合は収支内訳書というものを作る必要があるわ! 要するに、一年間の収入額と経費の額を計算するものなんだけど、これで何を導き出すことができるか、イズミ君、覚えている?」
「所得ですよね?」
「そうよ。収入―経費=所得ということになるわ。自営業の人は、源泉徴収を取られていたり取られていなかったりまちまちだから、自分で確定申告をする必要があるのよ」
「それって、領収証の控えとかを持っていったら、父さんの確定申告の時みたいに、月熊町役場の人やってくれるんですか?」
「さぁ? そこまでやってくれるかどうかは分からないわ。その辺はそれぞれの自治体でも対応は変わるでしょうけど、町の広報紙を見てみると、基本的にはやってくれないと思っていたほうがいいわね。仮にやってくれるとしても、そのレベルだと他の人の迷惑になるでしょう。せめて、年間の売上額とそれぞれの経費の合計額くらいは出しておいたほうがいいわ。そもそも、その売上表を見た月熊町の職員が、即座に売上表の金額を足し上げ、経費も項目別に分けた上で計算するなんていうのは難しいでしょうし」
「でも、時間をかければ出来るんですか?」
「出来なくもないとは思うけれど、月熊町が用意できる人員も会場も限られているわ。おそらく、申告会場にはある程度の列ができているでしょう。それなのに、後ろで待っている人のことなど一切考えることなく、面倒ごとを全て月熊町職員に押し付けるのはどうかと思うのよ。そんなものは、コーヒー一杯だけを注文して開店から閉店まで喫茶店に居座る迷惑な客と同じよ」
「それは迷惑ですね」
「それだけじゃないわ。金子さんのお父さんが始めたのは自営なのよ。自ら営むと書いて自営。収支というのは、その中でも最も重要なもの。それを自分でやらず、他人にやらせるというのはどうかと思うわ」

 租税さんは軽いため息をつく。

「それに、どちらにせよもう無駄なのよ。既に確定申告期間は終わってしまっているわ。月熊町役場も既に確定申告相談会場を撤収してしまい通常業務に戻っているでしょう。もっとも、申告直後で処理しなければならないことも沢山あるでしょうから、通常もなにもあったものじゃないでしょうね。税務署ならやってくれるかもしれないけれど、そもそも収支内訳書を作るための基となる帳簿などの資料がなければ話にならないわ」

 全くどうしようもない話だ。
 金子は手伝いに来てはいるものの、この店の収入などは全く把握していないだろう。金子が何とかしたいと思っても、どうにも出来ないのだ。
 金子は租税先輩に尋ねる。

「じゃあ、私はどうすればいいの?」
「貴女じゃないわ。これは貴女のお父さんの問題。それは理解できるわね?」
「……はい」
「では、その上で話をさせてもらうわ。選択肢その1。税理士に頼む」
「でも、お金がかかるでしょ?」
「世の中には青色申告というものがあるわ。青色申告をした人には最大で650,000円分の控除が与えられるけど、この控除分を考えれば、税理士に頼むというのも有料ではあるものの立派な選択肢の一つよ。自治体が税理士を招いて無料税理士相談とかいうものを開く場合もあるから、広報誌などでチェックしたり問い合わせてみたりするといいわね。もっとも、青色申告をするためには事前に届けを出しておかないといけないから、今からやっても28年分については無駄でしょうけれど」
「無駄ですか……」
「選択肢その2。商工会議所が青色申告相談会をやっている場合があるわ。この場合は、年会費とかがかかるかもしれないけれど、金額はある程度抑えられるでしょう。ただ、これも時期が限定されている可能性があるから注意が必要よ。詳しくは月熊町商工会に問い合わせてみて」
「……はい」
「選択肢その3。自分で頑張る」
「ええっ!?」
「大した規模でないなら、自分で頑張って何とかできる場合があるわ。今は確定申告用のパソコンソフトも沢山あって、日々の売り上げや経費を入れていくだけで収支内訳書や決算書が作れるものだってあるわ。頑張れば何とかできないこともないのよ」
「でも、うちのお父さんには無理かもしれない」
「自分で頑張るとは言ったものの、自分だけで頑張る必要はないわ。一度税務署に相談してみて、こういう状況なんだけどどうすればいいか相談してみるのが一番いいと思うわ」
「税務署……」

 金子は黙り込む。五年前のことがあるから、やはり、直接かかわりたくはないのだろう。

「そういうわけで、今説明したのは貴女のお父さんがすべきことよ。既に正しくやってあるなら何の問題もないわ。もっとも、その可能性はあまり高くないとは思うけれど」
「どういうこと?」
「多分、貴女のお父さんは五年前と同じことをしているわ。しかも、今回はより悪質な脱税をしようとしているのだと思う」
「脱税!?」
「詳しい話は金子さんのお父さんが来てからよ。それまではのんびりコーヒーを戴きましょう。やっぱり喫茶店で飲むコーヒーは苦いけれど一味違うわね。よりいっそう、ケーキの味を引き立ててくれているような気がするわ」
「うち、インスタントだからね」
「……そうなの?」
「うん」

 租税さんはカップを見つめる。
 しかし、話が大きくなってきた。脱税といえば、大企業や金持ちがやることだというイメージがある。マルサの女とかがそのイメージの代表だろう。それなのに、目玉のコーヒーですらインスタントで妥協してしまっている金子の父親ごときに脱税は出来るのだろうか。

「租税さん。脱税って簡単に出来るんですか?」
「出来るわよ。ただ、正直言って、脱税はおすすめしないわ」
「どうしてですか?」
「隠し通すことはほぼ不可能だから。よく問題になるのは、売り上げを少なく申告したり、本当はかかっていない経費を計上したりすることなのだけれど、その辺をどこでかぎつけるんだか、税務署は目ざとく見つけ出すのよ。税務署は、ある程度のお金の流れを追う事が出来るわ。例えば、目をつけた相手の通帳を調査したら、確定申告書よりも多くの収入があったとかね。そういうものを税務署は簡単に見つけることが出来るのよ」
「そうだったんですか……」
「そうなったら、税務署は正しい金額での申告をさせることになる。勿論、一年分だけじゃないわよ。遡れるだけ遡って申告をさせることになる。そうなるとどうなるのか? まず、所得税が一気に跳ね上がるわ。ちなみに、悪質だと判断されると重加算税が課される事もある。この重加算税というのが中々シャレにならない税率なのよ。次は、修正された申告書に従って住民税が遡って高くなる。それに伴い、他の様々な税金の金額も遡って高くなり、一気に課税されることになるわ」
「そういえば、所得というのは色々な税金の計算の基になるものだって言っていましたね」
「その通りよ。所得額が遡って増加すれば、色々な税に影響してくるのよ。もしそれで、滞納するようなことになれば、当然納付方法についての相談を関係各所とすることになって、場合によっては給与や預金や資産を差し押さえられたりすることもあるわ。それと、納めるのが遅れると延滞金まで取られることになるから注意してね」
「延滞金……」
「分かったでしょう? 脱税は、ばれたときのリスクが大きすぎる上に、割と簡単にばれるのよ。そしてばれたら最後。課税の連鎖がフィーバーして、最後にはばたんきゅ~ってなってしまうのよ。多分、金子さんが五年前に体験したのはこれだと思うわ」

          3

 少しすると、裏口からいかにも喫茶店のマスターといった感じのベストに蝶ネクタイ姿の中年男性が入ってきた。インスタントの癖に。男性は、金子とぼくたちが話しこんでいるのを見て多少驚いたようだった。

「君達は、幸子の友達かな?」
「いいえ、違うわ」

 租税先輩はきっぱりと言った。
 確かに友達ではないのだけれど、この言い方だと金子が嫌われているように聞こえてしまう気がする。ぼくにはどうでもいいことだけれど。

「私は租税のうふという者よ。このたびは、娘さんの相談にのっているわ」
「相談?」
「この店が五年前と同じような結末を迎えてしまうのではないかと、娘さんが心配しているのよ。その相談に乗っていたの」
「余計なことを……」

 男性は金子を見る。
 金子は萎縮して俯いてしまった。

「私達もそれほど深く関わるつもりはないわ。ただの学生の身だし、少しだけ話をさせてもらって終わりにしようと思っている。他のお客さんもいないようだし、少し時間をとらせてもらってもいいかしら?」

 金子父は不服そうでは会ったが、しぶしぶ頷いた。

「では、単刀直入に聞くわ。この店を営業するに当たって、昨年分の確定申告はしたの?」
「いいや、していない」

 金子が目を見開く。
 嫌な予感が的中してしまったらしい。

「では、確定申告をする気はないの?」
「ないよ」
「何故?」
「赤字だから。赤字なら申告しなくてもいいんだろ?」

 あれ、そうなのか? 言われてみれば、確定申告は所得税を計算するためにするのだから、所得税が発生しないのならそもそもする必要は無いのかもしれない。

「まぁ、所得税についてはそういうことになるわね。赤字であれば確定申告はしなくても構わないわ。住民税申告はしておいたほうがいいと思うけれども」
「だったら、それで話は終わりだ。税務署なんて関係ない」
「全然、違うと思うわ」
「何が違うんだ?」
「この店、本当に赤字なの?」
「何だと?」
「売り上げをごまかそうとしているんじゃないの?」
「しているわけがないだろう。証拠でもあるのか?」

 租税さんは、その言葉を待っていましたとばかりに立ち上がり――。

「この謎、たいへんよく挽けました」
「だから、うちはインスタントだって」

 パクった決め台詞に即座に突っ込みを入れられていた。どうも、金子は空気を読むということを一切しないらしい。租税さんは、出鼻をくじかれたものの、気を取り戻して言葉を続けた。

「……まぁ、いいわ。マスターさんに聞きたいのだけど、このお店は何故レジスターを導入しないの?」
「予算がないんだ」
「安いものなら一万円と少しで売っているわ」
「……」
「それに、領収証が必要かどうかを聞いた上で、必要だという人に対してだけ渡すようにしているわよね? 領収証の控え以外に、売り上げを把握する手段がないように思えるのだけど、その点については何か記録する手段があるの? お金の管理もいい加減のようだし」
「それは……」
「まさか、税務署に調査されたところで記録さえ残していなければ何とかなるなんて浅いことは考えてないわよね?」
「……君達には関係ないだろう。幸子、今日のところは帰ってもらいなさい」

 金子父は、重く暗い声で金子に指示をする。

「話を聞いて! また、前みたいになったら嫌だから恥を忍んで相談したんじゃない!」
「それが余計だというんだ」

 とりつく島も無い金子父の態度に、金子は絶句する。話を聞く気が無い相手には、正面から何を言っても無駄だ。少なくともこの場においては、金子の言葉はもう父親に届くことはないだろう。
 だけど、対処法は無いわけではない。正面からの説得が無理なら、からめ手を使えばいい。
 その期待にこたえるかのように、租税さんが口を挟む。

「あ~、ちょっといいかしら。僭越ながら忠告させてもらうけれど、娘さんの判断はとんでもなくいいタイミングだったわよ」
「は?」
「イズミ君は気にならなかったの? 私が何故この店に来ていたのか」
「普通にコーヒーを飲みたかったんじゃないんですか? 今日読んでいた小説に影響されて」
「う……。まぁ、それもないこともないのだけれど。むしろ、それが理由の九割くらいなんだけど、コーヒー一杯でここに居座ったのは他に理由があったからなのよ」
「本当ですか? 今、適当に考えたんじゃないんですか?」 
「イズミ君は何でそこを疑うの!? 私がここに居座った理由は、スーツの男性が、レジ近くの席で文庫本を読みながらのんびりしていたからよ」
「どういうことですか?」
「おそらく、税務署職員はこの店に既に目をつけ調査を開始しているわ。あの男性は、この店の収入額がどれくらいになるのかを把握するために、レジ近くの席でそれぞれの客の会計に聞き耳をそばだてていたのよ! はっきり言って、明日調査に入られても不思議ではない状態よ!」
「でも、その人が本当に税務署職員だって決まったわけじゃないんじゃないですか? 喫茶店で本を読んで時間を潰すスーツ姿の男性なんて、たくさんいると思いますけど」

 租税さんは「ふふん」と鼻を鳴らした。

「税務署職員である可能性は高いと思うわ」
「何故ですか?」
「私は暇があると税務署にいって、特にこれといった目的も無く職員の様子を見てみたりするのだけれど――」

 何その趣味!?
 税務署限定の人間観察!?

「あのスーツの人を何度もみた事があるわ」
「何だそりゃ!?」

 想像以上に酷い裏づけ方法だった。
 これは、名探偵が犯行現場を目撃していたようなもの。結論を先に作り上げ、隙間を推論で埋めていくようなものだ。

「それじゃあ、租税さんは……」
「調査が入る瞬間でも見られないかと思って、少し期待していたのよ。コーヒーの味は全然分からなかったわ。まぁ、インスタントだし当然ね。インスタントだし」

 租税さんは意外と根に持つタイプのようだった。
 ここに来て、新たな一面を見た。

「というわけで、お尋ねしましょう。調査の手はすぐそこまで迫ってきているわよ。マスターさんは、この店に税務署職員が現れても、全く問題ないといえるの?」

 金子父は答えない。

「自分で出来ないなら、税務署に相談してみたらいいんじゃないかしら? 電話で予約しておけば、かなり親身になって相談には乗ってもらえると思うわよ」

 やはり、金子父は答えない。

「それも駄目なら税理士を雇うとかするしかないんじゃないかしら? お金がかかってしまうけれど、この際仕方がないわね。さて、イズミ君。これ以上は当人の問題だから、私達はこれでお暇することにしましょう。あ、そうそう、コーヒーはあまり美味しくなかったわ。インスタントだから」

 租税さんはそれだけ言うと、立ち上がってコーヒー一杯分の代金を金子に渡した。
 ぼくもそれに続こうとすると、金子父はうめくように声を上げた。

「どいつもこいつも金、金、金。私は喫茶店を経営するのが夢だったんだ。税金だか何だか知らないが、私の邪魔をしないでくれ。君も、高校生の頃からこんなに金のことばかり考えているとろくな人間にならないぞ」
「……アナタは勘違いしているわ」
「何をだ?」
「夢を負うことは立派なことよ。でも、それで全てが許されるわけじゃない。夢をお金でかなえることは出来ないかもしれないけれど、夢をかなえる過程には大抵お金が絡んでくるわ。『お金で買えない』というのは、お金が必要ないという意味ではなく、お金だけでは手に入らないという意味よ。お金は夢をかなえるための努力の一部なのよ」

 租税さんの言葉に、金子父はたじろいだ。こんな小さくて可愛い生き物に、そこまで言われるとは思っていなかったのだろう。そして、租税さんに恨みがましい目を向け、搾り出すように恨みの声を向けた。

「君みたいな子をなんていうか知っているかい?」
「参考までに聞かせてもらうわ」
「拝金主義者だよ」

 拝金主義者。
 世間では人間味が無いとか、金の亡者とか、そういうネガティブな意味で使われている言葉だ。その言葉に租税さんはというと――。

「いや~、それほどでも」

 何故か嬉しそうに照れていた。
 強がりでも何でもなく、ただ単純に褒められた子どものように、はにかんでいた。

          3

 さて、喫茶店騒動から一週間たち、色々と判明した事実があった。
 まず、金子幸子だが、なんと彼女はぼくと同じ学校に通っていた。というか、彼女はぼくと同じクラスにいた。昨日行われた自己紹介は、どうせ名前を覚えられないだろうから、聞いている振りをして金子への対策を考える時間にさせてもらっていたから気づかなかったのだ。

 喫茶店については、あの後緊急の家族会議が開かれ、喫茶店には金子母による現地調査が入った。金子父はこれまでのいい加減な経営状態とインスタントのコーヒーについて酷く怒られたらしい。その結果、金子父は税務署に行って相談をして、何とか申告を済ませた。傷口は浅かったらしく、金子家の貧乏暮らしは何とか回避された。
 そんな大まかな報告を金子から受けたぼくは、租税さんにその旨を伝えた。

「そう。それはよかったわね」
「でも、税務署に入られる前に申告できて良かったですよ」
「ん、ああ。そうね」
「……リアクションが随分薄いですね」
「そもそも税務署の職員を見たとか、ただの嘘なのよ」
「は?」
「だって、赤字だったら彼女は生活できないでしょう? 支出はあるけど収入はない。でも何故かお金はある。そんなわけの分からない状況に、彼女が不安を覚えるのは当然のことだわ。だから、彼女のためにハッタリを言ってみたのよ」
「それじゃあ、税務署の調査はないんですか?」
「さぁ? でも、調査に入られる可能性は高いと思うわ。飲食店なんて、調査官の恰好の獲物だし、そもそも五年前に一度やらかしているわけだから、最初から目をつけられていると思ったほうがいいわ」

 成程。税務署は当然、金子の父親が五年前に調査対象となり、追加の課税をされたことを知っている。だったら、脱税を疑われやすくなるのも当然だろう。

「あれ? それじゃあ、何で租税さんはあそこにいたんですか?」
「珈琲店タレーランの事件簿を読んで、コーヒーを飲みたくなったから店に入ったの。それで、喫茶店でコーヒーの匂いのする中で読んでみたくなって、コーヒーを注文した上で続編を読み始めたの。中々いいものだったわ、インスタントだったけれど。でも、読み始めたらいつの間にか時間がたっていて、気がついたら店内でイズミ君と金子さんがもめていたのよ」
「あー」

 そういえば、租税さんは本の虫だった。
 夢中になれる本があれば、いつまでも読み続ける。

「ところで、イズミ君」
「はい、何でしょう?」
「さっきから、ドアの隙間に人の姿が見えるのだけれど、もしかしたらお客さんかしら?」
「ええっ?」

 そんなに簡単に新しいお客さんが来るなんてことは考えにくい。
 そう思いながらドアを開けると、そこには金子がいた。

「あ、あの……」
「あら、インスタントコーヒーの金子さんじゃない」
「言い方に悪意がある!?」
「ケーキは美味しかったわ」
「あれは市販品です……。いや、そうじゃなくて、今日はお礼を言いに伺いました。源イズミ君からお聞きになっているかもしれませんが、あの後ちゃんと申告することになりました。これも偏に租税さんのおかげです。ありがとうございました」
「気にすることは無いわ。正直、その場の流れで首を突っ込んでしまっただけだから、ケーキでおつりが来るほどよ。だから、なでるのは止めてくれないかしら?」
「はっ! 気がついたら手が勝手に……」

 うん、これは仕方が無い。目の前に子猫がいたらなでてしまうのと同じ。可愛らしさ溢れる租税さんがいたら、人はなでずにはいられないだろう。

「イズミ君。何か失礼なこと考えてない?」
「考えてませんよ」
「そう。それじゃあ、いいわ。金子さん。とにかく、もう気にする必要は無いから」
「あ、それでですね……」
「待って。このパターンは、更に新たな問題が発生したからその相談にも乗って欲しいというやつなんじゃないかしら? 何だかさっきから口調も妙に丁寧だったし」
「いえ、そんなことはないですよ。そんな図々しいことはできませんよ」
「そうよね。租税相談を始めたら、すぐに部員としての立場を放棄してお客さんになるような図々しい真似は出来ないわよね」

 租税さんはぼくを見る。
 父さんの確定申告の件は、マンガの貸し出しで話が付いたはずなのに。

「でも、そんな他人行儀な話し方はやめて、いつもどおりにしてちょうだい」
「いいんですか?」
「もちろんよ」
「あ~、よかった。こんな年下にしか見えない可愛い子に敬語で話すのって、すごい違和感があったのよ。よろしくね、租税さん」

 金子は十分に図々しい人間だった。この厚かましさは、もはやぼくの比ではない。
 しかも、それでいてぼくに接していたときのようなピリピリした態度でもない。あれが地だという設定はどこに行ったんだ!

「それで、租税さん。私も少しだけ暇が出来たから、部活でも始めてみようと思うのだけれど、この文芸部は部員を募集していたりなんてしないかしら?」
「していないわ」
「ええっ? でも、二人しか部員がいないんじゃないの?」
「そうね。文芸部はいつでも貴女以外の部員募集中よ」

 租税さんはすねたように言う。租税さんに対して、子どもっぽさを褒める言葉は禁物だ。ましてや、子どもっぽさをからかう言葉を言った日には、一時間くらいは口を聞いてもらえない。まぁ、逆に言えば一時間経てば口を利いてもらえるし、一日経てば綺麗さっぱり忘れてくれているのだけれど。

「ごめんなさい、租税さん。失礼な態度だったわ。謝ります」
「許しません」
「今度ケーキとコーヒーを持ってくるから」
「……許し――ません」

 おや、租税さんの様子がおかしいぞ。

「今度ケーキとケーキを持ってくるから」
「新入部員として歓迎するわ!」

 租税さんは笑顔で答えた。
 コーヒーはいらなかったらしい。

「それじゃあ、今日はまだお店の仕事の引継ぎとかがあるから帰るね。租税さん、明日からよろしく」
「よろしくね、インスタントケーキさん」

 租税さんの言葉を聞き、金子は満足げに部室を出て行った。
 これでいいのか、金子よ。
 租税さんは租税さんで、金子が出て行ったドアをニコニコしながら見ている。

「金子さん、かわいいところがあるじゃない」
「そこまでケーキが食べたかったんですか?」
「まぁ、失礼ね。でも、イズミ君は気づいていないのかしらね?」
「ぼくが? 何にですか?」
「金子さんが何故イズミ君に相談したのかということよ。私に相談するところを見られたくないのなら、私を帰り道でまちぶせるとか、いくらでも方法はあったはずよ。それなのに、あの子は態々イズミ君を通して私に相談をしたのよ」

 確かに、自転車で租税さんのあとをつけるとか、他にも方法はあったように思える。
 本当に誰にも知られたくないのなら、少なくともぼくの家の前で仁王立ちして待ち伏せるなんて真似はしないだろう。

「喫茶店が駄目になったとき、イズミ君だけは金子さんに事情を聞きだそうとはしなかったんでしょう? その気遣いは、ありがたかったのでしょうけれど、やっぱり金子さんのプライドを傷つけてしまっていたのでしょうね。だから、彼女はイズミ君にあんな態度を取っていたのだと思うわ」
「全部、租税さんの想像ですよね?」
「そうよ。だから、これから先もただの想像として聞いてちょうだい。金子さんは、イズミ君と仲直りする切欠を探していたんじゃないかしら? 劣等感のために幼稚な態度を取ってしまったことを後悔して、イズミ君とまた一緒にいられるようにしたんじゃないかしら? だから、解決した後もこの文芸部に入るって言ってきたのよ」
「そんなことはないと思いますけど」
「文学作品ではよくあることよ。それに、そっちのほうが素敵じゃない」

 租税さんはのんきに言う。まぁ、租税さんの言うとおり、これで金子家喫茶店問題には一応の決着がついた。最早、ぼくと金子が対立する理由は存在しないはずだ。せいぜい、昔のように仲良くできるよう、努力だけはしてみることにしよう。
 それにしても、金子が租税さんと同じ部活に入るというのを、あの父親はどう捉えるのだろうか。最後に暴言を吐いたあの父親のことをぼくは許す気にはなれない。
 いや、でも待て。
 そういえば、あの暴言に対する租税さんの態度はおかしかった。

「租税さん。聞きたいことがあったのを思い出したんですけど」
「何?」
「租税さん、金子父に『拝金主義者』って言われたときにちょっと嬉しそうな顔をしていましたよね? あれは、何故なんですか?」
「君は割りと目ざといわね」
「やっぱり、金は命より重いとか、思っているんですか?」
「いや、そんな鉄板の上で土下座させられそうな賭博黙示録的思想は持っていないから安心してくれていいわ」

 租税さんは本を閉じると、ぼくに正面から向き合った。

「私は、お金を命そのものだと思っているのよ」

 この人は何を言っているんだ?

「いや、そんな『この人は何を言っているんだ』みたいな目で私を見ないで……。ちゃんといい感じの理由はあるから」
「どんな理由ですか?」
「何故なら、金は人の営みそのものなのだから」
「?」
「人はお金を稼ぐために、様々な努力をするわ。アルバイトに精を出したり、定職について仕事に打ち込んだり、自ら営業活動を始めたりする。それは全て、お金を稼ぐためなのよ。人は自らの人生の一部を使い、命を消費しながらお金を稼ぐ。だから、お金は大事なの。だから、自分の下に戻せるお金を戻すための努力はすべきだと思う。手に入れられるお金があるのなら、手に入れるべきだと思う。だから――私にとって拝金主義者とは、もっとも人の命に対して敬意を持っている人間のことなのよ」

 その言葉に、嘘偽りは感じられなかった。
 租税のうふ。金愛ずる少女。
 彼女が金子父の言葉に全く傷ついていないのか、心の傷を隠しているだけなのではないかと少し心配していたが、どうやらそれは的外れだったようだ。彼女は、それを証明するかのようにこう続けた。

「ちなみに『守銭奴』って言葉はストイックな響きが恰好いいわよね」

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